1/ベイアナット -2 魔術と科学
俺たちがやむなく借り上げた平屋には、炊事場が存在しない。
と言うより、この
理由は単純、必要ないからである。
切る、剥く、叩く、下ろす、焼く、煮る、蒸す、揚げる──家庭料理に必要なほぼすべての工程が操術と炎術によって賄えてしまうとなれば、特別に部屋を設ける意味はあまりない。
操術が苦手な人のために包丁やまな板は存在しているそうだが、〈技術〉を磨くより〈魔術〉を磨くべき、という考えが主流のようだった。
「は、はい。かたな」
プルが、食卓についた俺の前に、湯気の立つ木製の深皿を置く。
中身は麦粥だ。
「──…………」
プルの麦粥は、美味い。
今日の麦粥からは、この世界特有の香辛料なのか、花椒にも似た香りが漂ってきて食欲をそそる。
パレ・ハラドナにいた頃、人目を盗んで調理士から料理を学んでいたらしい。
だが、二週間だ。
二週間だぞ。
弱った内臓のためとは言え、毎日毎日同じメニューはつらい。
俺を気遣ってか、味付けもバリエーション豊かにしてくれてはいるのだが、それでもきつい。
「……か、かたな?」
「ああ、いや」
とは言え、毎日食事を作ってくれるプルには感謝しかない。
なんでもないふりをして木のさじを手に取ると、肉野菜炒めと腸詰めを前にナイフとフォークを握り締めていたヘレジナが半眼で口を開いた。
「プルさまが手ずから作った麦粥を、まさか飽きたとは言うまいな」
「──…………」
頷けもせず、かと言って咄嗟に嘘をつくこともできず、返答に詰まる。
「そ、そうだよ、ね……」
プルが、うーんと考え込んだ。
「ち、治癒術による治療は継続してるし、治りも早いし……。この様子なら、も、もう、普通の食べものに切り替えてもいい……、かな?」
「マジか!」
思わず身を乗り出してしまった。
「や、やっぱり飽きてた……」
「……いや、その、すまん」
「まったく、贅沢なやつめ」
「い、いま、かたなのぶんの腸詰め、焼きまっす……」
プルが、調理用の耐熱皿の上に燻製済みの腸詰めを置く。
「──…………」
軽く手を翳すと、腸詰めが炎に包まれる。
ほんの十秒ほどで亀裂が入り、透明な肉汁が漏れ出した。
内側からもしっかりと加熱されているらしい。
「はい」
腸詰めが宙を舞い、同時に滑り込んできた木皿がそれを受け止めた。
「ま、まずは、これだけ……。いきなり食べると、い、胃腸が、びっくりしちゃう」
「おう!」
しかし、いつ見ても不思議だ。
種も仕掛けもないんだよな。
「いただきます」
「では、プルさま。私もいただきますね」
「め、召し上がれー……」
木のフォークを腸詰めに突き刺し、口へと運ぶ。
花椒めいた風味が強く、くせのある味だが、溢れ出す肉汁がたまらない。
腸詰めをおかずに麦粥を食べながら、俺は、この世界の魔法について想いを馳せた。
「──動法と光法は、まあ、理解できるんだけどな」
「なんの話だ?」
腸詰めを上品に切り分けながら、ヘレジナが小首をかしげる。
「魔法は、
「はあ」
「だけど、火法だけ毛色が違うんだよ。火ってなんだと思う?」
「火……」
しばしの思案ののち、プルが答えた。
「と、とっても熱い、……もの?」
「火は、連鎖もいたしますね。近付ければ、別の物も燃える」
「お、いいとこ突くな。ヘレジナに2ポイント」
「なんだそのポイントは」
「わ、わたしは……?」
「なし」
「うう」
「プルさま、私のポイントを差し上げましょう」
「あ、ありがと……」
仲の良い主従だ。
外見こそ似ていないものの、姉妹のようにも見える。
「ヘレジナの言う通り、火は延焼する。紙であれば紙を、薪であれば薪を燃やしてる。となれば、ここで疑問が一つ出てくる」
ぴ、と人差し指を立てる。
「火法の炎って、何を燃やしてるんだ?」
「──…………」
「──……」
プルとヘレジナが顔を見合わせる。
数秒の沈黙ののち、プルが答えた。
「え、と。ま、
「その通り」
「なんだ、既に答えは出ている。大した疑問ではないではないか」
「まあ、ここからはこっちの世界の学問の領分になるんだが……」
中学生の頃に習ったことを思い出す。
「燃焼って現象は、急激な酸化反応のことだ。可燃物が酸素と結合することで、初めて炎となる」
頭上にハテナを浮かべた二人を横目に、木のさじで麦粥を掻き混ぜながら言った。
「垂れ流した
「ど、どうよと言われましても……」
「いまいちピンと来ないな」
「ぐ」
魔術を科学で解明する。
ロマン溢れる考え方だと思うのだが、二人の興味を惹くことはできなかったようだ。
「くだらないとは思わんが、早く食べないと粥が冷めてしまうぞ。温かいうちに食べるのがプルさまへの礼儀なのだろう?」
「ああ、そうだった」
俺は、プルが作ってくれた麦粥を、しっかりと噛み締めてから飲み込んだ。
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