第86話「沙八ちゃんはイチャイチャしたい」
「あぁ~……彼氏欲しい~……」
「沙八……あんたどしたの? 唐突に変なこと言い出して……」
昼休み……給食も食べ終わり、満腹感から運動する気にはなれず机に突っ伏した沙八の一言に、周囲の友達達は呆れたような声を上げる。
沙八はそんな彼女達の疑問に応えることなく、机にその身体を放り投げながらウダウダと右に左に上半身を回転させる。
だらしないのにどこか艶めかしく見えるのは、上半身を動かすたびに制服の端が捲れておなかが少しだけ見えてしまっているからだろうか。
「もうこの際、別に彼氏じゃなくても良いからイチャイチャしたい~……誰でもいい~……いや、良くはないけど……とにかく人肌恋しい~……」
「誰でもいいって……。ほらぁ、沙八が変なこと言うから周囲の男子達、めっちゃソワソワしてるよ?」
友人のその一言に周囲にいた男子達はビクリと身体を震わせて、あからさまに視線を沙八達からそらした。
誰でもいいと言われたのだから、もしかして自分も沙八とイチャイチャするチャンスがあるのでは?
そんな風に無駄に身だしなみを整えだしていた男子も、逃げる様に教室を後にしていく。
そんな男子達を沙八の友人達は呆れた視線で見送る。おそらくは色々と発散するために体育館でボール遊びでもするのだろう。
後には沙八の発言を気にしないでスマホゲームに興じている男子数人と、沙八の友人達を含んだ女子生徒が残るのみだった。
「前はダンスが私の恋人とか言ってたくせに……どういう心境の変化よ?」
机に突っ伏したままの沙八に呆れつつも、友人は沙八の変化の理由が気になっていた。
学内でも割と人気があるのに特に男子に興味は示さず、放課後と言えば部活で踊っている彼女の姿からは考えられない変化だった。
だけど、その心境の変化の原因に周囲の女子は黙っていられなくなってしまう。
いったい彼女に何が起きたのか? 好きな男でもできたのか?
野次馬根性半分、心配半分で聞いてみたところ……帰ってきたのは予想外の一言だった。
「お姉ちゃんに彼氏ができた。そんで毎日イチャイチャしてるの」
「なにぃっ?!」
その一言に、女子生徒達のほとんどが一斉に立ち上がる。
椅子から勢いよく立ち上がったために、激しい音をたてながら椅子は倒れていく。
その際に、何人かのスカートはその椅子の背もたれに引っ掛かり少しだけめくれ上がった。
それは残っていた男子達の視線が思わずそこに向いてしまう事態になったのだが、彼女達はそんな些末事に関わっている余裕は無かった。
「七海先輩に彼氏ができただとぉ?! なんでそれを黙っていたの?!」
「どんな?! どんな男なの?!」
「クソォッ!! 彼氏さんめ!! 先輩と付き合うなら私を倒してからにしろぉ!!」
「あの七海先輩がイチャイチャって……。動画は無いの沙八!? 先輩はどんな感じでデレるの?!」
「あの胸が……あの胸がついに誰かのモノになってしまったの……?!」
皆が思い思いの台詞を口にしながら、あれよあれよという間に沙八の周囲には女子生徒による人だかりができあがる。
自分の一言がきっかけでこんなに人が集まるとは予想外だった沙八は、なぜこんなにも人が集まっているのかが疑問であったが、その疑問を口にする余裕はない。
とにかく周囲の人間からまるで尋問のように問い詰められる。
「待って?! なんでお姉ちゃんに彼氏ができたってだけでみんなそんな騒ぐの?!」
「だって七海先輩だよ!? 女子達の羨望の眼差しを向けられ、群がる男子達をあしらったり、バッサリとフリまくってた先輩だよ!!」
「あ~……そんなこともあったねぇ……。てか、よく覚えてるね?」
七海は中学の時からモテていたが、OGとして学祭なんかにも家族と共に遊びに来た時には、そのたびに在校生の目を引いていた。
厳一郎も別な意味で目を引いていたが、七海のそれは規模も意味も違うものだ。
中学入りたての思春期男子には目の毒なくらいで、お調子者がその場のノリで告白したりもしたが、その全てを七海は余裕……に見える様に躱す。
時には小悪魔のように、時には誠実に、とにかく年下からの告白をバッサリとフリまくっていた。
実はそれは、男性が苦手ではあるが年下の前で無理してお姉さんぶっていたというだけなのを沙八は知っているのだが、それはあえて口には出していない。
みんなの夢を壊さないためだし、ある意味で姉を守るためだった。
それがまさか、ここでこう作用するのは予想外で面食らってしまう。
「ねぇ、どんな人なの? 七海先輩を射止めた人って! 年上? 年下?」
「七海先輩、年下には興味ないって言ってた覚えがあるし。同い年とかじゃないの? めっちゃイケメンのモデルとか? そんな人いないか」
「いや、同い年もなんか子供っぽくて嫌って言ってたよ。だからやっぱり年上じゃないの? 社会人とか……。あ、そういえば先輩の高校にイケメンのバスケ部主将の人いたよね? あの人じゃない?!」
その人はフラれた人だよ。さらには最近は姉の彼氏を巡って姉とバトルしてるよ。とは、沙八は口に出せなかった。
言ってもたぶん理解されないだろうし、沙八も七海から聞いて意味が分からなかった。
ただ、その話を聞いた夜に素っ裸のまま彼氏と話していた姉が、次の日にはやたら上機嫌だったのでその辺の問題は解決したのだろう。
一日で解決するとか、自身の義兄になるであろう人物の行動には驚かされるばかりだ。
そんな感じで、沙八的には行動力に関しては非常に積極的でイケメンと言えるレベルだと思うのだけど……。
ヒートアップした女子生徒達の、七海の彼氏像のハードルは留まるところを知らずに上がっていく。
なんかどっかの若い社長じゃないか芸能人とか、石油王なんて単語まで飛び出していた。
普通に考えてあり得ないのに、妄想は膨らんで止まらない。
このままスマホに収められている義兄の写真を下手に見せたら、ヒートアップした彼女達がどうするかは分からないと判断した沙八は……。
逃げた。
とりあえず彼女達が冷静になるまで、こっそりとその場を後にする。幸い、彼女達は話に夢中で沙八の移動には気づいていないようで……。
教室を出た瞬間に、沙八の不在を認識したようだった。
「あ! 逃げた!!」
「追うのよ!! 七海先輩の恋バナなんて超レア話!! 聞かせてもらわなきゃ!!」
教室を後にした沙八の耳にそんな言葉が届いてくる。気づかれたと思った瞬間、沙八は走り出す。廊下を走ってはいけませんのポスターはあるが、そんなものは無視して走り出す。
後ろからはクラスメイトの熱の入った声が聞こえてくるが、その全てを置き去りにする。
考えていたのは、彼女達の頭が冷えるまでどこかに身を隠すこと。だけど普段が自分が行く場所ならすぐに見つかる。部室、体育館、教室、トイレ……どこもダメだ。
そう考えた沙八はとっさに、普段は一切立ち寄ることのない場所を見つけ反射的にその場に入る。
絶対に普段は立ち寄らないし……たとえ立ち寄ったとしても、その場所では騒ぐことは許されない場所。
図書室だ。
この学校に図書室なんてあったんだと初めて知り、沙八はその扉を開き図書室へと身を滑り込ませる。
追いかけてきた女子生徒達が扉の前を通り過ぎる音が聞こえて来て……そして音は遠ざかっていく。
やっぱりこの場には居ないと判断されたのだろうと、沙八は胸を撫でおろす。
そして扉を背にしたまま、ホッと一息ついた沙八はそのままズルズルと身体を地面へと沈めるように座り込んでいく。
「はぁ……お義兄ちゃんの写真見せるのは良いけど……いや、良いのかな? 勝手に見せるのはまずいかな? お姉ちゃんに確認だけしとこうかな」
周囲にはほとんどだれも居なく、沙八は小声で呟くとスマホを操作して七海へと確認のためのメッセージを送る。
そんなへたり込んでいる沙八に、おずおずとした小さめの、鈴の音のような可愛らしい声がかけられる。
「あの……どうしたんですか? えっと……気分が悪いなら保健室に……」
「へ? あ、いや別に……」
自身に声をかけてきたその少女を見た瞬間に、沙八は思わずその子に見惚れてしまう。
目の前には、前髪が伸びて目が半分ほど隠れている三つ編み一本縛りの可愛らしい少女が居たのだった。
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