1/ネウロパニエ -10 大図書館
ベディ術具店から徒歩で三十分、魔術大学校の校門へと辿り着く。
校門は、優に身長の三倍はある鉄柵門で閉じられており、その前には物々しい格好をした兵士が二人立っていた。
見るからに関係者以外立入禁止の雰囲気だが、いちおう尋ねてはみる。
「すみません。こちら、ウージスパイン魔術大学校でよろしいでしょうか」
「ああ、そうだ」
「入ることは……」
「できると思うか?」
無理か。
きびすを返そうとしたとき、兵士が破顔した。
「──なんてな」
「?」
「入れないのは、ここが十二時の門──全優科の生徒のための出入口だからだよ。六時の門からは普通に入れるから、そっち回りな」
「ああ、そうだったんですか」
ベディ術具店のことがあったから、思わず安堵する。
「全優科、とはなんだ?」
「学校はわかるな、お嬢ちゃん。教室が幾つもまとまったもんだ」
お嬢ちゃんと呼ばれて、ヘレジナが不機嫌そうな顔をする。
だが、文句をつけるより興味が勝ったらしい。
「……まあ、それくらいはな」
「では、学校と大学校の差はなんだと思う?」
ヤーエルヘルが答える。
「北方十三国でいちばん大きいから大学校──では、ないんでしか?」
「それも間違いじゃない。でも、定義上は、全優科の有無だ。全優科ってのは、全寮制で、八歳から十二年かけてありとあらゆる学問、魔術、技術を学んでいく場所だ。全優科を卒業した人間は、最高等の教育を受けた者として、ウージスパインの高官に抜擢される場合が多い。将来を約束されるようなもんだな」
「ふむ。皇都のスクールのようなものか」
「もっとも、入学するためには大金を積む必要がある。貧富の差はそうそう埋まらないってこった」
「そういうことだったんでしか……」
ヤーエルヘルが、感心したように何度も頷く。
「親切に、どうもありがとうございます」
兵士たちに深々と一礼する。
「なに、これも仕事だ。気にすんな」
兵士が気さくに右手を上げた。
「そうそう、大図書館はどこにありますか?」
「ああ。ここから左手に、塀に沿って進みな。二時の門から入れる」
「ありがとうございまし!」
「馬車に気を付けろよー」
兵士に改めて会釈し、言われた通りに歩いていく。
「何時の門って名前、わかりやすくていいな」
「そ、そそ、そうだ、……ね。敷地が円形、なのか、な?」
「位置から考えて、大図書館から見ていくのが妥当であろうな」
「でしね」
しばらく歩くと、十二時の門とそっくりな門扉が見えてくる。
だが、こちらは開放されており、大勢の人々が行き交っていた。
「よ、よかった。入れそう……」
門扉から伸びる道の先に、国会議事堂を彷彿とさせる巨大な建造物が見えた。
「でけえー……」
「ここまでとはな。何冊の書物を所蔵しているのか……」
「わかりませんが、ウージスパインで公的に発行された書物ならほとんど収集してあるそうでし。出版社と契約を交わして、寄贈させているのだとか」
中身は国会議事堂ではなく、国会図書館だった。
「じゃ、いったん昼までは調べものだな」
「は、はあい……」
いざ、大図書館へと足を踏み入れる。
身分証──遺物三都でのパーティ登録証を提示し、書物を汚損した場合賠償責任を負う誓約書にサインをし、ボディチェックを受けて、ようやく入館することができた。
「……名前書けるようになっといて、マジでよかった」
「危ないところであったな」
「しッかし──」
大図書館の威容を見渡す。
「こんなとこで調べものとか、気が遠くなってくるな……」
家の近所にあった小さな図書館とは比べものにならない規模だ。
司書に尋ねたところ、一般に開放されているのは大図書館の一部に過ぎない。
しかし、その一部ですら十数万冊の蔵書を誇ると言うのだから、たまらない。
「悪い。俺、今回は役に立たないわ」
「し、仕方ない、……よ。かたな、べ、勉強、始めたばっかりだ、もん」
「プルさまの言う通りだ。自分にできることを、できるときにすればよい」
「ありがとうな。ま、せめて高いところの本くらいは取る。いつでも言ってくれ」
自慢だが、身長は低いほうではない。
だからと言って仕事が多いわけもなく、どうしたって時間を持て余す。
「──…………」
並んで書物とにらめっこしている三人に、告げる。
「俺、ちょっとそのへん見てくる」
「う、うん。き、気を付けて、……ね?」
「怪しい大人にはついて行かぬのだぞ」
「子供か」
「ごめんなし、構えなくて……」
「子供か」
軽くツッコみつつ、その場を離れる。
艶めいた上品な木製の書棚に、色彩豊かな背表紙が詰め込まれている。
特に分厚い一冊を抜き取ってみると、それは図鑑だった。
植物図鑑であったらしく、見たことのない果実の絵が無数に並んでいる。
なかなか面白い。
物語なども、ぱらぱらとめくると挿絵があったりして、合間合間を想像で補完することで十分楽しめた。
製紙技術がさほど高くないためか、ページの一枚一枚が元の世界の倍ほどに分厚く、紙の色も黄色みがかっているが、そんなことは大して気にもならない。
「──…………」
かつて、俺は読書家だった。
濫読家でなんでも読んでいたため、無駄な知識ばかりが脳内に沈殿している。
普段はなんの役にも立たない雑学だが、サンストプラに来てからは現代知識として活用する機会があるため、世の中に無駄なことはないのだという実感があった。
こうして本を手に取ると、わかる。
読書をしなくなったのは、単に、就職して時間がなくなったというだけの理由だ。
俺自身は、今でも本が好きらしい。
そんなことを考えながらページを繰っていると、
「──ぴぃイ!」
遠くで、覚えのある鳴き声がした。
それも、悲鳴に近い声色であるように思われた。
「……?」
神眼を発動する。
過集中の壁を超え、意識が晴れ上がると、聴覚や皮膚感覚も鋭敏になる。
かすかに声が耳に届いた。
「──やッ、やめ……、たす──うッ」
「──…………」
駆け出す。
すぐ傍で人が襲われていて、何もしないほど薄情ではない。
神眼を発動したまま、開架最奥の物陰へと足を踏み入れる。
見覚えのある少年が、五名の男女に囲まれ、羽交い締めにされていた。
そのうちの一名が飛竜の仔の口を塞いでいる。
男女の風体は、明らかに一般人のそれだ。
だが、体捌きを見ればわかる。
彼らは訓練を受けている。
「何してんだ」
声を掛ける。
男女が小さく頷き合い、袖に忍ばせた短刀で躊躇なく襲い掛かってきた。
さて、どうする。
神剣は預けてしまった。
だが、むしろ好都合とさえ言えるかもしれない。
間違っても殺さずに済む。
俺は、息の合う連携を行う二人の男女の合間に割り入った。
艶めく短刀が俺の首筋を狙う。
ゆっくりと近付いてくる二本の短刀、その峰に指を触れ、勢いを利用して軌道を変える。
二本の短刀の先が、互いの肩に吸い込まれた。
「──は?」
無音、無言を貫いていた男女が、初めて声を漏らした。
少年の元へ無造作に近付いていく。
「その子を離せ」
「──…………」
彼らは無駄口を叩かない。
その正体は、おおよそ推察できていた。
少年を羽交い締めにしていた男が、腰の後ろからナイフを取り出す。
それも、三本同時に。
俺の隙を突くように放たれた三本の投げナイフ。
さて、どう対処しようか。
並んで飛んでくる二本は、左手の指の合間で止める。
鍔があるから難しくはない。
残りは一本。
俺は、刃ではなく柄を手に取ると、その勢いを減じず右腕を回し、アンダースローでナイフを投げ返した。
「──ぐッ……!」
ナイフが男の太股に刺さる。
「どうすんだ、デイコスさんたち」
鎌を掛けてみる。
すると、無傷の二人の表情が明らかに変化した。
やはりか。
「コミュニケーションの基本は自己紹介だよな」
あえて、慇懃に微笑んでみせる。
「──初めまして。カタナ=ウドウと申します」
「ヒッ」
俺の名を聞いていたのか、仔竜を捕まえている女が引き攣った声を上げた。
「だ、駄目。関わったら駄目……!」
女の反応に、デイコスたちが動きを止める。
そして、
「……引くぞ」
リーダーらしき男の一言で、彼らは波が引くように退散していった。
「ぴぃ! ぴぃ!」
解放された仔竜が、俺たちの周囲を飛び回る。
「──ふう」
俺は、顔見知りの少年に話し掛けた。
「大丈夫だったか、イオタ」
「──…………」
イオタが、俺を、呆然と見つめる。
そして、
「──けほッ」
一つ、苦しげに咳をした。
「……あ、ありが……、けほッ!」
「おい、腹でも殴られたか……?」
「い、いえ……、その。お、お強い、ん、ですね……」
「……まあ、平均よりかはな」
自慢したくはないし、嘘もつきたくないので、間抜けな返答になってしまった。
「ほら、そんなことより」
昨日と同じように、イオタに手を差し伸べる。
「は、はい……」
イオタが、俺の手を取る。
その手の甲が、鱗に覆われているように見えた。
「……? その手はどうした?」
「あっ」
立ち上がったイオタが、手の甲を左手で隠す。
だが、その左手にも鱗があった。
「それ、昨日はなかったよな」
「……く、薬、飲まないと……。お、お爺ちゃんとこ、い、行かな──げほッ、けほ!」
イオタが苦しげに咳をする。
「──…………」
しばし思案し、考えるまでもないことだと自省する。
「お爺さんのところに薬があるんだな」
「……は、はい」
「わかった」
イオタに背中を向け、屈む。
「ほら」
「え──」
「連れてってやるよ」
「そ、そんな……」
「知り合いが苦しんでるのに放っておけるほど、冷たい人間じゃないんでね」
理由は、もう一つある。
またデイコスに襲われないとも限らないからだ。
「──…………」
観念したのか、イオタが俺の背に身を預ける。
「──よし、と」
軽い。
たぶん、ネルよりも軽いと思う。
随分と華奢だものな。
「ぴぃ!」
仔竜が、俺の頭に止まる。
「お前もか……」
いいけど。
「お爺さんの家、案内してくれるか」
「は、はい……」
イオタを背負い、皆の元へと戻ると、プルとヤーエルヘルが慌てて駆け寄ってきた。
「──わ、わあ! ど、どうした、……の?」
「イオタさん……?」
ヘレジナの双眸が、鋭く細められる。
「厄介事か」
「厄介事ですわ。まず図書館を出ようぜ。歩きながら話す」
「わかった」
「……す、すみません、ぼくのために……、けほ!」
「いいから」
イオタを背に負いながら、俺たちは大図書館を後にした。
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