第11話 ある日のお茶会
スノウリリイ・フォン・アクアノーツはその日とても浮かれていた。母から贈られたワンピースは新緑のような鮮やかな黄緑で、晴れやかな空の下で行われるお茶会にはぴったりであった。普段は大人しい彼女もワンピースを着た自分を鏡で見ると、嬉しそうにくるくると回った。父からはドレスに合う可愛らしいリボンを貰い、更に上機嫌になった。彼女の身支度を手伝った使用人たちは、自分たちの主人が喜ぶ様子を微笑ましく思いながら、お茶会に送り出した。
この日のお茶会は、全員伯爵家以上の家系でかつスノウリリイと年の近い少女たちが呼ばれていた。この茶会には大きな目的があった。彼女たちはスノウリリイの話し相手もしくは王太子アルベルトの婚約者候補になるべくして城に呼ばれていた。と言っても、それは建前であり、貴族たちが勝手に噂していただけというのが真実だろう。なぜなら、既に王太子の婚約者は上層部の中では、宰相の孫娘にして公爵家のマリア・アルバスが内定していたからだ。アルベルトがもしどうしてもと言えば、彼女たちから選ぶのもやぶさかではなかったが、聡明でわがままをほとんど言うことのないアルベルトが血筋も令嬢としても優れたマリア以外を望むとも思えなかった。
そう、この日のお茶会はスノウリリイの話し相手、つまりは友人探しの方が実はメインだったのである。スノウリリイは、彼女の祖父が亡くなった一年半前からとても気を落としていた。以前は一番好きだった魔法の勉強もやめてしまうほどだった。そんな彼女の気晴らしになるだろうと今回のお茶会は行われたのだ。スノウリリイは生まれてから一度も城から出たことがなく、同世代の子どもたちとの交流も一切なかった。両親は心配したが、彼女に意志を確認すると、ぜひ行いたいととても喜んだため、決行することになった。
この日招待された令嬢たちは、全部で八人。貴族には派閥があり、古くからこの国に仕える王家派から三人。比較的新しい家の貴族で構成された貴族派から五人だ。本当は十人、どちらからも五人ずつになるようにしていたのだが、リーヴス公爵家の娘とカロリス公爵家の娘が諸事情により参加できなくなってしまったのだ。
スノウリリイがお茶会の行われる薔薇園に着くと、先に彼女の兄と令嬢たちでのお茶会が行われていた。兄はスノウリリイの姿を見つけると、自分の腕に絡まっていた隣の令嬢の腕をほどいて、こちらに駆けてきた。
「スノウ」
「お兄様!」
スノウリリイは兄の胸に飛び込んだ。彼はそれを受け止めると、サラサラな妹の髪を撫でた。
「準備ができたんだね。そのワンピース似合っているよ、かわいい」
大好きな兄に褒められて彼女の気持ちはまた高揚した。母や父ももちろん大好きで尊敬していたが、そばにいる時間は兄が一番長いため、兄といると自然と気持ちが落ち着いた。スノウリリイに対して優しく、努力家の兄の背中を見ると自分も頑張ろうと思えた。なので、その大好きな兄の腕に絡みついていた令嬢たちには正直不快感しかなかったが、せっかく来てくれた彼女たちに嫌な思いをさせてはいけないと思い、何も言わなかった。母からも「あなたが招いたことになっているのだから、お客様たちを嫌な思いで帰してはいけませんよ」と言われていた。
「皆さん、スノウも来ましたので、僕は帰りますね」
その言葉を聞くと少女たちからは不満の声が上がったが、アルベルトは帰る意志を曲げることはなかった。
「スノウ、皆さん親切で優しい方たちだから、きっと仲良くなれるよ。また後でね」
そう言って彼はその場を去っていった。兄からそう励まされると、一人で大丈夫かと不安になっていた気持ちが軽くなり、スノウリリイは笑顔を浮かべて彼女たちに声を掛けるのだった。
スノウリリイを改めて迎えて始まったお茶会は、彼女にとってどうにも厄介なものだった。
「皆様、今日は来てくださりありがとうございます。初めまして、スノウリリイ・フォン・アクアノーツです。よろしくお願いたします」
何度も母と確認した挨拶をすると、彼女たちからもよろしくお願いしますや今日を楽しみにしていましたといった挨拶が各々上がった。が、彼女たちの一人一人の挨拶が始まらない。どうしたのかと彼女が訝しんでいると、一人の令嬢が声を上げた。
「まあ、マリア様。どうして挨拶をなさらないのかしら?一番爵位の高いお家は貴方ですよ?」
その言葉に、貴族派の令嬢たちからは嘲笑が聞こえた。マリアは顔を真っ赤にした。実を言うと、先ほどアルベルトが来たときはまさに今マリアを注意した彼女が「私が一番年上だから」と言って、マリアの方が家の格が高いにも関わらず、割り込んで挨拶してきたのだ。それを今度は貴方が挨拶しなさいよ、なんて調子がいい人だわ、そうマリアは心の中で毒づいた。一番年上の彼女はガイアルドーニ侯爵家の長女アマンダだった。彼女は本来ここには呼ばれない年齢で、アルベルトより三つも上の十歳だった。彼女は妹だけが呼ばれたことに怒り、母親に頼んで他の年が近い貴族派の令嬢を押しのけ参加したのだった。
「いいえ。大丈夫ですよ、マリアさん。緊張していたのですよね」
事の顛末を知らないスノウリリイは何か空気が悪くなったことだけは察して、マリアをフォローした。彼女の言葉を聞いて、安心したマリアからどんどん挨拶が進んでいった。ようやく、落ち着いただろう、そう思ったスノウリリイは彼女たちを座らせようとするがまたしても、彼女を不快にする声がした。
「王女様ぁ、あの護衛の人顔が怖いです。あっちのかっこいい騎士様を近くにしてくださーい」
甘ったるいしゃべり方でそうクレームを付けたのはガイアルドーニ家の次女ラヴィニアだった。先ほど兄の腕に絡みついていた彼女だ。スノウリリイは自分の護衛と騎士をそんな理由で場所を変えるのはこの上なく嫌だったが、母親の言葉を思い出し、二人にアスカニオを近くに置くと伝えた。スノウリリイは始まったばかりにもかかわらず、このお茶会は楽しいものではなさそうだと直感していた。
元々仲が良くない王家派と貴族派だが、それは幼い彼女たちも例外ではなかったようで同じテーブルについてはいても、完全に派閥で分かれる状態になっていた。スノウリリイも年が近いマリアたち王家派令嬢とは楽しく会話することができたが、年上でどうもこちらを馬鹿にした雰囲気の貴族派―――特にガイアルドーニ姉妹とは仲良くできそうにないと感じた。今回呼ぶのは王家派だけで良かったのではと思ったが、それをしてしまうと貴族派が自分たち抜きで婚約者を選んでいると勘ぐってしまうため仕方がなかった。彼女たちガイアルドーニ姉妹はスノウリリイを何故か敵視しているようで厭味ったらしく話しかけてくる。貴族派の令嬢がこう聞いてきた。
「王女様は誰がこの中でアルベルト殿下の婚約者になるか御存じなのですか?」
「いいえ、わたしは何も知りません」
事前にこのことを聞かれたらこう答えるように言われていたスノウリリイはそう返した。それを聞いたアマンダ嬢がニヤニヤしながら、スノウリリイに更に聞いてくる。
「それでは私たちにもチャンスがあるということですね!ところで変な噂が流れていますが、ご存知ですか?」
正直兄よりだいぶ年上のアマンダ嬢に王太子妃が回ってくることはないだろうと、スノウリリイは思ったがそれについては特に突っこみはしなかった。それよりも彼女が言った変な噂という言葉が彼女になんとなく嫌な予感にさせた。しかし、気になってしまったスノウリリイは思わず聞き返す。
「噂とは一体どんな?」
「王女様がたくさんの人を解雇して闇に葬ったという噂ですよ」
少し前に王女宮にいた使用人をほとんどクビにした。理由はメイド、護衛は宮の備品の窃盗をグルになってしていたから。大々的にしないために秘密裏に処罰したため、変な噂が立ったのだろう。ついでにたくさんいた侍女も家に帰した。全く働かないうえ、スノウリリイを主人として見ていなかったからだ。
「彼らは罪を犯したので刑務所に入っています。ちゃんと生きていますよ」
「なぁんだ。噂だったのですか。じゃあ、王女様がニセモノの王女様って呼ばれているのは知っていました?」
周りの空気が一瞬で凍り付く。彼女は無邪気を装っていたが、その言葉の端から悪意が満ちていたのは明らかだった。スノウリリイは自分がそう呼ばれていたのは知っていた。しかし、彼女と同世代の少女たちからそんなことを言われるとは思っていなかったため、酷く動揺した。
彼女にそんな言葉を最初に知るきっかけを作ったのは、何を隠そう、彼女がクビにした侍女たちであった。スノウリリイの前でなく、隠れてだが彼女たちは、自分たちの主を「ニセモノ」「化け物の娘」「本当は王の娘ではない」「何を考えているかわからない人形」とまで言っていたのだ。それをたまたま本人が聞いてしまったのだ。自分の前では大して働かなくとも王女としては尊重されていると思っていた彼女は傷ついた。しかし、それを自分の両親には言いたくなかったため、叔父に相談し彼女達を家に帰してもらったのだ。スノウリリイは父と母に自分がこんな風に言われていることを知られたくなかった。そして、王女に関わらずこんなことも自分で対処できないと思われたくなかった。彼女の小さなプライドだった。
「あれ?もしかして知っていたのですか」
「貴女の言うとおりだったわね」
姉妹がそういうと一人の令嬢が前に出てきた。他の令嬢より小柄な彼女はそれでも年上のため王女より大きかった。彼女はスノウリリイを敵意に満ちた目で糾弾した。
「わたくしは王女殿下の侍女だったものの妹です。そんな小さなことを言われたぐらいで姉に暇を出したのですか?」
「姉が王弟殿下を慕っていたのに、よりにもよってその殿下に告げ口をするなんて」
スノウリリイはそんなことはもちろん知らなかった。確かに思い出すと侍女たちは叔父が来る度にキャーキャー騒いでいたのは覚えているが。そういえば彼女の姉は一番長くいる令嬢だった。もしかして・・・。
「姉はもうすぐ王弟殿下と婚約できそうだと言っていました。それがあなたのせいで・・・台無しですわ」
彼女はそう言って声を震わせ泣き出した。スノウリリイはあきれ返った。そんな事実はない。叔父はしばらく結婚しないと言っていたし、今は恋人もいないのだ。しかし、もう侍女の悲劇の恋を貴族派の令嬢たちは信じ切っている。
「愛する恋人たちを引き裂くなんて」
「お姉さまも不幸でしたね」
「王弟殿下だって可哀想だわ。自分の恋人を遠ざけるなんて・・・」
すっかり悪者扱いである。元はといえば自分の陰口を言い、仕事もろくに覚えない彼女たちが悪いのだ。そんなことなどと彼女は言ったが、スノウリリイはひどく傷ついたし、王女への侮辱でむしろ家に帰されただけで済んだのになんて言いようなのか。スノウリリイは悲しいを通り越して怒りを覚え始めた。外に出たことのない箱入りの彼女が怒りを覚えたのは初めてであった。スノウリリイが何も言い返さないのをいいことに、彼女達の言葉はどんどんヒートアップしていく。ついには辞めさせられた侍女たちと同じようにスノウリリイをニセモノ呼ばわりしだした。
「・・・・っ、あなたたち失礼ですよ」
「そうだわ!王女様相手に」
「早く謝罪してくださいませ」
黙っていた王家派の三人が口を開いて抗議した。王家に近い彼女たちの家では、貴族派のように婚約者候補としてここに送り出していなかった。彼女達の家では必ず攻撃してくるであろう貴族派から王女と自分たちを守るように言われて来ていたのだ。彼女達がかばったことに貴族派は少しひるんだが、それでも強気を崩さずスノウリリイに向き直った。
「あら?私たちも処分するのかしら?侍女のお姉さまたちみたいに」
「王女なのに事実を言われたぐらいで怒るなんて心が狭いのね。ああ、わかったわ。ニセモノだから怒るのかしら」
「やっぱり母親が人間じゃなくて化け物だからあなたも化け物ってことよね」
その言葉は今まで怒りをこらえていたスノウリリイにとってトリガーとなった。自分のことを言われている間は平気だったが、母親のことを言われた瞬間何かが切れる音がした。
「黙りなさい」
場が静まり返る。目の前にいる王女の様子がどこか変わったことに全員が気づいた。
「な、なんですの」
それでもアマンダ嬢が反論しようと口を開く。スノウリリイがちらりと彼女を一瞥すると反論する気を奪った。その場にいた少女たちは自分たちがとんでもないことをしたと怯えた。顔に笑顔を浮かべた王女は美しかったが目は少しも笑っておらず動いたら殺されると錯覚するほどの魔力と殺気を放っていた。
「ひっ」
一人の令嬢が後ずさると、今度はそちらを見てふっと鼻で笑って彼女たちに命令した。
「早く謝りなさい」
彼女達は慌ててごめんなさい、すいませんでしたと頭を下げた。王女の機嫌を損なったらどうなるか分からない。しかし、彼女はお気に召さなかったらしく大げさに溜息をついた。
「地に膝を付けて謝りなさい。そんなこともわからないの」
これには王家派の令嬢たちも驚いた。何もそこまでしなくとも、そう助言しようとすると先に貴族派の令嬢たちの方が膝をついた。しかし、一人だけ従わないものがいた。アマンダ嬢である。
「何よ・・・お母さまが言っていたことと違うわ。あなたなんて――」
彼女は自分の熱々のティーカップを持つ。それをそのままスノウリリイにかけようとした。
「危ない!」
そう言ってマリアは王女の前に出た。しかし、アマンダのティーカップよりも、マリアがスノウリリイをかばうよりも、スノウリリイの魔法の方が早かった。スノウリリイは感情が振り切った瞬間から何かにとり憑かれたかのようになっていた。彼女は放たれたティーカップだけ凍らせるつもりだったのだが、自分の中にいる何かがそれを許さない。彼女が自分を取り戻すと、そこには自分以外が氷漬けの彫像になっていた。周りの大人が何か言っている。そうは気づいたが、彼女は何も言うことが出来ずに再び意識を失うのだった。
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