2/ハノンソル -7 この世で一着のスーツ
ナクルが向かったのは、見るからに小ぢんまりとした平屋の建物だった。
灯術で装飾された大きな看板には、〈ハノンソル・カジノ〉とでも書かれているのだろう。
そんなことを考えていたとき、
「──ぎゃん!」
パンツ一丁の男性がエントランスから蹴り出された。
「二度と来るかあッ!」
奇異な光景だが、道行く人々は男性を気にも留めない。
これがハノンソルの日常なのかもしれない。
建物へ入ると、客らしき屈強な男性がナクルに声を掛けた。
「おう、悪童じゃねえか。懲りずにまーた小銭握り締めて来たのか」
「うるせえよ。オレの勝手だろ」
「怖い怖い」
屈強な男性が肩をすくめる。
ナクルは、カウンターに革財布を叩きつけ、正面に座っている老人に言った。
「135シーグルある。全部チップにしてくれ」
「了解致しました」
片眼鏡を掛けた老人が硬貨をあらため、数枚のチップをナクルに手渡す。
「そんじゃお先!」
「えっ」
別れの挨拶をする暇もなく、ナクルがその場から走り出した。
通路を塞ぐ守衛を押しのけ、カウンターの奥にある階段を駆け下りていく。
「い、……行っちゃい、ました……」
「十三歳でギャンブル中毒か」
灯術士は無理だな、あれは。
「そちらのお客さまは、いかがなさいますか?」
しゃがれた声の老人が、俺たちに話し掛ける。
「ああ、そうだな……」
なんと切り出すべきだろう。
逡巡していると、プルがカウンターの前へと進み出た。
「わ、……わたした、ち! け、けれすけれすけれ? す、にあばべるさんに会いたい、……でっす!」
おお、プルが頑張っている。
邪魔をしないように、後ろから応援していよう。
「──…………」
老人が、片眼鏡を光らせて、俺たちを値踏みする。
そして、言った。
「ニアバベルさまは、謎多き方でございます。ハノンソル・カジノの従業員であるわたくしどもですら、あの方の顔どころか、性別すら知る者はおりません。それくらい徹底した秘密主義なのです。ですから、お諦めになられるのが賢明だと思いますよ」
「──…………」
「──……」
プルと顔を見合わせる。
そう簡単に事が運ぶとは思っていなかったが、ここまで絶望的とも思っていなかった。
だが──
【白】ハノンソルで聞き込みをする
【青】ハノンソル・カジノへ入る
【黄】ハノンソルで宿を取る
【白】ハノンへ戻る
俺には選択肢が見える。
相も変わらず出自すらよくわからない能力だが、便利なことには違いない。
「しゃーない、カジノに入ってみるか。たまたま会えるかもしれないしな」
「う、うん!」
ナクルが駆け下りていった階段へ向かうと、二人の守衛が俺たちの行く手を阻んだ。
「……カジノに入りたいんだが」
「カジノチップはございますか」
「ないな」
「それではお通しできません。そちらのカウンターでチップをお求めください」
「──…………」
俺たち、一文無し。
詰んだ。
「!」
何か思いついたのか、プルがカウンターまで駆け戻る。
「ち、チップの代金って、も、もので払えませんか!」
老人が問い返す。
「物とは?」
「さ、さ、さっき、身ぐるみ剥がされたひとが、ここから出てきてて! だ、だから、質屋みたいなこともしてるんじゃない、か、……って?」
言葉尻へ向かうに従って、どんどん自信がなくなっていく。
だが、俺にはなかった着眼点だ。
やはり、プルの観察眼、洞察力には、目を見張るものがある。
「質屋の真似事もしておりますが、わたくしどもは専門の古物商ではありませんので、どうしても本業の方の見立てより安くなってしまいます。あらかじめ別の古物店で品物を売却し、種銭を作ってこられるのがよろしいかと」
こんな注意をわざわざしてくれるあたり、案外良心的だ。
だが、今から古物店を探すほど余裕はない。
「──さっきのオッサンもそうだったけど、服も行けるか?」
「ええ。多くは大した額にもなりませんがね」
「これならどうだ」
俺は、スーツの上着を脱ぎ、軽く畳んで老人に手渡した。
「……──!」
一瞬、老人が目をまるくする。
そして、片眼鏡を通し、縫製や刺繍と言った細部までつぶさに確認していく。
「……これ、は。あまり華美ではありませんが、見たことのないほど素晴らしい装束です。パラキストリでは見ないデザインですね。東部か、西部か──とにかく比較的遠い国の貴族のための衣服とお見受けしますが、いかがでしょう」
「近いな。見る目は確かみたいだ」
「恐縮です」
この世界は魔術を前提として発展している。
魔術によってあらゆることを代替できるため、文化水準に比べ技術水準が低いのだ。
そこに三十万のスーツを持ち込めば、価値を理解してくれる人は必ずいる。
「それで、いくら出せる?」
「……先程も申し上げた通り、こちらで価値をつけるとなれば、本職の見立てより安くなってしまいます。どうしてもとおっしゃるなら、二千シーグル。正直、もったいないと思いますが……」
選択肢が現れる。
【白】古物店を探し、スーツの上着を売却する
【白】スーツの上着を担保にカジノチップを購入する
二択だ。
だが、今回はどちらを選んでも変わらなそうでもある。
「なら、このまま二千シーグルにしてくれ」
「よろしいのですか?」
「俺たちの目的は、ケレスケレス=ニアバベルに会うことだ。一攫千金には興味ないな」
元の世界であればともかく、知らない世界の知らない通貨だ。
あれば当然嬉しいが、元の世界へ帰還するまで食い繋げれば十分である。
「──…………」
しばし黙考したのち、老人が口を開く。
「……確実ではありませんが、ニアバベルさまに会う方法はございます」
「ほ、ほ、ほんとですか!」
「ええ。方法は極めて単純。故に最難。現実味があるとは言いがたいのですが……」
一泊溜めて、老人が告げた。
「ただ、ただ、ひたすらに勝ち続けることです。掛け金が高額になれば、フロアから別室へと移される。そこまで辿り着くことができれば、あるいは、ニアバベルさまと顔を合わせることができるかもしれません」
「勝ち続ける、ねえ」
「か、かたな、賭け事は……?」
「大学のときパチスロに誘われて行ったらビギナーズラックで大勝ちして、次の日また行ったら飲まれに飲まれて結局収支マイナスになった。それ以来ギャンブルはしてないな」
「よわいんだ……」
「ま、なんとかするさ」
選択肢が出るのであれば、賭け事なんざ楽勝だ。
これほどギャンブル向きのチート能力もそうはないだろう。
「爺さん。このカジノでいちばんルールが簡単なゲームを教えてくれ」
老人が答える。
「ジングル・ジャングルでしょうか。金属製のカップに二枚のコインを入れ、テーブルに伏せる。お客さまは、ニーゼロ、イチイチ、ゼロニーといったコールを行い、コインの表と裏の数を当てるゲームでございます」
なるほど、丁半博打のコイン版みたいなものか。
老人が、さまざまに色分けされたカジノチップを数十枚取り出す。
「こちら、二千シーグルぶんのカジノチップとなっております。お確かめを」
「ああ」
「お客さまにエル=タナエルの加護があらんことを」
一礼し、カウンターを後にする。
こうして、ハノンソル・カジノの長い夜が始まった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます