第19話 ルパサルの夜


「バルバル、ありがとうございました。これからも訓練はやります」


 あいも変わらず銅像のように立つ彼に、啓太は別れの挨拶をした。バルバルはまた、片目を開いて「頑張れよ」と素っ気なく言った。道場の皆にも手を振られ、啓太らは再び王国を目指す。


 ルパサルは観光地で、各国からの街道も整備されているため、どの国からも旅をしやすい。皇国や共和国からは距離があるが、観光地として世界的に有名なため、貴族もよく使う街道で道も広く整備もきちんとなされているのだ。


「にしても……キュベレーですか。そのような呼び名があるとは、知りませんでしたわ」


 街道を行く馬車の中、ベルが言った。


「あの時の寛人の様子、おかしかった。どう考えてもおかしかったんだ」

「おかしかったけど、あんたを殺そうとしたのは間違いないし、こちら側に敵意があるのもまちがいないわ」


 綾はベルの尽力により、傷も残らず完治した。背中に大きな刀傷など残せないと、丁寧に縫合してから治癒術をかけたのだ。

 こうする事で、傷痕がほとんどなくなるのだそうだ。


「でも彼の言い分は、なかなか胸に刺さったよ。僕ら誰も、キュベレーの事何も知らないよね」


 そうだな、と全員が頷いていた。ウェインは縫合まではしてもらえなかったが、本人も別にいいよ、治してくれてありがとうと笑っていた。クラルで止血をしていなければ、おそらく2人とも死んでいたとベルに言われたのだ、助かっただけよかった。


 彼らを魔族として、魔物と同列に捉えていた。そして、人間がキュベレーを虐げたのが事実かも不明だ。そもそも、名前も知ったばかり、彼らの事は何も知らないのだ。

 言葉を話せると思ってもみなかった。それほどに、彼らとは距離があり、それを埋めるのは容易ではないだろう。


 未だ襲撃のない王国と皇国は、それぞれ首都の防衛を固めているのだそうだ。不穏な噂が駆け巡り、住民の間でも不安がつのっていると、ガルデルが出発前に顔を曇らせていた。


「僕らは、って言ってた。僕らは普通に暮らしてたって……それじゃまるで、寛人がキュベレーみたいな」

「……どうなんでしょう。感情移入のあまり、自分も数に入れただけかも知れませんよ」


不安に瞳を揺らす啓太に、ベルは言った。


「それよりも気になるのはさ、そいつもアスリリーリャ、なのは間違いないんだろ? じゃ、キュベレーも大天津神の聖堂を賜ってるってことだ。この戦争、一筋縄じゃいかねーな」


 ティブルが肩を竦める。聖堂があると言うことは、神に導かれているという事だ。アスリリーリャが分かれて戦うならば、どちらが勝つかわからない。


「これが本当に世界の危機で、私たちが救うべき事なの?こんな小競り合いを仲裁するのが?これはこの世界の人々が取り組むべき問題よ。――仮にそうだとしても、大神様とやらはなんでアスリリーリャを分けてややこしくするのよ。こんなの悪い冗談でしかないじゃない」

「確かに、聞いたことはないですわ。そもそも、降臨の人数はいつも1人ですのよ。皇国の資料にもそのように記されています」

「最初からあり得ないことが起きてるのは、理解してるよ。僕らギルドもね」


「もしも、神が私たちを試そうとしているのならば、今回のことも納得です」


 ガルデルが言った。大神様の試練、それは度々行われてきた事らしい。啓太にはとても理解しがたいが、この世界の神とはとても近いもので、大抵の困難は神の試練なのだそうだ。


「大神様も何者よ。私にはそれが1番気になるのよね。子供の遊びみたいで腹が立つっていうか」


 大きなため息をついた綾は、荷台から地球と変わらぬ青空を見上げた。この荷馬車はランドポーターによって牽引されているので、フィーンと独特な音がする。

 牧歌的な風景が広がり続ける街道だが、一歩街に入れば不自然な発展を遂げたものが多い。魔法があるが故かもしれないが、ランドポーターのような移動手段がありながら、馬や牛の荷運びも当たり前のように同居している。水洗トイレがあり、湯が出るシャワーもあるのに、同じ場所で当たり前に井戸も使われている。

 まるで子供が、これとこれは作らせよう!と適当に作った箱庭のようだ。住民は、実際に暮らしていく中で、便利なものを半分同居させているような。


「神意は、我々に推し量る事は難しいですね」


 ルチアは、柔らかな笑みをたたえていた。赦しを乞い、ひたすらに尽くし、サーリアの恩恵の元で必死に暮らす民を知っている。生活の基盤である神を否定などできるはずもない。


「少なくとも私たちが、大神様なしには生きていけないのは事実ですわ。この世界は大神様の右目で、あの空に浮かぶ星、ザガは大神様の瞳なんですもの」

「何かの例えだよね?」


 うそだー、と苦笑いする啓太にベルはキョトンと首を傾げている。


「揶揄ではありませんことよ。大神様の手の中の珠がこの世界と言う国もございますし、部屋の花だと言ったりもしますけれど、大神様があっての世界なのは間違いありませんわ」


 キッパリ言い切ったベルを、誰もおかしいと言わないのは何故か、それが不思議だった。

 啓太らの地球で、日本はイザナミとイザナギが作ったんだよ! と言われても、それが神話と理解する。事実だと言い切られても、首を傾げてしまう。確かめようもない事だからだ。


「ここで地動説だのなんだの説いても意味はないわよ、そもそも世界の在り方が違うんだから」


 悩む啓太に、綾が言った。もしかしたら本当にそんな世界かもしれないし、と付け加えて。



 ルパサルは、海に広がる街で、イカダを並べて街を作っているようだ。街の7割は海上にあり、こうする事で魔物の侵入を防いでいる。

 海の魔物は深い所にしか生息していないので、この辺りの海は穏やかなんだそうだ。


「素晴らしいですね、サーリアにも海はありますが、海上に家があるなんて信じられません」


 ほぅ、とため息を吐いたルチア。透き通る深い青の海に、幾つもの大きなイカダが浮かんでいる。

 建物のあるイカダは杭が打たれているようだが、それぞれの通路や、広場のようなところはゆらゆらと波で揺らめいていた。


「王都とは随分雰囲気が変わるのね」


 綾が言うので、啓太も頷く。


「別の国みたいだ」

「イル王国は、王都を走るイル川という大きな川沿いに栄えた国なんですよ。小さな集落や、部族なんかが集まって国になりましたから、今でもそれぞれの特色が色濃く出ています」

 ガルデルはルパサルまで何事もなく到着できたことに安堵しているようで、表情もいつもより柔らかだった。


 その後リゾート地らしいルパサルの、いかにもリゾートな宿の部屋に案内してもらった。部屋は二棟に分かれ、大きなバルコニーで部屋同士が繋がっており海が一望できる。

 せっかくなので一棟ずつ男女に別れる事にして、その日は皆、羽を伸ばした。


「お姉様、神の国はどんな所ですの?」


 バルコニーでルパサルの特産、魚のカルパッチョを肴にして、白ワインで晩酌をする綾に付き合うのは大人連中のみで、ベルはリンゴジュースだ。

 啓太とルチアはもう眠ってしまった。


「どんなって、別にここと変わらないわ。魔法もハルもないけれど、代わりに電気があるかな」

「電気……ですか」

「トゥエルノの力を様々な動力に使っているわ。一番の燃料で言えば石油かしら?ランドポーターみたいな乗り物の燃料から、服にまで使われているわ」

「興味深いですわ!」


 ぱぁっと目を輝かせるベルを、綾は眩しそうに見遣り、早く寝るように勧めた。なんなら彼女が1番年若いのだから。そうしてベルが寝室へ行ってからも、大人の酒盛りは続いていた。


「まあ飲んでよ団長さん!」

「いただきます」


 ティブルがガルデルに酒を注いで、そのあとガルデルはウェインに酌をした。綾はぼんやりと、海を眺めた。月のような空に浮かぶ星はザガと呼ばれている。夜でも明るく照らすので、こちらに来てからは暗い夜に出会っていない。


「いい夜だね」


 ウェインは肩から脱力し、バルコニーのソファーに体を沈めた。今日はそれぞれの国の、軍なり騎士なりが護衛をしてくれているので、気を張る必要もなく、こうして皆がのんびりと酒を飲むのは初めての事なのだ。


 「団長さん、長いこと遠征してるけど奥さん文句言わないの?」


 ティブルの一言で顔色を百八十度変えたガルデルは、ふるふると首を振った。その無言で、誰もが全てを理解できる。


「君らは所帯を持っていないのか?」


 ガルデルがそう言うと、ティブルは頭を抱えた。聞くべきでなかったな、と背をそっと叩かれて、彼は小さく呻く。矛先はウェインにも向いたが、彼は微笑むだけだった。


「ウェインはモテるけど、本人に気がなさすぎる。優しいだけの男だよこいつは! 天使のフリした悪魔だ!」

「えらい言われようね」


 綾も今日は、随分とリラックスした様子で、ゆるく笑う。


「綾は?神の国に恋人がいたりしないの?」

「直前に婚約者に振られたのよ、ある意味あれも大神様の仕業……いえ、自分のせいね」

「奇跡みたいな話だな! 振られた理由当ててもいいか?」


 そう言ってニヤつくティブルに、あからさまに肩を竦めて綾は言う。


「いいのよ、いちいち答え合わせしなくて、あんたが想像してる通りよ」

「没頭すると、他をかえりみないタイプは苦労しますよ。私がそうですから……」


 ガルデルは騎士団入団後しばらくして、当時騎士だった奥さんと結婚したらしい。3人の子供を育てる大変な時期に騎士団の遠征部隊に入った事もあり、留守がちになってしまったんだそうだ。


「あの時のことは、今でも引き合いに出して妻に言われる。だが遠征部隊というのは出世道でな、当時の班長から打診があった時、断れるわけがなかった」

「まあ、ヒラ騎士では実際、子供3人食わせらんないわな」


 ティブルが頭の後ろに手を組んで伸びをした。時間が深くなるごと、大人たちの体はソファーへ沈んでいく。


「え? 騎士団ってそんな安月給なの? みんな貴族でしょう?」

「だからかな? 実家に居ればいいわけだしね」

「その通りだ、騎士学校まで上げようと思ったら、部隊長くらいにはなってないと厳しいです」

「爵位が無いと、王国から身前支度金もねぇーしな」


 身前支度金とは、貴族の品位を保つための給付金とされているお金で全額を服飾や家具、馬車の手入れなどに使わなければならないお金だ。要は貴族らしい事に使えばいいわけだが、給付は爵位のある家に限られる。

 イル王国では分家に爵位がなく、支度金がないために、家の手入れや服飾は自分たちの懐だけで賄わなければならない。ヒラ騎士では、なかなかやっていけるものではない。


「今は騎士団長! 叙爵も受けて子爵位! 支度金もたくさん! 奥さん文句ないでしょ」


 ティブルはそう言いながら手酌して、5本目となるボトルを開けた。ガルデルがため息をつくのと、ウェインが6本目の栓を開けるのは同時だった。


「それが文句あるみたいで……社交シーズンには騎士団が忙しいもんだから、夫婦揃って出られることも少なくて、毎年チクチク言われるんだ」


 彼のため息は深い。そうして束の間の、楽しい夜は更けていった。

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