第4話 別の道
王妃に服装を褒められた時、なぜ彼女が啓太の手柄にしてくれて、なおかつ今後の心配をしてくれたのかは、こちらに来てから10回朝を迎えたときにわかった。
毎朝、国王陛下たちと食事をするのが日課になりつつあった頃、綾は食後のお茶を飲みながら切り出した。
「陛下、私以前は研究し新しいものを開発する仕事をしていました」
「ほう、それは素晴らしい仕事だ」
「私もそう思っていましたし、好きな事でもありました。突き詰めて考え、無かったものを生みだす。この上ない幸せです」
なんのお話をされるのか、と子供のような眼差しを向ける国王。そんな彼を、すっと見据えて迷いなく彼女は続けた。
「魔法都市ファルトニアの大学で、研究室を持ちたいのですが、お力添えいただけませんか?」
「なんと!」
国王は目を丸くして、王妃はまあ‥と口を手で覆っていた。王子は面白そうだと微笑んでいたが、反応からするに非常識なことなんだろうか?啓太は考えを巡らせていた。
「もちろんです! 世界の危機もありませんし、お止めする事はございません! が……」
ああ、と国王は頭を抱えた。がちゃんと、お茶のカップが揺れる。綾はそれに動揺している様子もなく、啓太だけが事情を飲み込めずにいた。
「綾様! あそこは魔法使いでないとたいそう不便な都市でして、何から何まで魔法が使えねば成り立たないのです! 彼らは井戸も必要ありませんから、水場はありませんし……あかりも! あかりも魔法がないと灯せません……。それに研究室は男性が多いですし……」
「陛下、存じております。この10日、陛下の好意に甘え、本当に好きにさせていただきました。そのおかげで様々な方とお話しできましたし、書物もお借りしましたし、市中もまわらせていただいて」
彼女は立ち上がり深々と頭を下げた。それにロイヤルファミリーは大慌てで、彼女を制した。神の代理に頭を下げさせるのは、神に頭を下げさせるのと同じだと。に
「ありがとうございます。わたしはきたる世界の危機まで、ここでこうしているわけはいかないのです。研究者の性です。探究していなければ、それは私ではない」
「わかりました、ですが、魔法使いを1人付けさせてください。侍女と思って扱ってくださっても結構です。魔法使いでないあなたをファルトニアに1人送るのは、放り投げる事と同義です」
「それも心配は及びません。わたしにはそちらの才があったようで‥」
綾は手を胸の前に出し、パチンと指を鳴らしてみせると、小さく火が灯った。おおっとロイヤルファミリーは声を揃えて驚いていたが、啓太もめちゃくちゃ驚いていた。
「指の先にっ火がっ⁉︎」
驚いて立ち上がり、椅子が勢いよく倒れた。控えていた者がさっと椅子を立ててくれ、啓太はもう一度座り直したが、興奮に足が震えていた。
「一体いつの間に」
「啓太が騎士団長と素振りしてる間に、私は宮廷魔法使いの所でご教授いただいたの」
剣の才能があるはずないから、と綾は言った。
「なるほどね」
はぁーっと啓太は大きく息を吐く。あるとは聞いていたが、本当に魔法があるのか。自分はあいも変わらず‥竹刀に変わり、両刃の剣を振っている間に、ちゃっかり異世界満喫してたという事だ。
本物の剣を触ったのは初めてで、重みにドキドキしていたのだが、綾の方がよっぽどファンタジーで羨ましい。
「稀有な才能です。アスリリーリャの方でも必ず使えるものではありません。ハルは等しく体を巡りますが、それを具現化するのは誰でもできる事ではありませんから」
「陛下、憂いは晴れました。それでは大学に連絡を。研究室と助手を数名」
王子の申し出に、国王は頷いた。
「綾様、何の研究をなさいますか? 助手をつけるにあたって得意分野の者がよろしいでしょうから」
「魔法開発とハルについての研究です」
王妃に問われ、綾が答えると、控えていた者が1人一礼してささっと部屋を出ていった。もう大学に連絡してくれるのだろう。アスリリーリャの権力たるや。
「こちらの……学力…などは、問わないのですか?」
「アスリリーリャへこちらの世界ごときの学力を問うなど……あなた方を審査するなどありえません。我々は望まれる場をご用意するのみです」
国王はとんでもない、とそう言った。この圧倒的な信仰はどこから来るのだろう。啓太は本当に不思議に思っていたし、感心もしていた。
誰に聞いても大神様と言うのは尊いのだと言っていた。またアスリリーリャと言うだけで、こんな垢抜けない自分に侍女は色めき立つし、騎士は敬礼してくれる。剣の稽古には騎士団長がわざわざ時間を作ってくれる。
皆が好意的で、なおかつ親切、そして神でも見たかのように崇める。
ただの高校生である自分に。不思議すぎてどうしようもない。綾のなんでもないような振る舞いは彼には解せない。大人になればそうなれるのだろうか。
夕食前の夕方の時間。いつも通り、稽古の汗を流してから晩餐用の服に着替える。
アタフタしているようでも、結構慣れてきた。細かい準備は侍女が済ませてくれていて、そのまま使わせてもらうだけだ。
驚いたのだが、ここにはシャワーがあった。文化的に不釣り合いと思うような物は他にも結構あるが、シャワーは本当に驚いた。水道管があるということだ。
お湯にしてくれるのはメーカーで、温度の微調整も簡単で不便は一切ない。
もちろん下水管もあってトイレは水洗だったし、温便座だった。これもメーカーだそうだ。
「啓太、いる?」
コンコンコンと扉をノックする綾の声に、着替えてぼうっとベッドに座っていただけだった啓太はすぐに扉を開けた。
「ちゃんとあんたと話しておきたいと思って」
たしかに、部屋も隣なのにロクに話もせず10日目も終わろうとしている。
彼女を部屋に招き、立派に用意されているソファーとテーブルの応接セットに落ち着いた。じっくりここに座るのは初めてだ。
綾もすでに晩餐用に着替えを済ませていて、結い上げた髪に薔薇の髪飾りを付けて、ワインレッドのロングドレスを着ていた。胸元に輝く宝石はとても高そうだ。
王族の晩餐はドレスコードがあって、自分たちもそこに混ぜてもらうので、同じようにドレスコードを守らなくてはならない。
夜は成人している王族と共に食事をするのだ。ロイヤルファミリーはみな和やかで、何かを隠していたり取り繕っていたりする様子はない。
「世界の危機がどんなものか知らないけど、必ず起きるし、起きたら私たちは一線に立たないといけないんだと思う」
確かに逃げた所で当てもない。これほど尽くされる理由もそこなのだし、いざとなったら立ち向かうしかないのだろうが、
「なんでそう言い切れるんだ」
啓太は疑問をストレートにぶつけた。危機なんてないかもしれない。アスリリーリャの降臨は国王ですら初めての事。
過去最後の降臨も100年以上前らしい。本当にいつも危機がおこっていたんだろうか?
「ここで調べられる事は調べ尽くした。降臨と危機のズレはあっても、アスリリーリャが先に来るのは少なくない。危機は必ずくる」
「降臨は1番近くて100年以上前なんだろ?記録って言ってもどこまで正確かわかんねぇし‥」
「そうね、不自然なくらい記録がしっかり残っていたわ。6000年も前まで、年月日そして曜日、時間も」
「ろっ6000年?なんでそんなに‥日本の歴史ですら曖昧なとこあるし、100年前になるだけでわからない事だらけなのに」
「なんでかはわからない。でも複数の資料があるし、天気を詳細に記録してあるものもあった。さすがにあの図書館の規模で資料保管はできないから、記録はみんな別の場所にあったわ」
「別の場所って…?」
「地下の書庫よ。ヤイムに聞いたら普通に見せてくれたし、単なる消失防止だと思うんだけどね?入り口は防火扉っぽかったし」
綾は2、3度瞬きをして、こめかみをおさえる。
「ここの文明の歪さのことは置いといても、危機が来たときにこのままじゃ何もできないでしょ?せめて戦えるようにはならないと」
「それって魔物とって事だよな?」
「あるいは人かもね」
たじっと啓太は身を竦ませた。まだみぬ魔物がこわい。そうでなくても、動物園に行くと絶対ドキドキする。動物の大きさに圧倒されるのだ。
ライオンなんてかないっこない。パンダですら襲われたら食われるだろう。温厚そうなゾウだって、軽く鼻で叩かれたら、人の体など吹っ飛ぶに違いない。
オリの中にさえいれば彼らと自分は同じ空間にいないんだから、怯えて腰を抜かすことは絶対にありえない。けれどそれら動物より恐ろしいもの、人を見れば襲いかかってくるような未知の生き物と、剣でやりあう自分の未来など、ヴィジョンは微塵も見えてこない。
自分のことは自分が一番信じられない。それが啓太だ。だから自信がない。剣道も、もともとそういう気弱な所をなんとかするために始めたんだが、未だにその目標は遂げられていない。
「とにかく、いつまでも王宮でいい暮らしはできないのよ。ここから指示するのが仕事じゃなくて、最前線で導くのが私たちアスリリーリャ。いわゆる勇者なんじゃない?」
「イケニエだ‥他のアスリリーリャも、帰ったんじゃなくて捧げられたんじゃねーの」
啓太は蒼白な顔面をゴシゴシ両手で擦る。できれば家に帰りたい。毎日毎日考えている。
「だとしても、やるしかないの。あんたも騎士になるつもりで騎士団に通いなさいよ。逃げても死ぬんだからやるしかないでしょ」
「死んだら帰れる‥とか」
啓太は懇願するように綾を見つめた。彼女の切れ長の目が憐れみ満ちて見える。実際にそうだろう。
「バカね……やりたいならやってみたら。私はごめんだけどね」
そこに自分を奮い立たせるような気持ちが隠されている事は、18歳の啓太には汲み取ることができなかった。
「危機のことは記録にないのか?」
「そう、それがね。よくわからないのよ」
「なんで? 日付も時間も記録してるのに、よくわからないなんておかしいだろ」
啓太の疑いの眼差しに、綾は深々とため息をついた。
「私もそう思ったし、世界の危機だけ別の記録として記されている可能性も考えた。けど、そういうのはなくて‥危機についての事象が呼称されている資料すら存在しない。100年前の危機ですら、王国でも多くの民が命を落としたとしか書いてなかった」
「何があったか何にも手掛かりなしってこと?」
「そうよ。かかれているのは被害の状況と、アスリリーリャが何月何日に対処し、収束したってこと。おわり」
「えー! なんで! 準備のしようもないじゃんか」
余計恐ろしくなり、啓太は整えた髪が乱れるのも構えず頭をかいた。
「…だからあんたは騎士団で、剣道じゃない騎士団の剣術を学びなさい。私はそういうセンスはないから、あんたをサポートするだけの魔法を開発してくるから」
綾の視線は啓太を射抜いた。自分に出来るのか、彼は不安に顔を曇らせる。寛人もどこに行ったかわからない。それもどうすればいいかわからない。寛人ならそんなことはなかったはずだ。
そして目の前のこの人も。
この世で一番役立たず。
調子乗りのビビリ。
そんなの昔からわかっている。
啓太は何も言えずに俯いた。そして2人を晩餐へと誘うためのノックが部屋に響く。
立ち上がる啓太の背中を見つめ、綾はどうすればよかったのか、とまだ悩む自分に気付いていなかった。
彼女は自分が他人を思いやれるような、ましてや年下を思いやれるような人ではないと自覚していた。
なまじ何でも卒なくこなすので、出来ない人の気持ちがわからない。そんなタイプの人間だった。けれど人並みに友人はいたし、人並みに異性との関係もあった。そんな彼女がこちらに来てから、それはそれは迷子の犬のようにぷるぷる震えている高校生を見て、ほとんど初めてくらいに抱いた感情があった。
歳上の自分が守ってやらないと。
と、生まれて初めてそんな事を思った。もちろん自分も必死で、いつも不安そうな彼に安心させるようなことは言ってあげられなかったし、慣れていないのでなんと声をかけるべきなのかもわからない。
自分に魔法が使えると気付いて、王都を離れる決意をしたのも、結局は自分がしっかりしないと、なんて年長者的な考えからだった。
啓太を焚きつける事ができたのかすら怪しかったのだけれど、3日後に彼女は王都アマサトランを後にし、フールレールに乗って魔法都市ファルトニアへと向かったのだった。
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