第二章 遺物三都
1/ベイアナット -1 銀輪教
銀輪教の聖典は、次の言葉で締めくくられている。
運命の銀の輪は、汝の隣人が回す。
汝もまた、隣人の輪を回しなさい。
エル=タナエルの残したこの言葉が高潔とされるのは、元を辿れば神代に由来する。
千年の昔、世界は平らであり、また名もなかった。
エル=タナエルは、彼女の作り出した四柱の陪神──エル、デムリカ、イルザンハィネス、サザスラーヤと共に世界を統治し、その文明は栄華を誇ったとされている。
神代文明において最も発達したものは、純粋魔術である。
魔術とは、ただ垂れ流されるだけだった
治癒術のような一部の無系統魔術を除き、ほとんどの魔術は、三大魔法である火法、光法、動法のいずれかを源流としている。
火法を炎術、光法を灯術、動法を操術として扱いやすくしたように、ただ魔術を追求し続けるための魔術を純粋魔術と呼ぶ。
魔術の追求は、どんな学問よりも尊く扱われ、その成果は他の学問へも波及した。
純粋魔術は隆盛を極め、できないことはないとまで謳われた。
あるときまでは。
終わりは突然に訪れた。
純粋魔術を志す人間には、自らが作り出した術式を証明する義務がある。
純粋魔術の果てにあったもの。
それは、神を作り出す方法だった。
人は、ただ可能であるかどうかを確かめるためだけに、人造の神を作り上げたのだ。
人造神エル=サンストプラ。
聖典では、身の丈が島ほどもある巨人として描かれる。
エル=タナエルは、自らの尊厳を賭けて、エル=サンストプラを滅さねばならなかった。
自らに並び立つものがあってはならない。
解釈によっては傲慢とも取れるエル=タナエルの態度だが、その実、先に仕掛けたのは、純粋魔術の信奉者たちと、彼らに付き従うエル=サンストプラだった。
人は神を超え得ると、証明するために。
こうして、エル=タナエルとエル=サンストプラ、その信奉者同士の戦争が始まった。
この戦争を、神人大戦、あるいはただの大戦と呼ぶ。
大戦に勝利したのはエル=タナエルだった。
エル=タナエルは、戦争で荒れ果てた世界を見て涙し、エル=サンストプラの遺骸を利用して新しい世界を作り上げた。
それが、私たちの生きるこの世界〈サンストプラ〉である。
大戦と創世により疲弊したエル=タナエルは、中天の空で長き眠りにつく前に、人々に告げた。
運命の銀の輪は、汝の隣人が回す。
汝もまた、隣人の輪を回しなさい。
エル=タナエルにとっての隣人とは、エル=サンストプラに他ならなかった。
この言葉は、エル=タナエルの後悔と慈悲を深く表わしている。
自分にはできなかった。
せめて、あなたたちは、隣人を愛しなさい──と。
こうして神代が終わり、人の世が始まった。
人間は、過去の失敗から学び、純粋魔術を禁忌とし、その成果を可能な限り処分した。
そのため、大戦から千年経った現在でも、魔術の発達は神代に遠く及ばない。
だが、純粋魔術のすべてが失われたわけではなかった。
さまざまな理由により処分を免れたものが、世界中に少なくない数散在している。
たとえば、人造生物である竜種や魔獣。
騎竜や飛竜のみならず、あの地竜すら、神代の人々によって造られた生物である。
魔獣の持つ不可解な生態も、元を辿れば人為的なものだ。
たとえば、合成生物である亜人。
人と動物を掛け合わせて造られた彼らは、純人間によって迫害され、北方への移住を余儀なくされた。
彼らのほとんどは、北方十三国最北の地、亜人国家トレロ・マ・レボロを出ることなく一生を終える。
トレロ・マ・レボロの外で亜人に出会うことは、ほぼないと言っていい。
たとえば、大戦以前の遺物である魔術具。
本来、術者の想像力のみで織り上げられる術式を素材に刻み込み、
魔術具自体は大戦後にも造られ、普及しているが、神代の品は、精度や効力において現在のものとは比較にならないほど優れている。
具体的に言うならば──
「私の持つ銀琴と同程度の威力を持つ魔術具を造ろうとすると、現在の技術では、最小でも身の丈の五倍ほどの球体となる。パレ・ハラドナの国家術具士に試算してもらったことがあるから、間違いないぞ」
ヘレジナが薄い胸を張る。
「銀琴って、とんでもなく貴重な一品なんだな」
「ふふん。貴重も貴重、オークションに出せば小国の国家予算をも上回りかねない逸品だ」
そこまで言って、ヘレジナが目を伏せる。
「……もっとも、その価値のほとんどは、師しょ──ルインラインが、リンドロンド遺跡で発見したという逸話によるものだがな」
ルインライン=サディクル。
ほんの二週間前、俺たちが殺した人物の名だ。
「無理すんな」
「無理など」
「べつに、師匠でいいだろ」
「──…………」
「ルインラインは狂信者で、プルを殺そうとした。だからって、お前がルインラインと過ごした日々がなくなるわけじゃない。一から十まですべてを憎もうとしたって疲れるだけだ」
ヘレジナが苦笑する。
「そうかもしれんな」
そして、短剣の長さに調節した二本の小枝を拾い上げた。
「──さあ、休憩はここまでだ。それだけペラペラと喋れるのなら、とうに回復しているはずだぞ」
「うげ」
まだやるのか。
「ほ、ほら。プルにも軽い運動までって言われてるしな。ここまで、ここまで」
「何を言っている。まだ準備運動だろう?」
「一時間も手合わせしておいてか!」
ヘレジナが、これ見よがしに溜め息をついてみせる。
「カタナには決定的に体力が足りん。師匠から受けた傷で内臓機能が弱まっていることを考慮に入れたとしても、だ」
「これでも、ブラック営業のおかげで体力だけはあるほうなんだぞ……」
少なくとも、アラサー男の平均よりは遥かに上だろう。
「異世界の人間というのは、随分と持久力がないのだ、……な?」
ヘレジナが不意に言葉尻を濁し、神妙な表情を浮かべた。
「カタナ」
「なんだよ」
「カタナは、魔法も魔術も使えない。間違いはないな」
「使ってみたい気持ちは負けてないけどな」
「ならば、体操術なしで奇跡級下位の実力というわけか……」
「体操術?」
まさか、ラジオ体操のことではあるまい。
「体操術とは、操術の一種だ。自らの肉体を魔術によって制御することで、身体能力の向上を図る。白兵戦においては、体操術の巧拙が勝敗を分けるほどだ」
「……まさか、持久力も?」
「単純に考えて、体力と
「え、ずる」
高校生のマラソン大会に小学生が混じってるようなもんじゃねえか。
道理で、あのプルですら破格の持久力を誇っていたわけだ。
「なら、ルインラインも、その魔術で自己強化してたってことか」
「いや」
ヘレジナが首を横に振る。
「師匠は生まれつき火法しか使えなかったらしい。師匠といい、カタナといい、体操術は肉体が本来持つ成長性を阻害しているのかもしれないな」
冗談めかして、ヘレジナが続ける。
「もしカタナが体躁術を扱えるようになれば、私程度、容易く追い越してしまうやもしれん。奇跡級上位も夢ではないぞ」
「無理だろ」
魔術的な意味でも、実力的な意味でも。
「ところで、魔法の練習は順調か?」
「プルに教えてもらってるけど、駄目だな。取っ掛かりの一つも感じない」
「三大魔法のいずれもか」
「火法、光法、動法──どれも同じだよ。諦めたかないが、プルが言うには、そもそも
「むう……」
そんな会話を交わしていると、平屋の扉が開き、プルが顔を覗かせた。
「ふ、ふたりとも。お昼ごはん、できた、……よ?」
ヘレジナが姿勢を正す。
「すみません、プルさま。食事の用意など、本来であれば、従者である私がすべきこと……」
毎回言わんでもいいだろうに。
「い、いいの。わたし、お料理好きだし……。それに、わ、わたし、もう、皇巫女じゃないから……」
「ですが、私の主であることは──」
「聞き飽きた。ほら、メシ食うぞ」
二人の背中を押しながら、住み慣れてきた借家へと足を踏み入れる。
「せっかくプルが作ってくれたんだ。冷める前のいちばん美味いときに味わうのが礼儀ってもんだろ」
「そ、その通り!」
「……うむ、そうだな」
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