第10話 友達
空が白み始めた頃、啓太は喉の渇きに目を覚ました。水差しの水を口に含めば、騎士団が準備する朝食の香りがする。
騎士は体力仕事なので、朝は必ず肉が出る。
昼を抜くようなこともあるかもしれないので、朝1番が最も豪華だ。
天幕に護衛を兼ねて一緒に眠っていたガルデルはおらず、空気も冷たくなっていた。
起き出した啓太は外套がわりに冒険者のマントを羽織ると、外へ出た。
「おはようございます、啓太様。朝食を召し上がられますか?」
騎士に声をかけられて、啓太は立ち止まる。
見慣れた顔だ。
数名の騎士が既に朝食を始めていたので、一緒に座ることにした。
今日は鶏肉の香草焼きと、いつものナンみたいなパンに、野菜スープと葉物の野菜の、お浸しのような、ナムルのようなものに似た副菜だ。今日は果物もついていた。赤い果肉で、名前はわからないがメロンとよく似た味がするので啓太は好きだ。
ダンジョンで食べるものと大違いの、温かい食事がありがたかった。
「魔族と話そうとした人はいないんですか?」
啓太の質問には、同じ卓にかけていた騎士の皆が目を見開いた。思いもよらない、と。
「うーん試した人はいないでしょうね」
「魔族は空を飛んで遠くから指揮するだけで、近くに来るのは魔物だけです」
「そう、グランドウォールを越えて戦ったりもしないから、会話しようにもチャンスがないですね」
口々に騎士たちが言うと、今度は啓太が目を見開く。
「なんで、魔族と話しをしに行かないんですか?そんなにずっと戦っているのに」
「‥もう千年はグランドウォールで睨み合ってても領土内には実害がないから、ですかね?」
「ええ‥変なの。戦えば怪我する人はいるんですよね?」
「もちろん、死者もでますよ。それを変とは考えなかったですね。なんせ自分たちが生まれるより前からグランドウォールの任務はありますし、魔族とも同じ事ずっとしてますから」
「捕虜にしても、魔物がなにか喋るわけでもないですしね」
彼らの言い分を聞けば、啓太は確かに、とうなずきたくなった。何かおかしい気もするが、それだけ長く同じ状況ならば、当たり前になるとは思う。
「知恵をつけて隊列を組ませるなら、言葉くらい話せると思うんだけどなぁ‥」
「だとしたら、無意味に千年もグランドウォールばっかせめてないで他にやりようがありません?」
肩を竦める騎士の青年に、啓太は「たしかにー!」と大きく頷いていた。
「ウェイン!」
川の水を汲む彼に声をかけたのは綾。
ぴょんと寝癖をつけた彼は、にこやかに振り返り「おはよう、綾」と声をかけた。
「もう一度ダンジョンに行くのよね?」
「そうだね、1度ギルドに戻ってキメラの調査もしたいし、メンバーが集まってからかな」
「‥どうしても気になる事があるから、今日からもう一度一緒にダンジョンへ行ってほしい」
「え?!今日?!僕らはいいけど、君たちにはちょっと無理しすぎじゃないかな‥」
「早い方がいいのよ。日を開けると逃げられるかもしれない」
「逃げられるって誰に?」
剣呑な綾の雰囲気に、ウェインも流石に何かあったのかと水を汲むのをやめて、桶を置いた。
「完全に私の想像で話をするけど‥あのキメラは何かの実験か試験運用だと思う‥完全に勘だけど。生まれたてなら、近くに製作者がいたかもしれないし、様子を見に戻ってくるかもしれない」
「確かに今まで見つかるキメラはもっと小型だったしね。そもそもどんな意図があって、キメラをダンジョンに放っているのかもわからないけど‥」
「もっと向こうに澱みがあったわよね?大きな澱みが」
「んんんーまあ、あったね、確かに」
ははは、と、頬をかき「まいるな」と笑った。
「ただ、奥へ進めば出口は別のアーチになると思う。だから騎士団には撤収してもらう事になるし、脱出した先はどこの国かわからないけどいいのかな?」
「私はいいわ。啓太にはこれから聞く。ありがとうウェイン」
続けてのダンジョン探索は、アスリリーリャの判断ということで、王国の返事は待たないことになった。そのため騎士団長も同行することに。
「なんだそれ、行くに決まってんだろ」
「だよね、よかったわ」
と啓太とのやりとりの後、準備を整えた6人はダンジョンへと踏み込んだ。
「もちろん私はお姉様にずっとついていきますから」と言うベルは、質問のひとつもなく付いてきた。
各国には緊急対応用のドッグタグが用意されており、騎士団長であるガルデルはそれを使う。
アスリリーリャに付き従うのが、彼の今の任であり、タグを持ち王都を出たのは当たり前のことだったようだ。
「すごいね、前より澱みがよくわかる」
ダンジョンを黙々と歩く沈黙を、ウェインが破った。
「だな。昨日は気のせいで済ませられるレベルだったが、今日はすごいな。一体何匹居やがるんだか」
「とにかくまずはドラゴンの所まで行きましょう」
滝の泉の広場は、ドラゴンが光の鳥籠に捕らえられたままだった。
「変わりはないようだね。相変わらず12時方向に強い澱みも感じる」
「すまんがここで今日は休もう、奥まで入るなら、早い目に休息していったほうがいいだろう」
ガルデルの提案は最もだった。
だがこの場所には問題がある。
「もしこのキメラの製作者が戻ったときに、一網打尽なんて事もあり得ますわよ」
「むぅ、確かにそうだな‥」
「もう少し先に進もうか」
ウェインに促されて再び皆歩き出した。
「移転魔法が人体にも使えたらなぁ」
ティブルの愚痴っぽい口ぶりからも、それが可能でない事がわかる。
「そうね、準備のめんどくささを考えても、改良したい魔法だわ」
「おお!さすが天才研究者!頼むよ〜前に中級火炎魔法の威力アップしてくれただろ?あれは助かったわ。魔物の素材取ったら死体は燃やすんだけど、みんな火力不足で困ってたんだぜ?まあ俺は魔法使えないけどな」
「初級と中級は威力が似てましたものね。そして上級だと強すぎる、使い勝手の悪さではピカイチでしたわ」
さすがお姉様、とベルの恍惚の表情に、「そういうのじゃないわ」とティブルがサァッと引くのが見えた。
「ティブルは移動魔法は出来るの?」
啓太が素直な疑問を問うてみると、得意げな顔で「当たり前だぜ、銀なんだからよ!」と返ってきた。
「基本的に2、3人がかりならギルドで移転魔法を使えない人は居ないよ。使えないと素材の回収とかに苦労するからね」
「それ言うなよ、凄みがさぁ‥」
「ま、ある意味、移転魔法がギルドのお家芸ですわね」
「ティブルは移転魔法がなくてもすごい!剣捌きがすごい」
啓太が鼻息荒くそう言ったが「語彙力がないわね」と綾が静かに突っ込みを入れた。
「はははっ!前回の探索ですっかり仲良くなられているようで安心しました」
爽やかなガルデルの笑い声に、皆は顔を見合わせる。確かに、距離は縮まっていた。全く気の休まらない野宿をくぐり抜けて、ドラゴンと戦って、数日でかなり濃い経験を共にしているのだから、仲良くなるのは自然かもしれない。
道中は、歩けば魔物に当たると言ってもいいほどエンカウントしていた。
それが異常な状況であることはウェインたちからも言われたが、この調子だとダンジョンを探索するのは厳しい、全員がそう感じ始めていた。
「まずいな、ちょっと休憩しよう」
歩みが遅くなってきた一行に、ブレイクタイム、とティブルが言った。
「今日はまだ少しも進んでいませんわよ?」
その提案を明らかにイライラしたベルが蹴り飛ばそうとするが、そこにウェインがすかさずコーヒーを入れよう、と提案し強引に腰を下ろす事になった。
「なるべく万全にしないと、何があるかわからないからね」
わかっている、ベルも知っている事だったが、ハルの澱みもどんどんと濃くなり息すらし辛くなっていた。ままならない不快さに気が立って、焦ってしまう。
それこそがダンジョンの罠でもある。
1週間はゆうにすぎ、ずんずんと奥まで来た。ウェインもティブルもこれ以上先には入ったことがないという場所まで既に来ていた。
最短ルートできたけれど、想定より時間を要したのは、大量にエンカウントする魔物のせいだ。疲労も多い。
なまじ数こそ多いが、道中特別変わった魔物に遭遇する事もなく、逆に不気味、とティブルが震える。
普通キメラの1匹や2匹は会うものらしい。
「なんか変な感じするわね。ハルが重いのに、すぐ先で軽くなってるような。そこに流れ込んでいるような」
綾は目を閉じてこめかみを抑える。
じぃっとハルの流れを読むように、そうしてハルを追いかけていく。
「この先には確実に何かしら大物が居るだろうね」
ウェインもたたらをふむ程に、先へ進むことは躊躇われる異様な状態のようだ。
ハルの流れが全くわからない啓太とガルデルはしばし蚊帳の外だったのだが、ここへ来てやっと、ねっとりとした肌にまとわりつく不快感を覚えるくらいには感じ取れていた。
「‥何か聞こえますわ‥‥歌?」
あゆみはじめる事を誰ともなく躊躇していると、ベルがハッとして辺りを見回した。
『回れ廻れよ 希望の子らよ 我らキュベレーと共に 争わぬこの世に 甦れ 再び星降る その時まで』
歌だった。
流れるような、美しい歌だ。
人がいる、サァっと背筋が凍り、同時にピンと頭が冴えていく。そんな皆とは裏腹に、啓太は驚愕に立ち尽くす。
「‥‥ひっひろと‥寛人!寛人!」
駆け出した啓太に、綾は「待って!」とマントを掴んだが、それでは止まれなかった。
啓太はそのまま奥へと走っていく。遅れはしたが皆も弾かれたように駆け出した。
「なに!寛人って誰だっけ!」
ティブルは走りながら剣を抜いた。
「啓太の友達よ!」
綾は既に最悪の結果を想定していた。
そうでなければ、説明がつかなかったからだ。
結果はー。
「寛人!」
飛び出した啓太の眼前に広がったのは、思わず綾たちに言い訳したくなるような信じがたい光景だった。
見慣れぬ服を着た寛人と、沢山の魔物に囲まれ、隣に寄り添っているのは浅黒い肌と銀色の目、そして大きな白い羽を持つ人。それが皆が言う“魔族“と言うものなんだろうな、とすぐにわかってしまった。
「寛人!無事、だったんだな?」
ゆっくりと近付く啓太に、寛人は隣にいた魔族を見遣り、顎で指示した。
その後すぐに剣を抜く。
「待ってよ!戦うつもりなんかない!話がしたい!」
「‥‥‥‥」
寛人は黙ったままだ。
魔族がダンジョンの空に飛び去って、寛人は手を振り下ろした。
そのあとは悲劇だった。ベスティアが啓太に真っ直ぐ向かってくるのだから。
そして畳み掛けるように寛人が魔法を使ったのがわかった。詠唱こそ聞こえなかったが、背中に赤色の術式が浮かび上がったからだ。
「リーキド」
綾の水魔法が飛んだ。それは寛人の火の魔法とぶつかって、むわっと水蒸気が上がる。
飛びかかるベスティアを斬り伏せ、払いながら、啓太は何度も「寛人!」と呼びかけていた。彼の目はこちらを見返すが、なにも言わないし、なにも反応しない。あんなに冷えた目をするようなやつじゃなかったのに、と啓太は思わず歯を食いしばっていた。
「なにがあったんだよ!」
ベスティアの血飛沫を浴びようとも、啓太は寛人に近付こうと進み続けた。
ティブルの援護に、ウェインも的確に矢を放つ。
時折ベルがクラルを唱えて、ひたすら突っ込む啓太の小さな傷を癒す。
「メテオリト」
寛人の詠唱が、今度ははっきり聞こえた。
「なんという魔法を使うのですか!」
ベルの悲鳴。そして綾の詠唱が聞こえた。
「ノチェブランカ!」
彼女がそう言ったすぐ後に、皆を守る球面の盾が現れ、同時に溶岩が降り注いだ。
「信じられない!自分だって死ぬかもしれないような魔法を、こんなに躊躇いなく使うなんて!」
綾はハルを注ぎ込み、盾を維持し続けている。
このノチェブランカは彼女が開発した魔法の一つだ。
「お姉様かっこいいですわ!!」
「啓太!メテオリトがやんだら、一気に狙うよ!」
ウェインは矢をつがえ、いつでもいいように寛人めがけて構えている。
「‥でもっ!!」
「おいおい、今殺される寸前なんだぜ?あれほんとに友達なのかよ!」
ティブルの言いたい事はよくわかるが、確かに寛人だ。
見間違いなどあり得ない、よく知った顔なのだから。だからこそなぜ、攻撃してくるのか、口もきかないのかわからない。
戸惑いを隠せない啓太は、オロオロとしどろもどろに寛人を呼ぶが、返事をしてもらえないでいる。
メテオリトがやんだ瞬間、寛人は啓太の目の前までまるで瞬間移動でもしたかのように飛んできた。
啓太は振り抜かれた剣を、どうにか受け止めるだけで精一杯だった。
崩れた体勢に、寛人はさらに斬り込んだ。
間髪入れずベスティアは綾たちに襲いかかり、啓太を援護する隙もない。
「くそっ!」
啓太は左足をふんと踏ん張り、軽く跳ねた。反動で剣を振り、寛人にそれを受けさせ、自身はぐんとしゃがみ込んだ。
そのまま斜め上に飛び上がって、寛人の顎めがけ頭突きした。
「ぐうっ!!」
苦しげに呻いた寛人に、啓太は武器を取り上げようと、思い切り剣を弾いたが「ビエント」と、何度聞いたかわからない風魔法で、啓太は呆気なく吹っ飛ばされた。
ドシャっと地面に落ちた時、息もできないくらいに痛かったが、それはすぐにベルが回復してくれた。
寛人が間髪入れずに突っ込んできたので、回復がありがたい。すぐに立ち上がった啓太は、上段の構えで寛人を迎えた。
「どうしたんだよ!」
カンカンッ、キンッ、と何度も何度も打ち合えば、刃こぼれもしてくる。
鍔迫り合うたびガギッと嫌な音がする。
「寛人!なにがあったのか教えてくれ!」
何を言っても言葉は返ってこない。
しかし、実力は寛人が遥かに上らしい。啓太はカンと軽く剣を払われて、手から離してしまった。じぃーんと手が痺れる。
すかさず首を狙う寛人の切っ先をかわして、彼は尻餅をついてしまった。
おわったかも
一瞬だけ、そう思ってしまった。
けれど最後の一閃は来ず、寛人が困ったように二の足を踏んでいる姿が見えた。
そしてすぐに啓太はガルデルに引っ張り出され、綾が再び「ノチェブランカ」を唱えた。
何も言わずに全員が走り出す。とにかく離れなければ、あの場で全員が死ぬであろうことは容易に考えられた。
むしろ寛人が見逃す気がない場合、間違いなく殺されるだろう。ならば少しでもためらった時に全力で逃げるしか、生き残る手はない。
ガルデルに半ば引きずられるようにして、啓太はなんとか走る。もつれる足を立て直してくれるのは、ガルデルの右腕だ。あと後ろからずっと綾が「ビエント」をかけて啓太を軽く押し続けている。
今なら走るのをやめても、このまま連れて行ってもらえそうだ。
「最短で出られる別のアーチからダンジョンを出よう。僕らだけでは手に負えない、この事も早くしらせて、首脳会談をしないと」
ウェインが言った。
あとどれくらい走る?とベルは正直聞きたかったが、黙々とお姉様が走っているのにそんな弱音じみた質問はできない。
フンと鼻息を押して、彼女は走った。
そして一行は、王国のアーチから南に降りていき、聖サーリア法国に入る事となった。
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