第71話「神社までのお散歩」

 少々のトラブルはあったものの、無事に動物園を出た僕らは、公園の中を手を繋いで歩いていた。


 これから向かう神社は、動物園から15分ほど歩いた先にあり、公園とは地続きになっている。


 だからこうして、移動の間も散歩や森林浴が楽しめる。公園内には沢山の木々が、自然のままに並んでいた。


 穏やかで暖かい、気持ちのいい風が吹くと……ザァザァと葉の揺れる音が僕らの耳に聞こえてくる。


 なんだっけ、フィトンなんたらとかいう物質が木々から出てて身体にすごくいいんだっけか? 森の香りが、僕等をリラックスさせてくれるのだとか。


「なんかさぁ、お花見の時に散歩した公園を思い出すよねぇ。でもその時とは違って緑の方が多いかな? なんか……色んな木が多いねぇ」


「そうだねぇ、斜めに生えてたり……真っ直ぐ映えてたりってバリエーションが凄いね。秋とかは葉が色付いて、冬とかは真っ白な景色になるのかな?」


「その時にお散歩に来ても気持ちよさそうだねー」


 僕等はそのままのんびりと手を繋ぎながら木々の中を散歩していく。


 茶色く斜めに生えた木々、真っ白い白樺の木々、グネグネと枝がまるで生き物のように曲がりくねっている木々……。


 ただの神社への移動する道だと思っていたが、かなり見応えのある公園だ。正直、侮っていた。


 地図を見る限りでは神社へはまっすぐに歩くだけで着くみたいなのだが……。


「ちょっとだけ、寄り道しながら行ってみようか。あっちには池もあるみたいだし」


「ほんとだ、ちょっと見てみようか……」


 つい他の景色も見たくなり、僕等はまず目についた池の傍まで移動する。


 そこには、一見すると一本ではなく複数の樹木が密集しているように見えるが、その実は太い幹から何本もの枝が天井に向かって伸びた木が生えていた。


 なんの木だろうか? 一本だけじゃなく同じような木が沢山ある。


 その太さや、枝の不規則な広がり方は圧巻の一言で……。自然な美しさがその木にはあった。


 まるでファンタジー小説に出てくる樹木のようだな。樹齢はどれくらいなのだろうか……少しの年月ではこんな迫力のある木にはならないだろうことくらい、僕にだって理解できる。


 ちょっと迫力があり過ぎて怖いくらいだ。


「なんか、夜に見たらちょっと怖そうだね。ざわざわっ! って動き出しそう。なんかホラー映画とかだとこの枝に腕とか絡めとられそうだよねぇ」


「そんなホラー映画あるの? ぼく……ホラー系の映画って見たこと無いからなぁ……」


「私もホラーは苦手だなぁ。……今度、部屋で一緒に見る? ほら、怖い場面でどっちがどっちに先に抱き着くか勝負してみるとか」


「何の勝負さそれ……。僕は怖いの苦手だからなぁ……七海に抱き着いちゃうかもしれないけど良いの?」


「さっき抱きしめといて、いまさら何言ってるのさー」


 笑いながら言う七海の言葉に、僕は改めてさっきほどの彼女の体温を思い出してしまう。


 さっきはとっさにしたけれども……あれが家で起きるとなると……。当然、二人きりだよね。二人きりでホラーを見て抱き合うって……。


「僕の理性が持つかなぁ……」


 僕はなるべく小さな声で呟いたのだが……ちょうどその言葉は七海の耳に届いてしまったようだ。彼女は僕の言葉に頬をほんの少しだけ朱に染めつつ、その顔に意味ありげな笑みを浮かべていた。


 それから上半身をほんの少しだけ屈めると、したから覗き込むようにして僕と目を合わせてくる。


「理性の無くなった陽信って……どうなるのかなー?」


 まるで興味津々というようなその言葉に、僕の方が面食らってしまい言葉に詰まる……。理性の無くなった僕……ねぇ……。


 どうなるんだろうか? 今までそういう、感情の赴くままに行動するってことがあまり記憶に無いからなぁ……。


 欲望のままに彼女を押し倒すのか、それとも僕の理性は保たれるのか。


「……それについては、その時になってみないとわからないかなぁ? ……それで? 七海は僕にどうなってほしいのかな?」


 僕のちょっとした反撃に、七海も言葉を詰まらせるが……その顔の笑みをますます深めた。


「それは、陽信の想像にお任せするよぉ?」


 まるで気にしていない風を装って笑みを深めているのだが……僕の反撃は予想外だったのだろう。ちょっとだけ、目が泳いでいる。


 自爆するくらいなら言わなきゃいいのにと思いつつ……こうじゃないと七海じゃないよなぁという安心感も僕は感じていた。


 そんな話をしていると、いつの間にか池の畔まで移動していたようだったのだが……。


 その池の光景がさらに圧巻で、僕等を感動へと誘ってくれた。


 今日はとても天気が良く、雲も少ないために日の光が十分に地面を照らしている。その結果、池がまるで鏡のようになる。


 水上にはゴミや葉は浮いておらず、水鳥もいないためか、池の水面は一切の揺らぎを見せていない。そのため、周囲の木々を映した上下対称の美しい光景がそこには広がっていた。


 僕等もその上下対称の光景の一部となっている。逆さになった水面の僕等が、現実の僕ら二人を見つめ返してきているような錯覚に陥った。


「凄い……綺麗……」


 七海もそう呟くのが精いっぱいで、僕なんかは何も言えずにその光景に見とれていた。


 周囲の木々の枝や、水面がまるで緑色に染められたような葉の色を映しこんでいる……。これが秋頃になると紅葉した葉を池が映すのだろうか?


 池の水面には僕と七海が映っていて……そのまま触れたら、何かの映画のように鏡の世界にでも入れそうなほどに幻想的な光景だ。


「陽信! 危ないって!!」


 その言葉に、僕は我に返った。


 いや、言葉だけじゃない。ちょっとだけ池に近づきすぎた僕を、七海が後ろから抱き留めてくれている。七海の言葉と、僕の背中に当たる大きく柔らかい感触に僕は我に返ったのだ。ちょっとだけ恥ずかしい。


「あ、いやぁ。ごめんごめん。あんまり綺麗だったからさ。凄いよね、この光景」


「確かに綺麗な光景で、気持ちは分かるけどさ。デート中に池に落ちるとかやめてよねぇ。ただ濡れるだけならまだいいけど、心配させないでよ……」


「ほら……水面に映った七海が綺麗だから、思わず見惚れちゃったんだよ」


「そこは現実の私に見惚れなさい!! もー、そういうセリフは簡単に出る様になっちゃって……。そろそろ私、陽信がプレイボーイ化しちゃうんじゃないかって心配だよ」


「心配しないでよ、言うのは七海にだけだから」


 それに、七海以外に言ったところで「は?」で終わってしまうか、場合によってはセクハラとかそう言うので非難を受けるだけだろう。


 僕は七海と付き合って入るけれども、別にイケメンというわけではないし。そもそも、七海が僕と付き合ってくれているのは……。


 いや、ここでそれを蒸し返すのはよそう。今更だ。


 僕はスマホのカメラを水面に向けると、七海に少しだけ近づいてその肩を抱き寄せる。そして、水面に映った僕等の写真をスマホへと残す。映った僕等は……笑顔だった。


「この公園、秋にも冬にも来たら楽しそうだね。お花見もできそうだし……みんなで来るのも楽しそうだ。これからの楽しみが沢山できるね」


「ちょっとー、自分のスマホだけで撮らないで私も撮るんだから離れないでよ。ほら、もっとくっ付いて!」


 上下逆さの良い写真が撮れたと僕は満足してしまったのだが、確かに七海も撮りたいよね。これは配慮が足りなかったと……僕はまた彼女に近づくのだが。


「う……」


「どうしたの陽信?」


「いや、さっきは勢いでやったからいけたんだけど……改めて冷静になると急に恥ずかしく……」


「今更?!」


 七海にツッコミを受けつつも、僕は意を決して再び彼女の肩を抱き寄せる。そして七海のスマホにも僕等の写真が収められた。


 本当……勢いって大事だよね……改めて肩を抱き寄せることを意識するとすっごい恥ずかしくなったので、その写真の僕は先ほどよりも頬が赤かった。


「良い写真も撮れたし……神社に向かおうか」


「そうだねぇ。でもなんかさ、他にも色々見られそうだよねこの公園」


 七海のそのセリフは、この後の展開を予想していたようなものだった。僕等が移動中に見られたのは数々の木々だけでなく……様々な動物を見ることができたのだ。


「あれ? リスがいるねぇ。うわ、穴からぴょこんと顔を出してて可愛い!! あ、切り株の上でなんか食べてるリスもいる!!」


「リスも可愛いねぇ。あっちには……随分とカラフルな鳥がいるよ。地味な色合いの鳥と一緒に並んでいるけど……夫婦なのかな?」


「あ、ほんとだ。すっごい色! でも並んで歩いているもう一匹は地味な色合いだね……どっちがオスなんだろ?」


 僕等がそんな風にわからない鳥を見て首を傾げていると、思わぬ方向から声が聞こえてきた。 


「あぁ、あれはオシドリじゃよ……色が綺麗な方がオスで、地味な方がメスじゃな……」


 声のする方向に目をやると、切り株のベンチに座った一組の老夫婦が僕等へと鳥の種類を教えてくれた。二人とも手には双眼鏡を持っており、野鳥の観察なんかをしているようだった。


「あぁ、すまないねぇ。お節介を焼いてしまって。儂はここに良く妻とバードウォッチングに来ていてね……お二人は……デートかのう?」


「いいわねぇ……仲良く手を繋いで。私達の若いころを思い出して、ついつい声をかけちゃって……。ごめんなさいね。お邪魔して」


 ご夫婦は僕等に頭を下げるが、僕等としてはわざわざ親切に鳥の名前を教えてくれたんだから感謝しかないので、素直にお礼を言っておく。そっか、これがオシドリなのか。初めて見たな。


 七海は教えてくれたご夫婦に近づくと、その隣に切り株に腰掛けた。


 足をブラブラとさせながら……何かを聞きたそうにしているのが見て取れる。何を聞こうとしているんだろうか?


 やがてちょっとだけ迷うそぶりを見せていた七海は、少しだけ目に力を入れると老夫婦へと一つの疑問を訪ねた。


「おじーちゃんとおばーちゃんは、もう夫婦になって長いんですか?」


「そうじゃのう……もうかれこれ……50年以上は一緒に居るよ。お嬢さん達はお付き合いしてどれくらいなのかね?」


「僕等は……ようやっと一ヶ月ってところです」


 僕も腰掛けながら老夫婦の疑問へと答えるのだが……二人はちょっとだけ驚いた表情を僕等に返していた。


「あらあら、そうだったの? なんだか雰囲気が……もう何年も付き合っているような感じだったから、てっきり長いのかと」


「そうじゃのう、まるで夫婦みたいな距離感じゃったわい。ガッハッハッハッハ!」


 おばあさんの方が頬に手を当てて僕等を不思議そうに見てきて、お爺さんは豪快に笑う。そんなに長い付き合いに見えてたのだろうか? まだ付き合い始めたばかりだというのに、そう思われたのがくすぐったくも嬉しく感じる。


「50年かぁ……すごく長い間一緒に居るんだねぇ。うちのお父さんとお母さんの倍以上も一緒に居るんだぁ……素敵……」


 七海は老夫婦の言葉に嬉しそうにしながらも、彼等がそれだけ長い間一緒に居ることに感激しているように両手を合わせていた。その七海の言葉に、老夫婦は照れくさそうに笑っていた。


 それから僕等は、その老夫婦にお礼を言うと神社への移動を再開ことにした。その時に、老夫婦が僕等に最後にアドバイスをくれた。


「素敵な学生の恋人同士さん……これからもずっと一緒に居るつもりなら……お互いに尊敬する気持ちを忘れないでね?」


「世の中というのは持ちつ持たれつじゃ……夫婦間もそれは変わらん……。愛情が当然のものと思わず、常に……お互いを大切にの。年寄りからのお節介と受け取っておいてくれ」


 そのアドバイスに……僕等は改めて二人の老夫婦に頭を下げて笑顔を返す。二人の老夫婦も僕等に笑顔を返すと、バードウォッチングを再開していた。


 長い間を二人で共にしてきたその言葉には、自分達の両親の話とはまた違う説得力が感じられた。


 僕がそういう話を、両親とはまともにしたことが無かったからというのもあるかしれない。


 ただ、七海は上機嫌で僕とつないだ手をぶんぶんと振り回している。


「素敵な……素敵なご夫婦だったね」


「そうだね……あんな風に年を重ねても仲良く一緒に居られるって……本当に素敵なことだよね」


「オシドリ夫婦って、あぁいうのを言うのかな? ちょうどオシドリを教えてもらった時だし、なんか運命的な感じだよね」


「そういえばそんな言葉も世の中にはあったっけ……オシドリ夫婦……五十年かぁ……」


 数文字で口にできるその年月の重さを僕等には分からないけど、それでも彼等が素敵なご夫婦だというのは、心に響いた言葉から自然と理解できる。


 だから僕は心の中だけでそのことを七海に伝える。


 僕等もあんな風に……なれると良いよね。長い間……ずっと一緒に居られるように。これからもずっと。


 それを僕は、言葉には出さなかったのだが……。


「陽信……私達もさ……あのご夫婦みたいに、ずっと一緒に居られたら良いよね……」


 その瞬間に、七海はまるで僕の心の中が分かったかのようにその言葉を口にしていた。僕、考えたこと口に出してないよね? それくらい、タイミングがバッチリだった。


「僕もそう思ってたよ。これからも……七海とは一緒に居たいと思ってる」


「そっか、良かった……」


 七海はホッとしたように、少しだけ陰のある笑顔を僕に向ける。楽しそうだけど、少しだけ心配事がある……そんな笑顔だ。僕は手を繋いだままだからか、その気持ちがまるで伝わってくるような錯覚を覚えた。


「あのね、陽信……私……今度……陽信に言いたいことが……」


 何かを言いかけた七海だったが……そのタイミングでちょうど神社の入り口である鳥居が僕等の目の前に現れた。


 本堂へとまっすぐ伸びている道を守るような、立派な鳥居が赤い陽の光に照らされている。


 陽の光を浴びた鳥居の美しさに、僕も彼女も言葉を失う。


 七海が何かを言いかけていたが、その光景に息を詰まらせてしまって二の句が告げなくなってしまっていた。ただ、すぐに彼女はその表情を明るいものへと変化させる。


「うわぁ、立派な鳥居だねぇ。結構寄り道したつもりだったけど、割とあっという間に神社に付いたね。それじゃあ陽信、一緒にくぐろうか?」


 そこにいたのはいつもの笑顔を浮かべた七海だった。七海は……何を言おうとしたのだろうか?


 それを聞くタイミングを逃してしまった僕だったけど、僕の手を引いて鳥居をくぐろうとする彼女を慌てて止める。


「あぁ、まって七海。ここは……僕等は別々にくぐろう」


 僕の一言に歩みを止めた彼女は、首を傾げながら不思議そうな声をあげる。


「なんで? 鳥居なんだから一緒にくぐった方がご利益とかあるんじゃないの?」


「ご利益はあるにはあるけど……これのご利益は、僕等には一緒に通ったらダメなご利益なんだよ」


「何そのご利益? 一緒に通ったらダメなご利益って……?」


 僕はほんのちょっとだけ勿体ぶるように……神妙な声で彼女に僕が調べたことを告げる。


「……この鳥居はね……通称…… 縁切りの鳥居って言われているんだ。だから僕等は、一緒に通っちゃいけないんだよ」

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