3/地竜窟 -6 俺は、あの子のヒーローだから

 人生とは、選択の連続だ。


 七十六億の人間が選び取った七十六億のより糸が、歴史という名の縄を形作る。

 過去は変えられない。

 歴史は揺るがない。

 だから、俺は、悔いのない人生を送りたかった。


「──……?」


 気がつけば、俺は、歩道に立っていた。

 チリンチリンと鈴の音を鳴らしながら、すぐ横を自転車が駆け抜けていく。

 白昼夢を見ていた気がする。

 心躍るような、満たされるような、それでいて身も凍るほど恐ろしいような──


 そんな、夢だった。


 ふと、思い出す。

 そうだ。

 最寄りの本屋に、雑誌を買いに行くところだったのだ。

 後頭部を掻きながら歩き出すと、


「──ダイゴロー! 待って! 待ってえ!」


 車道を挟んで反対側から、少女の甲高い声が響いた。

 思わずそちらを振り返る。

 すると、リードを引きずりながら走るミニチュアダックスを追って、小学生くらいの少女が車道へ飛び出すところだった。

 車道の真ん中で立ち止まったミニチュアダックスを、少女が抱き締める。

 ああ、馬鹿。

 危ないよ。

 そんなところでうずくまったら──


 ほら、車が来た。


 ワゴン車だ。


 このままでは、


 このままでは、


 ──駆け出す。


 迷いはない。


 少女を突き飛ばし、事故の衝撃と共に意識がすこし飛ぶ。


「──ふ、うッ……! ごめ、なさ……、ごめん、なさい……!」


 見知らぬ少女の声が聞こえる。

 泣くなよ。

 大丈夫だから。

 激痛を無視し、折れ曲がった腕を上げて少女の涙を拭う。


「……大、丈夫」


 視界が徐々に暗くなっていく。

 少女の声も、遠くなっていく。


「俺は、ヒーロー、だから──」


 そう。

 俺は、あの子のヒーローなのだから。




【青】目を開く


【黒】目を開かない




 失われた感覚を寄せ集め、

 俺は、

 全身全霊を込めて目蓋を開いた。




「──カナトッ! 逃げて! わたしはいいからッ!」

 涙交じりの声が聞こえる。

 俺は、すべてを理解する。

 すぐに、すべてを忘れ去ることも。

 "羅針盤"は、予知能力なんかじゃない。

 一度選んだ道なのだ。

 選んだ先の未来でバッドエンドを迎え、どこかの時点へ巻き戻る。

 そして、また、同じ場面に遭遇したとき、過去の記録を参照して、その先で何が起こるかを選択肢として表示する。

 覚えていないだけで、何百万回、何千万回と、この物語を繰り返し続けているのだ。

 たったひとつの未来──ユラと共に生き延びる未来を目指して。


 そうなんだろう、エル=タナエル。

 だから俺は、こんなにもあの子に焦がれている。


「嫌でも助ける。命に代えても」

「ばか……!」

 ユラの顔が、涙でくしゃくしゃに歪む。

 誰かのために自分を犠牲にできる人間こそ、生きて幸せにならなければいけない。

 矜持だ。

 ユラとヘレジナの生き方を、散っていったふたりの命を、幾度も幾度も繰り返し見続けてきた俺に芽生えた、矜持だ。

「"羅針盤"。選択肢を作り出し、未来へ導く能力か」

 ルインラインが、炎の神剣を構える。

「であれば、すべての未来を殺せばいいのだろう」

 未来はさ。

 選択肢はさ。

 本当は、無限にあるんだ。

 いくらあんたが超人だとしても、無限の未来すべてを叩き潰すことはできないんだよ。


 真実を忘れていく。

 両手ですくった砂のように、記憶からこぼれ落ちていく。


 ──さあ、ひとまず百万回は頑張ろうか。



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