3/ラーイウラ王城 -終 世継ぎの儀式

「──ひとまず、くっついた。指を動かせるようになるまで二ヶ月、全治半年ってとこだな」

 そう言って、アーラーヤがジグの肩を叩く。

「無茶しやがって、まあ」

 ネルが、アーラーヤに頭を下げる。

「……ありがと、アーラーヤ。切断部が炭化してて、あたしの腕だとくっつかなかったから」

「いいってことよ」

「アーラーヤは、ボ、ク、の、奴隷だ。恩は売ったからな!」

 ネルが苦笑する。

「はい、買いました」

「次期国王に貸し一つだなんて、さすがボク」

 ヴェゼルが満足げに鼻息を漏らす。

「──それで、ジグ。だんまりじゃわからないわよ」

「──…………」

「どうして、あたしの元を去ったの。ダアドに忠誠を誓ったわけでもないでしょう」

 当のダアドは、まだ目を回している。

 いちおう治療はされていたから、そのうち目を覚ますだろう。

「言っておくが」

 ジグが、ぽつりと口を開く。

「半分は、カタナ。お前の責任だ」

「……俺の?」

「お前と初めて手合わせをしたときのこと、覚えているか」

「初対面のときだよな」

「お前は、一瞬で見抜いた。オレが本物の奴隷でないことを。そのとき、あの場には誰がいた?」

「ええと……」

 プル、ヘレジナ、ヤーエルヘルは当然いたはずだ。

 ネルは、あとから来た気がする。

 それと──

「ゼルセンが、いた。俺たちを売ろうとしていた奴隷商人だ」

「そうだ。その元奴隷商人が、ダアドのところに転がり込んだ。そして、情報を売った。ジグ=インヤトヮは、偽りの奴隷であると」

「あっ」

 あの野郎!

「偽りであると指摘して、そいつが本物の奴隷であった場合、言いがかりをつけた貴族には厳罰が与えられる。だから、普通はしない。確信があるとき以外は。ダアドは臆病な男だ。その情報を買わなければ、自信満々に俺を脅すことなどできなかっただろう」

 そういうこと、だったのか。

「お前は強くなった。ここまで来るとわかっていた。だから、託した。甘ったれた信念を持って目の前に現れたから、試した。それだけだ」

「……悪い」

「何を謝る」

「軽率だったかなー、……と」

「あの時点では、軽率も何もない。お前の眼力が確かだっただけだ。それに──」

 ジグが、笑う。

 初めて笑う。

「これほど楽しく戦えたのは、初めてだよ」

 不思議と、その笑顔が、どこか幼く見えた。

「お前は、強くなった。オレを超えた。オレは、自らをも焼き焦がす灰燼拳で実力を底上げして、ようやく奇跡級上位の枠内に入る。だから、正式に認めることはできないが──」

 ジグの視線が、俺を射抜く。

「お前の実力は、今や奇跡級上位に相当する。アーラーヤ、と言ったか。お前はどう思う」

「あー……」

 アーラーヤが、後頭部を掻きながら、答える。

「あんなもん見せられちまったらなあ。ハッキリ言って人外同士の決闘だ。超人に片足突っ込んでるわな。神剣とやらで底上げされてるぶんも、まあ、あるんだろうが──それ差し引いてもギリ上位ってところか」

「──…………」

 不思議と、嬉しくはなかった。

 アーラーヤの言葉が脳裏をよぎる。

 お前が努力だと思ってるもんは、甘えくさったお遊びだよ。

 俺には神眼がある。

 才がある。

 棚ぼたで手に入れた才能に頼って、お遊び程度の努力で簡単に強くなれた。

 でも、それは、本当に俺の実力なのだろうか。

「──おい」

 ジグの大きな左手が、俺の顔をすっぽり覆う。

 熱傷は既に治っているよう──

「あだだだだだ!」

 アイアンクローを食らう。

「くだらんことを考えている目だ、それは」

 バレた。

「どうせ、天賦の才を持っていることに引け目を感じているんだろう。くだらん」

「──…………」

「カタナ。お前の最も優れた才は、神眼ではない」

「……神眼じゃ、ない?」

「たしかに、神眼で飛び級はしている。なければ今頃は、よくて師範級下位だろうな」

 師範級下位でも上出来だ。

 この世界では、教室を開けるのだから。

「だが、いずれはこの高みへと辿り着く。お前のいちばんの才は、その成長性だ。守りたいもののために強さに食らいつく、その貪欲さだ。ある種の異常性を、お前は持っている。それに比べれば神眼など、児戯にも等しい」

「──…………」

「あと、よく考えろ。お前以外は魔術を使っているんだ。その時点でお前は、大きなハンディキャップを背負っている。この状況で神眼をずるいだのなんだのと言い出すのは、さすがに自分に厳しすぎる。被虐性愛を疑うぞ」

「……いやー、そういうつもりでは」

 アーラーヤが、肩をすくめる。

「使えるもんは使っちまえばいいんだよ。全部引っくるめて、それがそいつの強さだ」

 それは、いつか俺がヘレジナに言った言葉と同じだった。

「それは──きっと、その通りなんだろうな」

 苦笑する。

「……でも、俺は、与えられたことに納得行ってないんだと思う。それはあくまで借り物で、自分のものではないから」

 顔を上げ、天井を見上げる。

「ネルとジグには話したことがあったけど、俺はかつて[羅針盤]って能力を持っていた。目の前に選択肢が現れて、その色である程度未来がわかるんだ」

「へえ、皇巫女みたいだね」

 ヴェゼルに頷く。

「まあ、そんな感じだな。幾度も助けられた。強敵だって退けたさ。でも、どこか罪悪感があった。ずるをしているような気がした。それに──」

 目を閉じる。

 ハノンソル・カジノでの出来事を思い出す。

「良い選択肢には、逆らえない。悪い選択肢が幾つも並ぶ中で、唯一安全な選択肢があったとして、それ以外を選ぶ勇気はあるか? 人は、最善からは逃げられない。そこに自由はない。確実な成功を前にして、確実な失敗を選ぶ理由なんてないんだ。仮に、あえて赤の選択肢を選んだとして、それは本当に自由な選択って言えると思うか?」

「──…………」

 一同が沈黙する。

「だから、俺は、[羅針盤]が好きじゃなかった。唐突に不自由な選択を突きつけられる。青があれば、青を選ぶしかない。自分が操り人形みたいに思えてさ」

 ネルが、眉尻を下げる。

「……便利な能力かと思ってたけど、そう聞くと複雑だね」

「それで、だろうな。自分の努力で手に入れたものにこだわっているのは。自分で培ったものは、自分のものだ。そこに嘘はないだろ。神眼には、まあ、今後も世話になると思うけど……」

 ジグが、呆れたように言う。

「まったく、厄介な性格だ。頑固と言うか、なんと言うか」

「頑固って意味では、カタナもジグにだけは言われたくないでしょ」

「それはもう」

「言ってろ」

「あと──、そうだ。ジグはどうして、ここまで俺によくしてくれたんだ?」

「──…………」

 しばし沈黙したのち、ジグが口を開く。

「さあな」

 ヴェゼルが、にやりと笑みを浮かべる。

「何を照れてるんだ、ジグ=インヤトヮ」

「言ってやるな、ヴェゼル。男には、何も言いたくない時があんのよ」

「そんなの、女にだってあるだろ」

「じゃ、気持ちわかるじゃねえか。よかったな」

「むうう!」

 漫才を横目に、ジグの顔を覗き込む。

「まあ、言いたくないんなら無理にとは言わないけどさ」

「……べつに、隠しているわけじゃない。オレには恐らく師範の才がある。お前たちとの修練の日々で、そう感じた」

「そりゃもう。これだけ丁寧に、熱心に指導してくれる師なんて、そうそういないだろ」

「だからと言って、教室を開く気はない。お前たちは、オレの、唯一の弟子だ。だから、オレの持つすべてを叩き込んでやろうと思った。それだけだ」

「……そっか」

 思わず笑みがこぼれる。

「ジグ。改めて、ありがとう」

「礼なら、あの三人に言ってやれ。お前を支え続けたのは、あいつらなんだろう」

「……まあ、うん。そっすね」

 そう言われると照れくさい。

 だいぶ小っ恥ずかしいやり取りを何度もしていた気がするし。

「──さて、そろそろ戻ってくるかな」

 ネルが、玉座の間の大扉へと視線を向けたとき、

「おーい、カタナ! ネル! ジグ!」

「ただいま戻りました!」

 奴隷の首輪を外した三人が、俺たちに手を振りながら駆け寄ってきた。

「首輪、取れましたよー!」

「もう、体が軽い軽い。まるで鳥になったかのようだ」

「……あ、ありがと、かたな! これで、どこへだって行ける。みやぎにだって!」

 プルの言葉に、頷く。

「ああ。絶対連れ帰ってやるから」

 ふと興味が湧いて、尋ねる。

「──ところで、首輪の解錠ってどうやったんだ?」

「案内された部屋に強力な魔力体がありまして、近付くと勝手に外れたんでし」

「へえー。あとで俺も行かないとな」

 王の間で行われる世継ぎの儀式。

 次期国王の従者は、儀式の後に首輪を外すこととなるらしい。

「──その」

 エリエに肩を借りたラングマイアが、恐る恐る俺たちに話し掛けた。

 戸惑うように、しかし微笑みながら。

「ありがとう、ございました」

 その首に、奴隷の首輪はない。

 ネルがウインクをする。

「職権濫用上等、ってね」

「……すみません。オレ、あんなことをしたのに」

「いいっていいって。俺にとって必要なことだったと思うからな」

「そう、ですか」

「エリエさんと幸せにやってくれ。俺は、それで満足だから」

「……はい」

 エリエが、やる気に満ち溢れた顔で言う。

「安心してください。今回みたいなことしないよう、ちゃんと捕まえておきます!」

「ああ、それがいい。そいつみたいなのは、放っておくとまたやらかすから」

 ラングマイアが苦笑する。

「お手柔らかに……」

 二人の様子を見て、プルが目を輝かせた。

「な、なんだか、すてきな関係……」

「プルさんとカタナさんも、さっきはすごかったでしよ。まるで打ち合わせしてたみたいに神剣を受け渡して!」

「そ、……そう? うへへへ……」

「あれはマジで助かったな。プル、改めてありがとう」

「うへ、へ、うへへへへ……」

 プルが首筋まで真っ赤になっていく。

 可愛いな、おい。

「ところで、何を話しておったのだ?」

「ジグが俺たちの元を離れた理由、とかな」

 ヘレジナは、遠い空の下のゼルセンに激怒すると思うけど。

「あ、それ知りたいでし!」

「……もう一度説明するのか?」

 ジグが溜め息をつく。

「それが責任ってやつよ」

 ネルの言葉に、ジグが辟易と呟いた。

「面倒なものだ」

 そんな会話を交わしていると、拡声術の声が玉座の間に轟いた。


「──次期国王、ネル=エル=ラライエ。並びにその従者、カタナ=ウドウ。世継ぎの儀式である。王の間へ来られよ」


 ラライエ四十二世は、とうの昔に退席している。

 今は王の間にいるのだろう。

「行きましょうか、カタナ」

 そう言って、ネルが立ち上がる。

 ヘレジナが尋ねた。

「世継ぎの儀式、か。私たちも見学していいものなのか?」

「ダメみたい。そもそも王の間へは、国王とその奴隷、世話係の側女しか入れないものらしいから」

「残念でし……」

「ところで、ネルよ。お前はどうするつもりなのだ。以前は国王になるつもりはないと言っておったが……」

「──…………」

 しばしの沈黙ののち、ネルが答えた。

「すこし、気が変わった。あたしが国王になって、奴隷制を廃することができるのなら、それはそれで頑張る価値があるのかなって」

「そうか」

 ジグが、他人事のように頷く。

「お前の決めた道だ。好きにしろ」

「……ジグは、ついてきてくれないの?」

「知るか」

「──…………」

「──……」

 沈黙に耐えかねたのか、ジグが眉をしかめて言った。

「……わかった、有事の護衛くらいはしてやる」

「ありがとう!」

「抱き着くな、鬱陶しい」

 アーラーヤが、にやにやと笑みを浮かべる。

「お、照れてんぞこいつ」

「照れるか、こんな小娘に」

「二十三なんですけどー!」

 ジグが、ネルの頭に手を乗せて、言った。

「──オレからすれば、お前はずっと小娘だよ。寝小便たれてる時から知ってんだから」

「は? たれてませんし」

「いいから行ってこい、ほら」

 ジグが、ネルをひょいと抱え、玉座のほうを向かせる。

「あ、おばか! 右腕くっついたばかりでしょ!」

「治った」

「治るかー!」

 二人の様子を見て、皆が笑う。

 さあ、あとはラライエ四十二世から事情を聞き出すだけだ。

「んじゃ、行くか。ネル」

「うん」

「皆、ちょいと待っててくれ。世継ぎの儀式が終わったら戻ってくるから」

「わ、わかった。気をつけて、……ね?」

「お話、あとで聞かせてくだし!」

「私たちはここで、軽食でもつまんでおる。急がずとも構わん」

 ヴェゼルが、軽く腕を組む。

「戻ってきたときには、ネルは国王か。ちょっと悔しいけど、仕方ない。コネクションを作れただけでもよしとしようかな」

「そういうとこ、したたかでいいと思うぜ」

「わかってるじゃん、アーラーヤ」

 俺とネルは、玉座の傍にいた側近に連れられて、ラーイウラ王城の最奥──王の間へと向かう。

 何が待っているのか。

 何が起こるのか。

 それは、まだ、わからない。

 でも、ネルのことは守り抜く。

 そう、心の中で誓った。

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