3/地竜窟 -6 カッコいいって言ってくれるよな

 俺は、土手を歩いていた。

 白昼夢を見ていた気がする。

 心躍るような、満たされるような、それでいて身も凍るほど恐ろしいような──


 そんな、夢だった。


 右手にコンビニ袋を提げ、適当なベンチを探す。

 昨日までの豪雨で増水した川は、普段の清水ではなく、カフェオレのような土色へと変貌していた。

 ふと、騒ぎに気付く。

 川のほとりに人々が集まっていた。

 岸から五メートルは離れた場所で、何かに捕まり、必死に助けを求めている女の子の姿が見えた。

 ああ、いいな。

 場違いにも、そんなことを思う。

 人生の幕引きにはちょうどいい舞台だ。

 おにぎりの入ったコンビニ袋を放り捨て、川岸へと歩いて行く。


 ──ふと、何か暖かいものが心をよぎった。


 思い出す。

 一人、困難へと立ち向かった少女のことを。

 決意に満ちた、その瞳を。


 ああ、そうだったな。

 本当の勇気があるとすれば。

 それは、きっと、諦めないことだ。


 俺は、スーツの上着を脱ぐと、いちばん屈強そうな男性に差し出した。

 俺が行く。

 スーツを命綱にする。

 だから、これを決して離さないでくれ。

 男性が頷く。

 俺は微笑み、もう片方の袖を掴んで濁流へと身を投げた。

 圧倒的な水量に負けそうになりながらも、女の子を抱え、なんとか岸へと押し上げる。

 そのとき、流木が、精一杯右手を伸ばしてくれていた男性の腕をしたたかに打ち付けた。

 苦悶の声を上げ、男性が手を離す。

 俺は、濁流に呑み込まれた。


 ──こぽり。


 口から漏れた歪な泡が、瞬間ごとに形を変えながら、上へ上へと昇っていく。

 対して俺の肉体は、水の冷たさに指先を痺れさせながら、下へ下へと落ちていった。

 死ぬのだろう。

 それだけは、絶対に嫌だった。

 どうしてだろう。

 会社に人生を摺り下ろされて、それでも俺は生きたいのだろうか。

 違う。

 俺の憧れた少女なら、きっと、もう二度と生きることを諦めたりはしないから。


 気が付けば、俺の目の前に、二行の文章が浮かび上がっていた。



【青】再び始める


【黒】終わる



 俺は、迷いなく、青の選択肢を選び取った。

 幻のように実体のないそれは容易に崩れ落ち、光の粒となって周囲を満たし始める。


 やがて、意識までもが白に染まり──




「かたなッ! 逃げて! わ、わたしのことはいいから……ッ!」

 涙混じりの声が聞こえる。

 俺は、すべてを理解する。

 すぐにすべてを忘れ去ることも。

[羅針盤]は予知能力なんかじゃない。

 一度、選んだ道なのだ。

 選んだ先の未来でバッドエンドを迎え、どこかの時点へ巻き戻る。

 そして、また、同じ場面に遭遇したとき、過去の記録を参照して、その先で何が起こるかを選択肢として表示する。

 覚えていないだけで、何百万回、何千万回と、この物語を繰り返し続けているのだ。

 たった一つの未来──プルと共に生き延びる未来を目指して。

 そうなんだろう、エル=タナエル。

 だから俺は、こんなにもあの子に焦がれている。

「諦めない」

 笑みを浮かべ、言った。

「──そのほうが、カッコいいだろ?」

「ばか……!」

 プルの顔が、涙でくしゃくしゃに歪む。

 俺さ、頑張るよ。

 諦めないよ。

 だから、プル。

 お前も諦めないでくれ。

 自分の生に、自分で幕を引かないでくれ。

 足掻いてくれ。

 前を向いて、俺の隣を歩いてくれ。

 人間という存在の底の底なんかじゃなくて、陽の当たる暖かい世界で。

「[羅針盤]。選択肢を作り出し、未来へ導く能力か」

 ルインラインが炎の神剣を構える。

「であれば、すべての未来を殺せばいいのだろう」

 未来はさ。

 選択肢はさ。

 本当は、無限にあるんだ。

 いくらあんたが超人だとしても、無限の未来すべてを叩き潰すことはできないんだよ。

 真実を忘れていく。

 両手ですくった砂のように、記憶からこぼれ落ちていく。

 何万回繰り返しても、

 何億回繰り返しても、

 俺は必ず辿り着く。

 それが、たとえ、無限の先にあったとしても。

 そんな未来に辿り着けたら、さ。


 ──きっと、また、カッコいいって言ってくれるよな。

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