1/流転の森 -終 光の花園
「影の魔獣は夜を渡ってきた。なら、どうして魔法で光を出すまで襲ってこなかったんだと思う?」
「え、な、なんでだろ……」
「推測だが、夜じゃ駄目なんだ。あいつ、影が濃いほど力を増すんじゃないか。だから、光の魔法によって濃い影ができた瞬間、嬉々として襲ってきた」
「あ、なるほど」
「確認するけど、狙われてるのはプルで間違いないんだな」
「う、うん。そのはず、です」
なら、まだヘレジナは無事だろう。
ぬか喜びになる可能性もあるから、言葉にはしないけれど。
「プル。あの魔法の光、ここから消せるか?」
「ご、ごめんなさい! 触れば消せるんだけど、る、ルインラインを呼ぶために、めいっぱい高く投げちゃったから……」
「いや、いい。大丈夫だ。なら、光の球を同時に作ることは?」
「同時に?」
「ああ」
「わ、わたしの
「好都合、だ」
ふらりと立ち上がる。
興奮で一時的に麻痺していた痛みがぶり返していた。
「──俺、が、ヘレジナのところへ行ったら、光の球をたくさん作ってほしい。多ければ多い、ほど、いい」
「ど、どうする、です?」
「影の魔獣を、全方位から照らす」
「!」
プルの瞳に理解の光が灯る。
「やる価値──は、ある。……だろ?」
プルが、こくんと頷く。
「俺が魔獣の気を引く。プルは、気付かれないように後か──づッ!」
「か、かたな。もしかして怪我──」
「プル」
言葉を遮る。
今は、それどころじゃない。
「……後から、来い」
「──…………」
悲しげに目を伏せたあと、プルが答える。
「わかった」
いい子だ。
ふらりと立ち上がり、高台へと足を向ける。
短剣が刺さったままの肩が、じくじくと痛む。
血の気が引いて、視界が遠くなる。
最初に黄枠の選択肢を選んだときは、魔獣がヘレジナの影へと潜り込んだ。
ヘレジナは、俺たち三人の中で最も身体能力が高く、武芸にも秀でている。
飛車角を取られたようなものだ。
「ふッ、は、ふう……」
なるべく右肩を動かさないように努力しながら、整備されていない坂道を登っていく。
二度目の黄枠が導いたものは、言うまでもない。
この、右肩に刺さった短剣だ。
命に別状はないものとしても、痛いものは痛い。
黄枠の選択肢でこのありさまなのだから、赤枠ともなれば、致命傷を覚悟する必要があるだろう。
なんとか高台の頂上付近まで辿り着く。
影の魔獣に囚われたままのヘレジナが、目をまるくした。
「──カタ、ナ……! 何故、戻ってきた……!」
思った通りだ。
影の魔獣は、易々とはヘレジナを殺せない。
ヘレジナの肉体を操り、戻ってきたプルを殺すのがいちばん手っ取り早いからだ。
魔獣のくせに随分と頭が回るじゃないか。
だが、その明晰さは、俺たちにとって都合が良かった。
「な、……──に。そんな気分だったんだよ」
「ばか……ッ!」
ヘレジナの体に触手のように絡みついた影が、触れた場所を黒化していく。
否。
黒く染め上げているのではない。
ヘレジナから色を吸い上げ、彼女自身に成り代わろうとしているのだと直感する。
「怪我──してるの、に、どうして来る……! プルさまを置いてまで、どうして……!」
「──…………」
どうしてだろうなあ。
思わず月を見上げる。
エル=タナエルの姿を。
「……憧れたから、かな」
肩に突き刺さった短剣の柄に、手探りで触れる。
そして、
「ぐッ、う、あああああああああああああああああああッ!」
つぷ。
激痛を叫び声で誤魔化しながら、短剣を抜き放った。
「──はッ、はあッ、はあッ、はァ……」
血に濡れた短剣を左手で構え、自分自身に発破をかける。
「お前のご主人さま、強い子だったからさ! 俺もそうなりたいって思っただけだッ!」
そう言い捨て、ヘレジナへ向けて吶喊する。
狙うは足元、影の本体だ。
なかば転がるようにして、ヘレジナの足元へと短剣を振りかぶる。
次の瞬間、
「──ぐぶッ」
潰れたカエルのような声を漏らしながら、俺は宙を舞っていた。
どこか冷静な自分が状況を分析する。
短剣が影に刺さる直前、ヘレジナの爪先が俺のあごにめり込んだ。
そのまま蹴り上げられた俺は、空中で綺麗に一回転し、受け身を取ることもできず地面に倒れ伏したのだ。
「カタナ……ッ!」
蹴り抜かれた顎が痛い。
負担の掛かった首が痛い。
さらに開いた右肩の傷が痛い。
頭蓋の内側で、脳が悲鳴を上げている。
こんなに痛いのなら、
こんなに苦しいのなら、
何もかもを打ち捨てて、尻尾を巻いて逃げてしまえばいい。
【白】逃げる
【黄】逃げない
「──はッ」
思わず鼻で笑い飛ばす。
ふざけた選択肢だ。
「逃げて、たまるか……!」
そう口にした瞬間、世界が色を取り戻す。
痛みも、
苦しみも、
出血も、
恐怖も、
すべて無視して立ち上がる。
「やめろ……。やめ、て、くれ……」
ヘレジナの頬を涙が伝う。
「私に、お前を、殺させないでくれ……!」
鳩尾に衝撃。
「──がッ、ほ!」
肺を満たしていた空気が、一瞬ですべて吐き出された。
崩れ落ちる自分を支えるために短剣を地面に突き立てる。
「はッ、げホッ、はっ、はあ……ッ!」
ぎい、ぎい。
ぎい、ぎい。
影の魔獣が俺を嘲笑う。
いいさ。
勝手に笑ってろ。
側頭部を蹴り飛ばされ、左耳が聞こえなくなる。
肩の傷口を踏みにじられ、激痛に叫び声を上げた気がした。
何かの弾みで口の中に入った砂粒が、じゃりじゃりと不快だ。
「──……嗚呼」
目を硬く閉じ、辛そうに歯を食いしばるヘレジナの姿を見て、痛感する。
俺は無力だ。
俺が本当に異世界ものの主人公だったら、きっと、ヘレジナを泣かせることなんてなかった。
こんな魔獣程度、チート能力で一撃だったろう。
大の字に寝転がり、真夏の太陽じみた明るさの光球を網膜に焼き付かせながら、思う。
俺は主人公じゃない。
能力だって、棚ぼたで与えられたものだ。
どこにでもいる一般人が、なんの因果か異世界に送られてしまっただけ。
だけど、まあ──
「こんな俺にしちゃあ、頑張った、……かな」
それは、
まるで、
光の花園だった。
蛍のような無数の光が高台をひらひらと埋め尽くし、やがて一斉に花開く。
まるで、電球の中にいるかのような光量だった。
無数の光球が世界から影を奪い去り──
黒板を鉄の棒で思いきり引っ掻くような音が、周囲に轟いた。
影がなければ存在し得ないのなら、影をなくしてしまえばいい。
我ながら単純な発想だ。
影は、光の中では存在できない。
俺は確信する。
影の魔獣は、断末魔を残し、消えた。
「はッ、は、ふう……」
すっかり安心しきって上体を起こしたとき、ひどく小さな黒い塊がこちらへ飛来してくることに気が付いた。
なんだ、あれ。
不用意にもその正体を確認しようとした瞬間、
「──口を閉じるといい。体内とて影は影だ」
聞き覚えのない男性の声に、俺は思わず口を閉じた。
背後から腕が伸び、黒い影をあっさりと掴み取る。
「生憎と、火葬の用意しかなくてな」
男性の手が燃え上がる。
閃光と炎に包まれた魔獣は、悲鳴すら漏らすことなくこの世から消え去った。
「──…………」
今度こそ、終わった。
本当に終わったのだ。
張り詰めていた糸が、ぷつんと途切れる。
「詰めこそ甘いが、素晴らしい機転だ。なにより恩もある。プルクト殿とヘレジナを導いていただいたこと、誠に感謝する。儂の名は、ルイン──」
男性の自己紹介をすべて聞くことなく、俺の意識は暗転した。
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