第68話「僕が作ったお弁当と…」

「陽信……そんなに落ち込まなくても……」


 慈愛に満ちた掌が優しく僕の頭を撫でる。僕を慰めているのは当然ながら七海である。その優しさに感動しつつ、僕は七海の方へと視線を向ける。


「あぁ、うん。ありがとう七海。確かにまぁ、そこまで落ち込むことじゃないかもしれないけど……。いやぁ……自分のアホさ加減に呆れるよ……」


 可愛らしいお腹の音を響かせた七海を連れて、僕等は昼食をとるために展望レストハウスに来ていた。ここが展望レストハウスと言われているのは、ちょうどサル山に隣接する形で建造されているために、窓からサル山を眺めることができるからだ。


 窓際にはいくつか椅子が用意されており、座りながらゆっくりとサル達を見ることができる。それ以外にもテーブルが用意されているが、比較的規模の小さいレストハウスになっている。


 僕等はそのレストハウスの二階に移動すると、運良く窓際の席が二席並んでいたのでそこに隣り合って座っている。曇り一つない窓からは、サルたちが遊んでいる様子を少し上から眺めることができた。


 それだけならば運が良いと喜ぶべきことであり、僕が落ち込むことはないのだが……僕が落ち込んでいる原因は目の前に並んでいる僕が作ったお弁当箱にあったりする。


 今日僕が作ったお弁当であり、味については七海ほどではないがそこそこの自信が持てる出来だと自負していたのだが……。


「そりゃあ……羊に突進されて転んだらこうなるよねぇ……」


 僕は目の前に広げたお弁当を見て呟いた。


 そう、僕は羊に突進されて思いきり転んだというか……ひっくり返ったのだ。当然だが、その時にお弁当を入れていた鞄も一緒にひっくり返ることになる。


「せっかく綺麗に盛り付けしたのになぁ……残念だ」


 運よく窓際に座り、僕が作ったお弁当を見せて七海を驚かそうと思ってお弁当箱の蓋を開けたら……これである。


 せっかく綺麗に詰めた料理が、ひっくり返ったせいでオカズの上に野菜がのってしまったり寄ったりと、グチャグチャとは言わないまでも見栄えが悪くなってしまっていた。


「特にほら、卵焼きなんてけっこうキレイにできてたんだよねぇ……」


 残念そうに僕は形が整っていたはずの卵焼きを視界に入れる。今は割れたり崩れちゃったりしてるけど、できたときは本当に会心の出来だったんだよこれは。


 そんな風に弁当を広げて自らの失態を自覚した僕を、七海は僕を慰めてくれたというわけだ。


「でもほら、味は変わんないよ? うん……。て言うか、美味しいよ陽信」


 彼女はお弁当箱から崩れた卵焼きをつまんで口にすると、美味しいと言っていくれた。先ほど慰めてもらって幾分か回復した心が、さらに回復する想いだった。


「それならよかったよ。でも、朝からはりきって作って盛り付けまでやったってのに……最後が締まらないなぁって思ってさ……」


「ちなみにさ、何時に起きて作ったの?」


「一人で作るのは初めてで、勝手も手際が良く分かんなかったから念のために朝5時くらいかなぁ……。もうね、悪戦苦闘。本当、僕って格好つかないよねぇ」


「それは大変だったね……でも、初めてで悪戦苦闘はしょうがないよ。お弁当作ってきてくれる彼氏って段階で、十分格好良いと私は思うよ? この唐揚げもすっごく美味しいし」


 衣が剥がれかけた唐揚げを口にしつつ、七海は顔を綻ばせる。そう言ってもらえると本当に嬉しい。いや、これ以上は落ち込んで彼女に気を使わせても仕方ない。ここからは楽しい感じにいこう。


 やっと精神的に回復した僕は、そこでふと気になったことを七海に確認する。


「七海さ、そう言えば……動物見ながら食事するのって平気だった? いや、こうやって窓際の席を確保しといて、凄い今更な質問なんだけど」


「ん? どうしたの突然? もしかして、陽信って駄目なタイプなの? 動物見ながらの食事って」


「いや、僕は大丈夫なんだけどさ。僕の両親がそう言えば食事中に動物見るのを嫌がるタイプだったのを思い出してさ。今更だけど」


 両親と食事をするときに、たまにテレビ番組が動物番組になる時があるのだが……そういう時は決まって両親はテレビのチャンネルを変更する。


 僕は別に動物番組を見たいわけではないので……と言うかそもそもテレビ番組自体にあまり興味が無いのでそれに付いて文句は無くただ黙って流れている番組を見ているのだが……。


 ちょっとだけ気になった時に聞いてみたのだ。なんでチャンネルを変えるのかと。


 その時の答えが……単純に食事中に動物を見るのが嫌なんだそうだ。あと、動物番組だとショッキングなシーンが出ることも多いし……食事中にそう言うのが出るかもしれないというのが、二人ともどうにも苦手なんだとか。


「志信さん達ってそうなんだ、なんか意外だねぇ。そういうの気にしなさそうなのに。あ、ちなみに私は平気だよ」


「そっか、良かった。いや、これで実は苦手って言われたらもう……。僕はどうやって謝罪すればいいかを考えなきゃいけないところだったよ……」


「そんな大げさな……」


 七海は珍しく、割と呆れた表情で僕をジト目で見てくるのだが、僕は割と本気だった。その僕の本気を感じ取ったのか、七海は苦笑を浮かべながら自身のカバンをテーブルの上に置きだした。


「んー……じゃあ私もちょっとだけ謝罪しようかな? これでお相子かな?」


 七海は鞄を開けると、その中から小さなタッパーを取り出した。本当に小さな小さな白いタッパーのその中には……中身が透けて黄色い何かが入れられているのが分かった。


「それって……?」


 彼女はそのタッパーを取り出すと蓋を開く。中から出てきたのは、僕が想像している通りの七海が作った卵焼きだった。初めて見た時と同じ、綺麗な焼き色が付いた僕の大好きな一品だ。


「ごめんね、今日は陽信が用意してくれるって聞いてたんだけど……私も食べさせたくて、作ってきちゃった」


 ぺろりと舌を出しながら、まるで悪びれた様子もなく彼女は僕に笑顔を向けてくる。いや、悪びれる必要は全く無くて、僕にとってはそれは嬉しいことでしかないのだ。


「それは……謝ることじゃないでしょ。むしろ僕は嬉しいよ、七海の卵焼き大好きだし。わざわざ、ありがとう」


「そうだね、謝ることじゃないかもね。だから……陽信もこんなことで謝んなくていいんだよー。ほら、卵焼き、あーんしてあげる。懐かしいねぇ、はじめてあーんしたのは唐揚げだったっけ?」


 彼女はその綺麗な卵焼きを箸でつまむと、僕に差し出してくる。箸でつままれた柔らかな卵焼きの左右が重力に逆らえずにほんの少しだけ垂れさがり、弧を描く。


 外側は綺麗に焼き上げられており綺麗に固まっているが、断面からはふわふわとした触感を見ただけで感じさせる半熟状に仕上がっていた。改めて見ると……本当に綺麗な料理だなぁ……。


 周囲には僕等以外にも当然人がいるので、僕等は二人っきりではない。それでも彼女は箸を差し出すのは止めず……子供たちがキャッキャと騒いでいる声が聞こえてくる。


 中には「パパとママみたいにラブラブなおねーちゃんとおにーちゃんがいるよー?」とか言って両親を困らせている子供もいた。とりあえず、これ以上周囲に飛び火する前に僕は素直にこの七海の好意を受け取った方が良さそうだ。


 差し出された卵焼きをいつかのように僕は頬張ると、いつも通りの味が口の中に広がる。層になった卵が口の中で解けて、甘みが口中に広がっていく……。それは、何度味わっても変わることが無い幸福感だった。


「やっぱり、七海の方が料理上手いねぇ。この味……習っているのにどうしても出ないんだよねぇ……」


「ふっふっふ、それこそお料理歴は私の方が長いんだから、そう簡単に並ばれたら凹んじゃうよ。陽信の卵焼きも……ほら」


 七海は自分の口を開くと、人差し指でその口中を指し示す。どうやら、僕に対してもやってほしいという意思表示のようだ。まるで餌を待つひな鳥のように……目を閉じて僕の行動を待っている。


 ……なんだろう、女の子の口の中を見るのって凄いドキドキする。いや、違う。彼女はそう言うつもりでやってるんじゃないんだから……。僕もお返しをしないと。


 僕は形が崩れた中でも比較的マシな卵焼きをつまむと、ゆっくりと、ガラス細工を扱うかのように慎重に彼女の口の中へ運び込む。


 僕が卵焼きが入れたことが分かると彼女は口を閉じて、それをゆっくりと咀嚼する。その表情は、幸せそうな笑顔を浮かべており……僕はどこかホッとする。


「……うん、陽信の卵焼きも美味しいよ。でもさぁ、一ヶ月経たないで、よくここまで料理上手くなったよねぇ。がんばったんだねぇ」


「まぁそれは……先生が良いからじゃない?」


「フフフフ、それは……あるかなー? 七海先生のお料理教室は、生徒をここまで上達させましたか」


「それにほら、料理は愛情と言いますから。食べる人への愛情だけは……たっぷりと込めたつもりですよ、先生?」


 僕は冗談めかしてそんな軽口を叩く。てっきりそれに対して即座にツッコミなり同じような軽口が返ってくるのかと思っていたのだが……返ってきたのは沈黙だった。


「あれ?」


 僕はそこで七海の顔を見ると……彼女は顔を真っ赤にさせていた。いや、そこで照れられちゃうと僕もその……なんだ……照れてしまうんですけど……。


「愛情……込めてくれたんだ……。へへ、なんか改めて聞くと嬉しいね」


 両手の指を合わせながら笑顔でぽつりとつぶやいたその言葉に、僕も少し頬を染める。少しの間の沈黙が僕等の間に流れるのだが、その沈黙を破ったのは動物の鳴き声だった。


「うわっ!! すっごいガラスにおサルさんが近づいてる!!」


「ちょうど餌の時間だったのかな? こんなに近くに見れるとは思ってなかったけど……」


「お猿さんー、ご飯美味しい? 私もねぇ、すっごい美味しいよー」


 ガラスを隔ててはいるが、いつの間にかサルがガラスのすぐ向こう側で餌を食べている。キィキィと鳴き声をあげながら餌を一心不乱に口に運ぶものや、手にしたリンゴを持ってガラスの前でウロウロするものなど行動は様々だ。


 七海なんかはサルにおにぎりを差し出しながら、小首を傾げていた。その七海の行動につられたのか、サルも一緒に小首を傾げて、手にしたリンゴを口に運んでいた。


 同じように窓際に座っていた子供たちも、サルたちの登場にはしゃいでいる。人間になれているからか、そういう訓練をされているのか、サルたちは餌をガラスのすぐ向こうで食べている。


 まるでサルと一緒にご飯を食べているような気分になって、気持ちが和んでいく。先ほどまであった沈黙も解消して、僕等は雑談をしながらサル山を鑑賞し、お昼を食べ進める。


「そういえばさぁ、陽信。今日のメニューって……意識したの?」


「ん? なんのこと?」


 遊んでいるサルたちを眺めながらお昼を食べていると、七海が唐突に僕に質問を投げかけてくる。正直、僕としては……その質問が何のことかわからなかった。だから、質問に質問で答えるようなことをしてしまったのだが……。


 メニュー? 別に今日のお弁当って何かを意識したわけじゃないんだけど……。僕が何のことかわからず首を傾げていると、七海は僕の作ったお弁当に指を向ける。


「唐揚げ……卵焼き……三種類のおにぎり……レタスにトマトに……。量は多めだけどさ、これって私が最初に陽信に作ってあげたお弁当のメニューと一緒……だよね?」


「……あ」


 僕は七海に言われてはじめてその事実に気づく。今日お弁当は何にしようかとメニューを考えた時に、自然と浮かんできた献立であり、その時のことを覚えていたわけではないんだけど……。


「そういえば……そうだったね。はじめて食べた七海のお弁当も、この献立だっけ」


「あれ、狙ってたわけじゃないんだ?」


「うん……完全に無意識だったよ……」


「……そっか、なんか嬉しいな」


 父さんと母さんが今までお弁当を作ってくれなかったわけじゃない。当然ながらその記憶は僕の中にある。忘れたわけじゃない、両親には感謝をしている。


 それでもきっと……僕の中で思い出深いお弁当って言うのは、きっとこれなんだろうな。忘れていたというか無意識化だったけど、こういわれたらもう忘れることは無いだろう。


「でも、味はやっぱりあの時の七海のお弁当の方が上だね。七海と同じ味を出せるようになるまで、どれくらいかかるかなぁ」


「そーう? 私はこの味も好きだけどなぁ……。それにさ、二人で同じ味を作れるようになるより、それぞれが違う味で料理した方が、お互い飽きずに長く楽しめるんじゃない?」


「七海は前向きだなぁ……。まぁ、これからも料理は教えてもらうつもりだからよろしくね」


「うん。これからも一緒に料理しようね」


 僕等の間にまた約束が増える。今日だけでいくつ約束が増えるのかな?


 ピアスの件、料理の件、きっとまだ約束は増えていくんだろうな。それを守れるように……頑張らないと。


 そんな風になんてことのない話をしながら食べていると、お弁当箱はいつの間にか空になっていた。


 見栄えは悪くなってしまったが味については問題なかったし……。何よりも七海の気遣いのおかげで、僕はそれを気にすることなく楽しく昼食を過ごすことができた。


 それから、弁当箱を僕が片付けると……七海は今度は別な可愛らしい包みを取り出してくる。


 あれ? 追加のお弁当? と思ったのだが、その包みからは甘く香ばしい香りが漂ってきていた。


「デザートだよ♪ チョコブラウニーを作ってきたんだ。もうちょっとお猿さん見ていたいしさ。食べながらゆっくりしようよ」


 ……本当に、七海は気の利く自慢の彼女である。これは僕も負けてられないな。


「じゃあ、水筒は空になっちゃったし……お茶でも買ってくるよ。紅茶が良いかな?」


「それならちょっと甘めのブラウニーだから、無糖が合うかな?」


「了解……それじゃあ七海、ちょっとだけ待っててね」


 七海がブラウニーの準備をしている間に、僕はレストハウス近くの自販機で無糖の紅茶を買って彼女に手渡した。


 僕等はそれから、デザートのブラウニーを食べながら……サルたちが楽しそうに遊んでいるサル山を眺めて、ゆったりとした時間を過ごすのだった。

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