異世界は選択の連続である ～自称村人Ａ、選択肢が見える能力"羅針盤"に叛逆し自らの力のみでヒーローを目指す～

１／赤銅の街道 -3 街道の夜

　──パチ、パチ。

　焚き火の中で、薪が爆ぜる。

　炎が夜闇を追いやり、傍にいる俺たちを赤橙色に染め上げていた。

「美味い……」

　鉄串に刺さった焼きたての鳥肉は、豆醤の壺に漬けておいたものだ。

　パリパリの皮を食むと、肉汁が溢れ出す。

　垂れ落ちそうになるそれを啜りながら、俺は思わず顔をほころばせた。

「よかった」

　ユラが破顔する。

「すげー美味いよ、これ。豆醤に漬けただけじゃないよな」

「うん。壺から出したあと、いろんな香草を擦り込んだの。豆醤の風味を邪魔しない程度に」

「おいひいれしー……」

　ヤーエルヘルが、ほっぺたが落ちそうな顔をする。

「さすがユラさま。初めて豆醤を使ったとは思えません」

　ヘレジナの賞賛に、ゼルセンが冗談めかして追随する。

「ええ、これは絶品です。ユラさんはお店を出せますね。仕入れの際には、是非、この私を御指名ください」

「ふふ、そのときはお願いします」

「しかし、夕食までいただいてしまって。まさか道中で、これほど本格的な料理が食べられるとは思いもしませんでしたよ」

「手間はさほどかけていません。もともと、豆醤が優秀な調味料なんです。ラーイウラも、輸出してくれたらいいのに……」

　思わず頷く。

「それ、ほんと思うよ。買い付けに来るのだって命がけだもんな」

「遺物三都では、ある程度出回ってたみたいでし。あそこはひとつの街みたいなものでしから」

「面白い街だったよな。時間さえあれば、もうすこし観光していきたかったんだけど」

　ユラが、肉のなくなった俺の鉄串を見て、言う。

「カナト、もうすこし食べる？」

「食べる食べる」

「はい」

　豆醤と香草の擦り込まれた鳥肉が、ユラの操術によって俺の鉄串に深々と刺さる。

　炎術の炎が鳥肉を包む。

　外側と内側の両面から加熱された鳥肉が、あっと言う間にカリカリに仕上がった。

　焼けた豆醤の芳しい香りが、周囲にふわりと漂っていく。

　そのとき、

　──ガタッ

　ゼルセンの馬車のほうから物音がした。

「──…………」

　ヘレジナが無言で双剣の柄に手を掛ける。

　俺も、鉄串の刺さったままの鳥肉を横からくわえながら、いつでも神剣を抜けるように体勢を整えた。

「──ああ、すみません。大丈夫です。あれは、私の荷物です」

　ヘレジナが不審そうに尋ねる。

「荷物？」

「ええ。私も、中身は見ていないのですが……」

　ほんのすこしだけ言い淀んだあと、ゼルセンが言葉を継ぐ。

「配達先は、ウージスパインの魔術大学校。どうやら実験に使う生物のようでして、急ぎの理由もそのあたりではないかと」

「なるほど……」

　納得はできる。

「……危険はないのだな？」

「はい。とりあえず、木箱から出るほどの力はないようです。もっとも、出られては困る。危険を冒してまで配達しているのですから」

　ヤーエルヘルが、不安そうに口を開く。

「何が入ってるのでしかね……」

「うーん」

　しばし思案し、答える。

「実験に使うんなら、もしかすると魔獣とかなんじゃないか？」

「可能性はあるな。魔獣の生態は、いまだわからないことだらけだ。魔獣に関しては、学士よりも、魔獣使いのほうが詳しいのだろうが」

「魔獣使いか……」

　流転の森で俺たちを襲った影の魔獣は、魔獣使いが操っていたものだ。

　そう、ヘレジナが言っていた。

「そもそも、魔獣使いって、どうやって魔獣を飼い慣らしてるんだ？　そういう魔術があるのか？」

「正直、わからん」

　ヘレジナが肩をすくめる。

「魔獣使いの一族に伝わる秘術であるとか、神代の魔術具を使っているとか、まことしやかに囁かれてはいるが、どれが真実なのかは本人たちに聞かねばな。魔獣使いが操れる魔獣は一体だけ、というのも、有名な俗説に過ぎない。彼奴らは秘密主義ゆえ、よほどの奇縁がなければ、真実を知る機会はないだろう」

　ユラが、右隣に視線を向ける。

「ヤーエルヘルも知らないの？」

「しみません、あちしも聞いたことないでし」

「そっか」

「はは、わからないことはとりあえずヤーエルヘルに聞くのが常套になってきたな」

「ヤーエルヘルは、よく物事を知っている。当然だ」

「えへへ……」

　ゼルセンが、ヤーエルヘルに微笑みかける。

「まだ幼いのに、素晴らしいことです。将来は大物になることでしょう」

「ええ、きっと」

　ヤーエルヘルが褒められて嬉しいのか、ユラが得意げに頷いた。

　同感だ。

　ヤーエルヘルがどこまで一緒に来てくれるのかはわからないが、その成長を間近で見られるのは喜ばしいことだった。

　俺は、ヤーエルヘルのことを、妹のように感じている。

　彼女が笑えば嬉しいし、もし彼女が泣くのなら、泣かせたやつを許すつもりはない。

　出会ってほんの数日なのに、不思議だ。

　もっとも、ユラやヘレジナとだって、知り合ってからまだ一ヶ月しか経っていない。

　相手に抱く感情は、必ずしも、共に過ごした時間とは比例しないのだろう。

「──では、私は馬車へと戻ります。何かあれば気軽に声を掛けてください」

　ゼルセンの言葉に、頷いて答える。

「わかった。俺は火の番をしてるから、物音とか気配を感じたら言ってくれ。対処する」

「頼もしいですね。では、そのように」

　ゼルセンが一礼し、すこし離れた位置にある馬車へと戻っていく。

　それを見送ったころ、

「──……あふ」

　ヘレジナが、珍しくあくびをした。

「ずっと御者してて疲れたろ。寝ていいよ」

「そうさせてもらう……」

「ちゃんと歯磨きするんだぞ」

「わかっている。子供ではない」

　すねたように言って、ヘレジナが立ち上がる。

「ユラさん。カナトさんの話し相手、あちしが先でいいでしか？　昼間うとうとしてたから、あまり眠くなくて」

「うん、お願い。眠くなったら声を掛けてね」

「わかりました」

「カナト、ヤーエルヘル。おやすみなさい」

「ああ、おやすみ」

「おやすみなさい」

　寝る準備を整えたふたりが、騎竜車へと乗り込んでいく。

　毛布もあるし、寒くもない。

　快適に眠れることだろう。

「──…………」

「──……」

　パチ、パチ。

　焚き火に薪をくべていく。

　火法や炎術による炎は、長続きしない。

　種火にしかならないのだ。

　だから、こうして、薪が必要になる。

「ヤーエルヘルは、楽しい？」

「？」

　ヤーエルヘルが、小首をかしげる。

「俺たちと一緒に来て、さ」

「もちろんでし」

「そっか」

　ヤーエルヘルが、思い出を探るように夜空を見上げる。

「──フシギなんでし。あちし、けっこう人見知りで。師とも、ウガルデさんとも、初めてパーティを組んだひとたちとも、最初はほとんど話すことすらできませんでした。師のときは、特にひどくて。拾われてから、初めて言葉を交わすまで、一ヶ月くらいかかったと思いまし」

「そうだったんだ」

「だから、カナトさんたちと出会ってまだ数日しか経ってないのが、信じられなくて……」

「濃かったもんなあ。ルルダンさんの屋敷を半壊させて、迷宮で宝を見つけ出して、ペルフェンで石竜と戦ってさ。人によっては一生分の大冒険じゃないかな」

「はい。まるで物語や歌劇のようで、わくわくどきどきして。カナトさん、ヘレジナさん、ユラさん──三人とも、すごく優しくて」

　ヤーエルヘルが、俺の顔を覗き込む。

「出会えてよかった。そう、思いまし」

「──…………」

　ヤーエルヘルの目を見つめる。

「俺も、ヤーエルヘルと出会えて、よかったと思うよ。無防備なユラの守り手としてもそうだけど、なんだろうな。四人だとしっくり来るっていうかさ。上手く噛み合ったパズルのピースみたいな気がしてる」

　ヤーエルヘルが、微笑んだ。

「ちょっとわかるかも」

「それに、ヤーエルヘルは可愛いしな」

「！」

　ヤーエルヘルの頬が、焚き火の炎でも誤魔化せないほど朱に染まる。

　そして、おもむろに、獣耳隠しの帽子を取った。

「……その」

　上目遣いで、言う。

「耳、触りましか……？」

「いいの？」

「たまになら、って言いましたし……。それに、いまなら、ユラさんもヘレジナさんも見てませんから」

「わかった」

　恐る恐るヤーエルヘルの頭を手を伸ばし、獣耳に触れる。

「ふ」

　ヤーエルヘルが、鼻にかかった吐息を漏らした。

　滑らかで、薄く、実家の猫を思わせる獣耳が、触れるたび、ぴくぴくと動いた。

「くすぐったい、でし……」

「──…………」

　なんか、妙な雰囲気になってきた。

　このままでは、また、エロバカナト案件とか言われそうだ。

「はい、おしまい。ありがとうな」

　手を引っ込めて、帽子をかぶせてやる。

「……えへへ。男のひとで耳を触らせたの、カナトさんが初めてでし」

「あれ、お師匠さんは？」

「師は女性でし。男勝りのひとでしたけど……」

「そうなんだ」

　勝手に男だと思い込んでいた。

「お師匠さんって、どんな人だったの？」

「ええと、すこし長くなりましけど、いいでしか？」

「もちろん。時間は朝まであるんだから」

「なら──」

　ヤーエルヘルが話し出そうとしたときだった。

　物音。

　足音。

　囁き声。

「──…………」

　神剣の柄に手を掛ける。

　ヤーエルヘルもまた、いつでも開孔術を放てるように、右手の人差し指と中指を揃えた。

　警戒することしばし。

「……なんだ？」

　風上から、どことなく甘く、病院を彷彿とさせる香りが漂ってきた。

　なんの匂いだろうと深く息を吸い込んだとき、

　──くら、と。

　体中から力が抜けた。

「かな、と、さ──」

　ヤーエルヘルの言葉を最後に、

　俺の意識は断絶した。

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