第85話「バロンさんの失敗談」

『そっかそっか、先輩君とやらにも全部話して、これでキャニオン君の周辺にはなんの憂いもなくなったんだね。いやぁ、青春だねぇ。よかったよかった』


 スマホの向こうから、バロンさんの安心した声が聞こえてくる。その声に僕も全部が終わったことを実感して安堵のため息を一つ吐く。


「えぇ、おかげさまで憂いはなくなりました。ただまぁ、別な問題が出たと言いますか……」


『別な問題?』


「彼女と先輩が、僕を巡って争ってます」


 その瞬間、バロンさんが思わず吹き出したであろう音が聞こえてきた。


 気持ちは分かってしまう。僕だって逆の立場なら吹き出すよ。こんな意味の分からない状況。


 僕は今、久しぶりに一人でゲームをしながらバロンさん達に現場報告をしていた。


 久しぶりにゲームをやりたくなったのと、皆への報告をここ最近はおろそかにしていたことを思い出したからだ。


 まぁ、特別報告する様な話も無かったんだけどさ……。今日はちょっと、先輩の事を誰かに言いたくなったので、こうやって喋っている。


 ちなみにピーチさんとも繋がっている。


『キャ……キャニオン君がヒロインポジションって……』


『な……なんでそんな話になるんですか……? 元々、先輩さんはシチミちゃんが好きだったんですよね?』


 二人とも声がかなり震えている。これはあれかな、笑いを堪えてるのかもしれない。


 いやまぁ、笑いを堪えるのも無理ないかな。個人的にはいっそ大きく遠慮なく笑って欲しいけど。


 まさにバロンさんが言った通りで、僕がヒロインみたいな扱いだもん。


 あのあと七海は一歩も譲らず、僕も流石に七海を放って先輩と遊ぶというのは……と思い、せめて次の試合の応援に行くことで手打ちとなった。


 聞けば、先輩もそうは言っても練習の日々なので僕と遊びに行く余裕はないのだとか。


 全国大会には問題なく行けると思うけど、それでも油断はするつもりはないと、僕等の話を終えた後にはすぐに練習に戻っていった。


『何と言うか、先輩君にも一度会ってみたいね。僕にも対抗心を燃やしてくるか、逆に僕にお礼を言ってきそうだ。親友が世話になってるとかね』


 バロンさんは少しだけ面白そうに声を弾ませている。


 今の先輩なら後者だろうか?


 そのうち、僕の両親にも会いに来そうな気がしてたりする。


「まったく他人事だと思って……。まぁ、先輩とは友達になりましたし、服の事とかお世話になったし、先輩が落ち着いたら一緒に遊ぶ時間を作りますよ」


『先輩との関係が良くなったのはいいんですけど。キャニオンさん、シチミちゃんとは最近どうなんです? もうちょっと先に進んだとか無いんですか? その……えっと……キス以上とか?』


「ピーチさん……興味津々なところ悪いけど、キス止まりってところだよ。と言うか、ピーチさん中学生でしょ? それ以上って……興味津々すぎない?」


『いいじゃないですかー。恋バナを聞きたいんですよ。高校生の大人の恋バナをー』


 女子の方が大人びているとは聞いたことがあるけど、僕と七海はある意味で恋愛ごとに関しては一年生……低学年みたいなものだからなぁ。


 まだできて、キスで止まってる。


 それもほっぺたは慣れてきたけど、唇にはいまだ慣れないんだよ。


 それ以上に行くつもりは高校のうちは無いとはいえ……ドキドキし過ぎて、心臓に悪い。


「まぁ何度も言うけど、まだキス以上は行ってないよ。これは本当。行ったとしても……流石に報告しづらいかなぁ?」


『そうですかー。まぁ、その辺の詳細はシチミちゃんにも聞いてみるとして……最近はじゃあ変化なしなんですか?』


「一番大きな変化が訪れたばっかりだからね。しばらくは、二人でのんびりするよ」


 ここ一月は激動の連続だった。本当に濃い1ヶ月だったと言って良いだろう。


 関係を進めるペースも仕方がなかったとはいえ、かなりのハイペースだったんだ。


 ここからはのんびりゆっくり……スローペースで進むのが良いだろうなぁ。


『そうだね、のんびりしてもバチは当たらないと思うよ。でも、スローペースはいいけど、やるべきことは間違えないでねキャニオン君』


「やるべきこと……ですか?」


 急に、バロンさんが少し神妙な声を出してきた。先程まで面白がっていたのに、その変化に僕は少しだけ面を食らう。


『君は友達……親友ができた。それ自体は喜ばしいことだと思うよ。そしてきっと……君はこれからどんどん人間関係が広がると思う』


「人間関係が広がる?」


『うん、有り体に言って……たぶんモテると思う。男子にも、当然女子にもね』


 僕がモテる? なんだか全然ピンと来ないんだけど……なんで僕がモテるんだろうか?


 モテると言う言葉は、先輩と七海にこそ似合うと思うんだけど。僕には無縁の言葉だ。


『まぁ、年長者のお節介と思っておいて。君自身は気付いてないと思うけど、君はとても良い男になった』


『キャニオンさんは元々、良い男性だと思いますけど?』


 ピーチさんが少しだけ抗議するような声を出すけど、バロンさんはそれをまぁまぁとなだめて言葉を続ける。


 なんか褒められてると言うのはむず痒いものだ。


『良い男になった君の周囲には何と言うか……人気者が多いだろう? おこぼれをもらおうとする人間が出ても不思議じゃないし、そうでなくても君を見る目は変わってくると思うんだ』


「そんなものですかねぇ? あんまり実感は無いですけど」


『まぁ、急に変化するものではないからね。ただ、この一ヶ月だけでも君の人間関係は大きく変わっただろう?』


 確かにここ最近の変化は大きい。


 僕自身、七海とばっかり一緒にいるし、二人きりじゃない時は音更さんや神恵内さんも一緒だ。


 目立つからなぁ、あの三人は。


 さらには今日……翔一先輩は僕の親友となってくれた。


 確かに、これはとても大きな変化だ。


『まぁ、何が言いたいかと言うとさ。友達が増えると言うのは良いことだけど……浮かれて友達ばっかりかまって、彼女を蔑ろにしちゃダメだよってことさ』


「蔑ろ……ですか?」


『そうだよ。君にとっての最優先が誰かってことだよ。優先順位を間違えると……最悪、手遅れになってしまう』


 なんだかその言葉には、言い表せない重みがあった。


 ピーチさんもスマホの向こうで固唾を飲んでいるようで、言葉が発せていない。


 これは音声だからこそ伝わることだろう。文章だけのやりとりなら、ここまでの迫力は感じ取れなかった。


「ずいぶん、実感がこもった言葉ですね」


『そりゃあ、経験者だからね。白状すると、僕は妻と一回だけ別れてるんだよ』


 軽い感じで出てきた衝撃的な内容に、僕は息を飲んだ。


 ちょっとだけ、重い沈黙が僕の部屋に訪れる。


 バロンさんはそのことを感じ取ったのか、少しだけ明るい声を出す。


『あ、結婚前の話だよ。学生時代、妻は人気があってね……。僕も彼女と付き合うようになって、友達ができ始めたんだ……そして僕はそれに浮かれた』


 沈黙を吹き飛ばすように、バロンさんは笑いながら当時の思い出を話してくれる。


『僕は友達付き合いが自分で思ってるより下手じゃなかったみたいでね、彼女も僕と友達が遊びに行くのを容認してくれたから、なんの問題もないと思ってたんだけど……』


「だけど……?」


『ある日突然、彼女の不満が爆発した。いや……違うね、突然じゃない。兆候はあったのに僕が見逃して、甘えて、彼女を爆発させてしまった』


 爆発させた……か。


 バロンさんはあえて言い方を変えたんだろう。爆発させたのは誰か、原因は誰か……僕に理解させるために。


『悲しみで泣いてる妻を見たのはそれが最初で最後だよ。いつも飄々として、明るくて、ちょっとだけ照れ屋な彼女の涙をね……初めて見たんだ』


「それは……辛いですね。なんて言われたんです?」


『友達ばっかりでかまってくれなくて寂しい、もうヤダ、だったら私も別れて友達に戻る……。そんなことを言われてね。普段は大人びてた彼女が年相応の女の子だって、そこで初めて気付かされたよ』


『友達に戻ったら……かまってもらえるってなっちゃったんですね……』


 ピーチさんの言葉に、バロンさんは自重気味に笑っていた。


「バロンさんはそれで……どうしたんですか?」


『もちろん、誠心誠意謝ったよ。悪いのは僕だからね。とにかく謝って、言葉だけじゃ足りないから……僕等はもう一度友達から始めたんだ』


『友達から……ですか? 仲直りしたんじゃなくて?』


『そう、友達から。一回別れてね。ちょっと……かなり辛かったよ。呼び方とか変えて、距離感も変わって、他の彼女に言いよる男に負けないように、改めて頑張ったのさ』


 僕はバロンさんの境遇に置き換えて考えてみる。


 もしも僕が七海を放って、友達を優先して、そして七海がそれにより傷ついたとしたら。


 我慢して我慢して、それを察することもできず、爆発させてしまったら。


 想像しただけで辛い。


 七海が僕から離れていくのも辛いけど、何より彼女を悲しませるということが辛い。


『しばらくして、無事に復縁できたんだけどね。妻も僕に謝ってきたよ。我慢して我慢して、平気な顔して、気にしてない風を装ってごめんって』


「奥さんも……ですか」


『うん。結局はさ、話し合いというかお互いに言葉が足りなかったんだよ。まだ学生だったから仕方ないとは言え、すれ違いって言うのは本当に厄介だよ』


『でも……良かったですね。仲直りできて、結婚までされて。その辺、詳しく聞きたいです』


『いやぁ……ちょっとその辺の話はまだ……ピーチちゃんには早い部分もあるかなぁ……?』


『えぇ……? 何があったんですか? 凄い気になるんですけど……』


 ピーチさんはバロンさんの言葉にホッとして、結婚した辺りを聞きたがり二人の間でやり取りが続いていた。


 だけど僕は、バロンさんの言っていた『すれ違い』と言う言葉がやけに耳に残っていた。


 今喋っている二人の声は僕には届かずに、頭の中でバロンさんの言葉が反芻されている。


『キャニオン君? どうしたんだい?』


 心配そうなバロンさんの一言で、僕は我に返る。ピーチさんも僕を心配そうにしているのが伝わってきた。


「あ、いえ……バロンさんのその話を聞いて、僕等は言葉が足りてるのかなって……ちょっと不安になりまして」


『ごめんね、脅すつもりは無かったんだけど……。でもさ、そういう話もあるって知ってほしかったんだ。年長者からのお節介だよ。君は君らしく、全力でぶつかっていくのが良いんじゃないかな』


『私は、二人なら大丈夫だと思いますけど。でもそうですよね、できることはやっておいた方がいいですよね』


『まぁ、やりすぎると束縛しすぎにもなるから、その辺の加減は必要だけどね』


『大丈夫じゃないですか? この二人なら。お砂糖製造機ですし』


 どこでそんな言葉覚えたのピーチさん?


 でも、二人のその言葉に……僕の心に勇気が湧いてくる。


「二人とも、今日はありがとうございます。ちょっと僕は落ちます」


『うん、健闘を祈るよ』


『頑張ってくださいね』


 二人からの応援を受けて僕は二人との通話を解除する。そしてすぐさま七海へと電話をかける。


 コール音がしばらく鳴り続け、七海が出るまで少しだけ時間がかかった。もう寝ちゃったろうか?


 その間、僕はまずは何を伝えようか、それを考えていた。


 こんな夜遅くにごめんねか? それとも、今日はありがとうか? いや……何よりまずは伝えたいのは……。


 そしてコール音は止み、僕の聞きたかった声が聞こえてくる。


『もしもし、陽信? ごめんね、今お風呂入ってたの。どしたのこんな時間に?』


「七海、いや声が聞きたくなってさ。迷惑だったかな?」


『ビックリはしたけど、迷惑じゃないよ。声が聞きたいなんて、もしかして〜……寂しくなっちゃったのかな?』


 少しからかうような七海の口調に僕は苦笑するけど、僕はその言葉を否定しない。


「そうだね、会えないときは本当に寂しいよ。それとその……僕は七海が一番大切で、大好きだよ」


『きゅっ…きゅぅぅ……急に何さ?! 私だって大好きだよ! いや、そうじゃなくて……何かあったの?』


「うん、聞いてくれる? 実はさ……バロンさん達とこんな話をしたんだ」


 それから、僕はバロンさんとの話を七海にする。


 彼女は時に驚き、時に悲しみ、そして最後には……ハッピーエンドに喜んでいた。


「僕等もさ、これから色々あると思うんだ。だからさ、その度に変な隠し事はせず話し合っていこう」


『そうだね……うん、二人ならきっと大丈夫だよね』


「大好きだよ」


『うん、私も大好き……クチュンッ‼︎』


 お互いに大好きと言い合った最後に、七海が可愛らしくクシャミをした。


『ごめん、陽信。私今、お風呂上がりで裸にタオル巻いてるだけなんだよね』


「うん……早速あれだね、話し合うべきところがあったね?」


『……写真撮って送って欲しいってこと? 陽信のえっち……』


「違うからね!? 風邪引いちゃうから早く服着てねってこと!!」


 そして、僕等はお互いに笑い合って……おやすみを言い合って通話を終了した。


 ちょっとだけ……スマホに写真が送られてこないか心配になって、ソワソワしてしまったのは内緒である。

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