第17話 道場
「ごめんください」
ウェインがトントン、と工房の入り口の柱を叩いた。ゴルドバムの建物は、基本的に扉がない。工房においては壁もない。
奥の部屋だけ囲われているが、作業場やなんかは丸見えで、窯のような黒い円柱がよく見える。真っ赤になった金属を何度も折り返して、叩いている。
「ルーフェル鋼の刃こぼれを直して欲しいんだけど」
「はい、はいはい!」
出てきたのは、20歳くらいの青年だった。
後ろで束られるほどに長い髪をひとつに縛り、汗が目に入らないよう額には手拭いのようなものを巻いている。職人らは皆そうしているようだ。
「剣見せて」
そう言われて啓太が剣を手渡すと、その青年はひどく驚いていた。ルーフェル鋼をこんなにできる魔物がいるのか、と。
「魔物じゃなくて剣同士で……」
「あ、じゃあ、あなた方がアスリリーリャ! 話は伺ってます」
こちらへ、と誘われて案内されたのは丸太を切った簡易的な椅子で、ここにはそんな丸太を椅子にして作業している人ばかりだった。広い工房には打った剣が多く置かれ、材料となる金属もたくさんある。
ごうごうと釜の火が燃えているせいか、ただでさえムッとしていた外よりさらに熱気がある。
護衛なので座らない、と言うガルデルだったが、気にする風もなくウェインとベルはさっさと腰を下ろし、ルチアが困ったようにガルデルの隣に並んだ。
それを啓太が許さなかったので、結局ガルデルも座る事になった。
「大丈夫? よかったかな?」
小さな子供に言うような、その青年の言い方が素だったようで「いかんいかん」と彼は首を振っていた。
「ええ、と。結論から言うとこれを元どおり打ち直すのは難しい、というかうち直しても使い物にならないので新しいのを作ったほうがいい」
「なに! 一生使えるのがルーフェル鋼ではないのか?!」
ガルデルがいきなり立ち上がったので、丸太がごとりと倒れて転がった。めちゃくちゃ綾に睨まれ、彼はすごすごと座り直す。
「おもしろい人らだね…。ああ、違った、今のナシ。えっと、ルーフェル鋼のことちゃんと知らんみたいだから説明しますね、刃こぼれしにくいけど、刃こぼれが酷すぎると直せないんですよ。これだけ刃が欠けてたら、普通の剣ならとっくに折れてる衝撃だ。研いでも刀身が減りすぎて、剣としては使い物にならないし、継ぎ足して打ち直す方法もないことはないが、強度も落ちるし、この剣のいいところは失われる、柔軟性とか、切れ味とかね、なんでそんなんするくらいなら新品を打ち直したほうがいい。…んですよ」
職人故か、接客に全く慣れていない彼が、一生懸命説明してくれたように、直しても良いことはないらしい。欠陥ありの武器では心許ない。新しい物に変えた方がいいだろう。
彼はダダダダと言うらしい。ここへ来て気付いたが、この国の名前は馴染みがない。議長の名前なんてゴルゴルだ。一生忘れられそうにないと思っていたが、さらにダダダダと言われると、来世まで覚えているだろうと、啓太は心の中で頷きながら彼の説明を聞いていた。
破損している剣は、勿体ないので短剣に打ち直してくれるらしい。
新しいものは、それと同等か、それ以上のいいものを作ると約束してくれたのだが、剣が出来上がるまでにどれだけどれだけ早くとも1ヶ月かかると言われた。
鋼を休ませる時間が必要なんだそうだ。いかに自分が頑張って、誠心誠意やっても時間だけは過ぎるのを待つことしかできないと熱弁してくれた。
この旅の主は啓太と綾なので、1ヶ月かかると言って文句を言う者も無く、ガルデルがルーフェル鋼の方がいいと言うので、ダダダダに作ってもらう事にした。
聞けば彼は工房長らしい。若く見えたが、35歳の誕生日を先週迎えたと言っていた。5年連続で、ルーフェル鋼の刀作りを競う大会で最優秀を取っていると他の職人が言っていたので、議長のお墨付きを貰えるわけだ。
ガルデルは今回の件を報告書としてまとめて王国に送らなければならないと言い、実はベルやルチアにも同様の仕事があるらしく、部屋に引っ込んでしまった。
部屋にいてもやることもない啓太と綾とウェインの3人で、剣の道場に赴くことにした。こちらも最高議長の紹介が行っているはずだ。
「にしても、ルーフェル鋼を再起不能にできるなら、例の彼の剣もルーフェル鋼だったのかな? 魔族にもそんな技術があるとは、思わなかったな」
「ウェイン達こちらの世界の人には、思いもよらないでしょうけど、私たちはそうでもないわ。グランドウォールのこちらとあちらに、知識の差はないか、向こうのが上の可能性のが高いわよ」
「向こう側って、南極や北極と同じなんだよね? 永久凍土って……そこで暮らすってなると色々しんどいんじゃ」
啓太の言うことはおそらく正しいだろう。1000年細々と戦っている事が負に落ちないが、今回はこちら側を落としに来ていると思われる。寛人が賛同するだけの、確かな理由があるはずだ。
「さあ! ついた。とにかく強くなって損はないから、鍛えてもらおうよ」
道場も壁はなかった。湿度も高いこの国では、基本的に屋根があるだけで外と変わらない建物ばかりだ。
啓太が泊まるホテルや、ギルド、議会堂などはメーカーの空調設備があるが、高価なので殆ど一般には出回っていないそうだ。壁を作ってしまうと風が入らず熱がこもるので、自ずと壁をなくした住まいばかりになる。
メーカーが高価になってしまうのには理由がある。
ファルトニアが技術を外に出さず、都市内だけで製造しているからだ。
それもそのはず、王国には他に輸出できるものがないので、莫大な利益をもたらすメーカーは門外不出となってしまっている。
「私も剣をならうの? 使い物になるとは思えないんだけど」
「綾はあれだけ魔法を使ってもケロッとしてるからね、体力もあると思うよ! 短剣の扱いくらいは覚えよう」
アスリリーリャ補正もあるだろうけどね、とウェインが付け加えた。
それが何かは流石の啓太も知っている。アスリリーリャが神使である以上、特別な力があるのだそうだ。それが綾は、圧倒的に魔法へ極振りされていると思われるのは、本来最上級の魔法を1発撃てば座り込むくらいには消耗してもいいが、彼女は連続して使える上に、疲れて動けないところなど見た事がない。
けれど今ひとつパッとしない啓太には、再教育が必要だろう。学ばねば、補正されていても発揮できない。
「ガルデルはやり方が甘いのよ。ここの道場も甘かったら、もうあんたが伸びる道はないわね、ウェインに弓を教えてもらったら」
「がんばる……」
はぁ、とため息をつく啓太の肩に、ぽんと手が置かれた。
振り返るとそこには、啓太と同じか少し年下くらいの男の子が居た。
「君がアスリリーリャ?」
気怠げな少年の声は、まだ変声期を迎えていないようだった。啓太の喉がゴクリとなった。
彼の手のひらは硬く、剣士のそれであったし、声変わりをしていない年齢には似つかわしくないほど体はしっかりしている。
「そう、啓太です。よろしくお願いします」
「俺はジズジズだよ。かしこまらないでよ! 俺が
そのあとは啓太にとって悲惨だった。スパルタどころの騒ぎではない、殆ど暴力のようなしごきだった。
それを横目に、綾は短剣の扱いを学んでいたし、ウェインも楽しそうに他の弟子と打ち合っていた。なぜ自分だけこんな、と挫けそうになり、毎日もう明日は行かない、と心に決める、が‥‥
「啓太様、今日も訓練頑張ってくださいね。こちらはお昼にお召し上がりください」
と、ルチアがお弁当をくれるものだから、毎日毎日泣きながら道場に通った。ちなみに、お弁当作戦の仕掛け人は綾なのだが、ウェインもルチアも黙っていた。もちろんルチアは深く考えておらず、綾に作ってあげて喜ぶから、と言われやっているだけだが。
「お弁当、美味しい?」
綾が訊ねると、彼は嬉しそうに頷いていた。
「啓太もずいぶん上達したから、俺が相手するより剣豪に手合わせしてもらえよ」
ジズジズが言う。彼はお母さんに作ってもらったお弁当で、曲げわっぱのような木の弁当箱に豆とお肉が詰まっている。
「なに、剣豪って明らかに強そうだけど」
綾のお弁当は、ベルが作ってくれている。
公爵令嬢は料理も心得があるらしい、親への反抗心で厨房に入り浸り覚えたそうだ。
「剣闘会で優勝した人の事だよ」
「確か今の剣豪って、10年連続で挑戦者を退けてるんだよね?」
ウェインのお弁当は自作である。ベルが作ってくれるわけもなく、ティブルにつくろうか?とニヤニヤされながら言われて、ベル達と自分で用意する事にしたのだ。
「惜しい、12年だ。他のやつが剣闘会の王座に座るのは、あと20年は無理だろうな」
もっとかも、とジズジズは肩を竦める。
「で、どこにいるの? 剣豪は」
綾が訪ねたので、彼は道場の奥を指さした。そこには片足で立ち、剣を高く構えた銅像が飾られている。頭には花と草でできた冠をかぶっている。
「銅像じゃない。まさか剣闘会の時はあれが動き出すとか言わないわよね?」
「ははは! それは面白いね。綾さんってほんと面白いよね!」
にこーっと笑うジズジズ。この国では綾は面白いことを言うらしいのだが、どの辺りか全く理解しがたい。ひとしきり笑った彼は息を整えて、また口を開く。
「さすがに夜は家に帰るし、朝は誰より早く来るけれど一応家庭のある人だからさ。とりあえず、彼の修行は基本ずっとあれ、あれが真似できたら剣豪になれるかもね」
なんと彼は一日中ああして銅像に扮しているらしい。ここへ来て2週間経つが、気付かなかった。肌にも何か塗っているし、狙っているとしか思えない。
午前と午後で片足立ちが右足左足、剣を持つのも左手右手が入れ替わるらしいが、道場にいる弟子もそれすら気付かないそうだ。
「御師様に許可とってるから、ちょっと付き合ってもらえないか、ご飯食べたら聞きに行こう」
「綾はもう少し短刀を扱う練習をしたほうがいいよ、あの手の修行も、土台がなければ意味がないからね」
やり方が違うとはいえ、部活でも、そしてこちらに来てからは王国流でも、剣を学んでいたことは間違いないので、啓太には土台ができている、とウェインは言っていた。
啓太からしてみれば、部活は全く生かされてない気がしていたが、1年剣を習うだけでは身につかない身体運びが、すでに備わっているらしい。
そして綾とウェインは昼までと同じメニューをこなす中で、ジズジズと啓太は、道場の床の間のようなところに立つ剣豪に声をかけた。
「御師様から話きいてるよね? バルバルに啓太を鍛えてほしいんだけど」
「あの、啓太です…っ! よろしくお願いしますっ」
近くで見ると思ったより小柄だった。バルバルの目が、右目だけパチリと開く。品定めでもするかのようにじろりと啓太を見た。
「ジズジズ、お前もやれ。並べ、利き足を上げろ」
剣豪バルバルはまた目を閉じて言った。慌てて2人が並んで利き足を上げると、彼は「違う」と目を閉じているのに言った。
「俺を向いてどうする、向こう向いて立て。道場の気配を感じろ」
バタバタと2人がバルバルに背を向け、またそれぞれ利き足である、右足を上げた。
「下半身が決まったら今度は足と反対の手を上げろ。今日は剣を持たなくていい」
沈黙の時間、そしてすぐに啓太の腕がじんじんとし始めた。
きついっ! きつすぎる!
「啓太、腕が揺れているぞ、集中しろ研ぎ澄ませ」
「はい!」
「返事はいらない、無になれ」
「はい!」
「‥‥‥」
煩悩と雑念の塊、片桐啓太とは自分の事。よくわかっているが腕が辛くてあと5分と持たない気がする。
ただ後ろからの威圧が凄かったので、その腕を下ろす事などがなわない。けれど集中を失った啓太の体は、ぐらぐらと揺れ始めた。足下がバランスを失ってしまったのだ。
「あ、だめ、やべっ」
ごとん、と啓太の体は倒れて、すぐに起き上がれない。腕にサァっと血が通い、ぴりぴりと感覚を失っている。
ジズジズが、とてもがっかりした目をしているのが、ひたすらに辛かった。
「お前話にならないな。静の心を学ぶ前に筋肉をつけろ」
バルバルはもう目を開きもしなかった。そのあとは見習い弟子に混じって、ひたすら筋トレをした。それしかさせてもらえなかった。
けれど見習い達と筋トレをしていたら、目に見えて体は変わっていた。
「啓太様、なんだか大きくなりましたね。剣豪の特訓の成果でしょうか?」
ルチアの笑顔に、啓太はありがとうと弁当を受け取った。
筋トレはつらい。一緒にやっていた見習いのうち、何人かは来なくなってしまっていたし、「ぐう」とか「あぁっ!」とか苦しい呻き声が飛び交うその見習い訓練は、常識では考えられない。腕立てなら500回はやる。岩を持ち上げたり、素振りなら1000回が基本だ。
毎日そんな事をしても体を痛めないのは、ハルが体を巡っているからなんだそうだ。
それからさらに2週間、剣が仕上がっても良さそうな頃合いだが、ルチア曰くこの国の人はのんびりとしていてあまり期限ごとは厳しくないそうだ。
催促に行かないと、と言われて道場の前に工房へ行った。
「もう少し時間くれる? 鋼を休ませる事が最も重要と言ってもまちがいじゃないんだよね」
とダダダダは言っていた。
「いい加減、グランドウォールに行かないと」
「啓太の焦りはわかりますけど、死ににいくのは私嫌ですわ」
「ちょっと調べに行くだけだろ?」
「そのちょっとで魔族に遭遇しない可能性は?皆が散り散りにならない可能性は? 誰も安全など保証してくれませんわ」
「そりゃ、まあ、そうだけど‥‥」
ベルの言葉がわからないわけではないが、啓太は寛人が取り返しのつかないところまで行く前に、こちらに来て欲しいという思いもあった。
それが可能か不可能かは一先ずおいやって、啓太は黙々と道場に通うしかなかった。
やっとまたバルバルに見てもらえる事になり、腕上げ足上げ目を閉じてみる。以前のようにぐらつくこともなく、腕を上げることもそれほど苦痛ではない。バルバルから注意を受けることもなかった。
「これでやっと、
そこまでになれるか、見ものだな、とバルバルは鼻で笑った。
「息をひそめろ。戦闘中は、呼吸で相手に動きを読まれる。自分の気配を徹底的に無くし、周りの動きを感じるんだ」
言われている事ができるようになるのか、疑心暗鬼だった。けれど1時間くらい経った頃にぷつぷつと、意識の中で時々見ていないのに人が動いていくのが見え始めた。
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