2/魔術大学校 -20 竜の血

「──はッ!」

 体勢を低くしたイオタが、俺のすねに向けて木剣を振るう。

 身長を活かした一撃だ。

 跳び箱の要領で矮躯を飛び越え、即座に反転すると、イオタは体勢を崩していた。

「予測精度が甘い! 自分の攻撃に対し相手がどう打って出るのか、よく考えて動け!」

「はい!」

 イオタが振り返り、テオ剛剣流の下段の構えを取る。

「やああッ!」

 突進してきたイオタが、木剣を逆袈裟に斬り上げた。

 木剣の速度が遅い。

 何かを仕掛けてくるのがわかった。

 徒弟級上位の反応をシミュレートして、その一撃を仰け反って躱す。

 木剣の軌道が、変わる。

 斬り上げきるのではなく、途中で引き、そのまま突きへと転じたのだ。

「たあッ!」

 悪くない。

 俺は、木剣の切っ先に触れると、それを大きく払い除けた。

「あっ」

 体重の軽いイオタがくるりと反転し、こちらへ体当たりを行う形になる。

 俺は、その肩を受け止めると、転ばないようしっかりと支えた。

「今のは上出来だ。相手がドズマでも当たってる」

 イオタの顔が華やぐ。

「ドズマさんでも……!」

「ドズマに勝てるとは言ってないぞ。一撃当てられるかもしれないってだけだ。次はこちらから攻める。対応してみせろ」

「はい!」

 葉を落とした木の枝を構える。

 振るうは、あえて愚直な一撃。

 正直でまっすぐな剣だ。

 まず、わかりやすく、真上から真下へ振り下ろす。

「──ッ!」

 イオタが左に大きく避ける。

 今度は、右から左へ横一文字に薙ぎ払う。

 イオタが、再び身長を活かし、その場に屈み込んだ。

「ただ避けるのではなく、同時に攻める! 実戦では攻撃機会が交互に来るわけじゃない! 隙と見たら打って出ろ!」

「はい!」

「今と同じ流れで攻撃を行う。今度は前へ出てみろ」

「はい!」

 真上から真下へ振り下ろす。

 イオタが大きく左に避ける。

 右から左へ横一文字に薙ぎ払う。

 今度はただ屈むのではなく、イオタが大きく前へと踏み込んだ。

 そして、逆袈裟に斬り上げる。

 俺が仰け反って躱すと、その一撃が再び突きへと転じた。

「──やッ!」

 その一撃を、今度は上体を捻って躱す。

 そのまま半歩、イオタの背後へ回り込み、その頭頂部を肘で痛打した。

「だッ」

「一度上手く行ったからって、二度も同じ手を晒すな。一度見せたら二度と通じないと思え」

「は、はい……」

「んじゃ、いったん休憩だ」

 イオタの背中をぽんと叩く。

 体操服が、多量の汗でしとどに濡れていた。

「はァ──……」

 尻餅をつくように、イオタがその場に座り込む。

「今日は悪くない。考える癖がついてきたな」

「な、なんとか……」

 イオタには、優れた動体視力も反射神経もない。

 体操術と同時に剣を振るえないから、速度もない。

 まるで、神眼のない俺を見ているようだった。

 イオタに残されたのは、理だけだ。

 攻撃の前に、相手がどう動くのか、どう避けるのか、予測してパターンを組み上げる。

 攻撃されるのであれば、予備動作からどういう一撃が繰り出されるのかを判断し、振るわれる前に避ける。

 これを完璧にこなすことができれば、徒弟級中位にはなれるはずだ。

「カタナさんが汗一つかいてないの、悔しいなあ……」

「いや、ちょっとは汗ばんでるって」

「暑いからでしょう、それ!」

「バレた」

 イオタが肩を落とす。

「でも、踏んでる場数が違うもんな。カタナさんが手合わせした中で、いちばん強かったのって、どんな相手だったんですか? あのラライエとか、師匠さんでしょうか」

「あー……」

 まあ、いいか。

 イオタに隠し事をする理由は、もうない。

「……驚くなよ?」

「もう、何を聞いても驚かないと思いますよ」

 余裕の笑みを浮かべるイオタに、そっと告げる。

「ルインライン=サディクル」

「──…………」

 しばしの沈黙ののち、イオタが目を押っ広げる。

「……は!? ルインラインって、パレ・ハラドナの? 世界一の剣術士!?」

「声でかい声でかい」

「す、すみません……」

「前に、[羅針盤]を使って、とんでもない強敵に打ち勝ったって言ったろ」

「しかも、勝っちゃってるんですか……」

「勝ったって言ってもな。神眼で勝ったなら自慢もできるが、使ったのは[羅針盤]だぜ。こいつは卑下でもなんでもなく、正真正銘の反則だ。それでも死ぬかと思ったけどな……」

「……やっぱ、めちゃくちゃ強かったですか?」

「ヤバいぞ、あの人。頭おかしいぞ。遠当てっていう魔術と技術の中間みたいな技で、雲斬るんだぞ」

「──…………」

 イオタが目を点にする。

「……雲?」

「たぶん、高等部の母屋くらいなら一刀両断だ」

「人間ですか、それ」

「人間は人間だよ。ただ、地竜の血が入ってるって言ってたな」

「地竜の血……」

 イオタが、ふと、自分の手の甲に視線を落とす。

「あの鱗が竜のものだったら、ぼくももっと強くなれるのかな」

「結局、あの病気って正体不明のままなのか?」

「あ、はい。本当、ごくたまに出るんです。風邪気味の時とかに多いかな。ひどい咳が続いて、下手をすれば数日眠れなかったりして。薬も、そう簡単に手に入るものじゃないみたいで、常備するのも難しかったから……」

「あの薬、なんなんだろうな。効く薬がわかってんなら、病気について多少調べがついててもおかしくないだろ」

「それは、確かに……」

「今度、ベディルスさんに聞いてみようぜ」

「そうですね。気になりますから」

「ツィゴニアさんも、何か知らんかな。父親なんだし」

「──あ、そうだ」

 イオタが目尻を下げる。

「明日の夜、お父さんに会いに行こうと思うんです。明後日は銀曜ですから、遅くなっても大丈夫だし。カタナさん、ついてきてもらっていいですか?」

「ああ、いいぜ。俺は、イオタの師匠である前に、お前の護衛だ。ツィゴニアさんは狙われている身だし、嫌だっつってもついてくよ」

「ありがとうございます。その、それと──」

 イオタが、もじもじと口を開く。

「や、ヤーエルヘルさんも、連れて行っていいでしょうか。さすがに大人数で押し掛けるのは父さんにも悪いと思うので、せめて彼女だけでも」

「……外堀固めようとしてないか?」

「してませんよ!」

 本当かな。

「ただ──」

 目を伏せて、イオタが言った。

「……もうすぐ、お別れですから。参観会の準備で昼休みくらいしか話せてませんし、もうすこし一緒に過ごしたいなって」

「そうか」

 そういうことなら、協力しても構わないだろう。

 だが、

「そいつは俺が決めることじゃないな。自分でヤーエルヘルに言え」

「──…………」

 イオタが、まるくした目をすぐに細める。

「そう、ですね。その通りです。明日、話してみます」

「ああ、そうしとけ」

 力強く頷き、枝を鳴らす。

「──では、休憩はここまでだ。次は素振りだな。燕返し、まずは千本!」

「はい!」

 イオタが立ち上がり、木剣を構える。

「ぴぃ──!」

「おっと」

 夜空を散歩していたシィが、イオタの頭に着地する。

「ごめん、シィ。まだ終わってないから、隣で見ててね」

「ぴィ!」

 シィが、素直に頭上から降りる。

「本当、よく言うこと聞くよな。言葉が通じてるみたいだ」

「ぼくの弟、みたいなものですから。心も通じ合ってる気がするんです」

「つーことは、シィがヤーエルヘルによく懐いてるのは──」

「──…………」

 イオタの顔が赤く染まっていく。

「さ、さあ! 素振りだ素振り!」

 慌てて素振りを始めるイオタの姿を微笑ましく思いながら、俺はシィを抱き上げた。

 冷たい皮膚が肌に心地良い。

「ぴぃ?」

「お前のお兄ちゃん、頑張ってるからさ。応援してあげてくれな」

「ぴぃ!」

 イオタの木剣が空気を切り裂く音が響く。

 俺は、イオタの師匠を上手くこなせているだろうか。

 わからない。

 今はただ、精一杯に指導を行うのみだ。

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