3/地竜窟 -5 【黒】

 数え切れないほどの選択肢の果て、ようやく目が慣れたころに辿り着いたのは、ボロボロの赤絨毯が敷かれた大広間だった。

「──はッ、は、はあッ……!」

 ユラを下ろし、俺の上着を羽織らせる。

 そして、岩壁に背を預けたまま、ずるずるとその場に座り込んだ。

「どうして……」

 ユラが、ぽつりと呟くように言った。

「どうして、わたしを助けたの……」

「……!」

 ユラの手首を引っ掴み、無理矢理に抱き寄せる。

「本気で聞いてるなら、さすがに怒るぞ」

 腕の中で、ユラが目を伏せる。

「……ごめ、なさい……」

「──…………」

 高鳴る鼓動をそのままに、口を開く。

「……楽しかったからだ。ユラと一緒に過ごすのが、楽しかった。頼ってくれるのが、嬉しかった。嫉妬する姿が、愛らしかった。この先も、ずっとこの子と一緒にいたいと思った。元の世界なんて、どうでもよくなるくらい」

「──…………」

「ユラは、楽しくなかった?」

「たの、し……」

 そこまで言って、ユラが口をつぐむ。

 仕方ない。

「──俺は、村人Aだ」

「村人……?」

 ユラが、きょとんとする。

「村の入口に立って、話し掛けてきた勇者に答える。ここはナントカの村です、ってね。そのために生まれて、そのために生きて、何も成さずに死ぬ。世界の脇役だ。俺は、それでいいと思ってた。そう在るべきだと思ってた。どこかの誰かの旅路に彩りを添えられれば、それだけで満足なんだって」

「──…………」

「でも、気づいたんだ。それは、諦めるための言い訳だ。怠惰を正当化してるだけだ。本当は、憧れてた。俺は──」

 ユラの体を掻き抱き、言葉を絞り出す。

「俺は、ヒーローになりたかったんだ」

「カナト……」

「……ハルユラ=エル=ハラドナじゃない、ただの"ユラ"に言うよ」

「うん」

「俺に、君を、助けさせてほしい。俺と一緒に生きてほしい。君のことが、好きなんだ」

「──…………」

 ユラが、俺の胸に、真っ赤な顔を埋める。

「……わたし、も」

「も?」

「わたしも、す、す──……」

「す?」

「──…………」

「──……」

「き……」

 ヤバい。

 可愛い。

 このまま押し倒してしまいたいくらいだったが、さすがにそれどころではない。

「ありがとな」

「!」

 ユラの額にキスをして、立ち上がる。

「あとは、あのわからず屋を説得するだけだ」


 ──どさっ


 米袋を投げ落とすかのような重い音に、思わずそちらを振り返る。

「わからず屋とは、儂のことかね」

 ユラを下がらせ、かばうように立つ。

「ユラ、明かりを」

「はい!」

 灯術の明かりが、大広間の全貌を露わにする。

 だが、そんなものはどうだってよかった。

「ヘレジナ……ッ!」

 ユラが、引き攣った声で、ヘレジナの名を叫ぶ。

 血まみれのヘレジナが、ルインラインの足元に襤褸切れのように転がっていた。

「なあ、ハルユラ殿。贄となる前に、ヘレジナの傷を塞いでやってくれんか。血を流し過ぎた。このままだと、死んでしまうかもしれんのでな」

「……ッ!」

 ユラが駆け出し、ヘレジナの前で膝をつく。

「ありがとう」

「──…………」

 ぎり、と。

 俺の奥歯が軋みを上げる。

「そんなに睨まんでくれ、カナト殿。思っていたより強くなっておってな。加減ができなんだ」

「……ふたりから離れてくれ。ユラも、あんたが近くにいたら集中できないだろ」

「そうさな」

 ルインラインが、ユラとヘレジナから大きく距離を取る。

「それで、ハルユラ殿はたらし込めたかね」

「──……!」

 あまりの言い草に、怒りで目の前が暗くなる。

 落ち着け。

 深呼吸をしろ。

「……あんたは、こんな時でも、いつも通りなのか」

 ルインラインが肩をすくめる。

「儂は、いつだってこんなものだよ」

「ユラは殺させない」

「腕尽くで止めるかね?」

「アリに、竜へ挑めってのか」

「構わんよ。なあに、殺しはしないさ。胸を借りるつもりで挑んでみては如何かな」

「……殺す価値もないと」

「殺す理由がないのだ。儂は、ハルユラ殿の"遺言"通り、カナト殿とヘレジナをパレ・ハラドナへと送り届けねばならない。それが、死にゆくハルユラ殿への、せめてものはなむけなのだ」

「──…………」

 考えろ。

 考えろ。

 死ぬ気で言いくるめろ。

 ルインラインの自我の礎はなんだ。

 そう。

 それはきっと、陽の光の射さぬ世界で出会った、運命の──

「……エル=タナエル」

「む?」

「あんたはエル=タナエルの信徒だ。皇巫女の神託は決して外れない。それは、運命を司るエル=タナエルの言葉そのものだからだ」

「その通りだ。我が神は、皇巫女を通じてその意を伝える。その言葉に間違いはない。間違いなど、あるはずがない」

「そうかもしれない」

「事実、そうなのだ」

 無理矢理に口角を吊り上げ、ルインラインの双眸を見つめる。

「──ただし、その神託が本物だったなら」

「ほう」

 ルインラインが、片眉を動かした。

「エル=タナエルの言葉に間違いはない。あんたはそう言った。だが、事実として間違っている部分がある」

 神託の一言一句までを思い出し、口を開く。

「あんたは地竜じゃない。その血を引いているだけだ」

「──…………」

 ルインラインが口をつぐむ。

「おかしいとは思ってたんだ。神託は、絶対に実現する。決して外れることはない。ユラのお爺さんが心臓発作で亡くなったように、誰しもが運命の糸に絡め取られている。だけど、妙だとは思わないか。今回の神託は、何もしなければ絶対に外れたんだ。能動的に実現を目指す必要があるのなら、それは予言なんかじゃない。ただの指示だ」

「ふむ……」

「神託を授かる際、ユラに意識はないと聞いた。なら、付け入る余地はいくらでもある。神託の書かれた紙をすり替えられたのかもしれない。その場にいた家臣たちが、全員で口裏を合わせたのかもしれない。そもそも神託を受けたこと自体が嘘で、ユラは睡眠薬か何かで眠らされていただけなのかもしれない。この神託は、明らかに、地竜が既に屠られていることを知らない人間によって作られている。半端な神託を信じるより、そう考えるのが自然じゃないか」

「──…………」

 ぱち、ぱち、と。

 ルインラインが俺に拍手を送る。

「さすがカナト殿。実に明晰だ。僅かな時間で、よくここまで考えをまとめたものだ。儂など、その可能性に行き着くまでに、数日を要したのでな」

「──……?」

 一瞬、ルインラインの言葉の意味がわからなかった。

「あんた、気づいて──」

「だが、さしたる意味はない。儂は、結局、謀略の証拠を見つけることができなかった。限りなく黒に近いが、それだけだ。神託が本物である可能性が僅かでもある以上、儂はこのように動く他ない」

「──…………」

 この方向でも、駄目か。

「それに、だ」

 ルインラインが、好々爺然とした笑顔を浮かべる。

「この神託が本物である根拠が、ひとつある」

「それは?」

「カナト殿。君の存在だ」

「……俺の?」

「君がいなければ、我々は、刻限までに地竜窟へ辿り着けなかった! 間に合ったのがその根拠だ! カナト殿こそ、エル=タナエルが我々に遣わした"羅針盤"──案内人なのだ! そうに違いあるまい!」

「──…………」

 す、と。

 意識がクリアになる。

「だったら、なんで、俺とあんたは対立してるんだよ」

「対立?」

 ルインラインが首をかしげる。

「対立とは、実力の近しい者同士で起こることだ。故に、これは対立ではない。君には儂を妨げられない。儂には、君が、駄々をこねている子供にしか見えんよ」

「──だったら、断言してやる」

 俺は、ルインラインを指差し、言った。

「エル=タナエルは、あんたに微笑まない。あんたを愛さない」

「は──……」

 ルインラインの顔が、一瞬で怒気に染まる。

「烏滸がましい! 我が神の御意思は、我が神のものだ! 皇巫女以外に推し測れるものではないッ!」

「神の意思を勝手に決めてるのは、あんただろ」

「……抜かしおるわ」

「俺が、神に遣わされた案内人だと言うなら、あんたよりは神に近いはずだ。何度でも言う。エル=タナエルは、あんたを愛さない。自分の意思を取り違えて、女の子のはらわたを喰らおうとするような人間が、神に愛されるはずがない。もし、あんたが、神の意思を忠実になぞっていると言うのなら──」

 意を決し、言葉を継ぐ。

「エル=タナエルは、悪神だ」

「──…………」

 ルインラインの顔から、表情が抜け落ちる。

「……すまんな、ハルユラ殿。儂は、あなたの"遺言"を守れそうにない」

「えっ……」

 治癒術の光が、一瞬だけ弱まる。

「エル=タナエルの遣わした案内人と言えど、今の言葉は看過できない。我が神を愚弄する者を、儂は赦さない」

「……随分と沸点が低いな。その調子で、何人の異端者を殺してきたんだ?」

「むろん、数え切れんほど」

「だろうよ」

 ナクルがいなくてよかった。

 憧れのルインラインがただの狂信者だと知れば、きっと悲しむだろうから。

「カナト殿、これを」

 ルインラインが放り投げた短剣が、足元で音を立てる。

「せめてもの情けだ。自害しろ」

「嫌だね」

「では、死ね」

 ルインラインが、折れた神剣の柄に手を掛ける。

 選択肢が現れる。


【黒】右に飛び退く


【黒】左に飛び退く


【白】その場に屈む


【黒】前進する


 黒枠。

 黒枠だ。

 赤枠を選んでも死ななかった時点で、それ以下の選択肢の存在を疑ってはいた。

 間違いない。

 黒枠を選べば、即死する。


 ──ルインラインが、居合の要領で折れた神剣を抜き放つ。


 速い!

 選択肢の表示中は時の流れが緩やかになっているにも関わらず、ルインラインの動作はそれ以上に敏速だった。

 遠当てが来る。

 慌ててその場で身を屈めると、世界の速度が元に戻った。


 瞬間、俺の頭上を"衝撃"が走り抜け、背後から轟音が鳴り響く。


 思わず振り返ると、大広間の岩壁に、長さ数十メートルはあろうかという横一文字の裂け目が穿たれていた。

「避けるか。"羅針盤"とは難儀なものよの。恐怖が長く続くだけだというのに」

 足元の短剣を拾い上げ、不格好に構える。

 自分の手が、がたがたと震えているのがわかる。

「儂とカナト殿の仲だ。先程の言葉を撤回すれば、腕一本で勘弁してやろう」

「……ユラは、どうなる」

「変わらん。贄とする」

「なら、意味はない。俺の意志は、変わらない」

 ルインラインが、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。

「……命を捨てるか。愚か者が」

 ルインラインの右手に火が灯る。

 火は神剣を這い回り、やがて、炎の刀身を成す。

「カナトッ! 逃げて! わたしはいいからッ!」

 ユラが、涙混じりの声で叫ぶ。

「──…………」

 恐怖を押し殺して、なんとか笑顔を作る。

「……嫌でも助ける。命に代えても」

「ばか……!」

 ユラの顔が、涙でくしゃくしゃに歪む。

 泣かせたくなんかないのに。

 もっと、笑顔を見たいのに。

 照れた顔も、膨れた顔も、困り顔も、したり顔も、もっと、もっと──

「"羅針盤"。選択肢を作り出し、未来へ導く能力か」

 ルインラインが、炎の神剣を構える。


「であれば、すべての未来を殺せばいいのだろう」


「何を──」

 次の瞬間、世界から色が失われた。


【黒】上体を右に僅かにひねる

【黒】左手親指を上げる

【黒】大きく息を吐く

【黒】左腕を大きく上げる

【黒】上体を左に僅かにひねる

【黒】右手薬指を下げる

【黒】左膝を大きく曲げる

【黒】顎を上げる

【黒】右足を大きく出す

【黒】大きく後傾する

【黒】左手小指を上げる

【黒】首を右に傾ける

【黒】左腕を大きく下げる

【黒】左膝を僅かに曲げる

【黒】左足を大きく下げる

【黒】首を左に傾ける

【黒】左足を僅かに引く

【黒】右肩を下げる

【黒】上体を左に大きくひねる

【黒】右腕を大きく下げる

【黒】僅かに後傾する

【黒】僅かに前傾する

【黒】左足を僅かに出す

【黒】左手人差し指を上げる

【黒】右足を大きく下げる

【黒】両目を閉じる

【黒】左手親指を下げる

【黒】左腕を僅かに下げる

【黒】両膝を僅かに曲げる

【黒】首を左に動かす

【黒】右腕を大きく上げる

【黒】首を右にひねる

【黒】首を左にひねる

【黒】左手中指を上げる

【黒】呆然とする

【黒】左手中指を下げる

【黒】右手中指を上げる

【黒】大きく息を吸う

【黒】右目を閉じる

【黒】右手親指を下げる

【黒】右足を僅かに引く

【黒】右手小指を下げる

【黒】右手薬指を上げる

【黒】右腕を僅かに下げる

【黒】大きく前傾する

【黒】右肩を上げる

【黒】左肩を上げる

【黒】両膝を大きく曲げる

【黒】右膝を大きく曲げる

【黒】左腕を僅かに上げる

【黒】左手薬指を下げる

【黒】右腕を僅かに上げる

【黒】右手中指を下げる

【黒】右手人差し指を下げる

【黒】右手人差し指を上げる

【黒】左手薬指を上げる

【黒】右膝を僅かに曲げる

【黒】上体を右に大きくひねる

【黒】右手小指を上げる

【黒】左目を閉じる

【黒】顎を下げる

【黒】首を右に動かす

【黒】右足を僅かに出す

【黒】左手小指を下げる

【黒】左足を大きく出す

【黒】右手親指を上げる

【黒】左手人差し指を下げる


 ──……は?


 無数の黒枠が眼前を埋め尽くし、気づけば俺は宙を舞っていた。

 くるくると回る視界の端に、首のない男が映る。

 ああ、そうか。

 俺は、首を刎ねられて──



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