第3話 お城あれこれ
それから各自部屋を案内された。2人の部屋は数ある部屋の隣同士だった。
保安上の理由か、客間の都合なのかわからないが、ともかくそれに文句はない。監視されるかのようにドアの外に兵士が常駐すると言うのは居心地がわるかったが、国王らにはアスリリーリャを守る、それだけのことであり、啓太たちの心配は取り越し苦労というもの。
こちらはちょうど夕食の時間だったようで、国王からお誘いがあったが、これは2人ともお断りした。先程夕飯は済ませたばかりだったし、なによりもとても体がだるく重く、さっさと眠ってしまいたかった。
啓太は用意されていた寝間着にも着替えず、そのままベッドへ伏した。
安心したわけではないが、異様な体の怠さにもうまぶたを開けていることが出来ずに、深い眠りへ落ちていったのだった。
次の日、啓太が目を覚ましたのはちょうど11時。どういうわけか時計は見慣れた数字で、日本と全く変わらないものがあったので、時刻を知るのは容易だった。
不自然なほど同じものなのだが、電池ではないようだ。これもいわゆるメーカーというものだろうか。
「おはようございます」
啓太が扉を開け兵士に挨拶をすると、ちょうど綾も部屋から出てきていた。しかし寝て起きたままの啓太とは違い、綾は用意されていたのであろう服に着替え、身支度を整えている様子。
どう見ても1人で着ることが出来なさそうな、背中にバッテンがたくさんの紐で縛る服を着ていた。淡いブルーがどことなく某アニメ映画の女王を思わせる。
――余裕ですな
啓太は心の中で呟いた。女性というのはか弱く繊細そうで、実はふってぇんだ、と学んだ気がした。それが綾にのみ適用されるのか、そうでないかは彼の人生経験の中にはないので、判断はできない。
去年彼女が出来たが、学校帰りにキスしようと目論んだそんな帰り道、なんか思ってたカンジと違う、とあっさりフラれて以来、後にも先にも彼女はその子だけだ。
何が彼女をがっかりさせたのかもわからずじまいで、結構ショックだったので寛人に相談してみたら、キスの算段してたせいじゃねーの?と笑われた。こんな事は人に言うものじゃないとは学ばせてもらえた。それだけだった。
「ちょっと。着替えてきたら? あんた制服のまま寝たでしょ」
くっしゃくしゃ、と綾はうんざりした目でこちらを見ている。啓太には酷く鬱陶しい姉のように思えたが、自分の姉よりも綾の方が綺麗な事は認めたいと思う。
ハッキリとした目鼻立ちは、美人というに相違ない。頭に気が強そうな、と付くのだが。
啓太の姉はたいそう身なりにうるさいやつで、髪の毛がどうだの靴が汚いだの、散々言うのだ。母はぼんやりした人で、細かいところは気付かない。かわりに全て姉が指摘する。父に容赦なくめちゃくちゃ加齢臭するわよ、と指差していた光景は今でも忘れられない。
世の中には伝え方と言うものがある。相手を思いやるならタイミングも選ぶべきで、父は出勤5秒前に言われたのだ。どうすることもできずその日は出社するしかない。自分から加齢臭がするのだと思いながら。
父はさぞ肩身の狭い1日だっただろう。
少し話は逸れたが、指摘はごもっともなので啓太は服を着替えることにした。しかしながら、クローゼットに用意されていた服は、音楽の教科書で見る作曲家のようなジャケットで、とても着こなせそうにない。
「すげー襟。金ピカだし」
啓太は履きやすそうなズボンと白いカッターシャツ。それだけではラフすぎるか?と袖のないタイプのジャケットを羽織った。
「着替えた! どうー?」
啓太が自信満々に綾に見せると、彼女は青い顔で絶句するに徹していた。絶望を覗かせる瞳は、上から下まで啓太の全身をなぞり、その感情は途端に哀れみに変わる。
「ださい! ださっ! だっさ! なんで足元スニーカー!?」
彼女は啓太をもう一度部屋へ押し込めると、クローゼットをあけた。どうやら見繕ってくれるらしいが、ずっと文句が聞こえてくる。
「ダサすぎる、どんなセンス! 男子高校生てみんなこう!? ありえないわ!」
「けどそこから選んだら、モーツァルトかナポレオンみたいになっちゃうから」
啓太は小声で文句を言ってみたが、鼻で笑う綾にもう黙って待つことにした。
「これ、とこれ、ベルトはちゃんとして。あとこの服にスニーカーもおかしいから、靴これ。とあとこれネクタイのかわりね」
綾はポンポンとベッドにアイテムを並べ、
「全部着替えてから出てきて」
と部屋を出た。
「ったくなんだよ。どーせ歴史の教科書か音楽室になるんだろ」
啓太はなおも小声で抗議していたが、着替えは進んでいた。絶対服従、それは弟の宿命。
綾と自分の姉を被って見てしまった時点で、彼に勝機はないのである。
「おまたせしました」
「似合ってるわよ。フォーマルにはフォーマルなコーディネートがあるのよ」
綾は満足そうだった。それもそのはず、啓太の着こなしはなかなか様になっていた。
細身のズボンに、短めのジャケットと、ベスト。シャツの首元はさらりとスカーフ。すっきりとして、若者らしい装いだ。いいとこのおぼっちゃまに見えなくもない。
「ありがとうございまーす」
口をへの字にまげつつも、啓太は礼を言った。それからぽつぽつとお互いの身の上話をしながら、食堂へ向かうことにした。
もちろんそこへ行けばいい事は、ドア前の護衛が教えてくれたのだし、案内もしてくれている。綾はお世話をするメイドさんが4人いるらしく、その人らに食事を用意したと聞いたと言っていた。
「俺のとこにはメイドさんこなかったんだけど」
「しらないわよ。私が発注したわけじゃなし。文句なら国王に言えば〜」
「思ってたけど、綾サンてめちゃ煽り気味で話してくるよな。腹立つ。うちのねーちゃんと同じ人種だ」
うえ、と顔を歪める啓太に。綾はなおも煽るように鼻を鳴らした。
「あんたのねーちゃんとやらがどんな人か知らないけど、素晴らしい人格者のようね!」
「そーゆーとこだよ、ほんと腹立つなぁ」
「どう考えても年上の私に、敬語も使えないあんたのが腹立つわ」
「そうでしたすみません。姉のせいで妙な親近感を感じてしまいました」
打ってかわるコロリと啓太に、綾はぞわりと背筋に気持ちの悪いものが這い回り、彼を手で押した。
「やめて、なんか気分が」
「意表を突かれると気持ち悪いですよね。分かりますよ、剣道やってると、あ! これやベーってなる時めちゃありますもん」
「いや剣道と同じなのこれ? まあいいわ、別にさっきまでの話し方で。どうも私たちここでは完全に神様扱いみたいだしね、たった2人のお仲間って事で」
「あー。アスリリーリャ」
「なんなのかしらないけど、帰る手段見つけないと」
「婚約者に振られたのに戻りたいの?」
口に出してからしまった、と啓太は両手で口を塞いだ。ちらーっと綾を見れば無表情に前方を見つめていた。予想では雷が落ちると思ったのだが、意外に反応がなさすぎて逆に恐ろしい。
「仕事がしたいの、今面白いの。それにクソ野郎とは思うけど、私も優しいアイツに甘えて、何も言ってこないのを何も問題ない事にしてた」
「じゃあ、店では突っ掛かったけど、本当は悪いと思ってたんだ?」
「当たり前。仕事を言い訳に、一生を共にしようって相手を蔑ろにしてたんだからダメでしょ」
「そんな気負うもん?」
「……あんたんち両親仲良いでしょ」
「まあ普通じゃね。けんかもしてるよ、ビールの缶を洗えとかそんなんで」
「それが仲良いっての。あんたと姉さんが大きくなるまで、大変なこともあっただろうし、大きなけんかもあったわよ。けど今もそうして缶ゴミの事くらいでうだうだやってんだから、実はお互いのこと大切にしてるって事」
「難しいわ! 要するに愛し合ってなくても大切ならいいってことな?」
「なんか全然違う話だけど……童貞くんには難しいお話でちたね?」
フフン、と鼻を鳴らす綾に、啓太はガーンと鐘を鳴らしたかのようにショックを受けていた。
「なんでわかったの!? 大人の人にはバレてしまうもんなのか!?」
「本当に童貞なの? ――今時の男子高校生って、意外と……きちんとしてるのね」
哀れみを込めた綾の目線が辛い、と啓太はため息をついて涙を堪えた。
兵士が案内してくれた食堂は、2人が想像していたものと全然違い、比較的コンパクトな部屋に大きな円卓が置かれ既に国王と王妃が座って待っていた。
そして、昨日より1人増え、おそらく今度は王子らしき人物が国王の横にいた。
「おはようございます、啓太様、綾様。ゆっくりお休みいただけましたでしょうか?」
ロイヤルファミリーの3人は、アスリリーリャの姿に立ち上がり、恭しく首を垂れた。
「もちろん、ありがとうございます」
綾はにこりと微笑む。その笑みがよそ行きである事は、短い付き合いの啓太だがわかってしまった。先ほどまでの彼女はもっと生き生きしていた。
「本当に、よくしてくださってありがとうございます」
啓太も頭を下げた。剣道は精神的な事や肉体的な事だけでなく、礼儀もよく教えてくれた。どんな場面でも戸惑う事なくキチンと話せるのは、剣道をやっていたおかげだろう。
「こっちは息子、第一王子のアデモンドです」
国王が息子の背を押すと、彼は綾に負けないよそ行きの面で微笑む。
「お会いできて光栄です。私はアデモンド・アディーノ・ラ・イルです」
優雅に胸に手を添えて、王子は自分の名を言ったが、啓太にはアデモンドしかインプットされなかった。
「アデモンドは時期国王でして、ぜひご紹介をと思い同席させました。さあ、どうぞおかけください」
国王がそう言うと、控えていた侍女たちが椅子を引いた。ロイヤルファミリーは慣れた様子で座ったが、啓太は慣れないことで他人に自分を預けることができず、後ろを振り返りながら腰を下ろした。
「ところで、陛下と王妃様のお名前を伺ってもいいですか?昨日はパニックで、聞きそびれました」
啓太がそう言うと、国王は目をキラキラと輝かせ、王妃と目配せしながらも啓太に何度も頷いてみせた。
「私はイル王国二十八代目国王、バハムート・アディーノ・ラ・イルと申します」
名を聞くや否や、啓太が「バハムート!?」と吹き出し、綾はその足を踏んづけてやった。
「強そうなお名前ですね。我々の国では世界を根底から支える者のことをバハムートと呼びます。神の使いは国王陛下の方でしたわね」
綾はにっこり微笑んで、国王もいやいや、と満足そうに頷いた。
「わたくしも名乗らせてください。イル王国の王妃アオーリラ・サリー・ノヴァーラです」
後で聞いた話だが、この国にミドルネームを持つのはごく一部だけで、アディーノというのは国王と次期国王が名乗るもので、ラ、というのは直系の王族であるという事、そしてサリーは王妃のみが名乗ることのできる名だそうだ。
イルの姓は王家と公爵家、基本的に夫婦別姓で、生まれた家はいつまでも大切にしなくてはならないらしい。姓が変わる事が養子縁組以外にはないそうだ。
「綾様、啓太様も、さあさあお召し上がりください。アスリリーリャの朝食ということでキッチンの者も大張り切りですよ」
運ばれてくる朝食は、ちょっと食べきれそうになかった。円卓は花で彩られ、見た目にも鮮やかで美味しそうな料理が並んだ。
基本となる主食は、ナンのようなものだった。
食べてみると味はどちらかといえばフォカッチャで、この食事が続くと啓太は絶対に米が食べたくなるな、と小さく落胆した。
求めるのは牛丼、として唐揚げのおにぎり。部活帰りの定番だ。
また寛人のことを考えて、ちょっと憂鬱になった。
どこにいるのか、いないのか、どうなったのか、昨日からそればかりがぐるぐると頭の中を回る。
いろんなことを気にした風もない綾の態度に、ますます困惑して、綾も幻なんじゃないかと思ってしまう。
しかしながら、朝から肉なんて贅沢はなかなかない。ソテーされ、黄色とオレンジの花びらのようなものが散らされた謎の肉を口へ運ぶ。見た目カモだったが、やけにみずみずしい。味は豚と牛の間のような何ともいえない味で、やはり謎肉のままだった。
「女性に年齢を伺うのは失礼かとも思ったのですが、お二人はおいくつなのでしょうか? 年の頃自分と変わらないように見えますが、アスリリーリャの方だとまた永遠の若さなんてものがあるのかなと」
アデモンド王子は国王と同じ人の良さそうな笑みで、啓太にも綾にもニコニコと微笑んでいた。顔も国王とよく似ている。キリッとした、清潔感と品のある顔だ。
親近感が湧くのは、彼らロイヤルファミリーが美形すぎない事だろう。なのに自分たちにはない気品をしっかりと備えている。
それは立ち振る舞いに限ったことではない。オーラというものがあるのであれば、つまりそういうことかもしれない。
「自分は高校生……いや、十八歳です」
「私は二十七歳よ」
綾の年齢を聞くと王子だけでなく国王たちも少し驚いていた。おそらくもう少し上に思ったに違いない。
啓太は思っていた。
綾には言えないが、彼女の傲慢さと落ち着きは27歳とは思えない。とは言え見た目が老けているわけでもないので二十七歳と言われれば納得だし、三十二歳と言われても見た目より若いなと思う。今の彼女にしっくりくる年齢がないということだ。
「今からあなた方が言おうとしてる事はここ5年散々言われたからもうやめて」
綾は全員を手で制した。
「ええと、では自分は三十七歳です。娘は五人息子は三人います」
「え、多すぎません? 一体どんなペースで……」
「バカね、王族なんだから側室がいるに決まってるでしょ」
綾のツッコミにああ、そうか、と啓太は頷いた。
「確かに側室を迎えることもありますし、実際僕の祖父は祖母が病弱で、側室を迎えていましたが、父も僕も側室はいないんですよ」
ニコニコ楽しそうな王子殿下。実は37歳だったことに恐れ入る。王家のアンチエイジング方を伝授してほしい、と綾はぼんやり考えた。
「じゃあ、かなりハイペースで仕込んだということに……? いてっ!」
ドス、とまた綾が啓太の足を踏んづけた。
「高校生が嫌な言い回ししないでくれる?」
「いえいえ、僕の兄弟には双子の弟と妹がいます。実はうちの子も最初が双子で最後は三つ子だったんですよー」
多胎児家系なんです、と笑う王子。その言葉の真偽はさておき、五回も妊娠して八人出産してる時期王妃には恐れ入る。
そういう無理をさせないためにも側室という制度があるんじゃないのか、と喉元までこみ上げる言葉を、綾はひっそりと心の中に留めた。相手が同じ人間じゃない恐れもあるんだから、自分の物差しで考えるのはばかばかしいし、この国の王室の事なんててんでどうでもいい事だ。
「ところで、啓太様の着こなしは素敵ですね。夜会に出られたらきっとその装いは、若い子たちの間で流行になりますわ」
王妃はそう言って、微笑んでいるが、コーディネートしたのは綾であって自分ではない。何か言おうとしたが、綾がまた話を変えてしまいすぐに話は流れていった。
後で聞いたら、おしゃれなんだと思わせておけば今後些細な服装の失敗はそれで片付けてもらえるだろうと言われた。度が過ぎなければ。
その日は綾と共に城内の見学をした。もちろんまわりきれるものではないのだが、同行してくれたのはヤイム、最初に案内をしてくれた彼だった。
「私はおニ人の願いを聞く係とでも思っていただければ。連れてきてほしい人や、ほしい物があれば何でも言ってください。手配します」
ヤイムはあいかわらずのキラキラした眼差しで、こっちは眩しすぎてこまったものだ。
「ここは図書館です。基本的には城のものしか出入りしませんが、稀に許可された外部のものが使う時もあります」
「すっすご……あの上の棚とかどうやって取るんだ?」
啓太が、3階分ぐらい突き抜けた天井の高い図書館、その1番上まで本棚がある事に驚き、ヤイムに問うた。
すると彼はみるみる顔を綻ばせ、鼻息荒く解説してくれた。
「実は上の三分の一は偽物の本でして、中身はない装飾品なのです!」
「飾りってこと? なんでわざわざ」
「なんせ城の中にある図書館ですから、訪れるものを圧倒する優美さも必要なのです。上の方の本は階段梯子というものがありまして、それで手に取ることができます」
「また読みに来させてもらうわ。我々もここの文字は読めるみたいだし」
綾がそう言うと、ヤイムはいつでもお待ちしておりますよ!と頷いた。
次に案内されたのは騎士団の詰所。ここも鼻息付きの解説をくれた。
「城を守る騎士団のアジトです! 有事のない今は屈強な騎士男女がここで日々トレーニングに明け暮れています! 城は騎士団が護り、城下は兵士団が護り、王都の治安は警察団が護っています!」
「警察団……は住民を取り締まってるのよね? 兵士団は? 何から城下を守ってるわけ?」
「魔物ですよ! 兵士たちは城下に魔物を入れないよう、護っているのです! 王都の居住区には、城壁がありません。これはイル王国が戦争をしないという事を王都アマサトランで証明しているのです。が、城壁がないと魔物を防ぐ事はできないので、兵士が昼夜見張りをしています。農業地帯も荒らされるのは困りますからね」
「魔物、へぇ。動物とは何か明確な違いがあるのかしら?」
綾の質問にヤイムはめちゃくちゃ喜んでいた。この世界に興味を持ていただけて嬉しいんです、と涙ぐんでいる。
「見た目が全然違います。魔物は見てわかる凶悪さですよ。それに基本的に動物たちは温厚で、野生だと特に人を見るなり逃げていきます。魔物は人を見ると襲いかかってきます。食べられたという事例はないので、捕食目的ではないんですよ。悪の使いですね。大神様を害する者の成れの果てではと言われていますが、詳しい生態は分かっていません。魔族と関係があるともいわれていて」
「魔族?」
啓太の質問に、魔族は……とヤイムが何か言おうとしたが、それは別の人物に遮られた。
「アスリリーリャのお二方ですね!」
急にびりっと空気が引き締まった気がした。こちらに小走りでかけてきた男は、背も高くがっしりとして、語彙が無いがめちゃくちゃ強そうだった。
「あ、お二人にご紹介させてください。騎士団長のガルデル殿です」
「お初にお目にかかります、私はガルデル・ピアソラ。イル王国騎士団で団長を勤めております」
ガルデル団長は手を出し、ニ人に握手を求めた。とても嬉しそうにしている。皆一様にこうだが、この人は圧倒的な快活さのせいで、余計に喜びがこちらへ伝わってくる。気圧されそうになりながら、啓太は手を握り返した。
「啓太様は剣術に覚えがあると、国王から聞いております。お望みでしたら詰所で鍛錬のお相手を致しますよ」
ぺカーっと歯を光らせ笑う騎士団長に、ええっとと啓太は返答に困った。この人や他の騎士団の人からしたら、自分のはお遊びではないのか。剣道にはルールが存在し、それに則り成り立つスポーツだ。
この人たちはルールも何もない殺し合う練習をしているのだしと思うと、そのままぐっと居付いてしまった。
アスリリーリャ、そう言われて誰もが崇めるような目で見る。国王までもが自分に謙るような事を言う。
然として何もかも受け入れていく綾のように振る舞えない、常に動揺しているし、いつでも心臓が跳ねるようなことがおきる。
家に帰らせて! そう叫んでしまいたいのに、そうさせない。皆がありがたがってアスリリーリャと呼ぶたびに、足がすくむ。
理由も知らない彼らの期待と高揚感が、得体の知れない恐怖を常に撒き散らしていく。
自分はいちいちそれに振り回される、弱い人間なのだ。
「……団長、啓太が覚えのある剣術というのは、ここの剣術とは結構違うんですよ。戦うための剣ではなくて、ある種芸術といいますか‥」
答えに迷う啓太に助け舟をくれたのは、綾だった。
嫌味な笑みは消え、当たり障りのない笑顔とでも言おうか、そんなものを団長に向け自分の話題をやり過ごそうとしてくれている。
――ちゃんと答えないと、これから辛くなる。自分でいわなければ。
「団長、お心遣いありがとうございます。自分の剣術は切れない刀で打ち合うもので、足運びや体運びもまったく違うんじゃないかなって……ましてや真剣も握った事がないんでこちらで皆さんの邪魔をするわけには……」
「なるほど、では1からイル王国騎士団流をお教えせねば! 明日はぜひこちらにいらしてください!」
おそらくガルデルには押しつけや悪意はまったくない。アスリリーリャが世界の危機を救う者だから、戦うのは当然。腕を磨くのも当然。
ここでは常識で、まったく非難されるような事はなく、むしろ教えることが騎士団には誉れとなるんだろう。
だがそこまで理解できなかった啓太は、さぁっとこの国から心が引いていく自分がいた。
寛人なら、堂々としていた事だろう。隣にいたらどれほど心強かっただろうか。
自分の中の炎が、ぎゅっと縮こまっていく。自信がない。教えてもらってどうなる。世界の危機ってなんだ。立ち向かえるわけがない。戦えるわけがない。
「……かしこまっても仕方ないから言わせてもらうわ」
隣にいた綾が、ばーんと啓太の背中を叩いた。
「この国で十八歳がどのくらい大人として扱われるのかは知らないけど、神の国で十八歳なんてまだヒヨッコ、尻も青いガキ、親に甘えたい盛りで大人のフリしたお子ちゃまなんです。だからちょっと今、アスリリーリャのお役目に尻込みして自信がないみたい。赤の他人の私が面倒見るなんてっぴらごめんだし、騎士団でしごいてあげて?」
「ちょ、何を!」
啓太は綾に抗議しようとしたが、騎士団長にギュッと抱き寄せられた。びっくりしすぎて何も言えず、ゴツゴツした団長の腕の中に、自分でも驚くほど落ち着いて、なんだか気分が悪い。
「そうか! 恐れ多いが今日から俺を父親と思って頼ってくれ!」
団長は泣きながら啓太を抱きしめていた。あれくらいのことで絆されるような人が、騎士団長でいいのだろうか。
筋トレをしていた団員も、いつの間にか物陰から覗いていて、すすり泣く声が聞こえてくる。どうやら騎士団ではこれが普通らしい。
啓太は城の警備に不安を感じた。
結局、啓太は騎士団に通うことになった。自分たちの部屋の前にいるのも、兵士ではなく騎士だそうで、声をかけてくれたら一緒に行くと言っていた。
たしかに広い城の中、道を覚えるまでは迷子になりそうだから、甘えるのが賢い。
啓太は騎士団の中で、泣く泣く親元を離れ、使命のために涙を堪えて降臨したアスリリーリャと認識されている。
それも誤解だ。ある種アスリリーリャを美化しすぎているこの国人々に、そうではないと説いても無駄だと、綾も啓太も気付いていた。
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