2/ロウ・カーナン -8 蟲の魔獣

「枝道が発見されたのは、地下二十七階。魔力マナで起動する昇降機があるから、地下二十二階まで降りて、そこからは足を使って。もし地図が欲しいなら、外でたむろしてる連中に話し掛ければいいわ。二十アルダンも出せば、そこそこ新しい地図が買えると思うから」

「地図……」

 言われてみれば必要だ。

 あからさまに重要なアイテムなのだが、到底手が出ない。

「どうする? やっぱり、ロウ・カーナンのギルドですこし稼いでから来ようか」

「賛成でし」

「だが、時間がない。最低限ではあるものの、帰りの保証はあるのだから、このまま挑むのもひとつの手ではあるまいか」

「でも、そもそも枝道の場所がわからないと……」

 俺たちが作戦会議をしていると、受付の女性が呆れたように言った。

「すぐ下まで魔獣が溢れてるって話したでしょう? このまま相談したいのなら、"扉"はいったん──」


 ──……ゥンッ


 最初は、音。

 次に、気配。

 最後に、姿。

 "扉"の下から、体長十センチほどの黒いものが無数に飛び出した。

「な、あ──……」

 それは、歪み、ねじくれた、奇怪な虫の群れだった。

「ひっ!」

 ヘレジナがうわずった声を上げ、受付の女性が小さく呟く。

「蟲の魔獣……!」

 "蟲"で"獣"とは妙な響きだが、そう呼ぶものなら仕方がない。

「カナト! ヘレジナ! 気を付けて!」

 蟲の魔獣の数は多く、"扉"を閉じる暇はないように思われた。

「お姉さん、逃げてくだし!」

「わ、わかった!」

 ヤーエルヘルに促され、受付の女性が外へ駆け出していく。

「ふたりも受付さんと一緒に!」

「でも──」

「早く!」

「……わかった!」

 ユラとヤーエルヘルが出入口へ向かうのを確認し、安堵の息を漏らす。

 ここで食い止めねば、ロウ・カーナンの人々に被害が出る。

「ヘレジナ! 何か手はない!?」

「ちょおッ、ま、待ってくれ! 虫が……!」

 ヘレジナが、不格好なタップダンスを踊りながら、襲い来る虫を次々と避けていく。

 仕方がない。

「──…………」

 集中。

 集中だ。

 腕を這う虫を意識の外へ追いやる。

 発達した顎で皮膚を噛み千切られる痛みを無視する。

 虫に煙る空間に身を置いている恐怖を克服する。

 そして、ほんの一呼吸で、限界まで感覚を尖らせた。


 時が、流れを緩める。


 ゆっくりと、

 ゆっくりと、

 眼前を横切る蟲の魔獣の一体を、居合いの要領で両断した。


 一閃、二閃、三閃、四閃──


 舞うように刃を走らせる。


 八閃、十六閃、三十二閃、六十四閃──


 神剣の一振りごとに、二、三体の虫を斬り潰す。

 だが、それも雀の涙だ。

 蟲の魔獣は、一向に減らない。

 ジリ貧だ。

「ヘレジナ! ……ヘレジナ! 早いとこ冷静に──」

「きゃあ!」

 ヘレジナが、自分のスカートを押さえつける。

「む、むし! むし、スカートにはいったあ……!」

 涙目だった。

「ああ、もう……!」

 俺は、十メートルの距離を三歩で詰めると、ヘレジナの前で膝をつき、躊躇なくスカートをまくり上げた。

「──!?」

 下着が丸見えになるが、気にしてはいられない。

 俺は、ヘレジナの内ももを這っていた蟲の魔獣を手掴みにすると、宙に放り投げ、神剣の一振りで唐竹割りにした。

「ヘレジナ、火法を! "あれ"をやる!」

「──……え、」

 顔を真っ赤に染め、目尻に涙を浮かべたヘレジナが、思い切り叫んだ。

「えッ、え、エロバカナト────ッ!」

 ヘレジナが伸ばした両腕の先から、火法の炎が溢れ出す。


 そして、

 俺は、

 放たれた炎を、

 神剣で真っ二つに断ち割った。


 まばたきのうちに、折れた神剣が火法の炎を纏う。

 失われたはずの刃先が、炎によって形作られる。

 炎の神剣。

 ルインラインが使っていたものだ。

「よし……ッ!」

 炎の神剣を振るう。

 刃先から溢れ出た炎が、蟲の魔獣を焼灼する。

 炎が剣の軌跡を描き、その残像すらも魔獣を焼き殺すに十分だった。

 だが、炎の神剣を以てすら、この数では切りがない。

「──ッ!」

 ふと妙案が浮かび、俺は駆け出した。

 ホールの内周に沿って、走る。

 ホールをぐるりと一周したころ、神剣の明かりに釣られてか、ほとんどの虫がこちらへ向けて飛んできていた。

 さらに半周、十分に引きつけたのちに切り返し、壁に向かって全速力で駆ける。

 ──跳躍。

 一歩、

 二歩、

 三歩──

 垂直の壁を駆け上がる。

 地上五メートルの高さで壁を蹴り、宙に舞う。

 そして、蟲の魔獣の大群の真上から、地面へ向けて真っ逆さまに落ちていった。

 密度が高すぎて床すら見えない虫の群れ。

 だが、それは、蟲の魔獣が一ヶ所に集まっていることの証左でもある。

 俺は、炎の神剣を大きく振りかぶると、くうを斬った。

 炎が疾る。

 剣速と比例し勢いを増した業火が、まとまっていた飛んでいた蟲の魔獣のほとんどを、一瞬で焼き尽くした。

「──だッ!」

 体をひねり、尻から着地する。

 猫のようには上手く行かないものだ。

 尻をさすりながら立ち上がると、仕留めきれなかった蟲の魔獣の群れが、小城の外へと逃げていくのが見えた。

 一匹一匹はさほど強くない。

 大群でなければ、そうそう悪さもできないだろう。

 呼吸を整えていると、神剣から炎が掻き消えた。

 神剣に炎を纏わせるためには、必ずしも、自分で火法を使う必要はない。

 だが、その場合、ほんの二十秒足らずで炎が尽きてしまう。

 使いどころの難しい武器だった。

「──カナトッ!」

「カナトさん!」

 小城の出入口からこちらを覗いていたユラとヤーエルヘルが、心配そうに駆け寄ってくる。

「ふたりとも、怪我はなかった?」

「ないでし!」

「カナト、あちこち血が出てる。噛まれたのかな……」

「……あんまり気にしてなかったけど、思い出したら痛くなってきた……」

「いま治癒術をかけるね」

「うん、ありがとう」

 ホールの壁に背を預け、床に腰を下ろす。

 ユラの治療を受けていると、いまだに頬の赤みが抜けていないヘレジナが、躊躇いがちにこちらへと歩み寄ってきた。

「……ごめん、ヘレジナ。他に方法が思いつかなくてさ」

「いや、いいのだ。カナトは素晴らしい働きをしてくれた。私が憎むべきは、自らの未熟だ。私は心が弱い。たかだか虫程度で冷静さを欠くとは、自分で自分が恥ずかしい……」

 以前、流転の森で、巨大なムカデを"銀琴"で真っ二つにしていたことがあったから、単純に虫が苦手というわけではないのだろう。

 実のところ、ヘレジナの気持ちはわかる。

 とてもわかる。

「……正直、あの見た目であの数はきついって。俺だって鳥肌立てながら戦ってたもん」

 はっきり言って、二度と相手にしたくない。

「だが、カナトは動けた。私は動けなかった……」

 俺の治療をあらかた終え、ユラが立ち上がる。

「ヘレジナ=エーデルマン」

「は」

 ヘレジナが反射的に片膝をつく。

「一度の失敗が死を招く。一瞬の逡巡が仲間を危険に晒す。それは、わかっていますね」

「……はい」

「ですが」

 ユラが、微笑みを湛える。

「失敗しなかった他の場面での活躍は、報われて然るべき。評価されて然るべきだとわたしは思います」

「──…………」

「ヘレジナ、いつもありがとう。だから、そんなに自分を責めないで」

 ヘレジナが、目元を軽く拭う。

「ありがとう、ございます……!」

 ヘレジナは主に恵まれたし、ユラは従者に恵まれた。

 ふたりは、眩いほどの絆で繋がっている。

「……俺もさ、もっと強くなるから。ヘレジナに負けないくらい。そしたら、ヘレジナもすこしは楽できるだろ」

「まったく……」

 ヘレジナが苦笑する。

「そんな殊勝なことを言われたら、負けてなどいられないではないか」

「ヘレジナに頑張られると、追いつけないんだけど……」

「男なら、それでも追い越してみせるがいい」

「あちしも頑張ります!」

「じゃあ、わたしも頑張ろうかな」

 向上心の強いパーティだった。

 そんな会話を交わしていると、

「──…………」

 受付の女性が門の外から小城を恐る恐る覗き込んでいるのに気が付いた。

「もう大丈夫。あらかた殺したよ。すこし逃がしちゃったけど……」

「……あの量を、この短時間で……?」

 受付の女性が、目を見張りながら、ホールを見渡す。

 蟲の魔獣の死体が溶け、タール状の粘液となって床を汚していた。

「これは、掃除が大変そうね……」

「ギルドに依頼を出せばいいよ」

「受けてくれる?」

「時間がなくて……」

「──ともあれ」

 受付の女性が、ホールに足を踏み入れる。

「これで、道を塞ぐ魔獣はいなくなった。今なら枝道まで行けるかも。一攫千金を狙うなら、他の冒険者たちが気付く前に潜ったほうがいいと思うわ」

「でも、地図が」

「待ってて」

 受付の女性がホールの奥の扉へ向かい、数分ほどで戻ってくる。

「これ、五年以上前のだけど、迷宮の地図。枝道への分岐にしるしをつけておいたから、参考にして」

「いいのか?」

「助けてくれたお礼。ついでに、魔獣を倒したことは、しばらく隠しておいてあげる。"扉"から魔獣を溢れさせたなんて知られたら、私の責任問題にもなるし」

「──…………」

 周囲を見渡す。

「……この汚れは、どう言い訳するんだ?」

「とぼけるわ」

 いや、それで済むならいいのだけれど。

「ともかく、ありがとう。助かるよ」

「ええ」

 受付の女性が、右手の甲をこちらへ向け、一礼する。

「──あなたたちの旅路に、サザスラーヤの導きがあらんことを」

 サザスラーヤ。

 たしか、エル=タナエルの生み出した陪神の一柱だ。

 ラーイウラではサザスラーヤ信仰が盛んなのかもしれない。

「……行こう」

「うん」

「ああ」

「はい!」

 俺たちは、"扉"の下の階段へと足を踏み入れた。

 果たして何が待っているのか。

 不安と期待を等分に抱きながら。



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