第2話 王と王妃

 そうしてどのくらいすぎただろうか。


 気付けば啓太と綾は、見上げるだけで倒れそうなくらい高い天井をした、広い広い部屋に座り込んでいた。


 白く輝く柱が高い天井をささえ、その柱は何本も何本もずっと向こうまで森の木々のように沢山ある。2人のいた場所の床は丸く、そこには柱も1つとして立ってはおらず、カラフルな幾何学模様が描かれていた。


「寛人……?」


 啓太は綾の姿を見、寛人を探した。目の前にいたはずの親友がいない。


「どういうこと…」


 綾は息が上がるのを感じた。先程のファーストフード店から、そう時間は経っていないと感じる一方で、とてつもなく遠い所まで時間をかけて移動したような気もする。


 白紙を見つめるような時から、なにがどうなってしまったのか。



「アスリリーリャの方がお2人も!」



 長いローブをまとった男性が慌ただしくこちらに走ってくる。彼は自然な動作で両ひざをついて、胸に手を当てた。そして息を整えて、注目する啓太達に微笑み、口を開いた。


「お待ち申し上げておりました! 大天津神おおあまつがみ様に奉謝を!」


 彼はそう言って、胸に当てていた手をパンパンと打ち鳴らし、また胸元へ戻した。ギョッとした2人を気にすることもなく彼は言葉を続ける。


「ここはイル王国の王都、アマサトランという都市でございます! 国を挙げて歓迎いたします。そして不自由な事がひとつもございませんよう、尽くさせていただきます! 神の使徒に栄光あれ! 光の旅路の後でお疲れとは思いますが、アスリリーリャのお二方にはぜひ国王との会談にご来臨いただきますようお願いを申し上げます」


 まくし立てるように言いたいのを我慢しているんだな、と啓太にも綾にも感じられるほどに、彼は興奮しているようだ。肩を上下させ、頬は紅潮している。これだけ広い部屋を一体どこから走って来たのだろう。


 とりあえず、ものすごく歓迎はされている様だ。キラキラと目を輝かせる彼、彼はこの国にアスリリーリャが降り立つことがあれば、一番に声を掛ける役目を受けた者。

 就任して一度も、そんな良き日に出会えないものばかりの役だが、彼は就任7年目、あと7日でその任を終えるそんな日にしてその幸運に巡り合ったのだ。


 そして間違うことなく、何度も暗唱した言葉を啓太と綾に伝えた。彼の名は、ヤイム・ノノイン。王国騎士学校を卒業した後、王宮官と言う職につき宮の中の事務仕事を担当している男だ。


「なによこれ……もう…」


 綾はこめかみを押さえて眉間にシワを寄せていた。


「あ、あの! 寛人来てないですか? 林寛人、俺と同じ制服の男……」


 啓太は立ち上がってヤイムに駆け寄った。彼はとてもびっくりしていたが、戸惑いながらも「アスリリーリャの降臨はお二人です。もしかしたら他国から知らせがあるかもしれませんが……今はまだ」とはっきりと答えた。


 爛々とした視線も、啓太には届かない。どうしてさっきまで目の前にいたのに寛人がいないのだろう。通路を歩いていた綾が共にここにいると言うのに。


「さあ! ここは冷えますし、どうぞ光の間へ!」


ヤイムは二人に、こちらへ! と前を行った。啓太は寛人のことが気になっていたし、綾も駄々をこねて立ち尽くす訳にもいかないので、後ろをついた。吸い込む空気が、どことなく綺麗すぎる気がする。


 まるで山の中のような、清廉な滝の前にいるかのような――。


 誰もなにも話さない中、柱の間を抜けていく。本当に広い部屋だった。


 白い柱は何本も何本も天井を支えていて、上には絵が描かれているようだ。何ともつかぬ不思議な絵だった。


「やはりアスリリーリャの方でも見惚れてしまうものなんですね! この部屋は大神さまが神の力で作られたものと言われていて、今のどの国の建築技術でも再現できないんです。アスリリーリャのお二方も、天上に住まわれていた頃は大神さまの作られた住まいにいらしたのですか?」


 ヤイムの問いに、シンと静まりかえってしまった。啓太は寛人のことで頭がいっぱいで、綾はヤイムの言う意味をよく理解できていなかった。


「天上のお話はまずかったですかね……申し訳ありません」


 彼はシュンと、まるで萎れた花のようにうなだれ、その後は何も話そうとはしなかったが、そんな彼を思いやれるほど啓太も綾も余裕がない。訳のわからない事だらけで、これっぽっちも理解が追いついていないのだ。


 ヤイムの案内は大きな大きな白い扉の前で終わった。


「私はこの先に足を踏み入れることも、この扉に触れることも許されていない身分です。国王がおりますので、どうぞお進みください」


 啓太と綾はお互いを見合わせ、どうする? と言わんばかりに目配せしていたが、どうすることもできず、高校生に先陣を切らせてはならないと綾が扉を開けた。なんでこんなことに、とぶつぶつ呟く彼女の顔は、大人って大変なんだなぁなんて啓太に思わせてしまうくらいに夜叉の表情だった。


「おお! アスリリーリャの来臨を知らせる鐘を聞きましたが、まさかお二人とは!」


 そう言って歓喜に唇を震わせた男が、この国の王である事はその身分の人間に出会ったこともない2人でもわかった。その人の雰囲気というものがこれほどまでに、どうしようとも隠しきれないものなのか。

 

 扉の先は大きなガラス窓のある明るい部屋だった。紺色の絨毯に柱や装飾は白く、落ち着いた趣だ。国王らしき人物と王妃らしき人物がいるだけで他には誰も居なかった。


 ぼんやりした啓太とは極に、綾は隅々まで部屋を観察していたのだが、そんな姿を見てか王妃が口を開いた。


「この光の間は、アスリリーリャとこの国の王、そしてその王妃しか入る事は許されておりません。掃除が行き届いておりませぬ故、少々埃っぽいかもしれませんが、どうぞガラス窓から城下をご覧ください」


 指し示されたガラス窓の向こう、城下は低い建物ばかりだったが、秩序的で計画性のある作りをしていた。大きな街だ。


 王妃は眩しいほどの美貌、とは言えないがとても美しい人だった。品のある、とはこういうことか!と啓太が1人心の中で納得していると、今度は綾が口を開いた。


「申し訳ありませんが、アスリリーリャが何かわからないのと、この街の風景にも見覚えがなくて。一体どういうことなんでしょうか」


 国王がそれに頷いて、ソファーの1つもなくて申し訳ない、と断りこう続けた。


「アスリリーリャ、それはこの世界が窮地に陥った時に、神の国より光の道を通り、神が創りし神殿へと降臨される。世界を変える特別な力を持った方々。貴方様方がそのアスリリーリャです」


 啓太は己の手を見た。特に変わったところはないように思う。特別な力だなんて買いかぶりに、ドラゴンと戦わされて痛い目を見ないといいのだが。


「ここはイル王国の王都、アマサトランという都市です。城下に高い建物を建てる事は禁じております故、遠くには農業地帯が見えますでしょう?みのりある豊かな国でございます」


 王妃が国王の回答の不足を補った。2人とも人が良さそうな雰囲気で、嵌めてやろうとか、貶めてやろうとか、その類いの謀りは感じられなかった。

 とても朗らかであり、先ほどの案内人の彼のように、やや興奮気味に見える。


 ガラス窓の向こうには、定規で線を引かれたと見えるほど綺麗で秩序的な街と、実益に富む農畜産地帯に囲まれた王都が広がる。


 本当に2人とも、全く知らない場所だった。外国なのかもしれないし、夢の中かもしれない。


「神の国……だったとは到底思えないわね」


 綾の呟きに、啓太はあ〜と頬をかいた。ここへ来る直前の出来事に、触れていいのかどうなのかはかりかねる。沈黙は金。啓太はしっかりと唇をくっつけておく事にした。


「しかし今取り立ててアスリリーリャの方々が降臨されるような……脅威となるような事は起きておらず、心当たりといえば北の果ての魔族くらいでしょうか」


 国王は困りましたね、と苦笑いをした。


「ですが魔族もかれこれ数百年前からの話でして、今更何がどうなるものでも。ですから、指針がお決まりになるまで、ゆったりとお過ごし下さい」


 王妃は和やかに微笑む。国王も王妃に同意して、笑みを浮かべたまま頷いていた。身の安全は確保されているらしいことに、綾は胸を撫で下ろし


「降臨されるのは稀なことでして、こちらの案内に至らぬ点があるかもしれません。なんでも仰ってください」


 そう続ける王に、アスリリーリャなるものの立場を理解した。


「つまり、どうすればいいんですか? 俺、一緒に居た友達捜さないといけないし‥」


 啓太が不安そうに尋ねると、王妃は優しく微笑んで言った。


「お好きに過ごされてかまいません。剣のお相手であれば騎士団長を行かせます。特別な客間をご用意していますから、そこでお寛ぎ頂いてもよろしいかと。街へおりられるのであれば部屋にあるものはご自由にお使いください」

「もちろん、お金や服がなくなったら遠慮なく仰ってください! アスリリーリャの方々を支援できることは、世界最大の誉です。もしも他国に行かれる場合は準備もありますので早めにお知らせいただけると」


 国王が言う。てっきり国外には出られないのかと思いきや、どうやらそうではないらしい。彼らが一国の頂点だとして、自分たちに対するこの態度は、アスリリーリャの存在がそれ以上のものであることもわかり、待遇の手厚さも理解した。

 神の使いだというのだから、礼儀を尽くすということなんだろう。


 ただ、これからどうすればいいのかが全くわからない事に変わりはなく、啓太にとっても寛人の安否を知ることもできなかった。


「戻る方法は?」


 綾の質問には期待は一切込められていなかった。形式的に、一応聞いた、それだけ。


「もっ戻られるのですか!? 申し訳もございませんが、我々には知り得ない事です。我らの意思とは関係なく降臨され、そして去られるものだと伝え聞いております。全ては大神様のご意志なのだと……」


「大神様とは?」


 綾がそうたずねると、国王はハッとして頷いた。


「アスリリーリャの方々は神世の国で必ずしもこちらを見ているわけではないと聞きましたが、本当にそうなのですね」


「そうですね、少なくとも私は見ることはできなかったけれど、君はどうなの?」


 綾が唐突に啓太に話を振ったので、彼はびくりと体を震わせ、自分もです、と小さく呟いた。先ほどから啓太の頭の中を支配していることは、寛人のことばかり。

 色んな事にいまこの場に気を向けても、すぐに寛人がどうなったのかを考えてしまっていた。


 もしもあの場に残されたなら、きっと2人が消えて騒ぎになる。店のカメラだってあるだろうから、突然いなくなったにせよ、あの少年が何かしたにせよ騒ぎになるはず。もしかしたらテロかもしれない。


 そしてもしも同じようにどこか別の場所にいるなら、それはどこなんだろうか。いま自分がいる場所から行けるところなんだろうか。あるいは‥…。


「大神様とはこの世界を創造なさった神様です。我らはどの国であろうとも皆、大神様の子供です。大神様は空に浮かぶザガに居られるともいいますし、世界中で見守ってくださっているともいいます。世界より外とも。風が吹くのも、草花が芽吹くのも、大気にハルが満ちるのも、すべて大神様が我らにお与えくださるものです」


「ハル? 季節のこと?」


 知っている単語を不自然な言い回しで挟まれ、綾は思わず口を出していた。国王は話の途中だったであろうに。


「いえ、季節かと言われるとそもそと王都には春しかありませんが、ハルとはこの世界を満たす命の源。魔法の源。エネルギーです」


「空気中に簡単に利用可能なエネルギーが充満しているということ!?」


 食い気味に聞く綾に、国王はとても驚いた顔をしていた。それと同時にチラリチラリと垣間見える神の世界に、好奇心をそそられているようだ。


「神の国にはないものなのでしょうか?我らは神の国から分け与えられているものなのだと解釈していましたが」

「……主なのは窒素と酸素それからヘリウムとか」


 綾がそう言うと、国王はカっと目を見開いた。


「……酸素、とはなんでしょう! 窒素やヘリウムはこちらにもございます。同じものかどうかはわかりませんが」

「目に見えないものの研究がされているの!? こんなに発展途上……文明としてまだ発達していないような街並みをしているのに」


 綾も目を見開いた。この大きなガラスの向こうに広がる街からはとても想像できない。この部屋の灯りでさえも蝋燭のようなものが灯されているのだから。


「ここはわざと古き良き街並みを残しているんです。失われてはいけない景観もある、それがイル王国、王都アマサトランの良さだと思っています」

「なるほど確かにそれには同意するわ、私が住んでた所は伝統もなにもないダッサい建築物だらけになってたもの」

「アスリリーリャの方のお墨付きを頂けるとは。王都ではないのですが、ここからフールレールで1時間程のところに魔法都市ファルトニアというところがありまして、そこでは日々魔法研究からメーカーの開発、それは多種多様な研究が行われております。そしてもちろん国も受け身を取らず技術者を育てるため大学も運営しています」


 誇らしげに語る国王の姿を見ていたら、彼にとっても国にとっても、魔法都市がどれほど価値ある街なのか推測は容易だった。


「国立大学に研究と開発……フールレールってまさか、あらかじめ作ったルート上を走っていく貨物や人を運搬するためのもの?」

「そうです! なかなかに管理のために人手のかかるものでして、世界でも王都アマサトランと魔法都市ファルトニアを繋いでいるのみなのですが」

「人手がかかればお金もかかるものね。メーカーというのは?」

「メーカーと言うのは、魔法を使えない人でも安全に使用できる道具のことです。この部屋にはありませんが、灯りや乗り物など様々な物があります。一部を除いて誰にでも使えるんですよ」


「まるで家電ね」


 綾は小さくつぶやいた。


「神の国でもそのような代用品があるのですね」


 王妃はパンと優しく掌を打った。彼らにとっての神の国がどのようなもので、どのような宗教観をしていて、どんな道徳を持っているのかはわからない。

 どこかとんでもなく遠くに来てしまった気がして、啓太は足がすくんだ。


 興味津々に話を聞く綾の姿が、彼の目にはさぞ不可解に映っていたことだろう。必死に情報を得ようとしているともわからずに。

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