2/ハノンソル -4 首都ハノン

 パラキストリ連邦ザイファス伯領、首都ハノン。

 ザイファス六世の統治する商業都市である。

 南北に細長く、その特徴的な形から〈長靴〉などと揶揄されることもあるらしい。

 人口は、公称で十七万人。

 だが、実際には三十万人近い人々が住んでいる。

 公称と実情とに差があるのは、ハノン南部に〈ハノンの靴底ハノンソル〉と呼ばれる不法地区が広がっているためだ。

 ザイファス六世が、納税の見込みのないハノンソルの存在をなかば黙認しているのは、その住民が運営するパラキストリ最大のカジノが理由のひとつだと言われている。

 表向きは不干渉を貫く代わりに、上前はきっちり撥ねていく。

 その噂が本当だとすれば、双方共にしたたかだ。

 騎竜車を降りて最初に驚いたのは、幹線道路の広さだった。

 優に軽自動車三台分の横幅を誇る騎竜車が、十輌は同時にすれ違うことができる。

 道路の端には、馬車や牛車、騎竜車などの預かり所がずらりと併設されており、好きな場所で降りることができる仕組みになっていた。

「へえー……」

 石畳の上を歩きながら、感嘆の吐息を漏らす。

 車止めのある歩道には一定間隔で金属製のポールがそびえ立っており、プルが作り上げたものより遥かに小さな光が、その上で皓々と輝いている。

 無数の魔術の明かりが照らす街並みは上品で、どこかロンドンを彷彿とさせた。

 見るもの聞くものすべてが珍しく、人の波に沿って歩きながら周囲を見渡していると、一本の街灯が切れていることに気が付いた。

 ヘレジナがポールへと近づき、光の魔術で明かりをつける。

「街灯が消えていれば、気付いた者が灯す。暗黙の了解だ」

「なるほどな」

 必要は発明の母だ。

 光の魔法があれば、ランプが必要になることはない。

 一方で、懐中時計が作れる程度には技術も発達していることから、魔術で補えない分野が存在することもわかる。

 成り立ちからして異なる文明を目にするのは、この上もなく刺激的だった。

「──さて、ひとまず宿を取ることにしよう。カタナ殿は儂と同室でよいかね」

「ああ」

 ルインラインが、にまりと口角を上げる。

「なんなら、プルクト殿と同室でも構わんが」

「!」

 プルの背筋がピンと伸びた。

「べつにいいけど、あんたの思ってるようなことにはならないぞ。絶対」

「なんだ、つまらんのう」

「す、すごく失礼……」

「師匠。あまりプルさまで遊ばないでください」

「はっはっは」

 言ってることが、酒を飲み始めたら子供に絡んでウザがられる親戚のオッサンと同じだ。

 実力はともかくとして、よくこれで騎士団長が務まるな。

 副団長とかが苦労しているのかもしれない。

 顔も名前も知らない副団長に同情の念を向けていると、

「──!」

 ルインラインの眼光が唐突に鋭さを帯びた。

「……しまったな。その手で来るか」

「る、ルインライン……?」

「カタナ殿。プルクト殿を連れて、離れていてくれるか。ちと厄介なことになりそうだ」

 その言葉の直後、選択肢が現れた。



【白】この場から離れる


【黄】この場に留まる


【黄】ルインラインに真意を問う



 黄色が二つ、か。

 以前の黄枠ではひどい目に遭ったが、今回はルインラインとヘレジナが万全の状態である上に、周囲は人混みで溢れている。

 身の危険はないと思いたいが、わざわざ選択する理由もない。

 無難に白枠でいいだろう。

 心の中で決定した瞬間、時の流れが元に戻った。

「プル」

「は、はい!」

 人の流れに沿って、プルと共に十メートルほど距離を取る。

 振り返ると、ルインラインとヘレジナを挟んで反対側の道から、板金鎧フルプレートアーマーを着込んだ十数名の兵士がこちらへ歩いてくるところだった。

 道行く人々が皆足を止め、ピリピリとした緊張感が場に満ちる。

 そして、先頭の兵士がルインラインの前に進み出た。

「──〈不夜の盾〉団長、ルインライン=サディクル殿とお見受けする」

 先頭の兵士が、板金に覆われた右手の甲をルインラインに向けながら、彼に向かって頭を下げた。

 後続の兵士たちもそれに続く。

 ルインライン=サディクル。

 静まり返っていた通りにその名が響いた瞬間、群衆がざわめき始めた。

 二割くらい疑っていたのだが、有名人であることに間違いはないらしい。

「人違いではないかな。なに、よく似ていると言われるのだ。まったく美丈夫はつらいつらい」

「その人を食ったような話し方。ルインライン殿に相違ない」

「どこぞで話したことでもあったかな」

「失礼した。今、兜を取る」

 兜の下から出てきたのは、三十代なかばほどの凜とした男性の顔だった。

「……ハノンの兵隊長か。では、とぼけても意味はあるまいな」

「ルインライン殿がハノンを訪れていると聞き、急ぎ馳せ参じた。伯爵も、是非ともあなたの武勇伝を聞かせてほしいとおっしゃっている。逗留には城の客間を使うとよかろう」

「できれば遠慮願いたいところだ」

「理由を尋ねてもよろしいか」

「堅苦しいのは苦手でね」

「では、堅苦しくならないよう取り計ろう。幸い、伯爵は寛大な方だ。ドレスコードに気を遣う必要はない」

 ルインラインがヘレジナの肩に両手を乗せた。

「儂の代わりに、弟子でなんとかならんか」

「師匠……」

 ヘレジナがルインラインを半眼で睨む。

「隣接する伯領と懇意にするのがそんなにお嫌であれば、仕方がない。伯爵にはその旨伝えておこう」

「──…………」

 相手のほうが一枚上手だった。

 このままでは国交問題になる。

 否。

 このままなら、国交問題にする。

 兵隊長は、そう言っているのだ。

「相分かった。招待に応じよう。ヘレジナも、それで構わんな」

「しかし師匠──あいだッ!」

 ヘレジナの肩にルインラインの十指が思いきり食い込んでいた。

 あれは痛い。

「喜んで、だそうだ」

 様子を窺い続ければ、俺たちは分断される。

 だが、下手に首を突っ込めば、プルの素性を知られて伯爵に軟禁されるだろう。

「……どーすっか──」

 な。

 最後の一音を口にする前に、世界が漂白された。



【白】様子を見る


【黄】ルインラインの元へ戻る


【白】ヘレジナを見つめる


【白】プルを止める



 ……プルを止める?

 ふと視線を向けると、プルが大きく息を吸い込んでいる最中だった。

 この場で叫ぼうだなんて、火事場のプルは相変わらずのクソ度胸だ。

 だが、今目立つのはさすがに不味いだろう。

 色を取り戻した世界で、俺の体がプルを抱き寄せる。

 そして、胸板に顔を押しつけ、叫べないようにした。

「むぎゅ!」

「いったん待とう。ルインラインにはルインラインの考えがあるはずだ」

「──…………」

 こくり。

 俺の意図が伝わったのか、プルが胸元で頷く。

 それを確認し、俺はプルを解放した。

「──ところで、ケレスケレスは息災かな」

 ルインラインの言葉に、兵隊長が眉をしかめる。

「ここはハノンの中でも特に治安の優れた区域だ。〈靴底〉の話題は遠慮願いたい」

「はて。ハノンソルの支配者であるケレスケレス=ニアバベルが伯爵と同等の発言力を有していることは、周知の事実と言うものだろう?」

「──…………」

 これ以上の会話は墓穴を掘るだけだと理解したのか、兵隊長が口をつぐむ。

 だが、彼は気が付いていない。

 今の言葉は、恐らく、俺たちに向けられたものだ。

 ルインラインの意図までは汲めないが、胸に刻んでおくべきだろう。

「それでは、城へ赴くとしよう。今日はまだ麦粥しか口にしておらんのでな。思う存分馳走になる」

「ああ。調理士に、腕によりをかけるよう伝えておく」

 ルインラインが歩き出す。

「──…………」

 心配そうな顔をしたヘレジナと目が合った。

 だが、

「行くぞ、ヘレジナ」

「は、はい……」

 後ろ髪を引かれながらも、ヘレジナがルインラインに続く。

 師弟二人を連行するかのように、兵士たちがその周囲を取り囲んだ。

 事実、連行には違いない。

 国交を盾にして、否応なしに連れて行くのだから。

「──…………」

「──……」

 兵士の一団がその場を後にすると、往来に活気が戻り始めた。

「なあ、プル」

「は、は、はい……」

「とりあえずメシでも食うか?」

「のんき……!」

「つーても、何していいやら。今から追い掛けて伯爵の家で豪華な晩メシを食うのが悪手だってことはわかるけどな」

「……え、と。わ、わたしの考え、話すね」

「ああ」

 プルが、たどたどしく話し始める。

「伯爵の、も、目的は、わたしたちの旅を遅らせること、……でっす。ぶ、武力じゃ絶対勝てないから、こうして搦め手を使ってきた。だ、だから、ルインラインたちを可能な限り引き止めようとする、……はず」

「なるほど。でも、ルインラインはそれに気付いてたっぽいよな。だからこそ、俺たちを安全圏へと移動させた」

 ふと、身も蓋もないことが脳裏をよぎった。

「……こんなこと言うものなんだけど、大立ち回りしてさっさと逃げたほうが、いっそ合理的だったんじゃないか?」

「わたし、それ、やろうとした……」

「……マジ?」

「さ、騒ぎを起こして、それに乗じて、みんなで逃げようって」

 叫ぼうとしていた時のことか。

「悪い。止めるべきじゃなかったな」

「ううん」

 プルが首を横に振る。

「わ、わたしが騒ぎを起こそうと、起こすまいと、……ルインラインが本気を出せば、何も変わらないから。ど、どんな状況だって、わたしを連れて逃げ出せた、はず」

 ならば、余計におかしい。

 ルインラインは、何故、その選択肢を選ばなかった?

「え、と、……その」

 何かを迷いながらも、プルが言葉を続ける。

「……ず、ずるいこと、言います」

「ずるいこと……?」

「か、かたな。もしかたながいなかったら、ルインラインは、わたしを連れて逃げてた。ぜったいに、そう。ハノンでの補給は最低限にして、さ、最速でこの街を抜けるのが、いちばんだから……」

「──…………」

「でも、る、ルインラインはそれをしなかった。どうしてか、……わ、わかる?」

「俺が足手まといだったから」

 プルが、ゆっくりと首を振る。

「る、ルインラインは、優しくない、……です。目的のためなら、かたなを平然と、置き去りにする。もともと、ここで別れるつもりだったから、て、手間が省けたって笑いながら言う、……と、思う」

 言いそうだ。

「なら、どうしてだ?」

 どんなに考えても辻褄の合う答えが見つからない。

 だが、プルから伝えられた答えは本当に単純で、だからこそ否定したくなるものだった。

「た、たぶん、かたなに賭けた、……でっす。自分で事を起こすより、かたなにおまかせしたほうが確実、だって。かたなを信じたん、です」

「──…………」

 まさか。

 そんなことがあるはずない。

 そう言いたかった。

「かたな」

「……ああ」

「わ、……わたしを。わたしたちを、また、助けて……」

 予想はしていた。

 だが、ここまで信用されているとは思わなかった。

 信頼とは重みだ。

 強い信頼は重圧に繋がる。

 だが、それでも。

 一度期待を寄せられてしまえば、裏切りたくなくなってしまうものだ。

 俺は、なかば無意識に、プルの頭を優しく撫でていた。

「かたな……?」

「わかったよ。友達を助けるのは当然のことだしな」

「!」

「やるだけやってみよう。駄目だったらごめんだけど」

「かたななら、きっとできる! わたしもがんばる、ます!」

「そこで噛むのかよ」

「う、見逃してくれなかった……」

「ははっ」

 プルと話していると、思わず笑顔になる。

 不思議な子だと思う。

「そうと決まれば、ハノンの靴底ハノンソルへ向かうぞ。ルインラインが俺たちにその名前を聞かせたからには、コンタクトを取れってことだろ。なら、こういうのは早けりゃ早いほうがいい」

「はい!」

 俺たちは、道行く人々に方角を尋ねながら、一路ハノンソルを目指して歩き出した。

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