Ⅰ 缶詰のスープ

「久しぶりね」

男はアヤノの声に反応して振り返る。

そして、麻袋に缶詰を詰める手を止めた。

「勘違いだったかしら」

アヤノは、男を見て微笑んだ。

「ごめん、逆光で顔がよく見えないんだ」

男は立ち上がって女の顔をよく見た。

「あんたか、名前は忘れたけれど」

「思い出してくれた。名前なんてどうでもいいのよ」

「ここではね」

アヤノは男の麻袋を見た。

肩にかけられるように、平たい紐がついている。

男はそれを斜め掛けして、二つ下げている。

「重そうね」

「外で暮らしているからね」

「そうなんだ」

「そこから海は行ける」

「わからない」

「近くにはないんだ」

「わからない」

「ねえ、少し休んでいかない」

「あたしの部屋すぐそこだから」

「ああ、そうするよ」


「ねえ、どう思う」

ミサトは興味深そうにアヤノの話を聞いていた。

「ビールがあるらしいのよ、ここのどこかに」

「知らないよ、あたしは」

「ナオトも知らないのかな」

「どうだろう」

ミサトは堅いパンをナイフで切ってアヤノに渡す。

そのあと、自分の分のパンをナイフで切り出した。

「缶詰のスープつける」

「大丈夫」

アヤノはパンをかじって、口の中に入れた。

「ハンバーガーをくれたの」

「その人が麻袋の中から二つ出して」

アヤノは口の中のパンを飲み込んだ。

「ひとつをあたしに」

「ビールも分けてくれて」

アヤノはその時の光景を思い出して、

ニヤリと笑った。

「やわらかいパンに肉がはさまっていて」

「肉?」

「そう、牛肉だって」

「缶詰じゃない、生の肉だよ」

「生なの」

「焼いてあるけどね、でも生なのよ」

「その男の人はどこから来たの」

「泥まみれじゃなかったんでしょう」

「雨が降ったことも知らなかったの」

「服もきれいだったんでしょ」

ミサトは埃まみれの自分の服を見る。

「新しい服じゃないけど、洗濯した服だった」

「でもね、その服もここで調達したって言ってた」

「場所は教えてもらわなかったんだ」

「寝ちゃったから」

ミサトは照れ笑いのアヤノをじっと見つめる。

「ビールでさ。飲み慣れてないし」

「気が付いたらさ、居なくなってた」

「ナオトは知ってるかな」

アヤノはミサトを見て首をかしげる。

ミサトは沸かしていたお湯をティーポットに注いだ。

「このお茶も、彼が見つけてきたから」

「何か知ってるかもね」

「もう少し待ってて」

「お茶は、少し待たないとね」

「お茶だけでなく、彼も。そろそろ帰ってくる」

ミサトがお茶を二つのカップに注ぐ。

「いい香りだね」

「行ってみたいね、外の世界に」

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