3/ラーイウラ王城 -4 予選開始
「──こちらで試合を観戦できます。御興味がなければ、向こうにサロンもございます」
案内されたのは、優に千人は収容できる巨大な円形闘技場の観客席だった。
「では、私はここで」
「ええ、ありがとう」
ネルが、周囲に人気のない座席に腰掛ける。
「ふー……」
大儀そうに息を吐き、
「ほんと、堅苦しくていけないわ。貴族として振る舞うの、苦手なのよね」
「ふへ、へ。わ、わたしも……」
「あたしなんかより、プルのがずっと大変だったわよね。パレ・ハラドナの皇巫女だったんでしょ?」
「え──」
プルが、目をぱちくりさせる。
「大丈夫、誰も聞いてない。ちゃんと周囲を確認したからね」
「……き、ききき、気付いてた、……の?」
「さっき、自分で言ってたわよ。プルクト=エル=ハラドナって」
「い、言った、……かも」
「言っておられましたね」
「言ってたな」
「言ってましたか……?」
ヤーエルヘルは仕方ない。
耳を塞いでいたものな。
「ひ、……ひみつ、で!」
「もちろん。その代わり──」
ネルが、プルの手を取る。
「いろいろ、お話聞かせてね。遺物三都以前のこととか、今まで言葉を濁してたし」
「う、うん。……ふへ、へ」
「決まり!」
上流階級に嫌気が差した者同士気が合うのか、プルとネルは仲が良い。
下女に飲み物を頼み、しばし歓談していると、
「──第一組の奴隷は、控え室へ!」
と、男性の声がうわんうわんと響き渡った。
拡声術だ。
常にハウリングに似た不協和音が混じっているあたり、あまり優れた術士とは言えない。
「いよいよか」
ヘレジナが、真剣な表情で目を細める。
「血生臭い試合となる。プルさまとヤーエルヘルは、目を閉じていたほうがよいかもしれん」
「はい……」
「わ、……わたし、は、たぶん大丈夫……」
不安そうなヤーエルヘルに言う。
「きつかったら、すぐに言うんだぞ。耳塞いでやるから」
「お願いするかも、でし……」
「耳が良すぎるというのも考えものだな」
ヘレジナの言う通りだ。
余計なものまで聞き取れてしまうのは、つらいだろう。
やがて、地階へと通じる階段から、思い思いの武器を携えた奴隷たちが現れる。
短剣、両手剣、曲刀、槍、鞭──
「なんでもありの、よりどりみどりだな……」
「おー。あの人、
感心したようなネルの言葉に、ヘレジナが鼻を鳴らす。
「とんだ間抜けがいたものだ」
「そうなの? 防御力が高いほうが有利そうな気がするけど」
「ネル、お前はジグの何を見てきたのだ。あの男が防具を身にまとったことがあったか?」
「ない、かな……」
「見ていろ。理由はすぐにわかる」
「──これより、御前試合予選を開始する。死力を尽くし、自由を勝ち取るがいい。では──」
銅鑼の音が三回、闘技場の空気を震わせた。
十一名の奴隷がそれぞれに動き出す。
そのうち五名ほどが、板金鎧を着た奴隷へと殺到した。
予想の通りだ。
「ま、こうなるわな。強そうであるとか、弱そうであるとか、とにかく目立てば狙われる。そういうもんだ」
「あー……」
「当然、それだけではない」
五名に一斉に仕掛けられた板金鎧の奴隷が、尻餅をつく。
板金鎧とて、実戦的なものだ。
転べば起き上がれない亀のようなものではないだろう。
だが、素早く立ち上がれるかと言えば、話は別だ。
板金鎧の奴隷が必死に体勢を立て直そうとしているうちに、その胸を鋭い槍が深々と貫いた。
「ひ──」
「や、ヤーエルヘル、おいでー……」
プルがヤーエルヘルの手を引き、彼女を正面から抱き締める。
そして、俺やヘレジナが車内でしていたように、帽子の上から獣耳を塞いだ。
「ありがと、ございまし……」
「み、……見ずに済むなら、そ、それが、いちばんだから……」
俺だって、本当は見たくなんてない。
だが、敵を知る必要があった。
どんな奴隷が勝ち残るのか。
武器や戦闘スタイルから、動作の癖に至るまで、すべてこの目に焼き付けて勝利する。
それが覚悟というものだろう。
「──…………」
眼下で命が散っていく。
薔薇の花のように血飛沫が舞い、土が黒く濁っていく。
第一組は、泥仕合だった。
実力の拮抗した奴隷たちが、三つ巴、四つ巴で殺し合う。
やがて、曲刀使いが鞭使いを追い詰め、その首筋を半ばほど切り裂いた。
「おおおおおおおおおおおおおッ!」
血に濡れた曲刀使いの勝利の咆哮が、闘技場に轟く。
「──師範級中位。見たままであれば、カタナの相手ではない」
「あの人、体操術を使わなかったな」
「だが、本物の奴隷とは限らんぞ。身のこなしにぎこちなさがあった。油断している相手に使う気やもしれん。決して気を抜くな」
「おうよ」
「はー……」
俺とヘレジナの会話を聞いてか、ネルが溜め息をついた。
「そういうの、わかっちゃうんだね」
「ふ、ふふん。ふたりとも、す、すごい、……でしょ」
プルが、得意げに鼻息を荒くする。
「プルは大丈夫か……?」
「な、なんとか。試合形式の闘技なら、ぱ、パレ・ハラドナでも、何度か見たことあった、から」
目を伏せ、言葉を継ぐ。
「……城下街のあ、あれは、……だめだけど」
「……そうだな」
あれが平気な人間は、まともな価値観を持っていない。
ましてや、それに参加して高らかに笑うともなれば、とうに狂い果てているだろう。
「──…………」
ネルが、ぽつりと呟いた。
「王、か」
その言葉に込められた感情を、俺は読み取ることができなかった。
「ほら、第二組が始まるぞ」
「ああ」
第二組、第三組、第四組と続いて、第五組の試合が始まろうかというとき、俺たちはその姿に気が付いた。
「──ジグだ」
鍛え抜かれた肉体は、遠目から見ても鋭い。
歩いただけでわかる。
ジグの実力は、他の奴隷と一線を画している。
他の奴隷も、それを察したのだろう。
試合開始の銅鑼と共に、十名が十名、一斉にジグへと襲い掛かった。
俺には、ジグが薄く笑ったように見えた。
次の瞬間──
ジグの拳によって、真正面の男の頭部が鳳仙花のように弾けた。
そこから先は、一方的な蹂躙だ。
怯んだ者から、剛拳の、剛脚の餌食となる。
最後の二人が降参し、第五組の試合は終わった。
ほんの三十秒程度の出来事だった。
「……あ、圧倒的、……だ、ね」
プルが、半ば呆然と呟いた。
「気付いたか、カタナ」
「ああ」
ヘレジナの意図は理解している。
「奇跡級が一人、混じってた」
「二人だ。最初に殺された男も奇跡級だろう。下位だがな」
「マジか」
「マジだとも」
奇跡級二人を含む十名を、文字通りに瞬殺だ。
相変わらず、とんでもない。
「カタナ。お前はあの男に勝たねばならない。わかっているな」
「……ああ」
ジグが強いのなんて、最初からわかりきっている。
これは確認作業のようなものだ。
いまさら怖じ気づいたりはしない。
「……も、終わりましたか?」
プルが、ヤーエルヘルの帽子から手を離す。
「ああ。第五組は終わったよ。さすがジグって感じだ」
「……勝てましか?」
「勝つさ」
これ以上の言葉はいらないだろう。
あとは行動あるのみだ。
「──第十三組の奴隷は、控え室へ!」
拡声術の声が響き渡る。
「──…………」
その言葉を聞き、俺は立ち上がった。
「……か、かたな」
プルが、胸の前で指を組み、目を閉じた。
「武運を……」
「ああ」
ヘレジナが、俺の肩を軽く叩く。
「お前ならできる。自信を持て。だが、過信は禁物だぞ」
「わかってるって」
ヤーエルヘルが、俺の上着の裾をつまんで、言った。
「……頑張って、くだし。死なないでください。たとえ降参しても、誰も責めませんから」
「ヤバいときはそうするさ。俺も死にたかないからな」
「──…………」
ネルが、髪をまとめていた緑色のリボンを解き、俺の二の腕に結んだ。。
「これ、お守り。ちゃんと返しなさいな」
「……ああ」
ネルの真意はわかっている。
生きて帰ってこい。
「絶対に返す」
皆に背を向ける。
言いたいことは、たくさんあった。
だが、口にしない。
俺は、未練を山ほど残していく。
生きて帰ってくるために。
皆と別れ、地下の控え室へと向かう。
随所に控えている兵士が案内してくれたため、迷うことはなかった。
控え室の扉を開くと、熱気が溢れ出た。
目についたのは、数名の奴隷。
そして、無数の武具だった。
「武器の持ち込みは、原則禁止となっている。ただし、ここにあるものは自由に使って構わない」
「はいよ」
控え室に入ると、無遠慮な視線が俺を撫で回した。
こちらを値踏みしているようだ。
軽い失笑を漏らす奴隷もいた。
遺物三都でもそうだったが、俺は、あまり強くは見えないらしい。
好都合だった。
他の奴隷を無視し、武器を見て回る。
「──よう、色男。見てたぜ。まー綺麗どころを侍らせてよ。さぞ気持ちいいだろうなァ」
候補としては、まずは長剣だ。
幾つか手に取るが、どうにもしっくり来ない。
長さが良ければ重く、重さが良ければ短い。
実戦では折れた神剣を、訓練では軽い木剣を使っていたのだから、仕方ない面もある。
「おい、無視すんな。聞いてンのか、おい!」
今の俺は、
勝ち残り、生き残るために、人の命を奪うことを躊躇するつもりはない。
あの街道の夜とは違い、これは一方的な虐殺ではないのだ。
純粋な命のやり取り、対等な殺し合いなのだから。
相手はこちらを殺しに来るのに、こちらは相手を殺さない。
そんな舐めプで命を落とすつもりはなかった。
だから、この選択は、純粋に勝利を目指してのことだ。
「おい、いい加減に──」
「悪い、これ持っててくれ」
俺は、柄が木製の長槍を、先程から話し掛けてくる奴隷の男に手渡した。
「あン?」
奴隷の男が、思いのほか素直に槍を持つ。
「両手を、こう。槍を横にする感じで」
「あ、ああ……。こうか?」
「そうそう、いいぞ。才能あるんじゃね?」
「そうかあ?」
適当におだて、切れ味の鋭そうな長剣を手に取る。
そして、奴隷の男が手に持った槍を、半ばほどで寸断した。
「ヒッ!」
長剣の切っ先が、奴隷の男の鼻をかすめる。
だが、当たってはいない。
当たらないように斬り上げたからだ。
「──おい! 控え室での小競り合いは禁止だ! 場合によっては失格にするぞ!」
「ああ、いや。ちょいと手伝ってもらっただけっすよ。ほら」
そう言って、良い長さになった柄を奴隷の男から取り上げる。
「……なに?」
軽く、振り心地を試す。
思った通り、ちょうどいい。
「俺の武器、これにするんで」
そう口にした瞬間、控え室を爆笑の渦が包み込んだ。
ただ一人、俺に絡んできた奴隷の男を除いて。
奴隷の男が、額に血管を浮かせながら、据わった目で毒づいた。
「……最初に殺してやるよ、色男」
会話をする気はなかった。
変に親しくなってしまえば、本気で打ち込みにくい。
殺しにくい。
俺は、部屋の隅に腰を下ろし、試合開始の時刻を待った。
第十三組の奴隷たちの実力を、抜け目なく観察しながら。
「──五分後、第十三組の試合を開始する。戦う意志のある奴隷は、闘技場へ出ろ!」
兵士の言葉に、おもむろに腰を上げる。
そして、奴隷たちの列に混じり、階段から地上へ出た。
死体こそ片付けられているものの、闘技場の随所には生々しい血液の痕跡が残っている。
第十三組は、俺を含めて十名。
全員が、思い思いの場所に陣取る。
最初の展開は、既にわかっている。
俺は、目を閉じ、そっと呼吸を整えた。
大丈夫だ。
大丈夫だ。
行ける。
そして──
銅鑼が、三度打ち鳴らされた。
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