【番外編】疑似的バレンタイン
「陽信ってさぁ、女の子からチョコ貰ったことある?」
デートの最中に入った喫茶店で、僕は七海からそんなことを言われた。七海の目の前には注文したチョコレートパフェが置かれており、彼女の視線は僕ではなくそのパフェに注がれていた。
ちょっと唐突ではあるけど、どうやらチョコパフェを見て何の気なしに疑問に思ったことを口にしたようだ。チョコを貰うという言葉から、バレンタインの事を言っていることは容易に想像できる。
僕は目の前に置かれたマロンパフェには手を付けず、腕を組んで記憶を辿る。チョコレート……チョコレートかぁ……。
うん。無いね。
「小学校の時に義理で配られてたの貰ったくらいで、後は母さんくらいからしかないかなぁ?」
どう記憶を思い返してみても、唯一最後に貰ったのは小学校の頃だ。本命とかそんな大それたものじゃなくて、みんなに配っている小さなチョコレートを貰った程度だ。
悲しいくらい……いや、別に悲しくは無いのだけど。それほどチョコレート貰った思い出と言うものは皆無だった。
中学の頃からは地味で目立たないように過ごしてきたから、一切貰ってないな。去年だって言わずもがなだ。そのことを七海に告げると、彼女はほんの少しだけ驚いたような表情を浮かべていた。
「去年ももらってないの? 確か去年って各クラスで大義理チョコ祭りが開催されてたはずだけど」
何その祭り。いきなり変な祭りの名前が飛び出してきた。今度は僕が驚いてしまう。驚かせようとして、冗談言ってないよね?
「大義理チョコ祭りって……そんな学校行事があったの?」
「いや、別に学校の公式行事じゃないよ? 流石に学校で大々的にやるバレンタインイベントなんて聞いたこと無いでしょ?」
「まぁ、そうだね。でもじゃあなんでそんな祭りが開催されたのさ?」
「あー、陽信知らないのか。女子達が一部の男子に懇願されて、しつこく懇願されて、とにかく義理チョコを分け隔てなく配ろうっていう彼氏いない女子、彼女居ない男子限定で参加するお祭り」
初耳である。そう言えばバレンタインの日にクラスの男子達が妙に騒いでいたことがあったけど、それが祭りだったのかな? そんな祭りが開催されてるなんて知らなかった。いや、それよりも……。
「うーん。その時も貰ってないなぁ」
全然関係ないと思ってスルーしてたし、僕には配られた記憶が全くない。いくら何でも渡されたなら覚えてるし、お返しだってしてるはずだ。影が薄くてスルーされてしまったか。
「えー? 酷くない? クラス違ったとはいえ、陽信をハブにするなんて許せないんだけど」
プリプリと可愛らしく怒り、チョコレートパフェを大きくすくってスプーンを口に運ぶ七海を可愛らしく感じながらも、僕もつられるようにパフェにスプーンを差し入れて彼女を宥める。
まぁ、過去の事だしそこまで本気で怒ってはいないだろうけど、ちょっとはフォローしておこうか。
「いや、僕はあんまりそういうのに関わらないように生きていたから。忘れられていたとしても仕方がないよ」
「仕方ないかなぁ? 陽信はチョコとか欲しくなかったの?」
「んー……別にバレンタインにはさほど興味は無かったからねぇ。当時に貰っていてもお返しとか面倒だなぁとか思ってたくらいじゃないかな。だから知ってても参加してなかったと思う」
「そっかぁ……」
そこでふと、僕は七海の言葉を思い返した。その大義理チョコ祭りとやらは彼氏のいない女子限定で参加していたという事だ。つまりは……七海も参加してたのだろうか?
そうなるとちょっとだけ面白くないかもしれない。我ながら心が狭いものだが、七海から義理チョコを貰うとは……正直に言って羨ましい。
「陽信、なんかちょっとむくれてるけど……やっぱり参加したかったの?」
「あぁいや、七海が参加しててもしも誰かにチョコ渡してたら羨ましいなぁと……」
不意にかけられた言葉に僕は反射的に本音を吐露してしまった。しまった、かっこ悪いから隠しておくつもりだったんだけど、聞かれてしまった。油断していた。
僕の言葉に七海はちょっとだけ頬を染めて、嬉しそうに笑っていた。
「も~、も~。そんなこと心配してむくれてたの~? 可愛いなぁ、ほんと」
「……僕、そんなにむくれてた?」
「んー、ほんのちょっとだけムッとしてたよ? まさか私が参加してたかどうかで妬いてたなんて思わなかったけど」
うん、ちょっと恥ずかしい。僕の頬が熱くなるのに反して七海の頬は赤みが引いていっている。僕のそんな心情を知ってか知らずか、七海は僕の頬を人差し指で突っついてきた。
「心配しなくても、私は参加してないよー。男子にあげるのはちょっと抵抗あったからさー」
「そうなの?」
「うん、だからそんなむくれないでー」
七海は満面の笑みで僕の頬をつんつんと突っつく。凄く楽しそうで、嬉しそうだ。なんでそんなに嬉しそうなんだろうか……。でもちょっとホッとした。そうか、七海は参加してないのか。
「とりあえず、バレンタイン代わりじゃないけど、チョコパフェ一口どうぞ。はい、あーん?」
先ほどまで自分の口に運んでいたスプーンをパフェに刺し、チョコレートの部分を主にすくい上げると僕に差し出してきた。どうやら食べろという事らしい。
「あ、心配しないでね。これがバレンタインの代わり……ってわけじゃないから。単に陽信に食べさせてあげたくなっただけー」
「そういう事なら、僕のマロンパフェも食べる?」
「食べたーい! でもまずは私の方を食べてくれる? 溶けちゃうよ?」
確かに、このまま放置してたら溶けてしまうから早めに食べないと。僕は差し出されたスプーンに乗ったチョコレートアイスを口に含む。口の中にほろ苦いチョコレートの味とアイスの冷たさが広がっていく。うん、美味しい。
七海はそれから、黙って口を開く。どうやら僕がマロンパフェを食べさせるのを待っているようだ。口の中を見るというのはあまりないのだけど、なんかちょっと……こう……エッチな感じがしてしまう。
とりあえず頭の中に浮かぶ煩悩を振り払い、僕はスプーンにすくったマロンパフェをゆっくりと七海の口へと運ぶ。
彼女は運ばれたパフェを口に含むと、幸せそうに微笑んだ。
「マロンパフェ、美味しいね」
「チョコパフェも美味しかったよ」
「間接キス……だねぇ?」
「そうだね、お互いに間接キス……。なんでさ、間接キスって普通のキスより恥ずかしく感じるんだろ?」
「何でだろうね。普通のキスの方がより直接的で恥ずかしいような気がするのにねぇ」
それからもお互いに相手に食べさせあいながら、僕等はパフェを平らげる。結局、半分ずつ食べるみたいな形になってしまった気がする。
「あー、美味しかったねぇ。パフェ久々に食べたー」
「僕も久々に食べたよ。美味しかったね」
喫茶店を出た僕等は、どちらともなく手を繋いで歩く。なんとなく、最近は出かけると自然に手を繋げるようになってきた気がする。暖かく柔らかい彼女の手を握ると、とても幸せな気分になる。
七海もそうだと良いなと思いながら歩いていると、気づけば僕は七海に先行されるような形で手を引かれていた。どこか目的地があるんだろうか?
「七海、どっか行きたいところあるの?」
「んー……まだ内緒」
内緒か。まぁ、七海が行きたいところがあるならついていくだけだけどさ。だけど、目的の場所には驚くほどあっさり辿り着いた。パフェを食べた喫茶店から本当に目と鼻の先だ。
辿り着いた場所は、かなり洒落たチョコレートの専門店だった。甘く香ばしいチョコの香りが漂ってくるようだった。
「ここのチョコ、好きなんだよね。バレンタインの時とか、
「それって、友チョコってヤツ?」
「うんそう。私にとってバレンタインは男子にあげるイベントじゃなくて、友達とチョコを交換するだけのイベント……だったんだけどさぁ」
そこで七海は僕から一度手を離し、陳列されているチョコの箱を一つ手に取る。チョコ自体もお洒落だけど、パッケージもとてもお洒落で僕とは縁遠そうに見える。
「でもこれからはさ、私も男の子にあげるイベントになるんだよね。正式なのは、来年になっちゃうけど」
僕の事を上目づかいで見ながら、七海は恥ずかしさを隠すかのようにはにかんで笑った。そっか、言われてみれば僕もチョコレートを貰える日にはなるのか。
でも来年の話なら、今ここに僕を連れてくる意味はないのでは? そう思っていたら七海は、手にしたチョコをレジに持っていき会計を済ませた。
それから店を離れて人気の少ない場所に移動すると、七海は綺麗にラッピングがされている箱を少しだけ恥ずかしそうに、僕に差し出す。
「はい、陽信。だいぶ遅いけどハッピーバレンタイン。私の気持ち、受け取ってくれる?」
小首を傾げながら、七海は可愛らしく僕にチョコレートを渡してきた。予想はしていたけれども、改めて言われると照れるものがある。
受け取ってくれると言われて断ることが僕にできるはずがない。と言うか断るという選択肢はありえないだろう。彼女からのチョコを受け取らない男がこの世にいるのだろうか?
「私がお父さん以外で……男の人に渡すはじめてのチョコだよ」
初チョコ!!
ダメ押しの台詞に、僕はチョコを受け取る手が震えてしまうことが分かった。そんな光栄な物を貰っても良いのだろうか? バレンタインと言う日の見方がぐるりと回転してしまった気がする。
こんな幸せな日だったのだろうか。いや、今日は別にバレンタインじゃないけどね。なんか錯覚しちゃうよ。天にも昇る気持ちとはこのことか。
「あ……ありがとう。嬉しいよ」
少し言葉に詰まりながら、震える手で僕はそのチョコを受け取る。彼女の初チョコを受け取ると意識したら知らず知らずに緊張してしまっているようだ。
「アハハ、陽信の手が震えてるよ」
笑う彼女だけど、僕は手渡されたチョコの箱がかすかにふるえていることに気づいた。どうやら緊張しているのは僕だけじゃない様だ……。
「七海も、ちょっと震えてない?」
「あ、分かる? 私もちょっと緊張してるんだよ?」
バレたかとペロリと舌を出す彼女は、そのまま箱から手を離した。そのまま深呼吸を一つすると、ちょっとだけ恥ずかしそうに手を後ろに組む。
その姿がたまらなく愛おしく、僕は抱きしめたくなる衝動にかられたけど何とか堪えた。その代わり、僕は彼女に今の自分の素直な気持ちを告げる。
「……僕は彼女から……いや、女の子から本命チョコを貰うのはじめてだよ。今日は人生で一番、嬉しい日かもしれない」
「大げさじゃない? 本命チョコなのはその通りだけどさ。でも私も……陽信が初めてチョコをあげた彼氏だよ。お互い初めて同士だね」
「やっぱり、今日は人生で最良の日だ」
「あはは、そう言ってくれると嬉しいな。手作りできれば一番良かったんだけど、チョコは作ったことないから、それは来年に期待してね?」
「手作りか。それはとても楽しみだな。ありがとう七海。僕もお返しを頑張るよ」
微笑み合う僕等は、お互いに言葉を交わすことでやっと緊張が解れていき、手の震えも止まっていった。
「そう言えば、ホワイトデーもあるんだっけ。忘れてたよ。いや、そもそも今はバレンタインからも全然時期外れてるんだけどね」
七海は少しだけきょとんとした顔で、思い出したかのように呟いた。どうやら、チョコを僕に渡すことで満足してしまっていたようだけどそうはいかない。
今度は七海に、僕の初めてを受け取ってもらわないと。
「ホワイトデーに彼女に渡すのは初めてだし、気合いを入れるよ」
「……また初めてを共有できるね。嬉しい」
「一ヶ月後、楽しみにしてて。今日は僕等の疑似的なバレンタインで、一ヶ月後は疑似的なホワイトデーだ」
「うん、楽しみにしてる! ……あ、そうだ。バレンタインだからコレは言っとかないと」
七海はそのまま一歩僕から離れると、そのまま手を後ろに組んだまま僕に対して満面の笑みを向けてくる。
「大好きだよ、陽信」
その一言で、僕の心が感動で暖かくなってくる。だから僕も心からの笑顔を浮かべ、彼女の言葉に応えることにした。
「大好きだよ、七海」
そのまま僕等は改めて手を繋ぎ、幸せな気持ちのまま家路についた。
こうして今日は、僕等の少し……いや、だいぶ遅れたバレンタインとなった。
変かもだけど、こんな日があっても良いよね。
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