第7話 ダンジョン案内人
「それで、最近魔物が多くて、ダンジョンも様子がおかしいと……」
綾は一応身なりを整えて、制服もきちんと着て自室から出てきた。セレナーデの勧めで奉仕学生を呼んで、応接机だけでも片付けてもらったので、机を使えるだけのスペースが確保された。
なるほど、奉仕とはこのような事を指すのか。確かに研究者の多い大学内で、雑用をしてくれる者がいるのは助かるだろう。
「フールレールのルートに魔物が出るのももう4回目くらいかしら? 物騒ねぇ」
セレナーデは大学で教鞭もとるらしい。彼女の講義は席がないほど男子学生が詰めかけるので、大講堂で行われているんだそうだ。啓太にはその男子学生の気持ちが痛いほどわかったが、余計な事は言わず頷くだけにしておいた。
「通過していくような感じよね、いつも」
「通過って?」
啓太が綾に聞き直すと、彼女は大きな地図を開いてくれた。
「ここがレールが通ってる場所…。エンピナダ山脈を横断する感じで80キロくらい通っているんだけど‥‥魔物はこっちから来て、ここへ抜けるーー、距離としては離れているけど直線で進めば最短ルートでこのダンジョンアーチへ着くわ……」
彼女が示す地図では、山脈を少し北へ下ると森があり、その辺りはグランデカメレオンやベスティアの住処らしい。グランデカメレオンの目が様々な術式組に使えるらしく、大学でもその森にはしょっちゅう行くんだそうだ。
そしてそこから真っ直ぐに最寄りのダンジョンアーチへ向かうと、フールレールを横切る形になる。
「これは報告したほうが良いだろう。魔物がダンジョンへ向かっている可能性があると」
ガルデルは青い顔で言った。本来森にいるような魔物が、集団行動をする事はない。単独でも、住処から移動する事もほとんどない。稀に住処のないところを彷徨う魔物は、ダンジョンから出てきてしまい、行き場のない魔物なのだ。
「そうね、すぐに王都へ連絡して頂戴。私たちは明日の朝にここをたつわ」
綾の言葉に、セレナーデはチチチと指を振った。色香が凄まじい。
「だめよ、ダンジョンに行くならギルドにも協力を要請して、きちんと装備も整えないと。ちょっとカメレオン狩りに行くのとワケが違うんだから」
「そうですわね、間違いなく死にますわ」
ベルもこれには同意した。
「わかった。今から装備は整えるし、室長に言ってギルドから人を遣してもらう、それで完璧?」
「ええもちろん。そこの護衛の方々はダンジョンの経験は?」
ゆったりと手のひらを上に向け、指先で指された皇国と王国の護衛たちは、どきりと胸を抑えた。
「私の護衛はここまでで結構。アスリリーリャの方々と合流するまでという約束ですから」
「そっそんな! ベルリア様! せめてダンジョンアーチまではお供させてくださいませ!」
女性の護衛は悲壮感あらわに懇願するが、ベルは首を横に振る。
「必要ありませんから、エアポーターでお帰りなさい。父上ともそういう約束です、破るなら私は2度と公爵家には戻りませんので」
「ーっ! これにて任務終了です! 失礼いたします!」
びくり、と姿勢を正し、ベルリア女史の護衛たちはみな退散した。
「貴族のお嬢様が、よかったの?」
綾にそう言われたベルは、不満そうに唇を尖らせた。
「まっ! 綾様ってば意地悪ですわね! 護衛より私のが強いのです。自分より弱い護衛をゾロゾロ連れ歩くなんて邪魔以外のなんでもありませんわ」
「そりゃ確かに…」
啓太も同意したが、恐らく綾が言うのはそう言った意味ではない。
「ま、自分でできそうだからいっか」
ふぅ、と息を吐いた綾に、セレナーデはくいくいっと王国騎士たちを示した。
「ああ、あなた達は?」
「自分を残し、後は帰させます。ダンジョンは少数で行くのが基本ですから」
ガルデルがそう言うと、綾はとても不思議そうに首を傾げる「騎士団長が?」と。
確かに騎士団長が長期不在ではいけないが、もともと自分はそろそろ指南役に退く身で、副団長が団長の任を引き継ぎつつある。副団長補佐も指名してあるので、城の警備は問題ない。彼がそう言えば、啓太は納得して頷いた。
「なにより、こいつを独り立ちさせるにはまだ早い」
啓太の頭を掴んだガルデルは、わしゃわしゃとその頭をなでた。
「やーめーてーくーれー」
抵抗虚しく、彼は可愛がられ続けていた。
騎士団には支部があるので、その夜ガルデルと帰還予定の騎士は支部に宿泊することに。啓太とベルは、それぞれ大学のゲストルームを借りた。
夜になってソワソワと啓太は綾に何か言いたげに研究室へ来たので、それを察した彼女は「座りなさいよ」と奉仕学生が片付けたソファーを勧めた。
「ひ! 久しぶり!」
嬉しそうに言う啓太がまるで、主人に尻尾を振る犬に見えてしまい、綾はふるふると首を振った。
向かいのソファーにかけて、目線を送るつもりなどなくとも、ガラス張りの部屋からはぼんやりと地球と同じような月が浮かぶ空がよく見える。
「フールレールで、結果はどうあれ一歩踏み出せたあんたは偉いと思うわ」
褒め言葉をもらえた啓太は、嬉しそうに口元を緩ませた。
「私はガルデルをよく知らないけど、彼の過保護なやり方はよくないと思ってた。あんたのためではないと」
「そんな、ガルデルはいいやつだよ…?」
「あんたがただの高校生ならね」
「それは……」
俯いて黙り込む啓太に、綾は少し驚いていた。わかっていないと思っていたが、ちゃんとわかっていたようだ。できないとしても、自分はアスリリーリャを演じなくてはならないと言うことを。
「こういう場合、若者の方が順応性があるでしょうよ」
「綾のそのガツガツした姿勢が、俺にはわからない!」
「保守的なのね。そんなんでよく試合勝てたわね」
「……あんまし強くなかった」
「でしょうね!」と意地悪に笑う綾。啓太はそれを心底ホッとしていたが、本人は気づいていなかった。
翌朝、ギルドと合流するためにはファルトニアを出てしまったほうが早いので、装備を整えて午後にでも王都へ戻ろうかと話していたが、ギルドから助っ人が来たと知らされたのは、次の日の朝だった。
「はじめまして! ウェインです! 弓と剣を扱うよ。火の魔法なら少し覚えがあるけど、期待しないで。アスリリーリャと仕事だなんて、光栄だなぁ」
人懐っこい笑みを浮かべた、爽やかな金髪の彼はウェイン。背が高い、180センチくらいはある。美しい緑色の瞳に吸い込まれそうで、とんでもなく甘いマスクだ。30歳過ぎた頃だろうか、胸には輝く金のドッグタグを下げていた。
「自分はティブル、剣士だ。よろしくな。前衛だから、皇国の聖女のことは当てにしてるぜ」
彼はそう言ってベルに握手を求め、彼女もにこやかに応じた。「まかせて」と。彼は銀色のドッグタグを下げていた。騎士団長と同じような、赤っぽい茶髪で、身長こそウェインと同じくらいあって目立つが、顔は街によく溶け込めそうな、優しい顔をしている。
ギルドにはランクが3つある。金銀銅と単純だが、殆どのギルド員は銅で、2割が銀。そして金は、本当に一握りの人間だけだ。金と銀が助っ人にきた時点で、ギルドもどれほど今回の件を警戒しているかがよくわかる。
「タグなんだけど…。臨時だと3回で消えちゃうから、勝手にギルド登録してきたよ! 聞いていた人数に間違いはないかな? 公爵令嬢はご自身のタグがあるよね?登録はまだ抹消されてないはず」
ウェインが3枚のタグを差し出した。銅だが、ピカピカに光っている。このタグなしにはアーチがくぐれないのだ。これは高価な魔物素材欲しさに、無謀にもチャレンジする素人をなくして、捜索やアーチの近くでの死体を減らすためだ。
アーチの近くに死体が放置されると、そこに集まった魔物が誤ってアーチの外へ出てきてしまうので困るのと、捜索するとしてもリスキーだからだ。管理を容易くするために、ギルドがアーチ……正確にはアーチの数ミリ手前にタグ選別の術式組を展開することで、管理している。
「はい、私はまだありますわ。銀タグ」
得意げに笑うベルの手には、ティブルと同じ銀色のドッグタグがあった。
何故なのか、啓太には歩に落ちない。ギルドにも出入りし、医師で、治癒も覚えがある。そして12歳で論文を書くような…。少なくとも彼の常識では測れない。この世界の公爵令嬢とは、天才と名のつくスーパー少女だった。
「それと、これは無理ならいいんだけど、騎士団でアーチのそばに野営地を作っていてくれないかな? なんなら騎士団長さんは行かずに、野営地で守りをかためて欲しいんだよね」
ウェインの提案に皆は首を傾げた。
「騎士団の野営は可能だ。だが何故だ?」
「昨日の報告だと、アーチに向かって魔物が移動してるって聞いたんだけど、間違いはない?」
「ああ、つい昨日のことだ」
「それで、観測できた分だけでも4度目なんだよね?」
ウェインにそう問われ、ガルデルはハッとした。
また魔物がアーチに来て、中へ突っ込めば啓太たちは大変なことになる。ギルドの管理術式は、人と違うハルを纏っている魔物までは防げない。
「意図は理解した。自分もそこで指揮を取り、魔物の侵入を食い止める」
ガルデルが左手で腰に携えた剣を抑え、右手でトントンと剣の柄頭の部分を軽く叩いた。
これは王国騎士の敬礼のようなものだが、様々な意味で使われるため啓太はどんなタイミングで使うのかまだ把握できていない。今のは多分、まかせてね、という意味。
その日ウェインとティブルに言われるがままに、啓太と綾は準備をした。主だったのは保存に適した食糧と、今日明日分のすぐ使うための食糧。水は魔法で用意できるので、個人で持つための水筒と魔法を使うために必要な、体力を回復させる薬もいくつか準備し、皆で分けて持つことになった。
それから魔物の素材を回収して入れておくためにリュックは空きを残した。
「これだけは必ず用意した方がいいよ。あるのとないのと大違いだからね」
ウェインが防具屋でそう言って出してきたのは、なんの変哲もない茶色いマントだった。ただ切り込みがあり、腕が出しやすいように工夫はされている。
「これは冒険者のマントだよ。ダンジョン内で魔物に気付かれにくくなる。もちろん気付かれないわけじゃないけど、魔物から誤魔化してくれるからこれには必ず助けられる時がくる」
ウェインの言葉にティブルも頷いていたし、ベルはすでに持っているようだった。買わない手はない。支度金は国王から貰っているし、資金は潤沢だ。
「ダサいわね。茶色しかないの?」
「綾…。ごめん原料が茶色で、染められないんだ…」
ウェインが申し訳なさそうに言ったが、ガルデルはアスリリーリャを呼び捨てにする事に内心冷や汗をかいていた。それを知る由もない綾は首を傾げた。
「原料はなに?」
「アラニャって魔物の吐く糸だよ。気配がないことで有名なんだ」
ああ、蜘蛛みたいなやつね、と綾は納得して頷いて、黙って茶色いマントを購入していた。
手掛かりになりそうな、魔物たちが何度か目指していると思しきアーチは、王国の領土内にある。と言っても距離的には歩いて2日ほど離れているので、今回は旅慣れない綾と啓太のために騎士団の荷馬車に乗せてもらうことにした。
エアポーターで行くと言うベルを宥めるのが大変だった。騎士団長が免許を持っていると知った時の、あのプレッシャー。身分的にも下である騎士団長が、かわいそうに思えてくるほどだった。
「どうして、私たちだけでもエアポーターでいかないんですの?まどろっこしいんでなくて?」
「騎士団の野営地を作ってからしかダンジョンに入れないし、先に僕らだけ入って、団長さんをアーチの前に放置するつもり?」
ウェインは、怖いこと言うね、と肩を竦めていた。
それに慌てて「ちがうの!」と首を振るベルがとても少女らしい取り繕い方だったので、啓太はとても驚いた。しっかりしていても16歳は16歳なのだと再確認できると、自分の不甲斐なさを少しごまかせる気がした。
日が真上からさす頃、昼食を済ませて騎士団と共に地下の門から外へ出た。
魔法都市を観光したい気持ちもあった啓太だが、そんなことは口が裂けても言えない。ぐっと噤んで荷馬車に乗り込んだ。
ガルデルは馬にまたがり後方を固め、ウェインが騎士のかわりに御者をかって出た。
「ごめんな、コイツじっとしてられないの」
からかいを含めながらも、身内への情を向けるようなティブル。2人はタグの色からしても、長らくギルドにいるのだろう。
「ベルはギルドにも明るいの? 2人とは知り合い?」
綾がベルに質問する声には、興味の興の字もありはしないように感じたが、ベルにはわかっていた。研究者が興味もない質問などしないと。
「2人とは初めましてですわ。もちろんウェインのお噂はカネガネってやつですけれどね。ギルドへ出入りしていたのは3年前、医療大学で回復薬に関する論文を仕上げていたんですけれど、どうしてもほしい素材がありまして、その日のうちにギルドで登録して、人を募ってダンジョンへ入りましたのよ」
「あれはちょっとした事件だったね、ぼくらギルドでは」
懐かしむように笑うウェインに、申し訳ないと思っていますわ、とベルは頬を染めた。
本来ギルドに依頼すべきで、身分ある者が自ら登録して素材回収なんてことはあまり褒められた事ではないらしい。
実力が伴うベルだったから笑い話で済んだが、ダンジョンに慣れぬ自らの護衛ばかり引き連れて行くような事があると、全滅してギルドの仕事が増えるなんて事態にもなりかねないんだそうだ。
冒険するにもルールがあり、なかなか大変そう、と啓太は黙って聞いていた。
騎士団と荷馬車旅は、存外快適だった。荷台に綾が魔法をかけたので、ガタガタ揺れるようなこともなかったし、乗っていればいいので楽だ。ベルと綾の話は難しすぎてついていけなかったが、ウェインは、気さくな人で色々と話を振ってくれた。ティブルは早々に眠ってしまったが、楽しい旅だ。
夕方が近くなってきて、日が落ちる前に天幕を立てようと予定していた地点で野営になった。要するにキャンプだ。
夕食は騎士団がつくってくれた。城を守るのが騎士団の任ではあるが、国王から命を受けて野営しながら国境付近をぐるりと調査することもあるらしい。兵士団は住民を外敵から守るために動けないが、騎士団は少数であれば数日城を離れる事もできるんだそうだ。
「夕食後の賑やかしは僕がつとめよう」
ウェインは懐から小さな縦笛をとりだすと、オカリナとハーモニカの間のような柔らかな音を奏でてくれた。
「それはフラウターね。魔物が忌避する音を出すやつ」
綾が興味深そうにまじまじ見つめていると、ウェインは困ったように手を止めた。
「綾、そんなに熱く見つめられるのはさすがの僕でも恥ずかしいな」
「……続けて頂戴」
綾のポーカーフェイスには、この1年で更なる磨きがかかったようだ。啓太には彼女の気持ちを読み取る事が一切できない。
再びウェインがフラウターを吹き始める。
その間に騎士たちは魔物が嫌うハーブを、野営地をぐるりと囲んで置いた。
これで調理した鍋を綺麗にして終了。見張りは騎士団でしてくれるので、啓太たちは天幕で眠ってしまえばいいだけだ。
けれど自然と焚き火に集まってくるのが、キャンプというもの。
火をつつく綾の隣にはベルが居て、ずっと小難しい話をしているし、啓太はウェインとティブルの冒険譚を聞いていた。ガルデルは野営を見回っていたが、焚き火に集まる彼らをみて、優しく目を細めていた。
特に大きな問題もないまま、ダンジョンアーチに到着したのは、次の日の夕方だった。
ゆうに3メートルは高さがあるだろうか、堅牢そうなアーチは金色に輝き、上部に赤い宝石のような石がはまっていた。
雨晒しとは思えぬ美しさに、全くこの世のものと思えない特殊さを感じ、何もない場所にポツリとアーチだけが存在する光景が、否応なしに畏怖と荘厳さを与える。
「これが、ダンジョンの入り口…」
反対側には赤い宝石はなく、どちらも単なるアーチだった。
「こっちからはいけないんだよ、ほら。不思議だよね」
にこっと笑みをたたえ、ウェインは宝石の無い側からアーチの中へ手を伸ばすが、水面のように波紋が広がるだけで手を向こう側へ通す事はできなかった。
「わかってるとは思うけど、簡単に説明しておこうかな。ダンジョン内は別次元というか別の空間になっているよ。出入り自由だけど、内部は迷路のように入り組んでいるから、待機する騎士の方は安易に中に入らないでね。入った場所から再びアーチをくぐると同じ場所に出るんだけど、内部は世界中のアーチから繋がった同じ空間だから、別のアーチからでれば、もちろん別の場所に出るんだ。中は通路も狭くて複雑だからほんと迷いやすい。くれぐれも気をつける事」
ウェインからの注意が終われば、ひとまず朝まで野営をする事になった。ダンジョンの中では、休む場所を探すのも一苦労らしい
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