1/赤銅の街道 -2 赤銅の街道
赤銅の街道。
それは、ラーイウラ王国をぐるりと一周する長大な舗装道路である。
その名の理由は至極単純、道路に赤銅色のレンガが敷き詰められているからだ。
また、ラーイウラ国内での交易に極めて重要な街道であるため、国王をして"赤銅の貨幣を生む"と言わしめたことが理由という説もあると、ヤーエルヘルが言っていた。
──かた、かた。
騎竜車が優しく揺れる。
ぐずついた天気だが、それもまた風情だろう。
そんなことを思える程度には、騎竜車での旅路は快適だった。
「それにしても、ぜんぜん揺れないな。前に乗ったときとは大違いだ」
独り言じみた俺の言葉を、ユラが拾って返してくれる。
「ハノンは石畳で舗装されていたけれど、街道は未整備だったものね。すごく快適」
「しかし、これだけの大事業、何年かかったんだろ」
暇なのか、広い車内で柔軟をしていたヤーエルヘルが、あっさりと答えた。
「赤銅の街道がラーイウラを一周するまで、六十年かかったと言われてまし」
「六十年!」
ユラが目をまるくする。
「まあ、かかるよなあ……」
敷き詰められた焼成レンガは、隙間も少なく、草もまばらだ。
丁寧に敷かれたことが窺える。
「そんなにかかったら、国庫が空になりそう」
パレ・ハラドナの皇族であったユラならではの視点だ。
「それがでしね。ラーイウラの歴史上、最も景気のよかった時代が、その六十年間だそうなのでし。人足はほとんど奴隷だったとは言え、フシギでしよね」
「いや、自然なことだよ」
大学で経済学の講義を取っていたので、なんとなくわかる。
「外貨の入ってこない内需国にとっての好景気って、どれだけ金の巡りが良いかなんだ。街道の整備という公共事業で国から支払われた金が、国民の消費行動を誘発し、経済が回る。ただし、ここで国庫を気にしてさらに貨幣を発行すると、インフレ一直線なんだけどな」
「いんふれ?」
ユラとヤーエルヘルが、並んで小首をかしげた。
「簡単に言うと、物価が上昇し、貨幣の価値が下がった状態のこと。俺の世界のとある国では、旅行鞄いっぱいの紙幣でコーヒー一杯しか飲めないってことが、本当にあった。もっとも、これは、敗戦時の賠償金のせいだけど」
「はー……」
ヤーエルヘルが、感心したように頷く。
「六十年も続いた好景気で過度なインフレにならなかったなんて、当時のラーイウラの統治者はよほど有能だったのかもしれないな」
公共事業に際し、貨幣を発行せずに賃金を支払い続けるためには、税収を増やさねばならない。
好景気に水を差さない程度に税金を徴収するとなると、相当なバランス感覚が必要だ。
さすがは数百年続く内需国と言ったところだろう。
「カナトは、あらゆる学問に通じているのね」
ユラの言葉に、痒くもない頬を掻く。
「そんなことないって。全部、すこしかじっただけ。俺のいた国だと、義務教育ってのがあって、子供は漏れなく学校に通わなくちゃならないんだ。ほとんどの人は、短くとも、小中高と十二年間は勉強し続ける。だから、浅く広く物事を知ってるだけなんだ」
ヤーエルヘルが目を輝かせる。
「カナトさんの国は、きっと素晴らしい国なんでしね。それだけ教育が行き届いてるなんて、
「はは……」
実のところ、諸手を挙げて素晴らしいと断言できる国ではない。
だが、誰でも読み書き算数ができて、好きな勉強を好きなだけ行える下地があるということは、とても恵まれたことなのかもしれない。
「ところで、こっちの世界の学校ってどうなってるんだ?」
ユラが答える。
「わたしも通ったことはないから聞きかじりになるのだけど、大きな街には、五歳から入れる民間の塾が何個もあるんだって。そこで、読み書きと簡単な計算、世界に関する知識や、基本式の魔術なんかも教えてくれるみたい。もう大丈夫と先生が太鼓判を押したら、塾は卒業。その後は進路を決めて、場合によっては術士を目指して教室の門を叩く。その職業に就くか、師範になって教室を開くかは好みだね。兼業をしてる人もたくさんいるみたいだし」
「なるほどなあ」
サンストプラの識字率は、それほど低くないように感じる。
義務教育とは行かずとも、子供は塾へ通うものという常識が根付いているのだろう。
ユラが、ヤーエルヘルに尋ねる。
「トレロ・マ・レボロも同じ?」
「そのはずでし。でしが、あちしは塾には通っていなかったので、なんとも」
すこし驚く。
「通ってなかったのに、それだけの知識があるのか」
「あちしの知識はすべて、師に教わったものでし。読み書きも、計算も、魔術も。筋金入りの旅人で、なんでも知ってるひとでしたから」
「教わったこと、全部覚えてるの?」
「はい、覚えてまし」
「お師匠さんもすごいけど、やっぱヤーエルヘルもすごいな」
「そうでしょうか……」
ヤーエルヘルがてれりと笑う。
「──あ、そうだ」
何事か思いついたのか、ユラが、御者台へ続く小さな引き戸を開く。
すると、涼やかな風と共に、御者をしているヘレジナの小さな背中が見えた。
「ヘレジナ」
ヘレジナが首だけで振り返る。
「いかがなさいました、ユラさま」
「ヘレジナって、子供のころ、塾に通ってたのかなって」
「はい、通っておりました。皇都のスクールに十年ほど」
「十年って、また長いな……」
「ふふん。このヘレジナ=エーデルマンは、皇都で最高の教育を受けた才媛なのだ。崇め奉るがよい」
「あ、でもカナトさんの国は十二年って──」
「しー!」
ヤーエルヘルの唇に、立てた人差し指を押し付ける。
「む!」
唇の前で止めるつもりが、思わず勢い余ってしまった。
「じゅうにねん……」
正確には、大学に一年通っているから、十三年だ。
「いや、ほら、教育って質だからさ。長期間勉強したからって偉いとかすごいってわけじゃないのは、ヤーエルヘルを見ればわかるだろ」
ヘレジナが苦笑する。
「気を遣わずとも構わん。そんなこと、大して気にも留めん」
「……そっか」
余計な気を回してしまった。
「それより、そろそろ野営の準備をせんとな」
ヘレジナの肩越しに外を見やる。
騎竜車の中はユラの灯術で明るいために気付かなかったが、既に太陽が沈みかけていた。
「旅程は順調?」
「ああ。川を一本、村をひとつ越えたから、現時点で五分の一ほど進んだことになる。昼過ぎに出立したのだから、思った以上に順調だ。これならば、三日余りでラーイウラを抜けられるだろう」
「街道が整備されてるのが大きいよな。心なしか、騎竜も走りやすそうだ」
ユラが、ほんのすこしだけ表情を曇らせる。
「でも、半端なところで野営するのは不安だね。宿に泊まる必要はないけど、街の近くのほうがよかったかも……」
「いえ、一概にどちらが良いとは言い切れないでしょう。街は人が多いから危険ですし、街道は人が少ないから危険と言えます」
ヘレジナの言葉に、ヤーエルヘルが目をぱちくりさせる。
「どういうことでしか?」
「私たちは、旅人狩りの実態を知らない。村ぐるみ、街ぐるみで行っている可能性もある。であれば、街は危険だ」
「ふんふん」
「そうでなければ、街道で張ったり、巡回して、人気のないところで襲うのが定石だろう。であれば、街道も危険だ」
「なるほど……」
「いずれにしても危険であれば、進めるだけ進んで、最短で抜けるのが最善と言える」
さすがヘレジナ、的確な判断である。
「悪いが、カナトには寝ずの番をしてもらう。御者ができるのは私しかいないのでな」
「ああ、もちろん。そのために車中で休んでたんだから」
昼寝もしたし、準備万端だ。
「ねえ、ヤーエルヘル。わたしと順番で起きて、カナトの話し相手をしよっか。ひとりだと眠くなっちゃうと思うし」
「いい考えでしね!」
「ありがたいけど、いいのか?」
「わたしも、カナトと話したいし……」
「……そっか」
照れる。
「エロバカナト案件を起こせば、騎竜車から追い出すぞ。ゼルセンの馬車にでも乗せてもらうことだな」
「しないってば!」
どうにも信用がない。
「いまさら咎め立てはしないが、そもそも女人と同じ空間で寝起きするのも、本来であれば許されざる行為なのだぞ」
「あー……」
特に意識してなかったけど、たしかにそうだ。
「ちょっとデリカシーが足りなかったかな」
「いまさら離れられても、こちらが困る。カナトだから許すのだ。それを忘れるな」
「うん、カナトだからいいの。カナト以外はだめ」
「はい。あちしも、カナトさんなら気になりません」
「──…………」
なんか、めっちゃ嬉しい。
この信頼を裏切ってはいけないと、強く思う。
「この木立を抜けてしばらくしたら、そこで野営とする。ヤーエルヘル、飼い葉を用意しておいてくれ。騎竜も腹を空かせていることだろう」
「わかりました!」
本当に心地よい旅路だ。
水も、食糧も、飼い葉も、薪も、軽く十日分の備蓄があるため、不安はない。
なにより、三人と話しているのは、本当に楽しかった。
これで旅人狩りの危険がなければ最高なのだが、そうそう上手く運ばないのが現実だ。
せめて、三人が気兼ねなく休めるよう、目を光らせておこうと思った。
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