3/ペルフェン -5 石竜
「──か、かたな! ヘレジナッ! 避けて!」
プルの声が響いた。
反射的にその場から飛び退く。
──ドォ、……ン……。
何かが、俺たちのいた場所を激しく打ち据えた。
それは、尻尾のように見えた。
付け根を見上げる。
そこにいたのは、
まるで、
石で造られた竜──
「はッは、こいつは良いものができた! このペルフェンで幾度も試した甲斐があったというものだ! さあ、石竜よ! すべてを壊せ!」
土埃が収まり、俺はようやく理解した。
城壁の一部が、ない。
城壁が竜と化したのだ、と。
石竜が、無音の咆哮を上げる。
鱗のように見える石壁が、無機質でありながらも生物的に石竜を彩っていた。
「アイヴィル……ッ!」
ヘレジナが憎々しげに叫ぶ。
「これこそがハサイ楽書の力だ。銀琴が欲しければ追ってきたまえ。その代わり、ペルフェンは崩壊する」
アイヴィルが、恭しく一礼してみせる。
「それでは失礼する」
そして、城壁の向こう──ベイアナットへと駆け出して行った。
「くそッ、この女装野郎!」
だが、俺の言葉はアイヴィルには届かない。
「カタナ、アイヴィルなど放っておけ」
「でも、もう少しなんだ! 銀琴が──」
「いいんだ。ありがとう、カタナ」
ヘレジナが、鼻血を垂らしながら、それでも満面の笑みを浮かべてみせた。
「カタナが──皆が、私のために頑張ってくれた。その事実こそが、私の宝物だよ」
「──…………」
ああ、敵わないな。
本当に、敵わない。
「さあ、石竜を止めるぞ。私たちの諍いで生み出された怪物だ。ペルフェンの民を傷つけさせるわけにはいかない」
「……わかった」
折れた神剣を構える。
「プル、着火を頼む」
「は、はい!」
プルの炎術により、神剣が再び炎を纏う。
「ペルフェンは窪地だ。あの丸い図体では、坂まで進行を許せば底まで止まるまい。ここで決着をつける!」
「ああ!」
石竜の体長は、首の長さを含めると、十メートルを優に超える。
元が城壁らしいずんぐりとした胴を持ち、短い二本の脚で市街へ向けて歩いている。
俺は、石竜の右後脚に炎の神剣を振るった。
剣速と共に勢いを増した業火が、石竜の脚を焦がす。
だが、相手は石だ。
神剣の赤い炎では、明らかに温度が足りない。
石竜は、止まらない。
──キンッ! キン、キン、キンッ!
ヘレジナの双剣が凄まじい速度で石竜の左後脚を打ち据える。
火花と共に石片が散る。
石竜の歩みは止まらない。
「くッ、弱点はないのか……!」
石竜の尾が、眼前を薙ぐ。
動きは鈍重で、気を付けてさえいればこちらがやられる心配はない。
そのとき、背後から声が届いた。
「おい、ワンダラスト・テイル! そいつは……!」
「──竜だ! 竜が出たぞーッ!」
思わず振り返る。
それは、十数人の冒険者たちだった。
「逃げろ! こいつ、攻撃が効かねえ!」
「そんなわけに行くかよ!」
「ここは俺たちの街だ! 俺たちのペルフェンだ! 竜だかなんだか知らねえが、壊させてたまるか!」
「──…………」
その言葉に、思わず笑みがこぼれた。
冒険者たちが、剣や斧、棍棒で、石竜に殴り掛かる。
術に秀でた者たちは、炎術で表面を焦がし、操術で樽を飛ばし、光の矢で石竜の目を射抜いた。
石竜の歩みが、すこしだけ鈍る。
だが、それは予備動作に過ぎない。
「──尾が来る! 避けろ!」
石竜が勢いよく反転し、その尾が周囲を薙ぎ払う。
「ぐ、……うッ」
「かはッ──」
避けきれなかった数人の冒険者たちが、十メートルほど吹き飛ばされた。
「プル! ヤーエルヘル! 怪我人を運ぶぞ! このまま行けば潰される!」
「はい!」
「わ、わ、わかった!」
俺とプル、ヤーエルヘルが、冒険者たちに肩を貸し、石竜の進行方向から外れた位置へと連れて行く。
ヘレジナが石竜の胴体を駆け上がり、頭部に剣閃を幾度も見舞う。
「駄目だ、硬い……!」
そして、
最後の冒険者を迎えに行く途中、
眼球のない石竜の双眸が、プルを捉えた。
石竜の前脚が、プル目掛けて振り下ろされる。
「プ──」
駆け出す。
間に合わない。
こんなところで失うのか。
あの子を失うのか。
俺の実家で米作りに精を出すプルの笑顔が、脳裏をよぎった。
手を伸ばす。
届かない。
届かない──
そのとき、ヤーエルヘルが、プルをかばうように立った。
──パチッ。
炎術が爆ぜる。
次の瞬間、
ヤーエルヘルの眼前まで伸びていた前脚の先が、消え失せた。
空間に開いた穴を埋めるため、周囲のすべてが引きずられる。
暴風の吹き荒れる中、俺は、ヤーエルヘルとプルを両肩に担いでその場を離脱した。
二十メートルほど離れ、二人を下ろす。
そして、思わず二人を抱き締めた。
「わわ、わ!」
「……ありがとう、ヤーエルヘル」
涙が溢れそうになる。
よかった。
本当に、よかった。
「──…………」
だが、ヤーエルヘルの双眸は、変わらず石竜を射抜いていた。
「あちし、行きまし」
俺の腕を振り解き、ヤーエルヘルが前に出る。
「あの竜には、あちしの開孔術しか効かない。だったら、することは一つでし」
ヤーエルヘルの瞳に覚悟が灯る。
「至近距離で放つ。それだけ」
プルが、ヤーエルヘルの手を取る。
「で、でも! そ、そ、それだと、ヤーエルヘルが……!」
「危ないのはわかってまし。でも、このままだと──」
石竜の足元は、既に傾斜が始まっている。
あと十歩。
ほんの十歩で、石竜は体勢を崩し、ペルフェンの市街を押し潰しながら転がり落ちるだろう。
「大丈夫。きっと、笑って終われまし」
そう言って、ヤーエルヘルが微笑んだ。
「──…………」
脳が演算を開始する。
何か、方法はないか。
気付いていないだけではないのか。
【ヤーエルヘルを行かせる】
【ヤーエルヘルを引き止める】
[星見台]の選択肢が眼前に現れる。
【ヤーエルヘルを行かせる】
【ヤーエルヘルを引き止める】
なんとなく理解する。
この選択肢の意味を。
【ヤーエルヘルを行かせる】
【ヤーエルヘルを引き止める】
「くそ……ッ!」
考えがまとまらない。
それでも、選ぶべきは一つだった。
「行くな、ヤーエルヘル」
「……カタナさん」
「何か、方法があるはずだ。わかったんだ。[星見台]はたぶん、そういう能力だ。俺が全力を尽くせば、望んだ結果が得られるかもしれない。目の前の困難は、決して突破不可能なものじゃない。諦めるな──って、俺の背中を押してくれる、ただそれだけの能力」
「背中を押す、能力……」
ヤーエルヘルが、戸惑うようにこちらを振り返る。
そのとき、プルが呟いた。
「せ、せめて、開孔術を、まっすぐ飛ばせれば……」
その瞬間、脳裏で鳳仙花が弾けた。
開孔術──
炎術──
閃光──
遠当て──
燃焼──
思わず笑みがこぼれる。
なんだ、そんなことでよかったのか。
「──プル。ここから石竜の土手っ腹まで、光を繋いでくれ。できるか?」
「と、灯術?」
「ああ、灯術だ。すぐには消えないよう、
「うん!」
プルが笑顔で頷く。
全幅の信頼を感じた。
「全員逃げろ! 今からでかいのが行く!」
「ああ、わかった!」
ヘレジナと冒険者たちが散開する。
「か、かたな。もういい?」
「頼んだ」
プルが、手のひらに浮かべた光球に息を吹き掛ける。
すると、プルの手元から石竜の腹部まで、輝く放物線が描かれた。
「ヤーエルヘル。光の端に触れて、開孔術を放て」
「で、でも!」
「いいか。開孔術は、炎術を最初に走らせて、その終端で発動する」
ヤーエルヘルの目を見て、告げる。
「
「!」
「もう、わかるな」
「はい!」
ヤーエルヘルが、わずかに目を閉じ、集中する。
そして、光の端に、伸ばした指先を触れる。
──パチッ
火花が弾け、灯術の明かりに沿って燃え上がる。
「導火線、だ」
炎術は、一瞬で、石竜の腹部へと到達し、
最大級の〈孔〉が、開いた。
世界から音が消え、
世界から色が抜け、
世界から、
周囲の地盤ごと、
──石竜が消失した。
風が暴れ狂う。
失われた空間を補填しようと、周囲のすべてが〈孔〉の中心に引きずられる。
「はは……」
その力に抗いながら、力なく笑う。
相変わらず、凄まじい魔術だ。
問答無用にも程がある。
「やッ──……」
ヤーエルヘルが飛び跳ねる。
「やった! やりました! できました!」
「や、ヤーエルヘル! よかった……!」
プルが、ヤーエルヘルを正面から抱きすくめる。
「はい……!」
ヘレジナがこちらへ駆け寄ってくる。
「ヤーエルヘル、大丈夫か!」
「!」
ヤーエルヘルが、笑顔でVサインを作ってみせた。
「そう、か」
ヘレジナが、安堵の息を漏らす。
そして、ヤーエルヘルの頭を乱暴に撫でた。
「よくやった!」
「えへへ……」
ヤーエルヘルが、照れたように笑う。
「──しかし、銀琴がこんな事態を引き起こすとはな」
「あの野郎、ハサイ楽書の力とか言ってたな」
「うむ。銀琴には、私の知らない能力があったのだろう。もう、知るすべはないが」
「──…………」
「アイヴィルは、パレ・ハラドナへ戻るはずだ。よもやそこまで追い掛けるとは、お前も言うまいな」
「……くっそ、もうすこしだったのになあ!」
マジで悔しい。
〈不夜の盾〉の副団長は女装趣味だって噂流してやろうか。
「と、とりあえず、怪我人に、ち、治癒術を……」
プルがそう言って振り返ると、
「──………………」
「──……」
「──…………」
十数名の冒険者たちが、口をあんぐり開けてこちらを見ていた。
まあ、そうなるよな。
俺たちも、最初に見たときは、同じリアクションを取ったものだ。
視線を街へ向けると、数名の憲兵たちがこちらへと駆け寄ってくるところだった。
さて、なんと言い訳しようか。
俺は、折れたあばらをかばいながら、石畳に腰を下ろした。
空が青かった。
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