この大宙に、手を伸ばして

辻野深由

孤空、辰々と、届かぬ輝きに手を伸ばし

 あなたは小説を書いている。とにかくテーマはなんでもいい。ファンタジーでも、ラブコメでも、恋愛でも、エンタメでも、ホラーでもミステリでも、なんでもいい。ああ、この小話みたいにSFだって全然構わない。とにかくあなたは小説を書いている。……いや、この話は、もしかしたら――かもしれないけれど。だが、そんなジャンル分けは些細なことだ。ラベリングなどにおおきな意味はない。


 とにかく、あなたは、どうにもうまくいかない。うまく、物語を書けない。必死に書き上げても、誰にも読まれない。運良く読まれたとしても、まるで新聞にでも目を通すかのようにすぐ飽きられ、捨てられ、評価もブックマークもつけずに去っていく数多に恨みの視線を投げることしかできない。そう。はじめは自己満足のつもりだったというのに、いつしか他者からの承認欲求のために創作へ打ち込んでしまっている。けれど、そんな浅ましい感情で書き連ねた駄作には誰も目もくれない。そうして積み重なるのは無為に加算されていくPV数だけ。その数字を前に、なぜだ、と呪詛を吐き続ける。いつしかあなたのなかには汚泥のように積み重なっていく、失望、嫉妬、焦燥、そして、諦念。それでもこうして物語を綴っているのは、夢を見てしまったから。届きそうな輝きを、無視できなくなってしまったから。その魅力に囚われてしまったから。


 原因はわかっているようでいてわかっていない。要因を分析し、売れている小説と読み比べると、確かにあなたは自分の小説がどこか物足りないことを実感するのだが、しかし、それならどうすれば己の作品が面白くなるのかがわからない。目をとめて、誰かの心を打ち振るわせる物語になるのかが、わからない。


 だが、思い当たる節はある。例えば、武器となり得る知識とか。小話を連結させるストーリーの構成力とか。そもそもの文章力とか。キャラクターの作り方や役回りの設定とか。物語で伝えたいこと、テーマの設定、そういう根幹の部分とか。


 もしかしたら環境が悪いのかもしれない。なにせこの世界は膨大な物語に溢れている。平々凡々でとりたてて才能もないあなたが書き綴った空想など取るに足らず、浸ろうと心を刺激されることもない。あるいは、物語は面白いのだが、その入口が誰にも見つけられないような場所にあったり、宣伝が不得手なせいでそもそも誰にも認められないということだってあるはずだ。


 すべてが原因のように思えてきて、やっていられない、と嘆く。嘆いたところで誰も救ってくれないをわかっていて、なのに、やめられない。孤独なまま、ただ嘆く。まるで赤子のように。


 だって、見つけ出されたいのだ。輝きたいのだ。この冬空に煌めく一匹狼のように。誰からも認められる、そんな存在になりたかったのだ。この世界に名を刻みたかったのだ。


 だから、あらゆることをやってきた。


 あらゆる知識を吸い込んだ。脳に叩き込んだ。身体に覚え込ませた。記憶して、記録して、叡智に触れて、そうして自身自身に取り込んだ。無限に思える創作のすべてを取り込んだ。あらゆる事象に誰よりも詳しくなった。


 なのに。


 届かない。


 どこにも届かない。この手は、くうを切るばかり。駄文を紡ぐばかり。



 創作の種子となるものはすべて飲み込んだ。創作の神の助言のとおりに。それが体内で発芽し、口や毛穴から若草を伸ばし、いまやこの六畳一間を覆い尽くし、どころかアパートの外へとその蔦を伸ばして、あふれて、あふれきって、生まれ育った街一面を深緑に犯している。


 異常事態であると認めた政府が非常事態宣言を発令し、とめどなくその幹を、つたを、枝を、葉を増やし伸ばしていく原因不明の植物の成長を食い止めようと躍起になっているのだと、あなたの頭へ愛おしそうに冷や水を注ぐ神様がいう。


「あなたに巣くった憎悪の種がここまで育つだなんて、正直、これっぽっちも期待していなかったわ」

『なんて無責任な言葉なの。すべてを取り込めば誰かが振り向いてくれると、そう言ったのは神様なのに』


 へそから伸びたつるを震わせながら、あなたはあなたを睥睨する神様に苛立ちを募らせる。


「こうして世話をしてあげているというのに、少しはありがたがりなさい? それに、みてくれているじゃない。みんな、あなたのために必死よ? 非現実な現象をまえに、みんなが囁いているわ――まるでファンタジーかSFのような状況だって」

『……ひどい』


 あなたは、神様の前で、みっともなく滂沱の涙をながす。その雫を、神様は小瓶にすくって、木製のコルクで蓋をする。


「みにくい悲鳴だわ。おやめなさい。誰もあなたの泣き言に耳を貸さないのだから。あなたの慟哭は人を気絶させてしまう。もはや、あなたの嘆きはどこにも届かない。その事実を認めて楽になりなさい。他人に期待するほど、自分がいっそう惨めになるだけなのだから」

『あんまりだ……、こんなの、あんまりだ。種を喰らえば才能が開花すると、そう断言したのは神様だというのに……』


 これじゃあまるで――、


「まるで自分が創作の種になってしまった、なんてみっともなくありふれた怒りに囚われているのかしら?」

『っ……』

「認めなさい。それが――その姿こそが、あなたの才能ということ。創作者になる才能など、ありはしなかったのよ」

『うそだ……』

「けれど、どのみちあなたは世界に名を残すわ。異常事態の元凶なのだから。憎悪に満ちた花を咲かせ、飛び散る種子や花の香りは、人にすくう負の感情を呼び起こす。災厄のはじまりの象徴として、あなたの名前は永劫語り継がれるの。それが望みだったのでしょう?」

『……っ』

「あなたの望みは小説を描くことではないのだから。ただ、誰かに認めてほしい、見つけて欲しい、それだけなのだから。その感情を拗らせてしまったあなたは、もはや誰にも救われないし、誰も救えない。世界に名を残すという目的を成就させるために、もっとも効果的で劇的で華々しくも最悪な道を無意識のうちに選び取ってしまった以上、救いなんて求めてはいけないの。この宙に煌めく星々になんてなれはしないのよ」


 ああ。


 だめだ。


 ずっと、目を背けてきたはずだというのに。


 それを、認めてしまっては。


 創作という行為にこだわり続けた意味が霧散してしまう。


「くれぐれも、下劣に伸ばした手足で人を襲うことだけはやめておきなさい。そうやって他人を取り込んだところで、誰もあなたのことなど愛してはくれないのだから」

『……いつまで、こうしていればいいの? いつになれば、この苦しみから解放されるの?』


 いつになったら、見つけてくれるの。


 そう嘆くあなたに、神様は優しく微笑みながら言い放った。


「――――」


 その、あまりにも残酷な宣告は、けれど、あなたを解放するには充分すぎる言葉だった。

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