【番外編】大晦日の夜

 それは……これから先にあるかもしれない一夜の話。


 とある日の夜、寒空の下で一人たたずむ女性の姿があった。彼女のそばを通る男は、例えその傍らに女性を連れていても思わず振り返ってしまう……そんな女性だ。


 そんな女性が一人でいる。その事実に、同じく一人でその場を訪れている男性達は声をかけようかかけまいか逡巡していた。


 口から漏れ出す白い吐息すらも美しく見えるその女性に対して、声をかける男性が現れた。


「ごめん七海、お待たせ」


「あ、陽信。ううん、待ってないよ。私も今来たところだから」


 寒空の下、鳥居の脇で一人ぽつんと立っている彼女を見つけて小走りに駆け寄った陽信の言葉に、七海は首を小さく横に振る。


 一人でいた彼女は待ち人の登場に、思わず見とれてしまうような人を蕩かす様な微笑みを浮かべた。


 その微笑みにさらに周囲の男性達は見惚れ、訪れた男性に対しては負の感情を込めた視線を送っていた。


 陽信を見つけて嬉しそうに微笑む七海を見て、陽信も思わず頬を緩める。何度も見ている微笑みだけど、見飽きることは無い微笑みだ。


 美人は三日で飽きるという言葉があるが、出会ってから数年経過した今でも陽信は七海に飽きることなど一切なかった。


 それどころか日々、月々、年々惚れ直しているくらいだ。


 それは七海も同様なのだが、お互いにそれを知る由も無かった。


 だけど、今来たと言ったはずの彼女のその頬がほんの少し赤みを帯びているのを陽信は見逃さなかった。


「嘘つかないって約束でしょ。ほら、こんなにほっぺた冷たい」


「ひゃっ!! ……もう、いきなり止めてよ。でも、陽信の手……あったかいね。なんでこんなあったかいの?」


「七海が先に待ってるかと思って、カイロであっためてた。どう、気持ちいい?」


「うん、凄い気持ちいい……このままあっためてくれる?」


 彼等のそんな行動を遠巻きに見て、舌打ちをするもの、微笑ましいものを見る目で見るもの、羨ましそうな目で見るものなど様々だ。


 男性陣から、なんであんな可愛い子が待っているのがこんな冴えない奴なんだと、視線で問われているようにすら陽信は感じていた。


 付き合いたての昔ならその視線に少し卑屈になっていたかもしれないけど、今の彼はそんな視線を受けてもビクともしていなかった。


 それどころか、そんな嫉妬を向けられる彼女の隣に今も立てていることを誇らしくすら感じている。


 そして、彼はとんでもない行動に出る。およそ数年前からは考えられない行動だ。


 彼女の頬から手を離すと、少し大き目のコートを広げてその中に彼女をすっぽりと包み込み、それからさらに両頬に手を当てて温める。


「ちょっ!! 陽信?! 人前、人前だから!!」


「いいじゃない。ほら、けっこう他のカップルもやってるよ?」


「そうかもだけど!! 流石に今はその……」


「会うの久しぶりだからさぁ……七海分補給中~……」


 確かに陽信の言う通り、似たような行動をとっているカップルは周囲にも結構いる。だけど、彼がその行動をとるとは思っていなかった七海は、驚き彼の腕の中でジタバタともがいてしまう。


 そのたびに、コートの中で彼女の身体があちこち触れて陽信の表情はご満悦なものに変わっていく。


「あ~……七海分が補給されていく……」


「何その成分……というか陽信、会うの久しぶりって言っても直接会えなかったのって一週間だけだよ?」


「一週間だよ……」


「と言うか、その間にもビデオ通話とかしてたじゃない……そんなに寂しかったの?」


 陽信はそのまま一拍置くと、七海の耳元に口を近づけて彼女にだけ聞こえる声量で呟いた。


「寂しかったし、七海が取られるんじゃないかって不安だったよ……。ほんと、もう七海がいないと生きてけないわ」


 その言葉に七海は一気に顔が熱くなるのを感じた。


 言葉の内容もそうなのだが、普段からは考え付かないような甘く、それでいて彼女を誘惑するような低い声で言われてしまったために色々なところがキュンとしてしまったのだ。


「……ねぇ、陽信……どこでそんな良い声の出し方を覚えたの? あと俺呼び……慣れないんだけど……」


「ほら、趣味程度だけどさバロンさんに誘われてネットで実況なんて始めたでしょ。それでバロンさんから『声は作っておこうか』なんて言われてやる様になったんだよね」


 彼は趣味のゲームが興じて、少し前からゲーム仲間のバロンに誘われて一緒に動画投稿サイトにゲームの実況動画を投稿していた。


 チャンネル自体はバロンが元々持っていたものなので、彼はその助手の様な立ち位置にいる。


 バロンのチャンネルはそこまで人気があるわけではないが、それでも収益化されているチャンネルなので、陽信が参加した際の動画の収益分はバイト代としてもらっていた。


 ……余談だが、高校生になったピーチもたまに参加しており……その際の動画の再生数の伸びは普段の比ではないのだけど、それはまた別な話である。


 ともあれ、そんな形で趣味と実益を兼ねての声の作りだったのだけど、今日久しぶりに七海に会えたので彼はその声で囁いてみたのだ。


 思いのほか好評なようで、満足気な笑みを浮かべる陽信である。


「はぁ……もう……いきなり耳元で止めてよ。それにそんなに良い声で囁くって、普段からやってるの? ちょっと嫉妬しちゃうんだけど」


「いや、今みたいな声は初めて出したよ。発声練習はしてたけど、普段はちょっと地声を変えた程度しか出してない。あれ疲れるんだよ意外と」


「それじゃあ、今の声を聞けたのは私だけってこと?」


「そうだよ。あんな声はじめて出したよ……どうだった?」


 コートの中で七海は陽信の肩辺りに自身の頭を擦り寄せた。そのままスリスリとまるでマーキングをするようにこすりつけた。


「カッコよすぎて、私の前以外では絶対に言っちゃ嫌だって思ったよ?」


「お褒めいただき光栄の至り……。それじゃあ、あの声は七海の前以外では出すのやめようか」


「うん……あ、そうだその……」


「ん……なに?」


はその……その声でして欲しいかなって……」


 頬を染めたままの彼女は、今度はお返しと言わんばかりに陽信の耳元で彼にしか聞こえない声で囁いた。


 その囁きに背筋がゾクゾクとする感覚を覚えた陽信は、笑みを浮かべて無言で頷く。


 それから色々な意味で十分に温まった二人は、手を繋ぎ歩みを始める。


 そこでふと陽信は立ち止まり、七海に向けて思い出したように改まって口を開く。


「七海、今年もお世話になりました。来年もよろしくお願いします」


 その言葉にパチクリと目を瞬いた彼女は、すぐに微笑んで陽信に返答した。


「こちらこそ。陽信、今年もお世話になりました。来年も、その先もずっと……末永くよろしくお願いします」


 手を繋いだまま二人は挨拶を交わすと、お互い幸せそうな笑みを浮かべ、その年最後のデートへ繰り出した。

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