第11話 枢機卿
聖サーリア法国は豊穣と癒しの女神サーリアを国神として崇める、宗教国家であり、最高権力者は教会のトップである法帝だ。世襲はなく時代時代で様々な人物が法帝として君臨してきた。
王国とは長い歴史上しばしば衝突してきたが、現在では良好な関係と言える。
農業や酪農が盛んで、この国にしかない食べ物が沢山ある、美食の国としても知られている。
治癒術を学ぶ者は必ずここの教会に入る事になる。
アーチを出た一行はハァ、と肩の力が抜けて座り込んだ。
「門まで頑張りましょう、アスリリーリャの滞在を知らせるので寛げる宿を用意してくれるはずです」
ガルデルもげっそりだ。
珍しく疲労の色がみえる。
聖サーリア法国が用意してくれた宿は、なんとまさかの教会だった。特別来賓室なるものがあるようで、ホテルのスイートルームのような作りで足元はカーペット敷に、8人がけのダイニングルーム、ベッドルームは3つ、窓際にはソファーが置かれ、法国が一望できる。仕上げには、ウエルカムフルーツがテーブルには置かれていた。
「法国はすごいね。こんな宿には泊まった事がないな〜」
「部屋がばらけない方が、護衛するのにも丁度いい」
ウェインとガルデルがあちこち点検している間に、コンコンと扉がノックされた。
啓太が開けようとしたのを、ガルデルが制し「はい」と返事をする。
「お疲れのところ申し訳ありません、私は聖サーリア教会の
ピタリ、全員の動きが止まった。
枢機卿がわざわざ来るとは何事だ、法帝とは明日面会予定と聞いたが。
「枢機卿ってなに!!」
小声で啓太がガルデルに耳打ちすると「偉いさんだ」と返してくれた。
「‥‥かまいませんわ、私がお開けします」
ベルはツカツカと歩み出て、扉を開けた。
そこに立っていたのは可愛らしい女の子で、啓太は思わずヒュッと息を吸い、そのあと吐くのを忘れていた。
煌めくような銀色の髪は、この世界メルドラドではそこまで珍しい色ではない。けれど白い肌に唇のピンクがよく映えて、揃いの灰色の目が穏やかにこちらを見回せば、美しい、かわいい、と啓太の中で叫び声が響いていた。
「お久しぶりですわ、猊下。さぁお入りになって」
ベルはどうやら知り合いのようだ。
枢機卿はベルベットの深い紺色の法衣を纏い、肩に
どう見ても歳の頃は18、9で、啓太には自分とそう変わらないように見えた。
「初めまして、ルチア・シュヴァリエと申します。法帝の枢機卿を勤めております。女神サーリアが結んでくださった皆様との
ポーっと見つめている啓太の視線に気付き、枢機卿はニコッと微笑み返した。
耳まで赤くする啓太を、見ているこっちが恥ずかしい、と全員が目を逸らした。
「わざわざ
ベルの言葉に枢機卿は首を振り「世界の大事ですから」と真剣な眼差しを見せた。
全員の自己紹介が済んで、枢機卿ルチア・シュヴァリエとしてここへ来た理由を話した。
「実は、今、法帝は病に倒れています。とても面会できる状態ではないのですが、明日の面会と伝えた者がいるようですので参りました。お恥ずかしながら、私含め5人いる枢機卿のうち2人がどちらが後継にふさわしいか、揉めていまして‥」
「法帝が倒れた今、お互いにやり合ってるって事か」
「左様でございます。根回し程度ならよかったのですが、既に暗殺騒ぎになってしまっていて‥アスリリーリャの方に危害が及ばぬよう先に状況説明に上がりました。ご無礼をお許しください」
「法帝聖下は、後継の指名をしていないのか?」
ガルデルの質問に力なくルチアは「しています」と答えた。その先を口籠ってしまい、見かねたベルが捕捉した。
「後継はルチア猊下なのよ。けれどまだ20歳になっていない猊下は法帝になれないのです」
「なるほど、後継の指定自体このままでは無効ということか」
「こんなに早く体調を崩されるとは、法帝も思っていなかったのだと思います。一月ほど前に急にお倒れになって‥もうお話もできなくなりました。尽くす手も尽きました‥このまま‥女神から離れ、大神様の元へ帰られるのかもしれないと‥みな覚悟しています‥」
よほど切羽詰まった状態らしい。今にも泣いてしまうんじゃないかと思うほど震えている。
「申し訳ありません、こんな個人的な感情を。法帝との面会はかないませんが、私に皆様の話をお聞かせくださいませ」
寂しげなその視線に、啓太は胸が締め付けられた。なんとかしてあげたい、が、自分に出来ることなどたかが知れている。
ダンジョンでの出来事を話せば、ルチアの表情はますます曇っていく。
「法国も揉めている場合ではないのに‥」
悔しそうな呟きだった。
「寛人は騙されていると思う。魔族がアスリリーリャを利用してるんだ」
「だとしても、魔族も聖堂を持っていて、あの日私たちと一緒にこっちへ来たんなら、魔族もいわゆる大神様の子って事じゃない。やっぱり魔族がなんなのか理解する必要がある、グランドウォールに向かうべきだわ」
「グランドウォールか、初めて行くなあ」
能天気に笑うウェインに、ガルデルは「ものすごく寒いです」と首を振る。
「ちがう!またダンジョンに入る!寛人を探さないと!」
ムッと声を荒げた啓太に、綾の顔にはイラッと書いてある気がした。明らかに怒っている。
ドンと立ち上がり啓太を見下ろすと、彼女は言う。
「わからないの?感情ばっか押してこないで!あんたの友達が魔族といて、私らを殺しにかかってきた。理由か原因は必ずある!私らはどっちが悪者か
綾の言葉に、啓太は心底ショックを受けたようだ。
その可能性は微塵もなかった。
こちらが悪なのか、寛人にとっては、と初めての衝撃だった。
「あんたには本当イライラさせられるわ!もっと自分の頭で考えなさいよ!」
「綾、落ち着いて。枢機卿もいらっしゃる事だし」
ウェインが後ろから抱きつく形で綾を固定した。
「やめなさいよ!」と抵抗する彼女をそのまま外へと連れ出した。
シンと気まずい空気が流れる。
「私たちは悪者じゃないですわよ」
「ですが時に、誰かにとって悪になる時はございますよね?」
「猊下、それを言うとキリがないですわ」
「‥ええっと‥啓太様、元気を出してください‥」
心配そうにルチアに覗き込まれて、啓太の心臓が跳ねた。
「‥んん、なんだろうこの感じ。落ち着かないわ」
ティブルが体を震わせた。
ガルデルは物知り顔で頷き、ベルは呆れた、とため息をつく。
グランドウォールも、法国からは遠い。一先ずは休息しよう、と解散した。
「あんまりぷりぷりしてるとシワがふえるよ!」
ツカツカと街を歩く綾に、ウェインはからかうように声をかける。
ぐるりと振り返った彼女は、めちゃくちゃ怖い顔でこちらを睨んでいた。ハハと軽く笑ってかわした彼は、横に並んで共に商店街を歩いた。
彼女の気が立つ原因はいつも啓太だ。
「僕も昔、啓太と似たようなことがあったよ。兄に裏切られて、意味がわからなかったなあ」
「‥‥で、どうしたのよ?」
「ん〜家出した!」
「はあ?なんで?!」
「尖ってたからかな?ははは、理由くらいきけばよかったと思ってるよ」
「両親が止めるでしょ?」
「両親とは家庭内別居で、身の回りのことは違う人がしてくれてたからな〜彼らはいつも能面つけてて、何にも言わないし、よくわからなかった」
「ちょちょっとまって家庭環境重すぎる。私が聞いてもいい話なの?それ」
「もちろんさ!君の家はどんなだった?」
「うちは‥普通よ‥」
「あー、そう言うことにしておこうか」
うんうん、と微笑むウェインを綾は少し眩しいと思った。羨ましさと、もう一つはどんな言葉が的確かわからず言い表せない。
ギルドと言うものがどんな組織なのかよくわからない。こちらの大学も随分変わっていたし、ギルドを企業と想像していたが違うかも知れない。
少しずつ様々な事が違う世界の彼は、とても眩しかった。
「ねえ、綾ーー」
ウェインが何か言いかけた時、
ウーーーッウーーーッウーーーッ
とけたたましくサイレンが鳴り響いた。
ザワザワと周りの人々も慌てふためき走っていく。
何の音?と首を傾げる綾に、答えをくれたのはウェインだった。
「魔物が街に入ったことを知らせるサイレンだ」
ドッとハルが澱むのがわかった。
2人は顔を見合わせ、武器を取った。
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