【番外編】後悔しても、もう遅い

 あまり大っぴらには言えないことなのだけど……先日から、僕の脳裏にこびりついて離れないとある光景がある。


 ……いや、これはこびりついてと言う表現は生ぬるいかもしれない。


 目を閉じては思い出し、授業中も思い出し、七海を見ては思い出し、一人夢の中でも思い出す始末。


 それが何の光景か、きっと誰にも分らないだろう。だって誰にも言えないのだから。


 そう……それは七海と一緒にお風呂に入った時の光景だ。


 いやぁ……人間、衝撃的な光景は中々に忘れないと言うのは本当らしい。僕はそれを身をもって実感している最中だ。


 もちろん、あの時は全裸じゃなくて水着姿だったけど、水着姿でも七海の破壊力は素晴らしか……もとい凄まじかった。さながら凄まじき戦士だ。いや、誰とも戦っていないけど。


 戦っているなら僕は登場した時点でノックアウトされての大敗北である。幸せな敗北と言えよう。


 以前「水着姿はすごいから」と七海のお友達のどちらか(どっちかは忘れてしまった)に忠告のように言われた理由を理解したのだ。


 想像の斜め上なんてものじゃない。想像に想像を重ねても足りないほどのものだった。


 まるで圧倒的な暴力のように、名工の作成した素晴らしい芸術作品のように、僕は強制的に理解させられたのだ。


 あれはお風呂で水着だったからこそ、破壊力がすごかったと言うべきなんだろうか? いっそ裸だったら……いやダメだな。それは僕の理性が消し飛ぶ未来しか見えない。


 幸福中の幸いなのは、アレが発生したのが七海の家のお風呂で僕の自宅ではなかったことか。


 ん? ことわざが間違っていると? わざとですよ。


 だってあの出来事を「不幸中の幸い」とは言えないでしょう。あれを不幸なんて言ったら僕はたぶん神様とか色んなものからバチが当たる。殺されても文句は言えない。


 健全な男子高校生としてあえて言うけど、あれはあくまでも幸福な出来事だ。そして幸福すぎて僕の脳の処理が追い付かない状況だけど、幸いにも逃げ道があったと言うことだ。


 もしも行われたのが自宅のお風呂だったなら……僕は風呂に入るたびにあの光景を思い出してただろう。


 いや、ほんとさ。童貞の男子高校生にあれは目に毒だって。薬も過ぎれば毒になるって。


 ……夏までに僕……耐性付けないとなぁ……。七海と一緒に海やプールに行けやしないよ。


「陽信? どしたの? なんか疲れてる?」


 とんでもなく長い回想をしていると……たぶん文字数にして約1000文字近く七海の水着姿の回想をしていると……心配そうに七海は僕の顔を覗き込んだ。


 今は放課後で、なんかダラダラと教室で七海と理由もなくお喋りを楽しんでいたのだけど、ふとしたことで思い出して会話が途切れてしまったのだろう。


 周囲に残っているクラスメイトからは「昨晩頑張りすぎたかー?」とかちょっと下品な野次が飛んでくるけどそれは無視である。


 どころか、七海からの冷たい視線を受けて野次ったクラスメイトは「ありがとうございます」とか言っている始末だ。何故お礼を言うのだ。


「……ちょっーとだけ寝不足でさぁ……。最近なんていうか……夜中に起きることが多くて……」


「え? それって大丈夫なの? 病院行く? それとも嫌な夢を見てるとか?」


「いや、夢としては最高に良い夢を見ているんだけどね」


「……どーゆーこと?」 


 首を可愛く傾げる七海だけど、本人にはなかなか言いづらい……。七海の水着姿を繰り返し思い出してますなんて……。


 また思い出して、僕はちょっとだけ赤面する。


「うーん……心配だなぁ。あ、陽信。ちゃんとお風呂入ってる? 少しぬるめのお湯にゆーっくり浸かってリラックスしたら、よく眠れるんじゃない?」


 唐突に出てきたお風呂と言う単語に僕は思わず動揺して、ガタリと椅子から落ちそうになってしまう。


 今の僕にその単語は禁句である。否応なしにあの時の事を思い出すからだ。暑くないのに変な汗が吹き出してしまう。


 そして顔を真っ赤にした僕を見て……七海はどうやら全てを察したようだった。


「……お……お風呂?」


 かろうじて絞り出した七海のその一言に、僕はビクリと身を震わせて反応してしまった。僕はゆっくりと頷くと、七海の顔もだんだんとあの時の事を思い出してか赤くなっていく。


 変な沈黙したままの僕等だったけど、周囲も僕等に当てられてかとても静かになっていた。みんな、何があったんだと首を傾げながらも……僕等を固唾を飲んで見守っている。


 その重い沈黙を吹き飛ばす様に、七海は両手をパァンと打ち鳴らす。


「よ……陽信!! 帰ろう!! 今日はもう帰って……うちでお話ししましょう!!」


 無理矢理に沈黙を破った七海に手を引かれるように、僕等は少しざわつく教室を後にする。目の端には、残ったクラスメイト達が一様に首を傾げる様子が映っていた。


 手を繋ぐと言うよりも七海に半ば引っ張られるような状況で僕等は歩き出して、学校を後にしてしばらくして七海がようやく落ち着いたようで、耳まで真っ赤だったのが治まっていた。


「な……ななみさーん?」


 僕は横に移動してきた七海の顔を覗き込むと、七海は両頬をこれ以上赤くならないようにするためか掌で押さえていた。


「もうっ……!! 思い出しちゃったら恥ずかしくなっちゃったよ!! 陽信、最近ボーっとしてたり眠れてないのってあれのせいだったの? 言ってよ!!」


 あー……やっぱりバレちゃったかぁ……。


「いや、最初はそうでもなかったんだよ? でも日数が経つにつれてジワジワともの凄い体験しちゃったよなぁって色々と……クルものがあってさ……」


「う~……!!」


 子犬のように唸る七海はそのままその場にしゃがみ込んでしまった。改めて自身でも凄いことをしちゃったと思い始めたのかもしれない。


 だけど七海がしゃがみ込んでいたのは一瞬で、即座に立ち上がると僕に対して宣言してきた。


「陽信!! 強烈な記憶はさらに強烈な記憶で上書きするか、慣れさせるしかないと思うの!!」


「あー、そういうものかもね。でも強烈な記憶って言っても……?」


 僕が考えていると、七海は僕に指を突き付けてくる。


「だから!! 後で陽信は水着を持ってうちに集合!! お母さんには言っとくし準備しとくから、陽信も今日は夕飯うちで食べるって志信しのぶさん達に言って来てね!!」


 え? えー……? えっと……?


 僕の答えを待たずにダッシュで一人帰ってしまった七海の後姿を眺めて……僕は……七海が思いついたことをまさかねと思いつつ……。水着を持って茨戸ばらと家へと訪問する。


 いや、大変でした。親にこっそりと隠れてしまってある水着を探すのは。おかげで去年の水着は探し出せたけど。


 僕は七海にメッセージを送って到着することを告げると、扉が開いて睦子ともこさんが僕を出迎えてくれた。


「あらあら、いらっしゃい陽信君。七海は準備しているから……ほどほどにねー? 変なことしちゃダメよー?」


 何だろうか? 含みのある言い方にちょっとだけ僕は違和感を感じるのだけど……。睦子さんはとても良い笑顔だ。


「お邪魔します睦子さん。えっと……七海はどこに……?」


「七海ならお風呂場の脱衣所にいるわよー」


 あー……水着を持って来いと言っていたから予想通りだけど、それって許していいんですか睦子さん? 


「大丈夫よぉ。陽信君なら変なことしないでしょうし……。これは練習だから。だから変なことしちゃダメよ?」


 えっと……睦子さん心を読んでませんよね? そんなに僕って顔に出てましたか? まぁ、ご安心ください。僕も水着を持ってますから大丈夫です! ……たぶん。


 僕の視線に睦子さんは納得したように頷くと、そのまま僕を家に招いてくれた。


 そして僕は緊張しつつも……まずは脱衣所の閉まっている扉をノックする。ゆっくりと三回ノックして、中からの返答を待つと……。


「どうぞ……」


 という小さな声が聞こえてきたので……僕は許しを得た聖域ともいえる場所の扉を開き、中へ入っていく。


 そこには水着を着た天使……もとい七海が居た。


 今回は前回のようなビキニではなく少し……いや、かなり大人しめのワンピースタイプのものだ。黒に近い濃紺で、学校の水泳授業で使うものだろう。


 それでもはちきれんばかりのその身体を隠すには少々荷が重いというか……隠しきれない者が色々とあったりするが、前回よりはだいぶ直視できるものだった。


「えっと……どうかな?」


「あ、うん……。凄く似合ってる。可愛いよ……って……そうじゃなくて、やっぱりやろうとしてるのって?」


「うん! 一緒に水着でお風呂に入って水着姿に慣れちゃおう作戦! これなら陽信も慣れるでしょ!!」


「あー……やっぱり……そういうことだったんだねぇ……」


「ポロリはないから、残念でした?」


「いや、あったら余計に眠れないから。もうね、なんでそんな発想しちゃうかな」


 僕の彼女、思いきりが良すぎませんかね。そして七海は僕がそのまま何かを言う前に、お風呂場に入っていってしまった。


「じゃあ陽信、水着に着替えたら入ってきてね!」


「あ、うん……」


 ぽつんと残された僕は、七海がお風呂に入ってしまったので着替えるしかなくなってしまった。いや、しまったじゃない。別に断る選択肢もあるにはある。


 だけど、ここまで準備してくれた彼女の心意気に応えるのが彼氏って言うものじゃないだろうか?


 お風呂には七海が待っているのだから、ここで着替えて入らなければ男が廃るだろう。


 よし、言い訳終了。


 僕は、扉の向こうに七海がいる事実に緊張しつつも持ってきたトランクスタイプの水着へと着替える。そして……先ほどよりも緊張しつつ七海の居るお風呂の扉を開いた。


 そこには、カチコチに固まったままお風呂場の椅子に座った七海が居た。


 いや……自分から言っておいて、しかもさっきまで自信満々だったのになんでいきなりカチコチになってるの?


「……七海?」


「ひゃっ……ひゃい!!」


 僕が声をかけると、七海はビクリと肩を震わせて返答してきた。


「いや、なんで今更そんなに緊張してるのさ……。この間は七海から入って来てたじゃない」


「だ……だって!! だって陽信が脱いでる音とか色々聞こえてきたら緊張してきたんだもん!! この間はノリで行けたけど待ってたら途端にドキドキしてきて……!!」


 あー……それはもっと前に気づいて欲しかったけどね。でも、もう遅いですよ。こうなっちゃったもん。


 僕はこうなったらとことんまで堪能させてもらうからね?


「とりあえず、七海……こっち見てよ。あ、背中流してほしいとか?」


「それは待って心の準備が!! って……うわぁ……陽信の腹筋けっこう凄い……うっすら割れてる……」


 振り返った七海は僕の水着姿を見て、目を見開いて改めて驚いた表情を見せていた。腹筋に視線が釘付けである。筋トレしてて良かった。


「……触ってみる?」


「……良いの? それじゃあ遠慮なく。うわぁ……けっこう腹筋って硬いんだね……」


 緊張が解れたのか、七海は僕の腹筋に少しだけ指を這わせるのだけど……僕はちょっとなんとも言えない気分になってしまった。


 それから僕等はお互いの顔を見合って、少しだけ笑った。お互いお風呂場で水着って変な状況で、七海は僕の腹筋を触ってって何だこれ?


「あー……緊張してバカみたいだねぇ。とりあえずこれで夏に海とかプールとか行っても大丈夫でしょ?」


「まぁ、この間みたいなすっごいビキニじゃ無ければ大丈夫かなぁ。あれは、周囲の視線が心配だよ」


「うーん、そうだね。あぁいうのは、もう陽信にだけ見せるようにラッシュガードとかパーカーとか買っとこうかな?」


 どうやら危機感は持ってくれたようだけど、僕の前では見せてくれるらしい……。ちょっと嬉しいと思うのはしょうがないだろう……。


 それから僕等は身体を洗って(念のため言うと自分で洗った。あくまで健全に)……それから湯船に向かい合わせで浸かる。


 お互いが普通の水着姿だからか、この間よりも随分とリラックスできている気がする。


「あ~……なんか……色々とホッとした気がする」


「私も~……この間は改めて考えて……とんでもないことしちゃったねぇ……ごめんねぇ」


 水着のままでお互いにクスリと笑って、ぬるめのお湯にゆっくりと浸かるとなんだかとても幸せな気分になってくる。


 ……いつか水着の無い状態で一緒に入る様になるんだろうか……。それまで一緒にいられるといいなぁ……。


 そんな幸せを噛みしめていると……風呂場の外から騒がしい声が聞こえてきた。何だろうか?


 少しだけ二人で訝しんでいると、風呂場の扉が割と良い勢いで開かれた。


「陽信君!! 一緒に風呂に入ろうではないか!! たまには男同士裸のつき……あ……い……でも?」


 そこには上半身だけ裸になり、トランクスだけになった厳一郎げんいちろうさんがいた。全部脱ぐ前にどうやら僕に確認に来たようなのだが……。


 僕と七海が一緒に湯船に浸かっている所をバッチリと見られてしまった。


 一瞬だけ厳一郎さんは目をこすり、扉を閉め……もう一度扉を開く。


「……母さん、これはいったい……どういうことなんだろうか? 幻覚? 来年には孫でも生まれるのか?」


「あなた……だから待ってって言ったのに……」


 あまりの事にキョトンと目を点にした厳一郎さんが、すぐ後ろの睦子さんに支離滅裂な問いかけをしていた。


 そして僕は厳一郎さんが混乱している間にゆっくりと湯船から上がると、流れるような動きで美しい土下座のポーズを取るのであった。


 いや、いくらなんでも厳一郎さん乱入は予想外すぎでしょ……。

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