2/ハノンソル -5 ハノンソルの少年
腹が減っては戦が出来ぬ。
プルのなけなしの所持金を使い、マンゴーによく似た外見の果実を露店で購入した。
その場で切り分けてもらったため、種はない。
ねっとりとしていて酸味が強く、甘さは控えめだ。
「ふ、フルルカって、生だとこんな味するんだ……」
「調理するもんなのか?」
「うん。収穫して時間が経つと、渋くなる、……から」
「てことは新鮮なんだな。商業都市とか言ってたし、新鮮な食材が各地から届くんだろ」
「そうかも……」
プルは口が小さい。
フルルカをちまちまと食べ終えるのを待ち、再び南下を再開する。
首都ハノンは南北に長い。
ハノンソルとの境界らしき場所へと辿り着いたのは、午後十一時を過ぎた頃のことだった。
歩き続けで足がだるいが、舗装された道路であれば二万歩、三万歩程度は慣れたものだ。
道の悪い流転の森を革靴で踏破したときより遥かにマシである。
「この先がハノンソルか」
「た、たぶん……」
高さ三メートルほどのバリケードが、何者をも拒むかのように延々と左右に伸びている。
バリケードの向こうは当然ながら目視できない。
だが、遠くの空がぼんやりと明るく見えた。
街の明かりが雲に反射しているのだ。
この先に繁華街があるのは、恐らく間違いないだろう。
どうすべきかと悩んだ瞬間、選択肢が現れた。
【白】入口を探す
【白】バリケードを乗り越える
【黄】大声を出して人を呼ぶ
同じ白枠なら、手っ取り早いほうを選ぶべきだろう。
「──よッ、と」
木製の家具らしきものを積み重ねただけのバリケードに足を掛け、昇る。
「自分で上がれるか?」
そう言って右手を差し出すと、プルが遠慮がちに手を重ねてきた。
「よし、引っ張るぞ」
「は、はい……!」
体力では負けていても、体格では俺が勝る。
こうして先導できるのが、すこし誇らしかった。
「……いい、のかな」
「よかないだろ。でも、立ち往生してるのは時間の無駄だ」
幾度かプルを引っ張り上げ、バリケードの最上部を跨ぎ越えようとしたときのことだった。
「──誰だッ!」
懐中電灯によく似た指向性を持つ光の魔術が、俺の網膜を灼いた。
「ぐ……ッ」
「それ以上動けば不法侵入と見なす!」
目を細めると、相手の顔が見えた。
まだ幼さが抜けきっていない少年だ。
もっとも、ヘレジナという前例があるため、実年齢に確信は持てないが。
「お前ら、ソル入りの志願者か? 表で何やった。殺しか? 盗みか? 女連れだし、強姦ってわけじゃあなさそうだがよ」
「いや、俺たちは──」
反論の言葉がすぐさま阻まれる。
「いいか。勘違いしてるようだが、ソルは無法地帯じゃねえ。表の罪人は、こっちだって罪人だ。ここは犯罪者の亡命先じゃねーんだからな」
「勘違いしてんのはそっちだ」
「ああン?」
少年が凄む。
だが、その程度で怯えてやれるほど、こちとら素直じゃあない。
「ケレスケレス=ニアバベルに会いに来た」
「──ぶふッ」
不意に、少年が吹き出した。
「くははッ! 大真面目になァに言い出すかと思えば、あの方に会いたいだって?」
「何がおかしい?」
「あの方が、お前らなんぞと会うわけねーだろ! ソル生まれのオレだって、会うどころか、顔すら見たことねえんだぞ」
軽く思案し、武器になりそうな材料を探す。
「……俺たちが、ルインライン=サディクルの連れだとしてもか?」
ルインラインは、ケレスケレス=ニアバベルと懇意のはずだ。
また、有名人でもある。
少年がどう出るかはわからないが、名前を出してみる価値はあるだろう。
「──…………」
少年が笑みを消し、こちらを睨みつける。
「ホラも大概にしやがれ。オレのこと、餓鬼だと思って馬鹿にしてんだろ」
「違う」
「気に入らねえ。気に食わねえ。そりゃあ、オレだって男だ。憧れたことくらいはあるけどよ。ルインラインの名前を聞いただけで目を輝かせて喜ぶのは、せいぜい十までだ。オレはもう十三だぞ。現実くらい知ってらあ!」
「か、かたな……」
プルが、小声で囁く。
「る、ルインラインの名前、出しても、む、無駄だと思う。その。……ゆ、有名すぎて」
「……あー」
売れないお笑い芸人と友達だと言えば信じてくれる人も、ハリウッド俳優と友達だと言えば鼻で笑うだろう。
ルインラインの名が持つ意味は、俺が思っているより遥かに大きいらしい。
「んじゃ、質問を変える。どうすればケレスケレス=ニアバベルに会える?」
そう尋ねると、少年がこちらへ手のひらを指しだした。
「50だ。1シーグルもまからねえ」
プルに小声で尋ねる。
「……まだ残ってるか?」
「あ、あるには、……うん」
一週間ぶんの路銀、先に預かっておくべきだったな。
バリケードから、ハノンソル側へと降り立つ。
「……その。え、と、これ……」
プルが、もたもたと50シーグル銀貨を取り出し、少年に差し出した。
「まいどありィ!」
ホクホク顔の少年が、プルから銀貨を奪い取る。
「あの方は、ソルの支配者であると同時にハノンソル・カジノの経営者でもある。よほどのことがなければカジノにいるはずだぜ」
「その、ハノンソル・カジノとやらは?」
少年が、再び手のひらを差し出す。
「100」
「──…………」
「──……」
プルの目が言っていた。
足りない。
「財布貸してくれ」
「は、はい……」
露店でフルルカを買ったとき、どの硬貨にいくらの価値があるのかは教えてもらった。
革財布の中身を確かめると、たしかに100シーグルも残っていない。
俺は、少年に向かって、シッシッと追い払う仕草をしてみせた。
「他のやつに聞く。ほら、どっか行け」
「おっと、いいのかな。オレは見張りだぜ。ちょいと大声出してやれば、他の見張りがごまんと現れる。よくて追い返されるか、悪けりゃ取っ捕まって収監だ」
「見張り、ねえ……」
ハッタリのような気もするが、確信が持てない。
「見張りのくせして、俺たちを追い出さなくていいのかよ」
「いいんだよ。要は、勘違いした無法者をソルに入れたくねえってだけだ。お前らみたいのは、どーせ虫くらいしか殺したこともねえんだろ」
「──…………」
バレないように溜め息を吐く。
仕方ない、値切るか。
「100は高い。60にしてくれ」
「舐め腐るなよ。95だ」
「70」
「90」
「あいだを取って80だ。これ以上は出せないな」
「85。これ以下はねえ」
「80」
「85。言っただろ、これ以下はねえ。見張りを呼ばれたくなけりゃ、素直に払いな」
「──…………」
「──……」
少年と睨み合う。
どうやら、これ以上引く気はないらしい。
「……わかった、85だな。手ェ出せ」
「はいよ」
少年の手の上で、革財布を逆さに振ってみせる。
ちゃりん、と硬貨が心地よい音を立てた。
空の財布からは、もう何も出てこない。
「85シーグルちょうど。俺たちの全財産だ。これで満足か?」
「──…………」
少年が、ほんのわずかに目をまるくする。
「……逆算しやがったな」
「ギリギリまで粘りやがって。こちとら素寒貧だ。露店で明日の朝メシも買えやしない」
「ふん、面白え兄ちゃんだ。搾れるだけ搾って追い出してやろうと思ってたが、気に入ったぜ。ハノンソル・カジノまで、責任持って案内してやるよ」
「え」
少年の言葉に、プルが固まる。
「払ったぶんの仕事はしろよ」
「わーってる、わーってる」
少年がきびすを返し、ずんずんと歩き始める。
「おら、さっさとしねえと置いてくぞ」
互いに顔を見合わせ、俺とプルは少年の後を追った。
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