2/ハノンソル -8 ハノンソル・カジノの長い夜(1/3)

「──…………」

 思わず頭を抱える。

 何故だ。

「そ、……その、かたな。げ、元気出して……」

「この状況で元気いっぱいだったら、それはそれで限界だろ……」

 おかしい。

 選択肢が出ない。

 青枠を選択し続けて、あれよあれよと億万長者という作戦が、いきなり頓挫してしまった。

 小一時間ほどジングル・ジャングルに明け暮れた結果、俺の手に残ったものは、鮮やかに青い10シーグルチップのみだった。

 一時は五千シーグルまで増えたのだが、そこで守勢に入ったのが悪かったらしい。

「……手詰まりか?」

 ジングル・ジャングルの勝率は、ニーゼロが四分の一、イチイチが二分の一、ゼロニーが四分の一だ。

 ニーゼロ、ゼロニーは、当たれば掛け金が四倍。

 イチイチでは掛け金が二倍となる。

 だが、このシステムでは胴元が得をしない。

 それでは、カジノ側がどうやって儲けているかと言えば──

「も、もう、参加料しか残ってない、ね……」

 ハノンソル・カジノでは、どのゲームであっても、一勝負につき一律で10シーグルの参加料を徴収される。

 手持ちのチップは、奇しくも10シーグル。

 参加料を払えたとしても、賭けるチップが既にないのだ。

 最後に残ったなけなしの50シーグルチップを情け容赦なく奪い去ったディーラーが、爽やかな笑顔で俺たちに問う。

「お客さま。次の勝負はどうなさいますか?」

 わかっているくせに。

 随分と嫌味なディーラーだ。

「……いったん席を外す」

「了解致しました」

 プルと共に席を立ち、曲面で構成された壁に背を預ける。

 ハノンソル・カジノ。

 パラキストリ連邦最大のカジノという謳い文句は、伊達や酔狂ではなかった。

 数百名の客と、それに近い数のスタッフ。

 合わせて千名を優に超える人々を快適に収容できる広大なフロアに、人々の熱気と興奮とが満ち溢れ、今この瞬間にも様々なドラマが生まれている。

「あッつ……」

 ネクタイを緩め、ワイシャツの胸元に空気を送り込む。

「──…………」

 プルが目を伏せ、おずおずと口を開いた。

「……わ、わたしたち、このまま……、このままルインラインたち、を、待つしかできないのかな……」

「それどころじゃない。このままじゃ無一文で外に放り出されて、二人が解放されるまで飲まず食わずで野宿だぞ」

「ふぎゃ……」

「とっくに退路はないんだよ」

「じゃ、じゃあ……」

 プルが、自分の服をつまんでみせる。

「これなら、い、いくらで売れるかな。かたなの服ほどじゃないけど、上等な生地だし、す、すこしは高く売れる、……かも」

「いや、それ脱いだらもう下着だろ」

「う、うん……」

「そんなことさせるくらいなら、俺がスーツの下も質に入れる。もともと上下一揃いの服だからな。向こうも欲しがるだろ」

「で、で、でも!」

 プルの気持ちはわかっている。

 何もできていない、何も差し出せていない自分に、焦燥を感じているのだろう。

 だが、プルを下着で連れ回すのは論外だ。

「──まあ、その前に、だ。ラストチャンスに賭けてみるのも悪くない」

「ラスト、チャンス……?」

「手持ちが10シーグルでも勝負に出る方法はある」

「ど、どうする、……の?」

「参加料ってシステムがある以上、チップを半端に余らせて帰るやつが絶対にいる」

「今の、わ、わたしたちみたいに……」

「そう。だから、交渉して譲ってもらおう」

「おー……!」

 プルが、感心したように何度も頷く。

「さーて、負け犬のツラしてるやつでも探しますかね」

「わ、わたしたちも、そうだと思う……」

 カジノ全体を歩き回りながら、人々の様子を観察する。

 目当てはすぐに見つかった。

 先程までの俺のように肩を落とし、両の瞳は爪先を見据え、たった今わたくしは全財産をドブに捨てましたと全身で語る少年が一人、とぼとぼと歩いている。

「なんだ、ナクルか」

「……?」

 ナクルが顔を上げる。

「……カタナの兄ちゃんに、プルの姉ちゃんか。ハハ、ごめんな……。もらった金、ぜーんぶスっちまった……」

「奇遇だな。たった今、俺たちも全財産溶かしたところだ」

「うん……」

「カジノってのは、本当、ひでえ商売だよなあ……」

 ナクルが、ひっひと自嘲の笑みをこぼす。

「ナクル。ところで、カジノチップは余ってないか?」

「チップ……?」

 ナクルがポケットを漁ると、赤一色の5シーグルチップが一枚出てきた。

「あるけど、意味ないぜ。参加料にもならねえ」

「それだけならな」

 握り締めていたチップを親指と人差し指で挟み、眼前に掲げる。

「ここに10シーグルある」

「──…………」

 ナクルが沈黙する。

「最後の一勝負、ちっと付き合え。上手く勝ったら配当は山分けでいい」

「……ま、5シーグル程度、換金しても虚しいだけか」

 ナクルが、チップを親指で弾く。

 それを空中で受け取り、俺たちは、ジングル・ジャングルのテーブルへときびすを返した。

 ジングル・ジャングルだけでも十卓ほどのテーブルが用意されているが、目指すは先程のディーラーのところだ。

「おや、戻られましたか」

「まだ勝ってないからな」

 得体の知れない選択肢なんぞに頼ろうとするから負ける。

 なんとかする。

 そいつは、自分の力で事を運ぶときに使う言葉ではなかったか。

 ジングル・ジャングルは、技術介入のできない運のみのゲームだ。

 強靱な意志も、悲壮な決意も、祈りも、願いも、何もかも、運を引き寄せることはできない。

 ならば、俺にできるのは、たったの一度でも試行回数を増やすことだけだ。

「──…………」

 10シーグルチップと5シーグルチップを、テーブルの上に離して置く。

 同じテーブルに着いている客の参加料をすべて徴収したのち、ディーラーが金属製のカップに二枚の金色のコインを入れた。

 甲高い音が二、三秒響いたのち、ディーラーがカップをテーブルに伏せる。

 実質、二択だ。

 イチイチは配当が二倍だから、当たったとしても10シーグルにしかならない。

 元の木阿弥だ。

 二枚とも表のニーゼロか、二枚とも裏のゼロニーか。

 どちらを選ぶべきか。

 根拠がない以上、どちらを選んだとしても確率は同じだ。

 適当にゼロニーをコールしようとしたとき、テーブルから色が失われた。



【青】ニーゼロを選択する


【黄】イチイチを選択する


【黄】ゼロニーを選択する



「──…………」

 今出るんなら最初から出ろ。

 自分の力だけでなんとかしようと決意した途端にこれだ。

 だが、青枠が現れた以上は、選択肢に従うしかない。

「──ニーゼロだ」

 コールした瞬間、世界が彩色された。

 ディーラーがカップを上げる。

 名も知らぬ女性の横顔が、二つ並んでいた。

 表だ。

「ニーゼロ。配当は四倍となります」

「おお! やるじゃねえか、カタナの兄ちゃん!」

「や、やった! 首の皮一枚、つ、繋がり……ました!」

 現在、20シーグル。

 参加料を支払う。



【黄】ニーゼロを選択する


【黄】イチイチを選択する


【青】ゼロニーを選択する



「ゼロニー」

 ディーラーがカップを開くと、ナクルが呆けたように呟いた。

「マジかよ……」

 二つ並んだ女性の横顔が、どこか微笑んでいるように見えた。

 30シーグルが120シーグルとなる。



【青】イチイチを選択する



 110シーグルが、220シーグルへ。



【青】ゼロニーを選択する



 210シーグルが、840シーグルへ。

 容赦なく、持ち金すべてを賭け続ける。

 その結果、たった九回の勝負で、俺の目の前にはカジノチップがうずたかく積み上げられていた。

 総計で、26,280シーグル。

 数年は遊んで暮らせる金額だろう。

「──……ふー」

 緊張をほぐすため、小さく伸びをする。

 ジングル・ジャングルで大勝ちしている客がいる──そんな噂が千里を走ったのか、テーブルの周囲に野次馬の壁が築かれ始めていた。

「すっげ……」

 引き攣った笑みを浮かべたナクルが、ズボンで手汗を何度も拭っている。

「か、かたな……?」

「どうした」

「あ、その……」

 プルが、そっと目を逸らす。

「……な、なんでもない、でっす」

 これだけ不自然に大勝ちしているのだ。

 都合のよさに違和感を覚えるのは当然だった。

「──…………」

 大勝を果たしてなお、俺の心は平静だった。

 見知らぬ世界の馴染みのない通貨が増えたところで、いまいち現実味が薄い。

 だが、それだけではない。

 最大の理由は、勝つに決まっている勝負だからだ。

 青枠の選択肢が出続ける以上は、ギャンブルではなくただの単純作業に過ぎない。

 緊張こそすれ、ハラハラもドキドキもしない。

 つまらない。

 目的を果たすには必要な能力だが、俺はこの選択肢が好きではなかった。

「……お客さま」

 ある種の畏敬の念を含んだ表情を浮かべ、ディーラーが口を開く。

「こちらのフロアでは、一度に賭けることのできる金額が、最大でも一万シーグルまでとなっております。もし、より刺激的なギャンブルをお求めであれば、賭け金の天井のない別室へとご案内できますが、いかが致しましょう」

「──…………」

「──……」

 プルと顔を見合わせる。

 ようやくだ。

 ようやくスタートラインに立つことができた。

「や、やめとこうぜ。二万もありゃあ十分だ。山分けして、ひとり八千ちょい。これだけあれば、学費払ったって、一年は働かずに暮らせるんだし……」

「学費?」

「っ!」

 ナクルが、しまったという顔をする。

 しばらく無言で見つめていると、沈黙に耐えきれなくなったのか、渋々といった様子で事情を話し始めた。

「……ああ、そうだよ。学費だよ。灯術の教室へ通うために、金が必要だったんだよ。馬鹿にすんなら好きにしろい!」

「?」

 プルが小首をかしげる。

「ば、馬鹿になんか、しないよ。り、りっぱなことだと思うし……」

 手段はともあれ、自分の学費を自分で稼ごうとしているのだ。

 その姿勢は称賛に値するだろう。

「──…………」

 しばし視線を泳がせたあと、ナクルが白状する。

「……奇跡級の灯術士リィザード=ボブルの灯術教室に通うためには、三千シーグルの学費が必要なんだ」

「ああ」

「最初は軽い気持ちだった。たまたま気分がよかったんだと思う。〈仕事〉で稼いだ百シーグルをチップに替えて、上手い具合に増えればめっけもんだと思った。実際、そのときは十倍にまでなったんだ。こりゃあすぐにでも灯術を学べる。オレには博才があるに違いない。そう思っちまってから、あとはもう泥沼さ。稼いでは負けて、稼いでは負けて、ちまちま金をつぎ込むうちに──」

 ナクルが、幼さが残る顔をくしゃくしゃに歪ませる。

「もうとっくに、合計で五千は負けてんだよう!」

「……なるほどな」

 まるまんまコンコルド効果だ。

 払った金は取り戻せやしないのに、取り戻すまでギャンブルに金を注ぎ込み続ける。

 見事に食いものにされているというわけだ。

「そういうことなら、この時点で山分けしてもいいぞ。ナクルに八千渡しても、別室に行けるだけのチップは残る」

「いやいやいや、そういうことじゃねえって!」

 ナクルが俺に詰め寄った。

「カタナの兄ちゃんは、すげえ。最初はちっと舐めてたけど、問答無用ですげえよ」

「ふへ、へ……」

 褒められたのは俺なのだが、嬉しそうなのはプルだった。

「──でも、そんな賭け方じゃあ、絶対にどこかで破綻する。一度の失敗で無一文。せっかく稼いだ金をドブに捨てるようなもんだ」

 ナクルの言う通りだった。

 どこかでリスクヘッジを取るのが定石だろう。

 だが、いつ選択肢が出なくなるかもわからない。

 となれば、今のうちに儲けるだけ儲けておくのが最善手だと思われた。

 椅子から立ち上がる。

「別室に案内してくれ」

「ほ、ほら! プルの姉ちゃんも止めろって! 二万だぞ二万! 二万シーグルが吹っ飛ぶぞ!」

「……わ、わたし、は」

 プルの視線に覚悟が宿る。

「か、かたなを、……信じる!」

「馬鹿二人!」

 ナクルが両手で頭を掻きむしる。

「……わかった。わかりましたよ。オレも連れてけ。あんたらだけじゃあ、危なっかしくて仕方ねえ」

「後悔するなよ」

「正直、もう後悔し始めてる」

「こちらへどうぞ」

 ディーラーが歩き出すと、人垣が割れた。

 好奇と嫉妬の入り混じった無数の視線を浴びながら、モーセの気分でディーラーに続く。

 その先に、ケレスケレス=ニアバベルがいることを信じて。

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