第72話「縁切りの鳥居」

 縁切りの鳥居……僕等の目の前に陽の光に美しく照らされている鳥居は、そう呼ばれている。


 この神社には鳥居はいくつかあるのだけれども、この鳥居は本殿まで真っ直ぐ道が続いているのだが、鳥居としては二番目に位置するものらしい。


 そして、縁切りのご利益があるのはこの鳥居だけだ。


 美しく照らされているこの鳥居に縁切りとは似つかわしくない……。そう思うかもしれないし、そもそも縁切りと聞くと、それはご利益ではなくいっそ天罰の類ではないかと誤解が生まれそうだ。


 事実、僕も最初に調べた時は誤解したし……今僕の目の前ではまさに、七海に対してその誤解が生じている所だったりする。


「え……縁切りって……陽信……私の事……嫌になっちゃった……? 私との縁を切りたくて、今日ここに来たかったとか……? だったら……あのね……」


「あぁ、待って待って。ごめん、僕の言い方が悪かった。やっぱり誤解が生まれるよね。違うよ七海」


 僕は『縁切りのご利益があるから、二人では通れない』と伝えたつもりだったんだけど、七海には『縁切り』という言葉のインパクトが強すぎて、そこしか頭に残っていないようだった。


 先ほどまで笑顔を浮かべていた表情を曇らせて、不安げに身をよじり……僕に何かを言いかける。これは完全に、僕の配慮が足りなかったと言わざるを得ない。こんな悲しそうな顔をさせるつもりは無かったのに……。


「え……? 違うの?」


 違うという僕の一言に、不安げだった七海の顔がほんの少しだけ明るくなる。それでもまだ完全に晴れやかとはいかないので、僕は彼女を安心させるための説明を続けた。


「そもそもさ、僕が七海と縁切りするつもりなら黙って二人で通るでしょ? それをしないで止めたのは、僕は七海との縁を切りたくないからだよ」


「あ……確かに……そう……かな?」


 僕の言葉に、七海はほんの少しだけ考え込むような素振りを見せて……納得したかのように何回か頷いた。少しは安心してくれたかな?


「でもじゃあ……なんでわざわざ縁切りの鳥居なんて来たのさ? 私……ちょっと不安になっちゃったよ? 別に他の鳥居があるならそこからでもいいじゃない?」


 ほんの少しだけ頬を膨らませて、七海は僕に対して抗議の声をあげる。その疑問も尤もで、神社に入る入り口はここ以外にもいくつかあるし、調べたら金運が上がる鳥居なんてのもあったくらいだ。


 僕がなんでわざわざここに来たのかと言うと……


「本殿に一番近い鳥居がここだったから……って言うのは冗談として……。


「縁切りが……ご利益?」


 小首を傾げながら七海は僕の次の言葉を待っていた。そう、僕がここに来たのはまさに『縁切り』と言うものが必ずしも悪いものとは限らないからだ。


「ここ鳥居って不思議でさ、縁切りが二つの意味を持つんだよね。良縁との縁切りと、悪縁との縁切り……だから、僕はここをそれぞれで通って、僕等の悪縁を切りたいなって思ったんだ」


「私達の縁じゃなくて……悪縁を切る?」


「そう。例えば病気とか、運の悪さ……。今後、もしかしたら出てくるかもしれない僕等を離れさせようとする嫌な縁……。この鳥居を別々にくぐれば、そう言うの縁から身も守れるかなって思ってさ」


「……てっきり、縁切りって言うから悪い意味しかないと思ってたけど……そういう縁切りもあるんだね」


 実は他にも別れたいカップルや夫婦が通るという話も調べたら出てきたのだが、それはあえてここでは言わない。せっかく七海が納得してくれているのに余計なことを言う必要は無い。


「そう……僕等がより長く一緒に居られるように……。僕はこの鳥居を通りたかったんだ」


「それならそうと最初に言ってよ……。本当、焦ったんだからね、私……」


「ごめんごめん。一緒に通らないって言うことで説明した気になってたよ、許してくれる?」


「そうだね……帰りにアイス、奢ってくれたら許してあげる♪」


 七海は先ほどまでの曇った表情を一変させて、僕の説明に対してホッとした表情と共に、安心したのかその顔に笑顔を浮かべて僕に対して冗談めかした軽口を言ってくる。


 正直、あの不安げな表情をさせてしまったのをアイス程度で許してもらえるなら安いものだ。何だったら、パフェの専門店でちょっとお高いパフェを奢ってあげたっていいくらいだ。


 それに七海に説明したのは……僕が考えていたこの鳥居を通りたかった理由の一つだ。僕がこの鳥居をくぐりたい理由はもう一つあって……それは七海には言いにくい理由だ。

 

 それは僕と彼女の関係だ。


 今更……本当に今更なんだけど、僕と彼女の関係は嘘から始まっている。


 彼女の嘘の告白から始まった関係……だけど僕は、彼女との間には良い縁があると心から信じている。今も信じているけど……嘘の関係であるということはぬぐい切れない事実として残っている。


 だから僕は鳥居をくぐることで、その嘘の告白という悪い部分を少しでも払拭したかった。


 物語の主人公であれば、ここで格好よく二人で鳥居をくぐって『そんなご利益なんて信じてないし、自分達ならそれが本当でも跳ねのけられる』と言うのだろうけど、あいにくと僕にはそこまでの胆力は無い。


 いや、正確には僕もご利益を完璧に信じているわけじゃないんだけどね。それでも今は、ほんの少しでもいいからゲン担ぎがしたいんだ。


 この最後のデートを明けた一か月記念日。僕は彼女に改めて告白するのだ。わざわざ、自分から不安になる材料を増やす必要は無い。むしろ積極的に良いと思えることをしていく。それが今の僕にできる最大限の努力である。


 これを七海に言っちゃうと、僕が彼女の嘘の告白を知っているということを伝えることになるので……あくまでもこれは僕の心にとどめておく理由だ。


「陽信、じゃあどっちからくぐる? 私から行こうか?」


 考え事をしていた僕に、七海はほんの少しだけ服の端をつまんできた。まだほんの少しだけ不安なのか、その反応はまるで幼い子供のようで、場をわきまえずに僕は彼女を抱きしめたくなる衝動に駆られるが、そこはグッと我慢する。


「いや、僕からくぐるよ。七海は僕がくぐってから、時間差でくぐってね。そうすれば、悪縁だけが切れるはずだからさ」


「うん……見てるね。がんばって!」


 彼女は僕を励ます様に、両手を胸の前に合わせて握り拳を固めていた。いや、そこまでするようなものではないんだけどね……。単にくぐるだけだから……。


 そう思っていたんだけど、ちょっとだけ緊張する。二人一緒にはくぐらないけど……良縁まで切れるとかは無いよね? 神様、今だけは信じさせてください。


 そう願って僕はその鳥居へとゆっくりと近づいて……緊張しながらもくぐる。別に何かが起きるわけでもないし、さっきみたいにカラスに襲われたりとかのハプニングも無い。


 ただあっさりと、僕は鳥居をくぐり終わる。


「ほら、なんともなかったでしょ?」


「陽信……顔がちょっとだけ引きつってるよ。でもまぁ、なんともなかったのは分かったよ。私もくぐるね」


 鳥居の向こう側で振り向いた僕は、今度は七海が鳥居をくぐろうとするところを見守ることとなる。いや、僕もくぐったし、先ほどと一緒ならば別になにも起きることは無いんだけどね。


 だけど、彼女を見守る僕は……どうしても緊張してしまう。何も起きないよね。


 七海も緊張しているのか、ゆっくりと歩きながら鳥居をくぐっていく。ほんの数十秒……数分にも満たない時間なのに、変な緊張感が僕等を包んでいた。


 そして、七海が鳥居を完全に潜り終わった時点で……特に何も起きる来なくそれは無事に終わる。僕等はホッと一息ついてお互いに笑顔を向けた。


「何も起きなかったねぇ。まぁ、別々に個別でくぐるだけなら問題ないんだっけ? 緊張したねぇ」


 七海はそこで笑顔を浮かべて僕の方へと身体を向けて小走りで駆け寄ってくる。鳥居は完全にくぐっており、お互い既に境内の中に入っている。これで僕等の悪縁は、切れたと思って良いだろうな……。きっと、たぶん……。


 そう考えた時だった。


「キャッ?!」


「七海?!」


 小走りで僕に駆け寄ってきた七海が、悲鳴を上げて何かに足につっかけたかのように僕の方へと倒れこんできた。両脚は地面からは離れ、文字通り飛び込んでくるような形となる。


 慌てた僕は彼女に急いで近づいて、倒れこんできた彼女を抱きとめる。それはあくまでも、彼女を支えるためにした行動だったのだが……鳥居をくぐった後の僕等は、お互いに正面から抱き合うような体制になっていた。


「七海、大丈夫? 鳥居をくぐった後にコケるって……何かに足を取られた? 階段とか?」


「いや、階段は鳥居前だから違うと思うよ……。急に足元に何かがぶつかったような感触が来て……躓いちゃったんだよね」


「躓いた? 地面にかい?」


「いや、何か急に固いものが出て来て……ぶつかったような感じがあって……」


 今日の七海は動物園に行ったり、歩いたりすることを想定して以下スニーカーである。服装も歩きやすい服装で、平坦な地面に躓いたとはちょっと考えにくかった。


 それに彼女は、何かにぶつかって躓いたと言っている……。


 お互いに抱きしめあった体制のままで、僕等は七海が躓いたという部分に視線を送るのだが……そこには何もない、平坦な地面があるだけだった。


 彼女がぶつかって躓いたという固いものは、どこにも見当たらなかった。


 抱き合った姿勢のままで、鼻先が触れるほどに近づいた僕等は見つめ合って思わず笑ってしまう。


「悪縁は切れたから、安心しろって神様からがわざわざ教えてくれたのかな?」


「……わざわざ七海を転ばせて……僕と抱き着かせたってこと?」


「そう考えた方がさ、なんだか神様に祝福されたみたいで楽しくないかな。これもう、お墨付きって勝手に思っちゃうよ私は」


 この鳥居は縁切りの鳥居と言われているけど……ここに祭られている神様は縁結びの神様もいる。


 七海はきっとそのことを知らないけど、この結果はその縁結びの神様がやってくれたんじゃないかと七海は笑顔で僕に告げる。


 確かにそう考えた方が……楽しいかもしれないな。


「それじゃあさ、その神様にもお礼を言わないとね。本殿に行って、お参りしようか」


「うん。たっぷりお礼を言わないとね」


 抱き合った姿勢だった僕等は、離れずに本殿の方へと首を向ける。そこで気づいたのだが、鳥居をくぐった先には桜が数種類咲いた表参道が広がっていた。


 いつか皆と行ったお花見の時と遜色ない花の道がそこにはできていて、ピンク色の桜吹雪が僕等を祝福するように舞っていた。


「綺麗だねぇ……。今日のデートは……今までのデートの思い出を振り返れるし、新しい発見もあるし……来て良かったね」


「陽信、もうデートが終わるみたいないい方してるけど……まだデートは続いてるよ。ほら、本殿でお参りしようよ」


「それもそうだ……それじゃあ七海……行こうか」


 僕は一度、抱き合っていた七海から離れると、少しだけ気取った仕草で彼女の手を取る様に伸ばす。七海はそんな僕の行動に対して驚いたようだったが、僕の手を取って笑顔を浮かべてくれた。


 そして、僕等は手を取り合って桜吹雪が舞う道を歩いて本殿へと向かう。桜舞う道からは、少し遠くの本殿が見えていた。


 天気も良く、風も穏やかで、ポカポカと気温も暖かい。隣には最愛の人が居て、彼女と手を取り合いながら、桜の舞う道をゆっくりと、のんびりと二人で歩く。


 それはこの上なく幸せな時間だ。


 だけど、本殿に近づくにつれて僕の緊張も密かに高まってくる。


 この神社は縁切りの鳥居と言う物騒なものがあるのに、実は恋愛成就についての神社としても非常に有名……らしい。いや、調べるまで知らなかったんだけどね。


 あの鳥居をくぐり悪縁を切り、本殿でお参りをして良縁を祈願する。それが、この神社を参拝する人たちの主な目的なんだとか。


 だからカップルや夫婦は、普通はあの鳥居とは別の鳥居を使ってお参りに来るらしい。


 だけど僕は、あえてあの鳥居をくぐらせてもらった。


 これで七海と僕の悪縁は無くなり、後は本殿にて恋愛成就を……僕が記念日にする告白が上手くいくように、祈願するだけだ。


 もう付き合っているのに、恋愛成就と言うのも少しおかしいかもしれないが、僕らの関係を考えたらこれが自然に思えている。


 だから僕は、やるべきことは全てやる。


 普段なら信じないご利益だって心から信じるし、どんな験担ぎだって僕はやってやる。


 そして、僕等の視界に映る本殿は陽の光を反射させており……その光が僕の目に入ってくる。その反射した光が、まるで僕等を祝福してくれているようだった。


 ……ちょっと、都合よく捉え過ぎかな?


 でも神様。都合良くても良いですから、僕はこれから神様に心から祈願します。


 僕と七海が、これからもうまくいきますようにってね。よろしくお願いしますよ。

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