4/最上拝謁の間 -2 陪神サザスラーヤ
王の間の奥から、さらに廊下が伸びている。
今度は、さして長くない。
石造りの冷たい廊下。
天井にぽつぽつと浮かんだ灯術の明かりが、真紅の扉を照らし出している。
扉の中央には、糸車を意匠した銀輪教の紋章が刻まれていた。
「──…………」
扉の前に、ラライエ四十二世が佇立している。
こちらに背を向けたまま、扉を見つめている。
そのシルエットはすらりと長く、思っていたよりも遥かに上背があった。
ネルと顔を見合わせる。
彼女が首を横に振る。
ネルの母親──エリバ=エル=ラライエではないようだ。
「お連れ致しました」
側近が、ラライエ四十二世の隣に立つ。
ラライエ四十二世が、側近に、何事かを囁いた。
「はい、了解致しました」
側近が、懐から短剣を取り出す。
「──ッ!」
ネルをかばうように前に出る。
だが、杞憂だった。
短い刃が導いた先は、
「──ぐ、ぶッ」
側近自身の、首だった。
「は……?」
側近が、自らの首を掻き切り、さらには左胸に短剣を突き立てる。
「なにしてるのッ!」
ネルが、側近に駆け寄る。
治癒術の淡い光がラライエ四十二世の足元を照らす。
だが、側近は、二度と動かなかった。
死んでいた。
「──…………」
ネルが、ふらりと立ち上がる。
「……今、何を言った」
そして、
「この人に、何を指示したッ!」
ラライエ四十二世の胸ぐらを掴み、御簾を乱暴に引き剥がした。
ラライエ四十二世に素顔が明らかになる。
現れたのは──
見知らぬ老人だった。
百歳を優に越しているであろうその顔には、皺が深く深く刻まれており、一見して男性か女性かの区別はつかない。
ただ、一つ確実に言えることがある。
「……ママを、どこへやった。パパは、どこへ行った!」
ネルの両親の、どちらでもない。
「──…………」
ラライエ四十二世が、ぱくぱくと口を開きながら、自分の喉を指差した。
しばし咳払いを繰り返し、ようやく声を搾り出す。
「……声を出すのは、久方振りである」
ひどく、しわがれた声。
吐息のほとんどが喉から漏れ出すようなかすれた声は、耳を澄ませてようやく聞き取れる。
「側近は、一代限り。故に、死を命じた」
「……意味がわからない」
ネルが、かぶりを振る。
「あなたは、誰」
ラライエ四十二世が、ネルを無視し、扉に埋め込まれた
糸車の紋章が刻まれた大扉が、地響きを立てて開いていく。
「誰だって聞いてるんだッ!」
ネルが、激情に任せてラライエ四十二世を突き飛ばす。
ラライエ四十二世が、ふらりと尻餅をついた。
「ネル」
「──はあッ! はあ、はァ……!」
「……気持ちはわかる。でも、落ち着け」
「……ごめん、カタナ」
「朕は──」
ラライエ四十二世が、ゆっくりと体を起こす。
「朕は、ラライエである」
「そんなこと、わかって──」
言葉を遮り、老人が言った。
「祖、ラライエである」
「──…………」
「──……」
言っている意味が、わからなかった。
「祖、って」
ネルが、震える声で呟く。
「……ラライエ、一世?」
そのとき、大扉が、完全に開ききった。
最上拝謁の間が露わとなる。
扉の先に広がっていたのは、寂寞たる広間だった。
鳥籠を思わせる縦に長い円筒形の空間、その周囲をぐるりと無数の書棚が囲んでいる。
青い炎が照らし出す最上拝謁の間は、どこか禍々しい印象を抱かせた。
空間の中央には、長い、長い、首吊り縄が垂れ下がっている。
首吊り縄の先には、あるべきもの──首を吊った死体の姿は、なかった。
ただ、
白くか細い女性の腕だけが、
首吊り縄の輪を掴んでいた。
腕の切断部位からは鮮やかな赤い液体が垂れ落ち、真下の盃がそれを受け止めている。
盃の周囲には、無数の瓶が並べられていた。
俺たちが飲んだ美酒は、あれだ。
思わず吐き気を催した。
「──平伏せよ」
ラライエが、かすれた声を張り上げる。
「陪神サザスラーヤの御前である」
ラライエがそう口にした瞬間、
「が……ッ!」
ネルが、その場に膝をついた。
まるで重力が倍になったかのような様子で、流れるように最服従へと至る。
「──カタナ=ウドウ。
「ネルに何をした!」
「人は皆、サザスラーヤの血を受けている。サザスラーヤの子である。人である限り、サザスラーヤの御前にて面を上げることはできぬ」
ああ、そうか。
俺は、サザスラーヤの血を継いでいない。
異世界の人間だから。
「貴様を、人でないと断ずる。御前試合のやり直しである。其方の肉体は、器には使えぬ」
「……器」
ようやく話が見えてきた。
「──人である限り、顔を上げることができない」
神剣の柄に手を伸ばす。
「なら、あんたは何だ」
「朕は、陪神を食む。故に神である」
「──…………」
呼吸を整える。
柄を握り直す。
そして、その質問を口にする。
「……お前の、首から下は、誰のものだ」
ラライエが、おもむろに首をかしげる。
「あれは、そう。たしか」
聞きたくない。
だが、聞かねばならない。
「──ルニード=ラライエ」
「あ──」
最服従を強制されたネルが、声を漏らす。
「ネル=エル=ラライエよ、安心するがよい。朕は、二つの心臓を必要とする。エリバ=エル=ラライエは、ルニード=ラライエと共にある」
ラライエが、深い皺を歪ませて、微笑んだ。
「──今も」
「……ああ、あァ……、ああああああああ」
嗚咽が、響く。
限界だった。
神眼を発動する。
王を、殺す。
この手で殺す。
ネルは言った。
無理をして人を殺すことなどないと。
だが、見過ごせぬ悪がいる。
目の前にいる。
ならば、俺は、ラライエを殺すことを選択する。
居合の要領で神剣を抜き放ち、その老体へと肉薄する。
折れた神剣の刃がラライエの首筋へ届く瞬間──
「……──?」
俺は、宙を舞っていた。
空中で姿勢を制御し、なんとか足から着地する。
今のは、なんだ。
「朕が、何故に奴隷制を設けたと心得る」
「──…………」
「すべては、器を選別するため。しなやかな筋を持つ、至高の肉体。魔術で誤魔化さぬ、純粋なる力の具現。体だけ、あればよい。魔術は──」
ラライエが、構えを取る。
左手と左足を大きく前に出し、右半身は後方へ。
それは、見慣れた構えだった。
ただし、どこかぎこちなく、見様見真似という印象は否めない。
「魔術は、朕が最優である」
一瞬の出来事。
神眼を発動してさえ、その速度は異様だった。
──ドンッ!
本能的に回避行動を取った瞬間、耳元で何かが爆ぜた。
「──あがッ!」
鼓膜が破れたかもしれない。
ラライエから距離を取り、左耳を押さえる。
見れば、ラライエの拳から、ぽたりと垂れ落ちるものがあった。
血液だ。
その拳が、破裂していた。
「いかん。加減をせねば、すぐに音を超える」
ラライエが、骨の剥き出しになった右手に触れる。
傷が一瞬にして塞がった。
そうして、懐から小瓶を取り出し、一気にあおる。
口の端から垂れた液体は、あの、サザスラーヤの血潮だった。
「奇跡級上位の肉体。そこに朕の体操術が加われば、古今無双である。カタナ=ウドウ。朕は其方の体が欲しかった。上手く巡らぬものだ」
「く……ッ」
折れた神剣を正眼に構える。
音速の拳だと。
そんな、馬鹿な話があるか。
自分の中の常識が、目の前で起きた出来事を否定する。
だが、事実だ。
この自称神様は、ルインラインより速い。
神剣の柄を、強く、強く、握り込む。
一撃で殺すしかない。
俺は、燕双閃・自在の型を放つために、折れた神剣を振り上げ──
「ごぽ」
気が付けば、
ラライエの手刀が、
俺の胸を貫通していた。
「急に動くでない。驚くではないか」
神眼を発動していたはずだ。
見ていたはずだ。
神眼を超える、神速。
逆流した血液が、口から溢れ出る。
──悪い、みんな。
鵜堂形無の旅路は、ここで終わる。
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