第9話 少年の葛藤
「いやあ、ごめん。抜かったわ」
ティブルは気まずそうに頭をかいた。
ベルは跪いた姿勢を崩すよりも前に、彼女はパタと石畳に倒れてしまった。
「お、驚きましたわ。レフリヘリオン以上の治癒の出番があるなんて‥女神サーリアに感謝です」
習得しておいてよかった、とベルは安堵のため息を溢した。回復魔法、いわゆる治癒術は聖サーリア法国の御家芸で、医療大国であるベルの祖国、シュヴァート皇国とはどちらかと言うと反発関係だった。
今でこそ行き来があるが、オペラシオンほどの回復魔法を外国から来たベルが学ぶのは、生半可な事ではなかったはずだ。
「あれが有名なオペラシオンか、ベルリア女史、ありがとう。俺生きてるわ」
ティブルは手を差し出した。
「私は名医ですから」とベルは手を取り立ち上がる。
「無事でよかった。さすがにさっきのはもうダメかと」
ウェインが胸を撫で下ろし、綾は尻餅をついたまま固まっている啓太を見遣る。
自分が一番不幸な顔、と言う表現がしっくりくるだろう。彼はずっと怯えている、こんな所には来たくなかったのだから。
「なんか言う事あるでしょ」
綾が促してみても、啓太は俯くだけだった。
「‥‥一体いつまでそうやって拗ねてるつもり?あんたのせいでティブルが死にかけてたんだけど。偶然助かっただけで!!」
綾はツカツカと足を運び、啓太の前に仁王立ちした。なんとなく止めようとして、止め損なったウェインがハラハラしながら見守っている。
「すぐ慣れますわよ、フールレールの時は素晴らしい戦いをされたと聞きましたわ」
「それ言ってたの騎士団長でしょ?アテにならないわ。足引っ張るなら城にこもって美味しいもん食べて、可愛い女の子でも抱いてなさいよ」
綾のキツい物言いを見るのは2度目だ。啓太はあの冬の日の事を思い出した。
そしたら無性に腹が立ってきて、気付いたら言い返していた。
「びびって何が悪いんだよ!あんたみたいな冷徹女に何がわかる!!俺はふつーの人間なの!何もできない!あんたみたいに研究もできないし、魔法も意味わかんないから使えないの!戦うなんてしたことねーし!魔物も気持ち悪いし怖いし!腕折れた時もめちゃくちゃ痛かった!帰りたい!家に帰りたい!」
啓太はいつのまにか涙が出ていた。
どうしてどうして?と子供みたいに今の状況に対する言葉が出てきそうになる。
アスリリーリャとしての重責と、1年前、綾に置いていかれたこと、魔物と戦うのが怖いこと。
寛人の手がかりが無いこと。
「俺だって焦ってる!でも怖くて動けなくなる!足がすくむんだよ!俺にどうしろって言うのさ!さっきあのままドラゴンに焼かれてた方が良かった!」
あ、言っちゃいけない事だ。
そう悟っても、飛び出した言葉は帰らない。
パチン、綾の平手打ちが飛んだ。
グーだと思っていたので啓太は目を丸くして彼女の顔を見た、その茶色の瞳は真っ直ぐこちらを見て向き合おうとしてくれていて、溢れそうな涙に真っ赤だった。
「ここはもう日本とは違う、遊びじゃない。生きたいなら本当の戦士になるの。魔物とやるのは殺し合いよ。あんたがどんなに死にたがっても、誰かがあんたを守るでしょうね、アスリリーリャである限り。誰かが代わりに死ぬでしょうね。やめたくてもやめられないわよね、私たちはもう戻れない」
綾の目からポロっと雫が落ちた。
大人の女の人が泣くのを見るのは、初めてだった。
「これからいつも、常に勝てなきゃ死ぬしかないし、負けは許されない。死んだらなにもかもおしまい。ぐちゃぐちゃの肉の塊になって魔物に貪りつかれて、遊ばれて、それで終わり」
綾の言葉に啓太は俯いた。
恥ずかしい、どうして自分はこうなのか。
城ではみんな良くしてくれた。快適な1年間だった。だからアスリリーリャの仕事ができた時、行きたくないと思った。
なにより、ただ現状維持の自分を綾には見せられなかった。
「アスリリーリャのあんたが立ちすくんだら、周りで誰かが死ぬの。立ち向かえないならほんとに城へ帰ってよ」
「わかっていないのはあんたでしょ」と彼女の瞳は言っていた。確かに啓太はそこに考えついていなかった。自分を守り、誰かが死ぬんだと。メルドラドの人々はアスリリーリャをもてはやすに終わらない、本気で世界を救う神の使いだと、信じているんだと。
ぐっと拳を握る。
言葉ではない、これから挽回しなくては、と啓太は唇を噛んだ。
そしてティブルに駆け寄ると、腰を折って頭を下げた。
「ティブルさん、すいませんでした」
急な動作に圧倒されていたティブルが、啓太の震える拳を見て相好を崩したのだった。
「ありがとうのがうれしいな」
彼の銀色髪が、光を透かして煌めいた。ハッとして顔を上げた啓太は、ニコッと笑うティブルに、鉄砲水のように感情が押し寄せてきた。
こちらに来てから誰にも吐露できずいた葛藤も、怯えも、喜びも、ごちゃごちゃにいりまじったその濁流にかき乱されて、大粒の涙がぼたぼたと溢れた。
「うお!なに!なんだよ!泣くなよ!」
ティブルはビクリと肩を震わせ、嬉しそうに啓太に歩み寄るとタンタンと優しく背を撫でた。
「あ、ありがとう‥!」
大粒の涙とともに、鼻水も垂れた。
あらら、と口元を隠して笑うベルと、仕方ない奴、とウェインも微笑んでいた。
ひとまず胸を撫で下ろした綾は、深く息を吐いた。
ウェインたちがドラゴンに後に移転魔法を使えるようにするための処理を施す間、ベルと啓太は邪魔しないように隅で周囲を警戒していた。
「なあ、ベル。皇国にはアスリリーリャはいないのか?」
「いませんわ、降臨すると鐘が鳴るのです。降臨した国には10回、そのほかの国では3回。我が国では3回、そしてアスリリーリャの降臨を隠匿しておく事は出来ません。どの国にもある大神様の聖堂には降臨と共に光が降り注ぐのですから、多くの人がそれを目視し、鐘を聞き、黙っていることはないでしょう」
「一緒に寛人って友達が来てるはずなんだ」
「‥少なくとも、降臨すれば全ての国に知らせなければなりませんわ。そうでなくとも世界に関わる事を黙っているほど愚かな国はないですし、大神様に背くものはいません‥寛人様はこちらにいらしていないのでは?」
「‥そういうもん‥なのか」
しゅんと首を垂れる啓太は、主人のいない犬のようだ。しかしベルは、ふるふるとそんな気持ちを振り切って胸にしまい込んだ。
「三ツ首のドラゴンなんて初めて見たよ。ドラゴンといえば赤い鱗に太い首一つだけど、こいつは、鱗も黒いし、魔法の防御も赤い鱗より強かった」
ウェインはドラゴンを囲むように術式をチョークで石畳に書き込んでいく。
「翔ばれてもし上から火炎攻撃されてたりしたら、今頃全員死んでたかもな〜」
反対側から術式を書くティブルの声が飛んできた。
「飛べるようには見えないけど‥」
綾はドラゴンの羽を見て、触れた。柔らかく鳥の皮のような素材で、薄くて強そうだが、この巨体が持ち上がるほどとは思えない。
「ドラゴンは風に愛されてるんだよ。ハルの力を使って風魔法みたいな感じにして飛ぶらしい。だから羽は方向転換用かな」
「妙に設定が細かかったり雑だったりするわね。大神様って何者‥」
「大神様はこの世界を作った神様だよ。世界を作って何億年たった今でも僕らを見守ってくれているって言われているね」
「‥会えるの?」
「ええ?!会えないよ、神様なんだから。あ、でも綾はアスリリーリャだから会えるのかな?でもどこにいけばいいのかな。聖堂とか?」
ウェインとティブルの術式が繋がり、ドラゴンをぐるりと囲む魔法陣が出来上がった。
けれどまだ作業は終わりではないらしい。
ウェインとティブルが、今度は15枚ずつくらい、小さな名刺サイズの紙を取り出した。
「たりっかな?」「大丈夫だよ」と2人は見合わせて確認すると、それを反時計回りに並べていく。
空を見上げる綾に、ウェインは「空を目指しても脱出はできないんだよ」と笑いかけた。
空を目指しても、森と石造りの建物が続いているだけで、ダンジョンの外とは違うらしい。
「目印がないからな、下手に空に出るとアーチに戻れなくなる」
飛ぶなよ?とティブルに念押しされた。
「ずっと先まで行った人はいる?」
この綾の質問には、2人が首を振った。それほど長く魔法を使い続けられる人はいないし、ダンジョンではメーカーが使えないんだそうだ。
「「アウラデパハロ」」
2人が唱えると石畳に置いたカードが飛び上がり、ドラゴンの真上で重なった。それは光の牢獄を作ってドラゴンを囲む。
「ねえ、私の認識が間違ってて、ドラゴンとか魔物はそういうものだったらごめんなんだけど」
「なに?なんか変なことあった?」
ティブルもウェインも興味深そうに綾を見た。研究者の目で、あのドラゴンはどう映ったのか、と。
「普通、ね、私ら手が二本あるから、どちらも自由に使えるじゃない?だから、右手を蚊が刺しに来たら、左手で払うとか、叩くとかしない?」
「するな」
「それはするね」
「でもあのドラゴンは、全くそういう素振りがなかった。私たちが攻撃する首にしか、意識がいっていないような‥本来なら、右を狙ったら左や真ん中の首が噛みつきに来たり、火を吐いてもおかしくなかったと思うんだけどあれは自然な事なの?」
綾の不安まじりの言葉に、ウェインとティブルは顔を見合わせ、目を瞬いた。
「キメラ‥キメラだったのかもしれない‥それもまだ生まれたばかりで身体の制御も効かないような‥」
「だったらやばいぞ。成熟してたら俺らほんとに一瞬で死んでた」
「キメラ?なに、それ」
不穏なワードに、綾は眉間を寄せた。
顔色が悪くなる2人は、ダンジョンの手練れなのだからそれが相当まずい事は伝わってくる。
「魔族のする事だよ‥ここでする話じゃない。移転術式もつけたから、最短ルートで引き換えそう」
ウェインは下ろしていた荷物を持った。
「ああ、もうドラゴンの相手はごめんだ」
ウェインの言う最短ルートは、本当に近かった。調査のために回っていたのはアーチから右側で、泉の広場からアーチはそれほど離れていなかったらしい。それから1日歩いたが、その日はダンジョン内で野宿をする事なくアーチを抜けた。
予定より早い帰還に、騎士団は皆心底ホッとした様子で居た。手出しできない所でアスリリーリャを死なせてしまうかもしれない恐怖は、彼らにとって辛いものがあっただろう。
「やはり数回魔物の襲撃がありました。大半は撃破しましたが、魔物はダンジョンを目指しているようで、撃ち漏らした数匹は中へ入ってしまいました」
ガルデルの報告では向かってくるのはやはり、ベスティアやグランデカメレオンばかりだったそうだ。
「こちらはキメラかもしれない、三ツ首のドラゴンが出た。鱗も黒く、魔法がほとんど効かない。至急各国に報告したい」
ウェインは「だが先に彼らを休ませてあげて」と啓太らを天幕へと連れていくよう促した。
急いで戻ってきたので、慣れない3人の疲労の色は隠せない。
「一先ず天幕へ。夕食の前に一度話をしよう」
ガルデルはパッと手をあげて、騎士を呼んだ。
それからウェインとティブルに向き直り「ありがとう」と鞘を持ち柄頭をたたいた。
スピー、スピー、とベルの可愛らしい寝息が聞こえる中、啓太と綾も六角形の天幕、それぞれの面に沿って設置された寝台に寝転んでいた。
「またお呼びしますのでお休みください」と言われて、ベルは倒れ込むようにしてそのまま眠ってしまったが、啓太も綾もアーチを出た安堵と、高揚感も相まって眠りにつく事はできなかった。それでも体は疲れていたので、ベルに倣って横になる。
「あのさ、綾、ごめんなさい」
啓太は目を閉じている彼女が、眠っていないのはわかっていた。
「べつに私は‥、治癒術があって、よかったわね」
「うん、まあ、そう‥ほんとに」
そうでなければ本当にティブルは死んでいたと思う。
癒えるまでの時間、どれほどの苦痛だったのか全身が焼ける経験をしたことがないのだから、分かるはずもない。
「で、帰りはちゃんと戦えてたじゃない。行けそうなの?」
「うん、まだ躊躇う気持ちもあるけど、ちゃんとしないと誰か別の人が怪我をするかもなんて、考えもしなくてさ。ベクトルが違うな‥ほんと」
「ベクトルは違わない。年齢が違うだけ、私とあんたの差は大きいわ。10代から20代は1番考え方も変わる時だから」
「なら早く大人んならなきゃ、追いつかないと」
「それも違う。急いでどうこうなるもんでもないし」
啓太はなぜ焦れているのか、自分ではよくわからない。そもそも、いつも付き纏う劣等感を、どのように往なしたらいいかがわからないし、もがき苦しむ己を、助けてくれる大人がいるのに気付いていない。
けれど綾も、それを彼に気付かせてあげる事が出来なかった。
『私がついてる』と言ってやりたくとも、全て背負うほど強くはないのだ。守ってやらないとと思う気持ちと矛盾していく。
「あとさ、ティブルは‥アスリリーリャでなくてもあんたを助けたと思うわよ」
夕食前に予定されていた話し合いの場は、ベルの熟睡具合を考慮して夕食後になった。
揺すろうが叩こうが起きなかったのだ。
何日かぶりにありつくちゃんとした食事、それを準備する香りが漂うまで、彼女が目覚める事はなかった。
ダンジョンでは干し肉と日持ちする根菜類のスープにかたーいパンばかりで、実は啓太も辛かった。
あとは穀物の粉末を練って焼いた、パンもどき。パサパサでこれも辛かった。
「‥なるほど、やはりダンジョンはもう一度掃討作戦を兼ねて調査した方がいいようだ。王国ももちろん協力する」
一連の報告を聞いたガルデルは、苦虫を噛むように難しい顔で、ハァ、と深く息をついた。
何かを考えるようにトントン、と腕組みした指を動かす度に眉間のシワが深くなる。
「しかしキメラのドラゴンか‥不穏だ‥ギルドだけに投げるわけにいかない」
「あの、キメラのドラゴンってつまりどういうこと?」
綾の質問に、啓太も頷いた。
口を出さないように成り行きを見守っていたので、疑問を先ほどから飲み込んでいたのだ。
「キメラっていうのは、魔族が作り出す特別な魔物だよ。詳しい事はわからないけど、土台となる魔物に別の素養を加えて違う魔物を生み出すんだ。ほとんどの場合、土台の普通の魔物よりも、強い事が多い‥けど繁殖は出来ないから一代で終わるのは間違いない」
「けどその1つが大変だ。今回は生まれたてなのかぎごちない挙動だったが、本当はあんなもんじゃない。だがドラゴンのキメラは初めて見た、あんな大型でもキメラにできるんだな」
ティブルの言が、脅しでない事は明白だ。
戦闘中は必死で気付けなかったが、動き方がおかしかったことからも、体に慣れていない事がわかる。
自分の首が3本になれば動かし方に慣れるまでに、それなりの時間を要するだろう。
「再度アスリリーリャたちとダンジョンへ入るか?」
ガルデルが聞いたが、ウェインは肩を竦めた。
「アスリリーリャにダンジョン探索させる有益性はないよ」
「アスリリーリャにドラゴンが寄ってきたのではないのか?」
ガルデルはきょとん、と目を見開き、それから狼狽した。
そういうものだと思っていたのだ。
「ドラゴンが出た場所は水場で、空が開けている。三ツ首のキメラと言う点を除けば出てもおかしくないポイントだ」
「そうだね。また調査に行くならもっと深い場所に入る必要があるし、ダンジョン初心者2人を連れて進むにはハードかも。中ではぐっすり眠れないから、疲れも溜まる一方だしね」
「そうなるとさすがにアスリリーリャを生かして戻す保証ができない。俺やウェインみたいな金や銀が居るパーティでも、長くなれば死亡率は格段にあがる」
「確かにそうか‥今後の事は王国に確認を取る。ダンジョンに明るい者がいなければどうにもならん。そこは貴殿らに従いたい」
「あの、魔族って‥?」
小さく手を挙げた啓太に、ティブルが答えてくれた。
「グランドウォールの向こうに住んでる、らしい、やつらだ」
「グランドウォール‥?」
啓太の疑問に驚いたのは綾だった。
「しんじらんない!」と心の声がだだ漏れだ。
「グランドウォールは王国の北にある永久凍土とこちらを隔てる要塞ですわ。魔族の住処で、時折魔物を率いて出てくるので壁を作って守りを固めています」
「魔族ってそもそも何?」
言い知れぬ恐怖に、啓太は背筋に冷たいものが走っていくのがわかった。
「それがわからないんです。間違いないのは千年以上も王国ではグランドウォールを防衛していることで、魔族の目的も、我々と会話が出来るのかもわかっていません」
ガルデルも若い頃防衛任務についた事があるらしい。各国から人を遣されているので、今では夜会に出られない軍人同士の社交場のような雰囲気もあるようで、他国の人脈作りに役立てられているのだそうだ。剣呑な雰囲気もなく、和やかだと騎士らも頷いた。
けれど襲撃があれば、戦功とともに被害もあるもので、決して緩い現場ではないそうだ。
「魔族がグランドウォール以外の場所で確認されたことはないの?」
綾が訊ねると「聞いたことがないですね」とガルデルが首を振った。
「あ、あとグランドウォールの魔物は森に棲むものに比べ圧倒的に強いです、魔族が指揮をとるので作戦行動する軍隊のようですし、ダンジョンで襲って来るようなのとも桁違いです」
全容は未だ掴めないまま、その日は野営地で夜を明かした。
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