第6話 研究者としての綾

 魔法都市ファルトニアは、本当に近代的な街だった。


 フールレールの発着場は街の四方を囲む高い岩山の上にあり、ぐるりと街を半周して山を周り、上まで駆け上がる形で車両を登らせる。とても見晴らしの良い駅だ。岩山に囲まれている以外は、緑も多く中央広場はニューヨークのセントラルパークのような大きな公園になっていたし、ビルのように高い建物が多いが、全て屋上やバルコニーは緑化され、あちらこちらに草花や木があった。王都の方がよっぽど緑がないかもしれない。


 驚いたのは、エアポーターが多く飛び交い、その発着場が公園の真ん中にある事と、箒で飛んでいる人がいた。それもかなりたくさん。


 そんな光景に啓太が目を剥いていると「いきますわよ」とベルに声をかけられた。


 発着場のすぐ下にある病院が、ベルリア様ならぜひ、と手術室を貸してくれたらしい。啓太はここに寝転んでと頼まれた3秒後には、魔法で眠らされ、気がついたときには腕が元どおりになっていた。


「ベル、ありがとう。助かったよ」

「かまいませんことよ。それよりも、私世界中で名医と呼ばれてるんだけど、ご存知?」

「ああ、16歳にして医師免許もある治癒術士で、魔法も使える天才だって」

「そうよ、だから私に助けを求める人も多いし、それなりにお金も頂いているの」


「え……! あ! ごめん考えなしで! 分割でもいいかな?」

「……いーえ。一括でいただきたいわ」

「それでしたらイル王国で負担できないか本国に確認を取ります」


 口を挟んだガルデルを、ベルは見向きもせずに手だけで制した。


「金銭ではありません。私がここへ来たのは、綾様にお会いするためなのです」

「綾に……」

「ですから、啓太は今から行くんですわよね?」

「あ、ああうん。4カ国会からの要請を伝えないといけないから」


  啓太はうんうん、とうなずいたが、まだベルが言いたい事は何なのかわかっていなかった。それ故にベルリア女史は不機嫌そうに啓太を睨んだ。だが、啓太には彼女は他国だが公爵家の令嬢で、有名すぎるお医者様で、できないことなどないと思っていた。

 そんなすれ違いから、彼女の『一括払い』が何かわからない。


「ベルリア様、報酬は綾様との御面会と言わねば! 伝わっておりませんよ!」


 こそっと耳打ちする護衛の女性に、ベルはしまった! と頬を染めて啓太に向き直る。

 コホンッと咳払いすると、柔らかそうな深緑の髪をするりと整え、彼女のアーモンドグリーンの瞳は啓太を見つめる。


「金銭の報酬ではなく、綾様へのお目通りを報酬とさせてください」

「そんなんでいいのか?俺今から会いにいくから、一緒に行くのでどうかな?」

「ありがとうございます。いくら公爵家で私が優秀な医者でも、大学には乗り込めませんの。助かりましたわ」


 どうやら綾へ面会に来ても、皆一様に大学にはねられてしまい会えずじまいなんだそうだ。今回王国に滞在していた啓太が行くかもしれないと、どこからか噂を聞きつけて、ベルは大急ぎで飛んできたのだ。文字通り。



「申し訳ありませんが、綾様は重要な研究の途中でして、お会いする事は出来かねます」


 受付でそう言って首を振るのは、おそらく大学の受付嬢。3人いるが3人同じ服を着て、斜めに乗せるだけの帽子をかぶっている。

 大学の建物は凄まじく大きなビルで、啓太は驚いた。これがあと二つもこの街にあり、講義がなく研究だけを行う小さい研究院が4つあるらしい。エントランスも床には城と変わらない高級そうな絨毯が敷かれていたし、壁もガラス張りとあちこちの緑化のおかげで、とんでもなく高級感にあふれていた。


「せめて啓太が会いにきたって伝えてもらえませんか?」

「お身内ですか? でしたらなおさら面会予約がなければ……」


「待て」


 困り顔の受付嬢の後ろから、カツカツと1人の男性が歩いて来た。彼は紫がかった黒い髪を、胸の下まで伸ばしていた。艶々と美しかったのと、似合っていたので不思議と嫌な感じもしない。

 大学の制服のようなものだろうか?ハイネックで、丈の長いワンピースのような服を着て、その上から袖も丈も長いガウンを着ていた。白いその服には裾や袖、前身頃の布が終わるところに銀の糸で凝った刺繍が施されている。


「君は綾の弟か? アスリリーリャの」

「ん、おとうと……はいアスリリーリャです」


 弟とはどういう了見か。そういうことにしてあるのか否かよくわからないので、話を合わせておいた。


「来たまえ。護衛の入室も許可しよう」

「い、いんですか?!室長!」


 受付嬢が慌てふためくが、彼は無視して歩いていく。遅れないようにと、啓太たちも歩みを早めた。

彼はエレベーターのようなものに乗り込み「マレッサ」と唱えた。

 ガタンと動き出すエレベーターに、ひっと悲鳴をあげたのは啓太だけだった。皆乗り慣れているようだ。


「綾から話はよく聞いている。不出来な弟を残して来たので、城で迷惑をかけていないか心配なのだそうだ」

「ああ‥迷惑……かけてるかも」

「そのような事はありませんよ」


 とガルデルがフォローをくれたが、あまり自信がない。


 綾の部屋は26階だった。見晴らしの良い部屋で、驚くべきことにワンフロア全て彼女の部屋なんだそうだ。もちろんアスリリーリャだけではなく、身分が高いか、功績のあるものはおのずとそうなるらしい。


 ちらりとみたボタンには35階まであった。凄まじい高層ビルだ。

 王都とは建築様式も異なるし、地球とも少し違うようだ。圧倒的に柱が少なく、物理的な法則を無視している気がする。知識のない啓太にはわからなかった。


 26階のエントランスから、室長は呼び鈴を押した。中から出てきたのは綾ではない別の女性で、彼女は室長の頬に馴れ馴れしくキスしたかと思うとこちらをみて「あら?」と声を弾ませた。


「セレナーデ・メヅォム、32歳独身よ? あなたとってもいい感じね? 私の部屋ここのすぐ下なんだけど」


 ガルデルにするりと近寄ると、あっという間に手を握り指を絡ませた。金色の髪で、実りの素晴らしいお姉さんだった。室長と同じ服を着ているはずだが、やけに体のラインに沿っている。


「はひっ! へっ⁈」


 目を白黒させるガルデルに、セレナーデは「ふふっ」とコケティッシュ微笑む。ベルは汚い何かを見るように、ガルデルを横目で睨んでいた。


「あら、固まっちゃっておかしぃ〜。この紋章は騎士団の団長でしょ? だめよこれくらいでチカチカしてちゃ」

「そうですよ団長! 奥様の鉄拳が飛びますよ!」


 一緒に来ていた騎士にそう言われ、ガルデルはバッと手を上げて一歩下がった。


「すまん、予想外の出来事に動揺した」

「おっかし〜。綾はちょっと仮眠中よ。起きたら面白いものが見れるから、室長も一緒に居なさいよ。私は部屋戻るわね」


 セレナーデはパッと手をあげ、歩きながらタバコに火をつけていた。なるほど魔法使いはライター要らずだ。自分たちが乗ってきたのでエレベーターはこの階に止まっていたが、下の階へと続く階段で降りていった。26階と25階はメゾネット風に露出した階段で繋がっているらしい。


「面白いものってなんですの?」


 ベルの問いに、室長は無表情に首を振った。


 綾の部屋、正確には研究室で、奥に私室があるのだが、前室となる研究室は溢れかえる本と紙束の嵐で、泥棒が入ったかのような散らかりようだった。


 一応客間セットらしき向かい合わせのソファーと、それに合わせたテーブルがあったが、紙に埋もれて眠る綾と、テーブルには飲みっぱなしでいつのかわからないコーヒーが大量だった。

 セレナーデが来るとタバコを吸うのか、灰皿は掃除されないまま放置されている。ガラス張りの壁には文字が書かれ、複雑な魔法術式が書きかけで消したりまた書いたりしてあった。


「綾、弟が来ている。起きなさい」


 室長が彼女の読みかけらしき紙束を取り上げて、ゆさゆさと体を揺らす。1年くらいでは何も変わっていないが、少し髪が伸びたかな、と啓太は綾を見ていた。

没頭するタイプなんだろうな、とは薄々気付いていたが、部屋兼研究室では彼女の昼夜の区別は失われてしまうのではないだろうか。


「あ……? ファウスト……愛してるわ」


 ぼんやりと目を開けた綾は、誰にも目もくれずに彼の腕を引き抱き寄せた。


「2度寝ても解けないとは、強力すぎる」


 はぁ、とため息をついた室長は綾を強引に座らせ自分も横にかけた。彼女の目は室長しか見ていない。


「実は2日ほど前に、新しい魔法を開発していて‥理論上は成功していたのでセレナーデと彼女は酔った勢いで使ってみたらしい」


 その先は言わずともわかる気がした。


「まあ結果この有り様で、成功しているが解除魔法は我々では使えないので、急務もないし様子を見ていた。だが私の姿を見るなりこれで、いなければ探すので困っている。昨日は私室まで夜這いにきた」

「さっきのセレナーデさんも魔法が効いているのですか?」


 ベルが問うと、室長は不愉快そうに顔を歪める。返事はなかったが、それが返事だった。いつもああなんだ、と。


「しかし優秀な彼女をこのまま無能にしておくわけにはいかない。君たちで中央の病院へ連れて行ってくれないか? あそこなら治癒術士もいるだろう」


「それには及びませんわ。私が……パナシア」


 ベルが綾にむけてヒュンと手を振った。淡い水色の光が彼女の周りで煌めき、目を見開く綾は、こちらをみて、それから自分が腕を掴んでいる室長を見て、パッと手を離したかと思うとそのまま土下座した。


「ファウスト室長、申し訳ございませんでした」

「この2日、自分が何をしていたか分かっているようだな。その恥ずかしい思い出を存分に噛みしめ、毎夜思い出してのたうちまわりたまえ」

「はい、仰せのままに」

「では私は失礼する」


 そう言って室長は立ち上がると、部屋を出た。気まずそうにこちらに笑いかける綾。室長とやセレナーデと同じ服だが、ずいぶんくしゃくしゃで、首元もしめていないし、ローブも着ていない。足もとは靴下一枚だった。


「テンタティオンって魔法でね、お遊びでセレナーデと作ったのよ。使ったら相手をメロメロにするってやつ……」

「使った人がメロメロにみえたけど」

「そうなのよ、しかもたまたま入ってきた室長に雛鳥の刷り込みのようになっちゃって。これはこれは……お蔵入りだわ」


「あのさ、4カ国会でアスリリーリャがダンジョンの捜査に行くのが決まったんだけど、知ってる?」

「知らなかったわ。セレナーデが言ってた研究室のデメリットってこういう事ね」


 外と連絡が取りにくいのよ、と綾は肩を竦めた。


「大学に送った書状は止められてて、王国からは連絡できないから俺が直接きた」

「ありがと。ここは王都とはまた別世界よね」

「建物にびっくりした。エレベーターもあるし」

「ま、ほとんどが魔法使いにしか使えないから便利かどうかは、人それぞれね」


 確かに20階や30階も階段で上がりたくはない。

啓太は頷いて返した。そんな2人の、互いを懐かしむようなそぶりのないやり取りの後、ベルが「あのう‥」とおずおず手を挙げた。


「ご挨拶する事をお許しください、綾様」


 ベルは立ち上がり、胸に手を置いて2度叩くと、また手を置いた。


 何度見てもこの挨拶は異様だ。神社で手を叩くように、アスリリーリャは神の使いだからか?


「私はシュヴァート皇国、アシェツィラン公爵家の次女。ベルリア・マルセル・アシェツィランと申します」


「え⁉︎ 公爵家? なんでそんなお姫様がこんなところに!」

「もちろん、綾様にお会いするためですわ。アスリリーリャの旅路にお供させていただきたいのです。私、医師ですの。治癒術士も兼ねておりまして、魔法も多少は使えます」


「…ベルリア、ベルリア……アシェ…ツィラン?」


 何かを思い出すように、綾は軽く握った右手を唇に当てていた。


「ちょっ、まって! これね⁉︎ これ!? 」


 彼女はガサガサと本を漁り、壁のボタンを押して「セレナーデ! セレナーデ! ベルリアよ! ほんもの! 早く来て!」と声を張った。


 綾はベルリアの前に分厚い本を差し出して目をキラキラさせていた。


「これは私が12歳の時に、皇国の医療大学で書いた論文ですわね」

「これ、12歳⁉︎ あなたすごいわ! 天才すぎるわ! 人生2回目⁉︎」

「いえ、1度目ですのよ」


 ベルは綾の凄まじい圧を感じ、やや引きつった笑みを浮かべる。


「ベルリアの着眼点はすばらしいわ! 特にここの『ハルには魔法のような属性はないと考えられているが、同じ系統の魔法を連続していくと僅かではあるが威力が弱まることから、同じ系統のハルが消費されているのではないかと考える。次に別属性の魔法を使用しても威力が衰えない。この事からも、ハルの属性の有無に関して検討する価値は十分にある』ってとこよ! 私も地水火風のハルは絶対にあると思うわ。そのほかの魔法は、そこから派生して4属性のどれかに当てはまるとおもうのよね。今作りかけなんだけど、切り取った空間の中で魔法を発動させて、ハルの変化を観測する装置を用意しててね……それで、あなたの論文では仮説でしかなかったけれど、それを証明したいと思うよの」


「……ふっ」


 綾の熱弁に、ベルは口元を押さえ、うるりと目を滲ませた。もちろん2人以外は、話について行けていなかったが、じっと見つめ合う綾とベルをただ観察する。


「お姉様と呼ばせてくださいっ! 私の事はベルとっ! どうぞベルとお呼びください!」

「これが実証された暁には2人で論文をまとめましょ! てっきり60すぎたくらいの引退医師かと思ってたまさかこんな可愛い子だったなんて!」


 これほど生き生きしている綾を見るのは、啓太はもちろん騎士団長も初めてだった。どちらにせよ付き合いの浅いものばかりしかいないが。

 そしてこの後、内線で叩き起こされたセレナーデが「なんなのよもう」と怒り心頭で上がってくると、ベルが"あの"ベルリアだと知って、また大盛り上がりであった。

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