第89話「イメージチェンジ」

「今日はカットだけでいいのかしらァ? なんならカラーリングとかもやるわよォ?」


「えぇ、カットだけで。染めるのは基本的に校則違反ですし……。まぁ、ほとんど黙認されてますけどね。でも、僕には似合いませんから」


「そんなこと無いと思うけどォ……。もしもやりたくなったら言ってね? サービスするから?」


「ありがとうございます、トオルさん。その時はよろしくお願いします」


 僕は今日、七海に付き合って美容院に来ていた。トオルさんにお会いするのも久々だ。


 七海がそろそろカットとかカラーとか……あとパーマ? トリートメント? 僕には良く分からないけどそろそろそれらをしたいらしく、どうせなら僕の好みにしたいと七海は言ってきた。


 僕としては七海ならどんな髪型も、奇抜で無ければ似合うと思うんだけど、どうしても彼女は僕の意見を取り入れたいとのことだった。


 だから僕は慣れないファッション紙を見ながら、七海に色々と教わりつつこういうのがいいんじゃないとか話をしていた。それはそれで面白いひと時だったんだけど……。


 そうやって話しているうちに、七海は僕の提案をほとんど受けてくれていることに気づく。


 僕がちょっと首元にウェーブのかかった髪が似合いそうと言えばそうするというし、髪は明るすぎるより少し暗めがいいかなとか言えば染めるかなと考えていた。


 七海の好みにしていいんだよと言ったら、せっかくだし僕の意見を取り入れたいと張り切って嬉しそうにはしゃいでいた。


 それはなんだか、七海が僕好みに染まるようで……変な罪悪感と同時に、よくわからない高揚感を感じたのを覚えている。


 何というか、身を委ね過ぎると毒になりそうな……ゾクゾクするというか、正直に言うとヤバイ感覚だった。


 その時に僕はバロンさんの言っていた、行き過ぎると束縛になる……と言う言葉が頭をよぎったくらいだ。


 あれはちょっと自重しないと……。そんな風に僕は肝に銘じる。それと同時に、七海にも僕が感じていた思いを伝えた。色々台無しかもしれないけど、隠して悶々とするよりはよっぽどいい。


 すると七海はちょっとだけ照れながらも、なんだか嬉しそうに『うーん……陽信も独占欲が出るようになったんだねぇ』とか感慨深げに言ってきた。


『いや、なんで嬉しそうなのさ? それにこれって独占欲……なのかな?』


『いや、よくわかんない。でも陽信って、今までそういう事は言ってこなかったからさー。なんて言うの、常に私を尊重してくれてる感じ?』


『えっと……嫌だったかな? 束縛しすぎとか、独占欲強すぎとか?』


『んーん、嫌じゃないよ。それくらいなら可愛いものだし。それにさ……』


 七海は一度言葉を区切ると、少しだけ余裕を見せつけるように、人差し指を唇の前に持っていく。


『陽信になら……どんな風に染められてもいいかなー……って思うよ?』


 何かを誘うように小首を傾げながら、七海は妖艶な微笑みを浮かべた。


 それを見た瞬間、ドキリとした僕の頬は一気に熱を持ち、心臓が早鐘のように鼓動する。


 そして七海は僕の反応を見てから人差し指を口に当てたまま……プルプルと身体を震わせて、瞬時に僕よりも真っ赤になった。


 お互いに真っ赤になった僕等は顔を見合わせると、思わず笑い合ってしまう。


『七海……無理してそういうセリフを言わなくてもいいんだよ?』


『いやいや、無理はしてたけど本音だから! 大丈夫だから! 陽信だったらいつでもバッチ来いだからね!』


 そんなことを言うけれども、無理してるのは明らかだ。相変わらず可愛らしい自爆っぷりに僕はますます笑ってしまい、七海は少しだけ口を尖らせるが、やっぱり笑顔ではあった。


 そしてひとしきり笑い合った後、僕らは美容院の予約を二人分取って……一緒にトオルさんのお店に来たわけだ。


 僕も髪が伸びてきたから、いつも通りの1000円カットでもいいけど、どうせならトオルさんに切ってもらいたいなと思ってたからちょうど良かった。


 久々にお会いしたいというのもあったからね。


 そして今に至る。


 でも、僕が髪を染めるって言われるとは思わなかった。今時なら染めるくらい普通かもだけど、想像がつかないんだよね。


 そういうことをやる度胸も出ないというか、踏ん切りがつかないというか……。


 トオルさんにも言ったけど、そもそも似合わないと思うんだよ。


 未だにピアスとかも怖いし。耳に穴開けるって。七海はよくできるよなぁ……。


 そんなことを考えながら、僕はトオルさんにカットのみをしてもらっている。


 七海は僕の横の席で、パーマの処理をしてもらっている最中だ。あんまり聞いたこと無いけど、こういうのは美容院デートとでも言うのだろうか?


 しかし女性というのは美容院でこんなに大変なのかと、七海を見て思い知らされた。


 トオルさんが僕のカットに入ったのも、七海の待機時間に合わせての事だからだ。


 現在、七海は巻かれた髪の毛が何かの機械に繋がれていて、さらに周囲にもよくわからない円状の機械がいくつか置かれてる。


 こう言う表現が適切か分からないけど……。


 なんか近未来的ですごいカッコいい!


 美容院の機械ってこんなにカッコ良かったの? ちょっとしたサイバー系の作品とかそういうものを見ているような錯覚を覚える。


 頭部に機械をつけるって……それはやってみてもらいたいかも……。


「陽信……そんなに見られると照れるんだけど……。こういう状態って基本的にあんまり見られるのはちょっと……」


 まじまじと僕が見ていたことで、読んでいた雑誌で顔を隠しながら七海はほんの少し頬を染めた。


 カッコいいから見ていたんだけど、ちょっと不躾な視線だったかもしれない。


「ゴメンゴメン、なんか頭に色んな配線とかついててカッコいいなぁって思ってさ」


「……これってカッコいいの? 正直、その辺の男の子の感性が良く分かんないんだけど……。ねぇ、トオルさんカッコいいのこれ?」


「そうねェ、確かに男の子にはカッコよく見えるかもねェ。私は商売道具だから見慣れてるけど」


 トオルさんはニコニコと笑いながら僕の髪にハサミを入れていく。相変わらず、綺麗な技術だ。


 そういえば前回はカットモデルという事で、無料でやってもらったのだけど。今回、カットでいくらくらいなんだろう。1000円カットしか使った方ないから、値段とか調べてなかったんだよな……。まぁ、お金は持ってきてるから大丈夫だろう。


「陽信君、興味があるなら今度やってみる? 今日はもうカットしちゃってるから、もう少し伸ばしてからの方が似合うと思うけど……きっとカッコよくなるわよォ」


「僕がパーマですか……?」


「あ、陽信のパーマ当てた姿……私も見てみたいなぁ。きっと似合うと思うなぁ……」


 うっとりとした表情を浮かべる七海なのだが、あいにくと僕は自分に似合うとはとても思えなかった。まぁ、七海が喜ぶならやって見てもいいのだけど……。


 いや、僕は七海ほど成績は良くないから唐突にそんなことをやったら教師陣に問題にされる可能性があるな。黙認も成績が良いならって感じなんだよね。


 七海そんな僕の心情を知らずに、既に僕のパーマ姿を想像しているのかちょっと恍惚とした表情を浮かべている。可愛いけど、パーマ当てるの決定事項なの?


 どうしようかなと僕が悩んでいると、トオルさんから提案が挙げられた。


「そういえば、もうちょっとしたら二人の学校も夏休みよね? だったら、夏休みの間だけやっちゃえば?」


「夏休みの間だけ……ですか? あれ? なんでトオルさん、うちの学校の夏休み知ってるんです?」


「そりゃ、初美ちゃんがバイトしているから聞いてるわよ」


 あぁ、そっか。音更おとふけさん、ここで働いてるんだもんな。それなら知ってるか。


 疑問点が一つ解消されたところで、もう一つの疑問点だ。夏休みの間だけって……どういうことだ?


「夏休みデビューってやつですか? でもそれ……何か恥ずかしくないですか? 夏休み開けたら髪染めてパーマ当ててって」


 僕は自分がそうなった後の夏休み明けの登校姿を想像する。イメージチェンジをして教室に入ったのに誰も反応してくれない教室内……背筋が寒くなる。


 おぉ、怖い……。大きく変化して誰も反応してくれないって辛いんだけど。


「大丈夫だよー。少なくとも私と初美と歩は反応するから」


 自分で想像してダメージを受けていると、横の七海が僕を安心させるように笑顔を浮かべてくれる。そっか、七海がいるから反応ゼロではないか……。


 でもなんか……うーん。


「あー、誤解を与えちゃっているようだけど……正確に言うと夏休みの間だけデビューかしらねェ?」


 ちょっとだけ苦笑を浮かべているトオルさんが僕に正確な情報を伝えてくる。間だけ? 間だけってどういう事だろうか?


 僕が首を少しだけ傾げる……。正確にはトオルさんにカットの都合上で少しだけ首を傾けられただけなのだが、今の僕の心情を表している姿だ。


 そんな僕に、トオルさんは説明を続けてくれた。


「例えば、夏休み前に軽くパーマを当てたり、毛先だけほんのちょっと染めて気分を変えてみるのよ。夏休みが終わる事には染めた毛先はカットすればいいし、パーマもある程度は落ちてるんじゃないかしら?」


 へぇ、そんなやり方があるのか。ちょっと目から鱗な提案である。


 ちょっと裏技チックと言うか……ズルいかもしれないけど、確かに休みの間だけであれば会う人は限られてるし、学校に行くことも無い。


 先生に会ったら何か言われるかもだけど、確率は低いだろうし学外ならそこまで強くも言われなさそうだ。


「うふふ、そうしてもらえれば私の方もお客さんが増えて、WIN-WINなのよねこれ。あ、もちろん価格はサービスするわよ?」


 おぉ、トオルさん商売上手だなぁ。七海の希望とトオルさんの提案で僕の心はかなり傾いていた。


「それいいですね! それなら陽信も学校に変なこと言われないし、何より夏休みの間だけだからその姿を見るのが私だけにできそう!」


「七海……お前もうちょっと独占欲抑えろ……。後、店の中でイチャつくなよ……羨ましいだろ」


 ノリノリの七海に対して、冷静なツッコミが聞こえてくる。声の主は音更さんだ。その手には紅茶とお茶菓子が持たれていた。これから休憩なのかな?


「あれ、初美。いたの?」


「いたよ、バイト中だもん。はい、紅茶とお茶菓子持ってきたよ。どうぞ」


「あ、ありがとー。今日はクッキーだぁ、嬉しい。ここの美味しいんだよね」


 ……え? 美容院ってお茶とお菓子とか出るの? 凄いなぁ、サービスが至れり尽くせりだ。七海は嬉しそうにクッキーを口に運んでいる。


簾舞みすまいにも持ってきたけど……カット中なんだよな。お菓子、私が食べさせてやろうかー?」


 ニヤリと意地の悪い笑みを浮かべた音更さんに苦笑し、断りを入れようとした瞬間……彼女の後ろから物凄い低い声が聞こえてくる。


「初美……?」


 まるで地獄の底から響く様な、聞いたことのない低音の七海の声……そして見たことも無いほどの、鋭い視線を音更さんに向けていた。


「じょ……じょ……冗談だから、そんな怖い顔するなよ。可愛い顔が台無しだぞー。ほら、七海笑ってー? 簾舞も七海が怖い顔してたら嫌だよな?」


「……いや、これはこれでとても綺麗だよ。鋭い視線が声の低さも相まってカッコいいし、普段の可愛らしさとのギャップが素晴らしいよ。」


 僕がカッコいいと言ったことで、七海は先ほどまで鋭かった目をふにゃッと垂らして恥じらう姿を僕に見せた。


 残念、もうちょっとカッコいい所を見たかったんだけど……。まぁ、仕方ないか。


「あ、音更さん。クッキーはありがたく後でいただくから、置いといてくれるかな?」


「なんなのあんたらカップルは……」


「なんか店内の空気が甘くなった気がするわァ……気のせいかしらァ?」


 音更さんは少々呆れながらも僕の前にクッキーを置いて、仕事に戻っていく。トオルさんのカットももうすぐ終わるようで、顔剃り、眉を整える等の仕上げに入っていく。


「二人とも、今日はこの後は予定はあるのかしら?」


「あぁ、特に予定は決めてなくて……たまには二人で街をブラブラしようかなって話してたところです」


「それじゃあ先に陽信君の方が終わるから、七海ちゃんが終わるまでスタッフルームで待っててくれる?」


「あ、迷惑じゃ無ければ……お願いできますか」


 非常にありがたい申し出である。今も待合スペースには何名かの女性が居て、その中に男一人で待っているのはちょっと迷惑になりそうだったんだよね。


「迷惑じゃないわよォ。それじゃあ、楽しみにしててねェ?」


 ん? 楽しみに?


 トオルさんのその一言が少しだけ気になったけど、僕はシャンプーされる気持ち良さに身を委ねて、その言葉の意味については深くは考えないのだった。

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