第9話 それは決意の顕れ

私とスノウリリイの二人だけの時間もすっかり定着した。彼女はこの時間以外でも私をモフモフしたり、おいでおいでと呼んできて、構ってくるようになった。正直めちゃくちゃかわいい。いくら触られても全然苦にならない。これが実際の猫と私の違いなのだ。


私は毎日話をする。彼女の声が聞こえなくても、返事はあるからだ。ローラと下町で買い物をした話、アルベルトと魔法公との魔法の特訓の話、港でのルカの様子・・・。どの話もちゃんと聞いてくれる。特に城の外の様子は気になるようだった。




その日も私は彼女の座るベッドの隣に寝転び、彼女に話しかけていた。毛並みを撫でながら相槌を打ってくれる。すっかり行きつけになった例のパン屋の話をしていた。


「そういえばね!パン屋さん、二人目の赤ちゃんが生まれるんだって。ミーちゃんも大きくなったんだよ。もうおしゃべりできるんだよ。私のことにゃーにゃーって呼んでた。かわいいよね。二番目の子はどんな名前になるかな」


「名前・・・」


「え」




「あなたの名前、は、なんて言うの」




その時私は、二つの衝撃を受けていた。一つはもちろんスノウリリイが急にしゃべったことだ。半年と少し彼女と共にいて、あの泣いた日以来、初めて声を聞いた。あの時は本当に泣き声だけというか、意味がある言葉ではなかった。その彼女が言葉を伝えようとしている。私に向かって。突然のことに対する驚きの気持ちと暖かい気持ちが体中を巡ってくるような気がした。




彼女の声を聞いた瞬間、私は本当に嬉しくて、涙が出てくると思ったのだが、言葉の意味を理解した途端、出かけていた涙が引っ込んでしまった。


ああ、確かに。私自分の名前言ってないわ。あれ?マジで言ってないじゃん。どういうこと?いや、待って。最後に自分の名前言ったのってどこだっけ・・・。あ、女神様の前だ。どうしようか・・・。めちゃくちゃ日本人名だけれど言うべきか…。


「・・・・・・・・・・。」


様々な衝撃を受けて、私はフリーズしてしまった。半年も名前も言ってなかったとは・・・。私が固まっているのを見て、スノウリリイもふっと我に返ったようにつぶやいた。


「わたし、しゃべってる」


「うん」


「わたし、しゃべれたんだね」


そうぼんやりと冗談なのか、本気なのかわからない調子で彼女は言った。


「どうしてしゃべってくれたの?」


「・・・、何度も本当は話そうと思っていたの」


「そうなの?」


「わたしがあなたの前で泣いた時も、ちゃんと言いたいことがあったの。でも、久しぶり過ぎて声が出てこなかった・・・」


やっぱりあの時言いたいことがあったんだね。今日の彼女は、いつもならすぐ目を逸らしてしまうのに、真っすぐに私の目を見ていた。


「ずっとあなたと、皆と話したかったの。でも・・・、なんでなのかな。だめって気持ちもあって、それで・・・」


「・・・お話できなかったんだね。どうしてダメって思ったのかはわからないんだ?」


止まってしまった彼女の言葉に続けるように返すと、こくりと頷いた。彼女は自分の意志で「話さない」とされていたはず。でも、実際の彼女には「話したい」意志があった。これは私の予想でしかないが、彼女は無意識のうちに自分で自分を制限したのではないのだろうか。最初に出会った時も荒れる会場の中、何も聞こえないように無表情でいたのも恐らく自分の心を守るためだろう。例えば、彼女がそこで何か反論の一つでもすれば、その相手と戦うとみなされる。しかし、本来一対一のはずの戦は彼女が立てば、そこには目の前に立つ相手から以外の攻撃が彼女を刺す。しかし、何もしなくとも彼女は誰かから攻撃されるなら?どっちみち刺されるのであれば当たる面積が少なくなる戦わない方を選ぶだろう。まだ、幼い彼女は戦い方を知らないのだから。


彼女は自分の意志に反してまで何を守っていたのだろうか?




「ねえ、スノウリリイ・・・あ」


彼女は頭がこくりこくりと舟をこぎかけていた。眠くなってしまったようだ。もう寝よっかと声を掛けると、返事もしないうちにベッドに潜った。彼女がベッドに入ったのを見届けてから自分の寝床に向おうとすると背中に声を掛けられた。


「一緒に寝よう?」


もちろん了承した。が、彼女はベッドに入った途端に私に文句を言ってきた。


「名前まだ聞いてない」


あ。うん、そうだったね・・・。忘れたかと思っていたのに・・・。どうしようかな。そうだ。


「私まだ名前無いからさ。スノウリリイが付けてくれる?」


「名前、ない?」


「うん」


「素敵な名前考える」


「ありがとう、楽しみにしているね」




「・・・おはよう、スノウリリイ」


「おはよ」


良かった。昨日の出来事全部、都合のいい私の夢かと思ったよ。彼女には毎朝挨拶しているけれど、やっぱり返事が返ってくると嬉しいな。小学生の頃のあいさつ運動は少し斜に構えてみていたけれど、今挨拶の良さというものが分かった気がする。


扉が開き朝の挨拶をしながら、ローラたち三人が入って来た。


「おはようございます!」


「おはよう」


「・・・・。」


あら?

先ほどは私には挨拶を返してくれたスノウリリイだが、三人が入ってくるといつも通り黙ってしまった。むしろ、いつもより体が縮こまっているというか、何だか申し訳なさそうな顔をしている。そんな彼女の様子に気づいたマーラさんが声をかけてくる。


「王女様、どうかしましたか?」


「このドレス嫌でした?」


「もしかして具合が悪いのですか」


マーラの心配する声にローラとジーウも続く。スノウリリイは慌てて「何もない」のジェスチャーで、否定した。


「そうですか・・・。何かあればいつでも仰ってくださいね」


三人はしぶしぶ納得したようだけれど、まだ気になっているようだ。いやあ、あんなに無表情が崩れていたもの。気になるわ。




彼女は朝食の間も明らかに挙動不審で、周りを心配させた。ずっときょろきょろしているし、何度か何も食べていないのに口をパクパクさせていた。そのうえ、派手にお皿も落としていた。普段の彼女ならあり得ないことだ。あまりにもお行儀がいいとは言えないその姿に、思わず、普段は何も言わない国王が注意したほどだ。しかも、彼女は今まで断っていた王妃様とのお茶会も参加すると了承してしまった。こんな状態で誘うなという話だが、彼女もどうして受けてしまうのか。私は食後の散歩の時間に思わず尋ねた。


「一体どうしたの、何か変だよ?」


「・・・変じゃない」


「皆心配しているよ。もしかして皆とも話そうとしている?ずっと話していなかったんだから急に話せないのも無理ないよ。ゆっくりでいいんだよ?」


「だめ」


いやいやと首を振って、彼女は私の言葉が気に食わないようだ。少しむきになって、少し語調が荒くなる。


「何がダメなの。言葉にしてくれなければ全然わからないよ」


言ってしまった後に、後悔する。これはずっと沈黙を貫いてきた彼女に対してはあまりに酷い言葉だった。謝ろうと口を開こうとすると、先にスノウリリイが口を開いた。


「わたし、ちゃんとしたい・・・。今までずっと下を向いていたからわかってなかった。わたし甘えていたの」

「皆がずっとわたしのことあんなに心配して見ていたって知らなかった」

「わたしなんてどうでもいいから黙っていても怒られないと思っていたんだよ。わたしが可哀想なニセモノのお姫様だから。でも、本当は違うんだ。皆が優しいから全部許してくれていただけなんだよ」

「もうわたしはニセモノのお姫様なんかじゃないのに。いつまでも可哀想のフリをしていただけ」

「わたしの役割は勉強だけじゃないのに。それもしてなかった。わたしって本当に・・・」


彼女はしゃべらなかった何年か分を一気に消化するようだった。ゴホゴホと咳き込むと、うっすら目には涙も浮かび、悲しいというよりは悔しそうな表情を浮かべた。


「だから・・・無理してでも皆とお話ししたい。ちゃんと今までのこと謝りたい」


「気持ちはわかるけれど・・・。まだ私以外の人のことは怖いんじゃない?」


「うん。怖い。でもね、あなたがいると少しだけいつも怖くないよ。皆の顔を見ることはまだ出来なかったけれど、あなたが来てから前を向くことは出来た。モフモフのおかげかな」


「スノウリリイ・・・」


照れた顔をしたスノウリリイ。冗談を言えるぐらい私との会話は余裕があるんだね。嬉しいこと言ってくれる。猫の姿で正解だったな・・・。たぶんこれが普通に女子高生姿とかなら全然ダメだっただろうな。


「お昼からのママのお茶会・・・。わたしにはまだ早いかもしれないけれど・・・。ママをいつまでも無視したくない。一緒に行ってくれる?」


「もちろん!」


彼女が行くならいくらでも付き合おう。それがここに私がいる理由なのだから。




なんて。

かっこいいことを思っていた私だったが。

スノウリリイと二人、意外な展開に硬直していた。


王妃様とのお茶会は例の氷漬け事件が起こった場所だった。近くに綺麗なバラ園がある。私とスノウリリイが到着すると王妃はいきなり謝罪から入った。


「スノウちゃんごめんね。ママ、一緒に来てくれるって思ってなかったから、今日他の約束をしていたみたいなの」


な。何それ。こちらが一大決心して来たのに。この人天然だからと言っても、許されないことがあるんですけれど?!よし、帰ろうかスノウリリイ。そう思ってスノウリリイと帰ろうとする私の声よりも王妃の声の方が早かった。


「それでその・・・。あちらの用事は角が立たないようにお断りしようと思ったのだけれどね?どうしてかスノウちゃんとお茶することがバレちゃって・・・一緒に参加することになったの」


・・・・・・・・・・。


ごめんね、ごめんねと何度もスノウリリイに頭を下げる。え?もう決定なの?というかそんなに娘のことを優先できるような約束ならもっと頑張ってよ。断ってよ。こちとら、あなたとさえまともに話せるかわからないのですが。大丈夫かなスノウリリイ・・・。あ、白目向いてるわ。あかん。そんな顔女の子がしちゃいかん。クールキャラはどうしたの。

そもそも一体誰を呼んだのか?私の疑問に答えるかのようにちょうどいいタイミングで今回の客人たちが姿を現した。


「神獣様は初めてですね。紹介します。こちらはアルバス公爵夫人」


「よろしくお願いいたします。ほら、貴方もご挨拶なさい」


そう言って、小さな淑女が公爵夫人の脇から出てきた。あれ?待って。この子・・・・。


「は、初めまして。マリア・アルバスです」


少女はぺこりとお辞儀をした。




公爵令嬢マリア・アルバス。将来「恋と魔法のヒストリア2」にて唯一の悪役令嬢になる予定の少女だった。

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