第88話「沙八ちゃんと桃ちゃん」
沙八と桃が出会ってから、二人の少女の生活にほんの少しだけ変化が訪れる。
沙八の方は今まで昼休みと言えば教室で友人達と話をするか、男子達に混じってボール遊びに興じるか、ダンス部に顔を出して自主練するかだったのが、今では昼休みと言えば図書室に入り浸っていた。
桃の方はと言うと、今までは昼休みは図書室で一人静かに本を読み、当番の日には放課後に図書委員の仕事をして帰宅するという日々だったのが、昼休みは本を読むよりも沙八との交流が主になっていた。
そんな日々の中で、沙八は一度だけ桃に聞いてみた。
「桃ちゃん、私いっつも遊びに来てるけど迷惑じゃないかな? 読みたい本が読めないとかなってない?」
それに対して桃は、両手を合わせながらはにかんだ笑顔を浮かべて応える。
「んーん、沙八ちゃんとのお喋りは楽しいよ? 本は家に帰ってからも読めるしね。ほら、ゲームのイベント周回しながらとかでも、本は読めるから」
沙八にとっては意外なことに、桃は本を読むことだけが趣味なのかと思っていたらゲームもやるようだった。
どういうゲームかまでは聞いていないのだが、ソシャゲの一つでそこで年上の人とも交流しているのだとか。
そんな桃の一面に驚きつつも、落ち着いた性格なのはそういうところで大人達と交流しているからなのかな? とも納得していた。
二人の交流はあくまでも昼休みの間のみではあるのだが、二人はその仲を急速に深めていく。
今では桃の敬語もすっかり取れて……たまにちょっとだけ出ることもあるけど、基本的には年相応の友人として話せるようになっていた。
二人の交流が昼休みのみなのは、特別そういう約束をしているわけでは無い。
単に沙八は放課後に部活があるので、下校時間が噛み合わないだけだ。
もしも噛み合えば、放課後も一緒に帰っているだろう。だけどそうはならずに……二人の交流はあくまでも昼休み中のみとなっていた。
そんなお喋りの最中、沙八は一冊の小説を取り出す。
「そういえば、これ読み終わったよ。面白かった。良いねぇ……こんな恋愛がしてみたいねぇ……。桃ちゃんはどんな恋愛したい?」
「もう読み終わったの? 早いね沙八ちゃん。理想の恋愛かぁ……お互い想い合う恋愛が理想だけど、でもまずは……私は好きな男の子に自分から告白してみたいかなぁ?」
「わお、桃ちゃん意外と大胆だねぇ。私は自分から告白ってしたこと無いや。されたことも無いけど」
「待ってるだけだとダメだからさ。って……あれ? 沙八ちゃん告白されたこと無いの? モテるって噂で聞いてたけど……」
「んー……他の友達にも良く言われるけど、残念ながら告白されたこと無いねぇ」
実はそれは、沙八の距離感にも問題があったりする。
基本的に沙八は男子、女子にも分け隔て無く接する。特定の誰かを贔屓したりとかそういうのは全くと言っていいほどない。
喜怒哀楽、全ての感情表現が男女平等だ。
つまり、全男子にも女子に接する時と同じように非常にフランクに接するのだ。
そのため、一時期は「沙八はもしかして自分の事が好きなのでは?」と勘違いする男子で溢れていた。
少なくとも、沙八のクラスの男子はほとんどが彼女のことを一回は好きになった。
しかし、よく見ると沙八にそう接されてるのは自分だけではないことに男子達は気づくのだ。
これ、アレだ。自分だけが特別じゃないパターンだ。と、沙八に恋心を抱いていた全男子は即座に察する。
それでも告白する男子は出そうなものだが……下手に告白して沙八と気まずくなるくらいならと……ほとんどの男子生徒は沙八に告白せず、今の関係を維持することを選択していた。
だから沙八は、モテるのに男子に告白されたことは無いという状態になってしまっているのである。
今は部活……ダンスが恋人で彼氏を作る気は無いという発言をしたのも大きいだろう。
ちなみに先日の「彼氏欲しい」発言は、その時にそれを聞いた男子の間のみで共有されており、一切周知されていない。
女子達も、七海に彼氏ができたという衝撃的な情報に上書きされ、沙八が彼氏を欲しがっているという点についてはスッカリと頭から抜け落ちていた。
だからこそ、今がチャンスと言わんばかりに一部の男子は虎視眈々と沙八に告白の機会を伺っている……。
そんな状態だったのだが……。
実は当の沙八は彼氏云々の事をすっかり忘れて、今は桃との交流に夢中になっていた。
そのためチャンスを狙っている男子中学生達には非常に酷な話だが、あえて表現しよう。
既に機は逸した。
次の機は、しばらく無いだろう。
そのことに気づかない男子達は、自分磨きを欠かさない。
その先に何が待っているか知らず、期待に胸を膨らませて、その膨らみがいつか破裂するか、萎むその日まで進み続ける。
……さっさと行動に移さなかったからと、彼らを責めるのは酷だろう。
どうなろうとも、自分を磨いた行動は無駄ではないはずだとするのは安い慰めだろうか。
当然そんな男子達の心を知ることなく、最近の沙八は桃におすすめの小説を紹介してもらい、それを読むという事を続けていた。
主に恋愛系が多かったりするが、それ以外にもファンタジー系や文学系等、種類は多岐に渡る。
同じ活字だけど教科書はたいして頭に入って来ないが、こういう本はすんなりと読めることの不思議さに首を傾げながらも、沙八は楽しく読書に勤しむ。
「やっぱり恋愛物はハッピーエンドが良いねぇ。この間の悲恋物は、結末に思わず泣いちゃったし」
「私は悲恋は悲恋で好きだけどね……。悲恋がバッドエンドとは限らないし、その先を自分なりに想像するのも楽しいよ……?」
「そんなものかなぁー? でも恋愛物っていっぱいあるんだねぇ。ドラマとかは割と見るけど女性が主役のばっかりだから、男性主人公の話は新鮮だったよ」
「それは男性向けの小説だから……。女性向けのも読んでみる?」
恋愛小説に男性向け、女性向けなんてあるんだと沙八は驚きつつもとりあえず頷いた。
桃はそれを嬉しそうに見ると、おすすめの本を取り行こうと席を立った。
「あ、私もこの本をしまってくるよー。あっちの棚だっけ?」
「うん、上の方だから脚立を使って。危ないから……注意してね?」
「だーいじょぶ、だいじょぶー。私はダンス部だから、バランス感覚には自信があるのだよー」
そういう沙八は、桃が彼女の方を振り向いた瞬間には既に姿を消していた。
あっと言う間に居なくなった沙八の行動力は驚かされるばかりなだと、ため息を一つついて桃は彼女とは逆方向に行こうとするのだが……。
「あ……脚立って……そう言えば……」
そこで桃は一つの事を思い出した。
図書室の脚立は二つある。一つはプラスチック製のもの、もう一つは木製のものだ。
どちらも折りたたみ式のものなのだが、最近になって木製のものが少しグラグラしてきて危なく、壊れそうになっている。
交換用の物が届くまでは折りたたんだ状態で『使用禁止』の張り紙を張って隅の方に置いているのだけど……。
もしも彼女が、何かの間違いでその脚立を使ってしまったらどうなるだろうか?
普通ならありえない話なのだが、なんだか嫌な予感がした桃は慌てて沙八の後を追いかけた。
そこまで広くない図書室であるため、沙八はすぐに見つかったのだが……その姿を見た瞬間に桃の背筋は冷える。
それはちょうど沙八が、例の木製の脚立に乗りながら本をしまうところだった。
グラグラと蝶番の部分から脚立は揺れているが、沙八は器用にバランスを取って本をしまおうとしている。
よりによって木製を使っているなんてと、脚立の事をちゃんと伝えなかった自分の事を叱責しつつ、何かあったらいつでも飛び出せるように桃は身構える。
ここで下手に声をかけたり、大声を出してバランスを崩しては危ないだろうとの判断からだ。
それにしても、なんでわざわざ木製の方を使ったのだろうか? 『使用禁止』の張り紙は? 疑問は尽きないが今は沙八の事に集中だと、いつになく真剣な表情を桃は浮かべた。
グラグラ……と揺れる脚立の上で沙八は本当に器用にバランスを取っている。もうすぐ本も問題なくしまえそうだ。
その光景は見ていると恐ろしいものはあるが、これなら今回は大丈夫だろうか? せめて彼女が降りるまで持ってくれ……そう思った瞬間だった。
バキリッ!!
そんな不快な破壊音と共に、木製の脚立の蝶番が壊れてしまう。
ゆっくりと、桃の視界がスローモーションのように目の前の光景を映す。
壊れた脚立は運悪く後方へと倒れこみ、それと同時に沙八の身体も後方へと投げ出される。
いくら沙八がバランス感覚に優れていても身体が投げ出されてはどうしようもない。目を見開いて驚いていた。
悲鳴を上げる間もなく、空中に投げ出された彼女が地面とぶつかりそうになる。
桃はそれを見た瞬間に、駆け出していた。
図書室内に走る音が響くことも構わず、スカートが捲りあがるのも気にせず、彼女の真下へと滑る様に移動する。
あっという間に移動した彼女は、自分の方へと落ちてくる沙八へと手を伸ばす。
沙八は桃の名を叫び自身の真下からどかそうとするのだが、桃はその言葉を取り合わない。
そして、恐怖や覚悟を決めた心情から両の眼をギュッとつぶった沙八の身体には……一切の衝撃がこなかった。
桃は伸ばした両腕を彼女の胴体と足に優しく滑り込ませて、落下の衝撃を膝でうまく殺しながら沙八の事をその両手で優しく受け止めたのだ。
それはいわゆる、お姫様抱っこの体勢となっていた。
いつまでたっても衝撃がこないことに不思議に思った沙八は、固く閉じていた目を恐る恐る開き自身の体勢を自覚すると、改めて目を見開いた。
すぐ目の前にはほんの少しだけ前髪を乱した真剣な桃の顔があり、心配そうな眼差しを沙八に向けている。
桃の顔を見て、その体勢もあって、沙八の頬は朱に染まっていく。
「沙八ちゃん、大丈夫? 怪我してない?」
心なしか声までイケボに聴こえてくる。完全に錯覚なのだが、そう聴こえてしまう。
「あ……うん……平気……。って言うか桃ちゃん……えっと……私、重くない?」
何を聞けばいいのかわからず、とりあえず受け止められたことに対してのことを口にするのがやっとだった。
まさか桃にお姫様抱っこされるとは思っておらず、少し……いや、かなり動揺してしまう。
「んー……ちょっとだけ重いけど平気だよ……? えっと……図書委員って誤解されやすいけど、重たい本とかも運ぶから、割と腕力いるんだよね」
首を横に振りながら、そのまま沙八は優しく地面に降ろされる。
その時に、ちょっとだけ腕がプルプルと震えていたので、流石に抱えたのは負担が大きかったようだ。
それを申し訳なく思いつつ、沙八は改めて桃に頭を下げる。
「桃ちゃん、助けてくれてありがとう。ビックリしちゃったよ、この脚立いきなり壊れるんだもん。助けてくれなかったらと思うとゾッとするよ……」
「それだけどさ……その脚立、『使用禁止』の張り紙……張ってなかった?」
「へ? そんなの無かったけど……。組み立てられた状態で置かれてたから、そのまま使ったんだけど……ダメだったやつなのコレ?」
「うーん、誰か組み立てっぱなしで置いてちゃったのか……。あ、張り紙落ちてる……。危ないなぁ……。もう使われないように裏に置いておこうかな……」
桃は隅に移動すると、剥がれた『使用禁止』の紙が落ちていることに気が付いた。自然に剥がれたのだろうか? 誰かが故意に剥がしたのだろうか?
どちらにせよ危ないので、壊れたこの脚立はしまった方が良さそうだと、桃はバラバラになった脚立を丁寧に広い手の中に収める。
沙八は改めて、あんな危ないものに乗っていたのかと自身の身に起きたことに対して恐怖心が芽生えてしまう。
本当に、桃に助けられていなかったらどうなっていたか……。一人密かにゾッとする。
それと同時に、桃の後姿を見ながら沙八は首を傾げ、自分が感じていた違和感というか……誤解していた部分を口にした。
「桃ちゃん……ダッシュして私のこと受け止めてくれたって……もしかして運動神経かなり良い?」
「……えっと……別に運動は嫌いじゃないよ? でも本を読むほうが好きだからさ……。それに部活とか団体競技って苦手だし……いまいち輪に入れないんだよね」
先ほどまで自分を抱き留めてくれていた時とは別人のように、少しだけ照れくさそうに笑う桃の姿があった。
そのギャップに、沙八の心に妙な高揚感が芽生え、自然と頬が緩んでくる。
「桃ちゃん! 一緒にダンスしよう!! 私とペアで踊ろうよ!!」
そして気づけば、先ほどまでの恐怖感もどこかに吹き飛び桃の両手を握りながら勧誘をしていた。
「えぇ……? 沙八ちゃん話聞いてた? ダンス部って団体競技でしょ? 私そう言うの苦手だから部活入ってないんだよ……?」
「大丈夫! 私と一緒に踊るだけでいいから! 入部はしなくてもいいから!」
「それは……皆さんにご迷惑じゃない……?」
「あ、そっか……。じゃあ、とりあえず部長に説明して……いや、踊るだけならいっそ部活じゃなくても……」
手を離した沙八は、桃の一言に腕を組みながらぶつぶつと独り言を言いながら考え込む。
「沙八ちゃーん? 私、運動嫌いじゃないけど踊りとか体育以外でしたことないよ?」
「その辺は私が教えるから! 私は桃ちゃんと踊ってみたい! あと、セクシーな衣装の桃ちゃんも見たい!」
「えぇ〜? 衣装もなの……? 沙八ちゃんは強引だなぁ、もうっ……」
「だって、今の桃ちゃん相当セクシーだよ? 制服乱れて、普段とのギャップがすごい!」
「これはその……助けようと必死だったからだよぉ……。もうっ……」
困ったような笑顔を浮かべ、でも不快ではなさそうに桃は目の前の友人が考え込む姿を眺めていた。
ただ、この時の桃は図書委員の仕事もあるからと沙八のこの提案を断り、沙八も大人しく引き下がった。
だけどそれからも、たびたび沙八の勧誘は続く。
時には自分の踊ってる姿の動画を照れ臭そうに見せてきたり、実際に目の前で衣装を着て見せたり、その勧誘方法は多種多様となっていく。
それからしばらく後……沙八が桃をあまりにダンス部に誘いまくるので、根負けした桃がダンス部に顔を出して、たまにペアで踊るようになるのは……また別の話である。
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