第18話 友達と仲間と
――なんだ、これ。
啓太は不思議な感覚に、だるくなってきた手足のことなど忘れていた。まぶたの裏で、道場に居る弟子らの動く様子が見えている。
こめかみを伝う汗も気にはならない。今、その彼らの動きに目を凝らせば、まぶたを閉じているのに誰がどこにいるかわかる。筋トレをしている見習い達も、手合わせをしている弟子たちも、みんな知っている。
「見えたか。遠くまで感じろ、この街が手に取るようにわかるまで」
バルバルの声が後ろからきこえる。その姿までも、手に取るようにわかる。
にわかに信じがたい現象に、啓太の胸はバクバクと早鐘を打つように動き興奮を示したが、呼吸は乱れない。呼吸を乱せば見えなくなる。
――あれ?
街へと視界を伸ばした啓太。誰が誰だかわからないその状況で、とある人物をみつけた。その瞬間、その人物もこちらを向いた。
ザッっと風が吹くような気がしたのは、ハルの流れだ。啓太はビクリとして目を開いた。その途端呼吸が乱れ、すべての気配も遠のいた。
「寛人がいる! 綾! 寛人が来てるんだ!この街に!」
啓太は返事を待たずに「バルバル、ありがとう!」と駆け出した。
「あ、ちょっと! 待ちなさい!」
鍛えられた彼の速度ではすぐに見失ってしまう。あわてて駆け出した綾に、ウェインも続いた。
「寛人がいるってどういうことよ! それじゃあ魔族がこの国で暴れるつもりなのね?」
「わかんないけど! いたんだ、みた!」
「今はグランドウォールで戦う準備をしてるんだ。ゴルドバムの軍はそっちに人員が裂かれてる。今この街を攻められたら……」
「ぞっとしないわね」
はあ、と息をつく綾に、啓太は頷いた。ウェインが言ったように、この一月で斥候部隊を編成したのは聞いていたが、戦いに向けて軍は既に国を離れているらしい。
「俺はちゃんと、寛人と戦うよ! でも理由もきく! んで、やめさせる!」
頷き合う啓太と綾に、ウェインは指を指して街の中心にある剣のモニュメント広場を指差す。そこには啓太をじっと見据える寛人がいた。魔族の姿はないようだ。
「寛人……?」
目の前の寛人は、優しい目元をしたよく知る彼ではなく、とても鋭い目つきで啓太を見つめていた。背の高い彼には、丈の長い外套がよく似合っているが、それが余計に啓太のよく知る寛人をかき消していた。
「啓太。元気だった?」
にこり、微笑む彼だがどこにも以前の柔らかさはない。
「寛人! 心配したんだぞ! お前なんで魔族の味方してるんだ?」
「魔族?」
ぴくりと、寛人の目尻が不快そうに動いた。一瞬の事に啓太は気付かないが、綾もウェインもそれを見ていた。
「キュベレーって言うんだ、彼らは。昔の言葉で、空を駆けるって意味らしいね」
怖いほどに、笑顔を貼り付けた彼に啓太はますます眉をしかめた。理由が知りたいのだ、そちらにいる理由が。けれど、辺りは嫌な雰囲気で騒がしくなり始めた。魔物が入ってきたのか、カンカンと鐘が打ち鳴らされている。
この剣のモニュメント広場からも、人々が慌てて散っていくにもかかわらず、寛人は動かない。否定しようのない状況が次々揃っていくことに、啓太は奥歯を噛んだ。
「彼らは虐げられて永久凍土に追われた、俺は彼らが安心して暮らせるように協力するつもりだよ」
そんな気持ちを知ってか知らずか、彼はそう言って微笑む。寂しい笑顔だった。まるで、彼自身が虐げられていたような。
「だったら話をしよう、国王にも掛け合うから!」
啓太が一歩、寛人に歩み寄るが、彼はそれを拒否するように目を伏せた。
「キュベレーたちのことを誰も覚えていない、けれど彼らは、虐げられたときの仕打ちを覚えている。人が死んで世代が変わっても、彼らは二千年生きる」
寛人がギリギリと拳を握る。そして議会堂で、火の手と悲鳴が上がった。
「これは復讐、何百年と葛藤しながらも復讐を決めた。俺は、安穏と暮らす今の人間たちが許せない。キュベレーを忘れ、作物も育たない北に追いやったことも忘れ、暖かい地で田畑を広げる人間が許せない」
彼は悔しそうだった、憎らしそうだった。何故なのか、啓太には不思議でならない。それほどまでに感化されるものなのか?寛人は、人に絆されるような、そういったタイプではなかったはずだ。
ただ戸惑いばかりが大きくて、理解できないし、理解するにも思考がそこまで追いつけない。しかし魔物の猛襲は始まっている。
「わかった! けど話がしたい! 魔物に街を襲わせるのはやめてくれ。これだけやったんだ、話せば国王たちはキュベレーの望みを叶えてくれるはずだ」
啓太の言葉に、寛人の表情が歪む。
「随分、信じてるんだね。人間の王様たちのこと。自分が話せばなんとかなるからって思ってるんだ?」
ひひっと笑い、彼は俯いた。
「僕らは人間を害したこともなく、普通に幸せに暮らしていたはずなのに。それを奪ったのは人間なんだ! そんな奴らを信じるわけないだろ!」
寛人は剣を抜いた、綾とウェインが身構えたが、啓太は動けなかった。そのまままっすぐ斬りかかって来た彼の目には、殺す覚悟が宿っていた。啓太は指先すら動けずに、目を見開くばかりだ。
寛人はウェインの放った弓を弾いて、怯むことなく啓太に突っ込む。
「エクスプロージョン」
綾の唱えた魔法が爆ぜた。それでも怯まない彼を、ウェインが剣で止める。
「へぇ、ラサマカノフの人間なんですね」
寛人は、ぐっとウェインを押したが、さすがにそれくらいで押されるなら金タグなど持っているはずがない。不満そうに寛人が顔を歪めるのと、綾の魔法は同時だった。
「トルメンタ!」
ビュッと風が吹いて、砂埃が巻き上げられた。土気の多いこの国は、すぐに砂嵐のように風が攻撃性を強める。さすがにこれには彼も怯んだようで、さっと飛び退いた。
何も言わない啓太を、睨むように見つめた一瞬の後、彼は剣を構え直した。瞳の殺意は消えていない。彼が素早く蹴った足の行方を知る前に、綾が倒れた。刃が背中を斬ったのだ、敏捷さに反応できず、誰もその瞬間を見ていない。
目を見張る啓太とウェインを尻目に、寛人の剣はウェインへと向かった。
――キィンッッ!
と甲高い音がなり、金色の髪が揺れる。彼の剣は寛人の剣を防いでいた。
「うざったいなあ! なんで地上の味方してるんだよ!」
寛人は勢いよくウェインをなぎ払い、侮蔑を込めた目でウェインを踏みつけた。
倒れている綾の背中から、じわりじわりと血が滲んでいる。
「高みの見物してたらいいのに、なんで降りて来たんだよ、下衆が」
そう言って、踏みつける足に力を込める彼が、啓太には友人と思えない。いや、否定したい。寛人ではないと。陳腐だが、信じたくなかった。けれど仲間を斬り付けられ、踏みつけられて黙っていられるほど、自分が馬鹿でない事は啓太が1番よくわかっていた。
「やめろ!」
剣を抜き対自すれば、寛人は面白そうに、けれど馬鹿にしたように口角を吊り上げて、それからウェインの背中を突き刺した。
はっと、見開かれる啓太の瞳と、ウェインの「ぐぅっ」と呻く声。そのどちらにも寛人は満足そうに微笑んだ。
——寛人にとって、人は敵だ。どうしようもなく憎い敵なんだ。
ぐっと剣を握り直し、靴裏は地面を捉えた。肌が感じた彼の哀しみと、憎しみに、絶対に配慮などできない。綾もウェインも倒れた。息はある、助けるためには、退けないといけない。
「啓太が、僕に勝てるわけがない」
「やめてほしいよ」と煽る寛人。啓太は目を閉じて、剣を構えた。チッ、と塚が鳴る。己の心を研ぎ澄ますように、余計な情報も削いでいく。
喧騒、魔物の気配、人の気配、自分の気配、息を潜めろ、寛人だけを見る。彼の一挙一動全てを逃さないように、漏らさないように。
寛人がこちらに向かい走り出す、剣は下から振り上げられる、啓太は咄嗟に飛び退きたくなる気持ちを抑えて、懐に飛び込んだ。切っ先は寛人の喉仏を捉え、その刹那 ーー身を翻しかわされた。
けれど啓太は更に踏み込む。もう一歩、それは無いと思っていた寛人が少し怯んだのがわかった。今なら手に取るように、寛人の動きが見える、息を乱した相手は啓太の掌の上だ。
咄嗟に剣を右手だけで持った啓太は、大きく伸び上がり寛人の腹、そこに目掛けて剣筋を走らせた。それを避けられないと悟ったのか彼は縦に剣を構え、それをいなそうと身構える。
啓太に迷いはない。たとえこの場で、寛人を殺してしまっても、復讐を理由に仲間を斬る彼を許せはしない。
「対話が人類の基本だろぉおおがぁ!」
啓太の目に涙が滲んだ。悔しい、悔しいのだ。寛人にこんな思いをさせていたのに、のんびり王宮暮らしを満喫した時間、情けなく迷っていた時間、1年前すぐに寛人を捜しに走り出していれば——。
ザンッ。
重苦しい音。啓太の振り抜いた剣は、寛人の腹を切って、剣を何処かに吹き飛ばしていた。
「げぇっ、ほっ——うっ」
寛人が血を吐いたのが見えた。それと同時にキュベレーが、まるで風のように飛んできて、彼を抱き抱えると同時に「クラル」と唱えた。
キュベレーは寛人を抱えて、こちらを見ることもなくその場を立ち去り、啓太ももう気配を追える精神状態ではなかった。
——早く、ベル達のとこ行かないと。
啓太が振り返れば、2人ともぴくりとも動く事なくうつぶせに倒れていた。ドクリ、胸の奥の方から跳ねた。悪寒が走る自分の体を奮い立たせ、2人の肩を叩く。
「綾! ウェイン! 」
「煩い。早くベル呼んで」
「こんな時のために、ギルド員はクラルが使えるんだ……応急処置だけど」
なんと、ウェインがクラルで傷を塞いでくれているらしい。ただ傷が深くて応急処置にもなっていないだろうが。
「よかった……っ! 死んじゃったかと思った!」
啓太が泣き出すと「早く」と綾に一喝された。
魔物は寛人と共に引き上げたようで、今回の被害は焼失した議事堂付近が大きかったが、全体的には法国ほどではなかったようだ。
啓太らが聞いた話は各国に伝えられ、そして王国の海の街ルパサルで、首脳たちの話し合いが持たれることになった。
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