3/ペルフェン -4 パレ・ハラドナから来た男
現場は思ったより近かった。
迷宮特区と産業区のあいだにある大通りだ。
大勢の野次馬を掻き分け、その中心へと向かう。
そこにいたのは、
「──……ぐ、う……」
「かは……ッ」
十数人の、倒れ伏す冒険者たちだった。
プルが、いちばん血を流している冒険者の元へ駆け寄る。
「ち、治癒術を!」
「い、いや、いい……」
冒険者が、なんとか言葉を絞り出す。
「……あ、あんたら、金貨五百枚も、出してんだろ……。だ、……たら、目的、果たせ。あとで、危険手当──、くれたら、いいからよ」
「──…………」
プルが、数秒だけ目を閉じ、呼吸を整える。
「……わ、わかりました」
「すぐに終わらせて戻ってくる。無理に動くなよ。このまま寝とけ」
「……や、つは……、国境のほうへ、向かった……。急げ……!」
「ああ!」
再び野次馬の隙間を縫い、国境へと続く長い坂道へと走り出す。
「き、つい、でし……」
いちばん体力のないヤーエルヘルが、どんどん遅れていく。
「先へ行っている!」
しばらく並走してくれていたヘレジナが、痺れを切らしたのか、まるで坂の上へと落ちるような速度で駆け出した。
だが、ヘレジナばかりを危険に晒すわけにはいかない。
十数名の冒険者を一方的に嬲ることができるほどの実力者だ。
奇跡級以上であることに疑いはない。
「だ──……ッ、しゃあ!」
俺は、気合いでプルを抜き去ると、ヘレジナの後を追った。
ほんの数分ほどで、パラキストリとの国境線を示す城壁の前へと辿り着く。
──そこに、いた。
銀髪の男性だ。
左手に火のついた葉巻をぶら下げ、こちらに背を向けている。
この距離でも見える。
その手には、大きな火傷の痕がある。
「──左手に火傷を負った銀髪の〈男〉。あるいは、と思っていた」
ヘレジナが双剣に手を掛ける。
「やはり貴様だったか」
「──…………」
男性が、こちらを振り返る。
「アイヴィル=アクスヴィルロード……ッ!」
両膝に手をつき、呼吸を整えながら尋ねる。
「……リンド、……ロンド遺跡の、か!」
「う、うん!」
追いついたプルが、俺の隣に立ち止まって頷く。
息を弾ませたヤーエルヘルの姿もある。
「ぱ、パレ・ハラドナ騎士団〈不夜の盾〉の、ふ、副団長……」
アイヴィルが、端正な顔に作り笑顔を貼り付けて、口を開いた。
「──やあ、プルクト様。ご機嫌うるわしゅう。こんなところでどうされました。皇巫女は、地竜窟にて朽ちねばならぬと聞き及んでおりますが?」
「……!」
プルが、アイヴィルを睨みつける。
「わ、わたしはもう、す、皇巫女じゃない!」
「それは困る。あなたが死んでくれないと、パレ・ハラドナは千年帝国たり得ない」
「……し、神託は、既に外れ……ました。地竜は、もう、いなかった。その古き血脈も、もう、経たれた。こ、この先に、何を求めると言うのです」
「ハッ」
アイヴィルが鼻で笑う。
「実のところ、僕個人としては、パレ・ハラドナの隆盛になどさして興味はないのだ。僕がここにいる理由は、二つ」
右手の人差し指を立てる。
「一つは、銀琴の奪取。もう一つは」
続いて、右手の中指を立てる。
「──ルインライン様の弔いだ」
ビキッ。
アイヴィルの端正な顔に、無数の血管が走る。
一瞬でその目が血走り、鬼か悪魔の形相と化す。
「ヘレジナ=エーデルマン。ルインライン様を殺したのは、貴様だ。さりとてルインライン様が、貴様程度をまともに相手取って負けるはずがない。どれほど汚い手を使ったのだ。弟子であることを利用して油断させたのか。それとも、その貧相な〈女〉でも使ったのか。いずれにしても──」
アイヴィルが葉巻を投げ捨て、懐から、十センチほどしか刃のない小刀を取り出す。
「死ね」
ヘレジナが、大きく息を吐く。
「カタナ、覚悟しておけ。アイヴィル=アクスヴィルロードは、奇跡級上位の剣術士だ。私などより、遥かに強い」
「……わかった。プル、ヤーエルヘル。すこし離れてろ」
「う、うん!」
「わかりました……!」
柄に手を掛け、折れた神剣を抜き放つ。
アイヴィルが目を剥いた。
「貴様」
そして、構える。
「──その神剣は、貴様などが手にしてよいものではないッ!」
小刀が、勢いよく振り下ろされる。
彼我の距離は五メートル。
届くはずがない。
だが、俺は、その一撃を届かせ得る技術を既に知っていた。
左半身を後方に下げ、アイヴィルに右半身を向ける。
その瞬間、不可視のそれが、俺のすぐ傍の空間を薙いだ。
背後で何かが両断される音が響く。
遠当てだ。
「──……!」
背筋が凍る。
肌が粟立つ。
避けなければ、死んでいた。
「ほう、よく避けた」
「カタナ! アイヴィル相手に距離を取るのは愚策だ! 合わせろ!」
「……ああ!」
なんとか自分を奮い立たせ、構え直す。
ヘレジナが、地を這うほどに低い姿勢で、アイヴィルの左前方から斬り掛かる──
端で見ている俺ですら、そう思った。
斬り掛かる一瞬前、ヘレジナが、まばたきのうちにアイヴィルの左後方へとステップする。
そして、二本の双剣で、アイヴィルの背中に向けて斜めに斬り上げた。
戦慄する。
これが、ヘレジナの本気の一撃なのか。
仕掛けられたのが俺であれば、何一つ理解することなく三枚に下ろされていただろう。
だが──
「──…………」
緩やかな時の流れの中、俺は見た。
アイヴィルがヘレジナを振り返り、その口元に侮蔑の笑みを湛えるのを。
人間の限界を超えた速度の双剣を、アイヴィルが、両手で優しく左右に押し広げる。
そして、無防備となったヘレジナの顔面を、思い切り膝で蹴り上げた。
「ぶ……ッ」
ヘレジナが宙を舞う。
だが、俺も傍観しているばかりではない。
アイヴィルの背後に迫り、折れた神剣を上段から振り下ろす。
アイヴィルが、一歩前に出る。
まるで背中に目があるかのように、折れた神剣は、ほんの一ミリ届かない。
だが、そのくらいは予想している。
振り下ろす最中から両手首をひねり、さらに一歩、深く踏み込む。
そして、一切の速度を落とすことなく斬り上げに転じた。
燕返し。
だが、それは、アイヴィルの持つ小刀の僅かな刃先によって、完全に止められていた。
「奇跡級中位──いや、下位か。いずれにしても僕の敵じゃないな」
わずかな拮抗ののち、アイヴィルが小刀をひねる。
ただそれだけの動きであるにも関わらず、懸命に握り込んだ神剣の柄を取り落としそうになった。
バランスを崩す。
アイヴィルの痛烈な蹴りが、胸を強打する。
みし。
あばらが折れるのを感じた。
「ぐッ……」
倒れたら、殺される。
そう判断し、爪先で必死に踏ん張る。
石畳の上に二本の黒い線が引かれ、アイヴィルとのあいだに数メートルの距離が開いた。
アイヴィルが小刀を真横に振り抜く。
横薙ぎの遠当てが来る。
「ッふ、があ……ッ」
伏して避けると、胸に激痛が走った。
「奇跡級下位の反応速度ではあるものの、その鈍重な動き。低い身体能力。体操術を使っていないな」
アイヴィルが片眉を上げる。
「……もしかして、僕は、馬鹿にされているのか?」
「使えないんだ、……よッ!」
大上段に構え、アイヴィルに斬り掛かる。
だが、神剣の刃はアイヴィルをかすめもしない。
それでいい。
それが目的ではない。
「──!」
アイヴィルが、大きく右に跳ぶ。
理由は明白だ。
ヘレジナが、炎術の火球を、アイヴィルの背に向けて放ったからだった。
神剣が火球を真っ二つに斬り捨てる。
炎がうねり、神剣の刀身を成す。
「チッ」
アイヴィルが、俺から大きく距離を取った。
「……それは、ルインライン様の神剣だ。猿真似は今すぐやめろ」
「嫌だね」
「──…………」
アイヴィルが、遠当てを三連続で放つ。
縦、横、縦。
目に見えぬ致死の剣閃。
避けられない。
だが、俺には、ある仮説があった。
遠当ては、魔術ではなく技術である。
そう聞かされた。
だが、いくら剣を速く振ったところで、そんな現象は物理的に起こり得ない。
たとえ音速で斬りつけたとしても、十メートル先にある物体を両断することはできない。
であれば、
「──おらァッ!」
俺は、神剣を振り、前方に炎の壁を作り上げた。
ゆらめく炎の向こうで、アイヴィルが嗤う。
俺の考えが正しければ──
──ボッ!
遠当ての剣閃が炎の壁に触れ、可視化する。
激しく燃え上がったのだ。
「なに……!?」
発火し、勢いを失った剣閃が掻き消える。
俺には届かない。
仮説通りだ。
「ヘレジナ! 遠当ては、
炎の神剣を下段に構える。
「炎さえ出しておけば、こいつはただの達人だ!」
「はッ!」
鼻血を拭いながら、ヘレジナが不敵に笑みを浮かべる。
「剣閃を飛ばす達人よりは、幾分かましだ」
ヘレジナが、狼狽したアイヴィルに斬り掛かる。
アイヴィルが半歩下がる。
ヘレジナの短剣は、アイヴィルには届かない。
そう見えた。
だが、
「──ぐぶ……ッ」
アイヴィルの右肩から左腰に掛けて、一本の線が走った。
線は左右に押し開かれ、傷となる。
「そう言えば、教えたことはなかったな。私とて遠当てはできる。手のひらほどの距離に過ぎないが」
「──…………」
アイヴィルが、たたらを踏む。
そのまま炎の短剣で畳み掛けようとしたとき、アイヴィルが助走なしで十メートルほど背後に跳んだ。
体操術によるものだとしても、とんでもない身体能力だ。
「……、や、るじゃないか……。状況は、不利、のようだ……」
ヘレジナが詰め寄る。
「銀琴は返してもらう」
「……ふん」
アイヴィルが、腰に提げた鞄から銀琴を取り出す。
距離が開いた。
アイヴィルの一挙手一投足、すべてを見落とさぬよう観察し続ける。
銀琴で光矢を放とうとするならば、即座に距離を詰めて無力化する。
俺たちには、それができる。
アイヴィルも、それは理解しているだろう。
「以前、銀琴の解析を、国家術具士に依頼したことがあったろう……」
「──…………」
「だが、術式の八割は
「銀琴を置け」
「実を言うと、既に答えは出ている。聞きたいか?」
「置かねば斬る」
アイヴィルが、こちらに背を向ける。
そして、銀琴を、弓ではなく本物の竪琴のように構えた。
「──ッ!」
目配せする必要すらなく、俺とヘレジナが同時に斬り掛かる。
「ハサイ楽書は、本当に音楽書だったのだ」
だが、アイヴィルのほうが僅かに早かった。
細い指が弦を爪弾く。
弓であるはずの銀琴が、短いフレーズを奏でた。
その瞬間、周囲の空間が、歪んだ。
歪みが凝集し、近くの城壁へと吸い込まれていく。
神剣と双剣の三撃を、アイヴィルが左手の小刀で捌く。
だが、動きが鈍い。
構えた銀琴と、ヘレジナが負わせた傷のせいだ。
このまま続けていれば、いつかは押し切れる。
そう確信したときのことだった。
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