第66話「とっても可愛い羊さん」
特に波乱もなく、僕と七海は動物園に到着した。いや、ほんとに久しぶりに平和でまったりした移動時間だった。
道中で七海が『今日は何も起きないと良いねぇ』と笑いながら言うくらいには、ここ最近は何かしらトラブルが起きていた気もするが……。
今日くらいはのんびりゆっくり、七海と一緒に動物を見させて欲しいものだ。
ともあれ、僕等は無事にた動物園に到着し……その外観を視界に入れるのだが。
「随分と……綺麗になっているなぁ」
僕の記憶の中にある動物園から比べると、外観は凄くキレイに整えられている。
昨晩は色々と調べて、改装をしたり中身をリニューアルしていると言うのは知っていたけれど……まさからここまで綺麗になっているとは予想外だった。
最後に来たのは小学生の時で、あの時はもうちょっとボロボロの外観だったはず……朧げな記憶だけどね。それは七海も同様だったのか……彼女は僕の隣で目を丸くして驚いていた。
「ほんと、凄い綺麗になってるねー。小学校の時以来だけど、今日は楽しもうねー♪」
僕と七海は手を繋ぎながらそのまま動物園へと入園するためのチケットを購入する。
昨晩調べた通り、高校生は生徒手帳を見せると半額になるようで、僕も七海も持ってきた生徒手帳を提示するのだが……。
「……陽信の写真、全然違うじゃん! うわ、そういえばこんなに前髪とか長かったんだよね……懐かしー」
「いや、七海の写真も……なんでこんな真面目風な写真なの? 全然違うじゃん……ギャルじゃないじゃん……」
「生徒手帳だしそっちの方がウケがいいかなって、やってみたんだよね。こっちの方が……陽信の好みかな?」
「いいや、今の七海が一番好きだよ」
「そっかー、陽信はギャル好きかー。エッチだなぁ」
「なんでそうなるの!?」
受付の人の前で僕と七海はそんなやり取りとしてしまうのだが、受付さんはそんな僕等を微笑ましそうな笑顔で応対してくれた。
写真が違いすぎてちょっとどうなるかわからなかったが、受付の人は確認するとすんなりと割引をしてくれる。案外、形式的なものなのかな?
そのまま僕等はパンフレットを受け取って、園内へと入園した。
動物園のの中に入ると……周囲の木々の爽やかな森の香りと、動物の何とも言えない獣の香り、それらが混ざり合った香りが僕等を包む。これが自然の香りなんだろうか?
人によっては獣臭いと不快に感じるのかもしれないけれど、僕はこの色々な香りが混ざり合ったこの匂いが、嫌いではなかった。それどころか、不思議とどこか落ち着く感覚を僕は覚えていた。
「そう言えば、七海は動物の匂いって平気?」
誘っておいて今更ながら、僕は心配になって七海に確認する。ほんと、今更だな僕。だけど、七海は特に不快そうにはしておらず、軽く首を傾げていた。
「うん、特に不快じゃないかな。今日はほら、動物園だし私も香水とかもしてこなかったから、匂いが混じっていないからかも」
「僕も付けてないけど……七海、香水付けてないんだ? それにしては良い匂いだけど……」
「あの……陽信……流石に嗅がれると恥ずかしいです……」
……しまった、七海がそう言うもんだから外だというのについつい匂いを嗅いでしまった……。
でも、なんで女子って香水付けていないって言うのにこんなにいい匂いがするんだろうか? 人類の不思議だ。
僕の行動に赤面した七海を尻目に、一度繋いでいた手を離してパンフレットを広げる。横からは七海が広げたパンフレットを覗き込むように顔を近づけてきた。
「へぇ、象も居るんだね……先に象さん見る?」
「いや、動物園自体はそこまで広くは無いみたいだし……せっかくだから道なりに見ていこうか」
僕等はパンフレットの端を持ち合いながらお互いに広げつつ、動物園の全体像を見てみる。
見ても昔の記憶と完全に照合できるわけではないのだけど……それでも、こんな風に色々なゾーンにはなっていなかった気がする。
もっと雑多と言うか……適当な区分けだった気がするのだが……。今では動物園の中は、興味をそそられる区分けがなされていた。
それでも、広さ自体はそこまででもないので……道なりに歩いているだけで充分に全部を回ることは可能だろう。だったら無理に行ったり来たりはしない方が疲れないはずだ。
それに……実は最初に入ってみたいところはもう決めていたりする。
「まずはさ、ここに入らない?」
とりあえず僕は、一番近くにある場所を指さす。そこは動物園の入り口に一番近く……そして、動物園の中で改めて紹介の文字が掲げられている場所でもあった。
「ここって……子ども動物園?」
「うん、ここだといくつかの動物と触れ合えるんだってさ。先にちょっと、触れておきたいかなーって思って。それに……」
「それに……何? 何かあるの?」
「いや、これは運がよくないと無理っぽいんで。入ってからのお楽しみってことで」
首を傾げる七海の手を引き、僕はそのまま一緒に子ども動物園の中に入っていく。園内には柵はあるようなのだが、いくつかの動物たちは柵の外に出ており、のんびりとした光景が広がっていた。
ポニーや鶏なんかの色んな鳥がのんびりと歩いており、家族連れの子供たちも大はしゃぎしている姿が非常に微笑ましい。
「こんな風にのんびり歩いている動物見るのって、なかなか無いよなぁ……」
「そうだね……ちょっとなら触れるんだっけ? 陽信、あっちには羊もいるよ」
「ほんとだ、可愛いなぁ……羊……良いなぁ、触ってこようか……触れるみたいだし」
僕はここで一番のお目当てであった羊が、柵から出てきてのんびりゆったりと歩いている姿を七海に言われて視認する。
遠目に見ると少し硬そうに見えるその毛だが、触るときっとフッカフカなんだろうなと、僕は触りたくて触りたくてウズウズしてしまう。
「陽信、羊好きなんだ?」
「うん、好きなんだよねー。羊って可愛くない? まぁ、一番好きな動物はキツネなんだけど……さすがに動物園にキツネは居ないし、あれは寄生虫とか怖いから触れないからねぇ」
「キツネ……犬とか猫じゃなくて? 変わったところが好きなんだね。……こんど、キツネ耳付けてあげようか?」
「またそうやって誘惑する……て言うか、キツネ耳なんて持ってるの?」
「一年の学祭の時に、動物喫茶やった友達いるから頼んだらくれると思う。羊耳もあるかもよ?」
非常に魅力的な一言に、僕は黙して首肯だけで七海に答える。
でも今は、まずは羊だ。
僕等はモコモコとした毛をその身に纏い、ゆったりと動いている羊に二人で近づいていく。怯えさせないように、あくまでもゆっくりと……静かにだ。
僕等が近づいても、羊は人に慣れているのか逃げだそうとはせず……むしろ微動だにせずに僕等を迎えてくれた。
なんだかちょっとだけ眠たそうにも見えるのは気のせいだろうか。ぽかぽかと暖かい陽気がそう思わせているだけかな?
周囲を見回すと、ポニーなんかも木陰で動かずにじっとしている。活発に歩いているのは鳥類くらいだ。
「それじゃあ……触るね……」
「そんなに緊張しなくても……ほら、フッカフカで可愛いよー。すっごい大人しいし♪」
僕が羊を撫でることを溜めらっている間に、既に七海は羊を優しく撫でていた。撫でられている羊は眠っているように目をつぶって頭を少しだけゆらゆらとさせていた。
七海に先陣を取られてしまったが……僕も意を決して羊の毛に対して手を触れる。
まず羊の毛を軽く触れると、想像とは違う少しだけゴワゴワとした感触が掌に伝わってくる。だけど、軽く押すとフカフカとした弾力のある柔らかい反発が返ってきた。もうちょっとフカっとしているかと思ったのだが、ゴワゴワ感の方が少しだけ強い……。
だけどそれが不思議と心地よくて、僕はゆっくりと羊を撫で始める。撫でた時も同様にゴワゴワとフカフカが同居した気持ちの良い……暖かく不思議な手触りが僕の掌には感じられていた。
撫でられた羊は僕等から遠ざかることなく、大人しくその場に座り込んだ。もっと撫でても良いということだろうか? 大人しくていい子である。
「名前がちゃんと一頭一頭にあるんだね。ちゃん付けってことはみんな女の子なのかな?」
「どうなんだろうね? あー……動物はいいなぁ……癒されるよー……」
僕と七海は、ややしばらくの間そうやって羊を撫でていた。あまり力を入れてもストレスだろうから、適度に優しく……また、一頭に対してあまり長時間撫でずに、何頭かいる羊を交互に撫でていく。
全ての羊は大人しくて、とてもいい子だった。
抱き着きたい衝動に駆られるが、流石にそれはストレスになり過ぎてしまうかもしれないから、僕は撫でるにとどめていく。
「羊って可愛いねぇ……いくらでも愛でてられるよ」
「陽信……そんなに羊好きだったんだ……。でもまぁ、確かに可愛いよね」
七海はそういうと、僕と一緒に羊を撫でる。一緒に撫でていると、羊が目を細めてまるで笑っているようにも見えた。他の動物もいるのだけど、僕等は羊にばっかり触っていた。
「こんなに可愛いのに……あんなに美味しくなっちゃうんだねぇ……。いや、可愛いから美味しくなるのかな? 食べちゃいたいくらい可愛いって言うし」
唐突に七海が怖いことを言い出した。
うん、まぁ確かに……羊のお肉は美味しいけどさ……。この場面で言っちゃうと……。だけどまぁ、それもまた避けられないことかな。僕等はこんなに可愛い羊も、美味しくいただいているのだ。
いや、動物園の羊を食べているわけじゃあないけどね。
「意味が違うと思うけど……。まぁ、それはそれ、これはこれで考えないと……お肉とか食べられなくなっちゃうよ?」
「うーん、ベジタリアンになるって手もあるのかなぁ……。可愛いと愛着も湧いちゃうよねぇ」
「ちなみに……僕は今日、沢山の唐揚げを頑張って作ってきたんだけど……」
「ごめんね、私にベジタリアンは無理みたい。だからせめて、美味しく食べて感謝するね」
七海は即座に掌を返して、羊を謝罪しながら撫でる。いや、どちらかというと謝罪するのは向こうで歩いている鶏にじゃないかな? でも、羊の唐揚げか……今度作ってみようかな?
それから僕等は羊を撫でるのをいったんやめる。
ちょっと名残惜しいが、ここで決断しないと羊を撫でるだけで終わってしまいそうだったので、こども動物園の中を一通り見て回ることにしたのだ。
周囲を歩いている動物以外にもそこにはいて。サルやモルモットなんかはガラスの中で飼育されているようで、どうやら触れ合えないようだ。
少し残念だがそれらはストレスに弱かったりと色々な事情があるようなので仕方がない。それでも、眺めたり写真を撮ることで、充分に楽しめた。
外にいる動物は人に慣れているのか、リスなんかは近づいても逃げずに、まるで一緒に写真を撮らせてくれているように切り株の上にとどまってくれていた。
なかなか動く動物が相手だから二人一緒の写真は無理だけど、お互いの写真がそこそこ取れたところで……。
「なんか……アヒルが変な行動してない?」
「へ?」
言われて気づいたのだが一匹のアヒルが、僕に対してすり寄ってきたのだ。それと同時に、七海の方にも一匹のアヒルがそのくちばしを使ってカプカプと甘噛みするように手や指を嘴で挟みこんだり、七海にぶつかるようにじゃれたりしていた
僕等はそのアヒルを邪険にするわけにもいかないのだが、七海は甘噛みするアヒルに困っていたので、僕はそのアヒルを少し離そうとする。
そのアヒルは、そのたびにまるで恋敵にするかのように、僕に対しては結構な強さの攻撃を仕掛けてくるのだ。ちょっと痛い。
僕等が困っていると、飼育員さんがそれに気づいて僕等からアヒルを引き離してくれた。それは、あっという間の手際だった。
「あらあら、すいません。お二人とも、この子たちに好かれちゃったみたいですね。これって求愛行動なんですよ、気を悪くされたら申し訳ありません」
「求愛行動……だったんですか」
僕の方に来たアヒルは分かるけど、七海の方はずいぶんと乱暴な求愛行動な気がする。動物だから仕方ないのかな。
飼育員さんに抱きかかえられた二匹は少し暴れるているようだったが、僕は七海の腕に自分の腕を絡めてアヒルに対して言い聞かせてみた。
「ごめんね、僕と七海は恋人同士だから。君たちの気持ちには答えられないよ?」
「陽信……動物相手にそう言って分かる……のかなぁ? いや、嬉しくないわけじゃないんだけどね」
僕等の行動の意味が理解できたわけではないだろうけど、僕と七海の姿を見たアヒルは……途端に飼育員さんの腕の中で大人しくなる。飼育員さんもちょっと驚いた様子だった。
「ほら、気持ちは伝わったよきっと」
「まぁ、良いけどね……飼育員さん呆れちゃってるじゃない……」
「うふふ……仲の良い恋人で羨ましいです。それじゃあお二人とも、今日は楽しんで行ってくださいね」
僕等は腕を組みながら、飼育員さんを見送った。さて、いろんな動物に触れて写真も撮れたし……そろそろここから出ようかな……と思ったところで、羊の柵の方から別な飼育員さんの声が聞こえてきた。
「これから、羊の毛刈りを行いますー。見学されたい方はどうぞー」
その一言に僕の目が輝く。この時期、運が良ければ見られるという羊の毛刈りだ。見られないかなと思って諦めていたのだが、それが見られるとなると僕のテンションが一気に上がった。
「……陽信、もしかしてこれが運が良ければって言ってたこと? 羊の毛刈り……見たこと無いねそう言えば」
僕を覗き込んできた七海を視線が合い、僕は我に返る。
いけないなぁ……僕一人でテンション上がっちゃったけど、七海にはちょっと退屈だったかな?
「……ごめん、一人でテンション上がっちゃって……興味無かったかな? 実は、一回見て見たくてさ」
「そんなこと無いよ。でも……子供みたいに目をキラキラさせてる陽信を見るのは楽しいかな? それにさ……そうやって自分から何かをしたいって、陽信が言うの珍しいよねー。」
「そう? そうでもない気がするんだけど……そうなのかな」
「そうだよー。だから今日は嬉しいんだ。ほら、私も見てみたいからさ。見学に行こうよ」
僕等は腕を組みながら、そのまま羊の毛刈りの見学場所へと移動する。何人かの親子連れも来ているようで、男女のカップルは僕等だけのようだ。大人しく座った羊の後ろに、作業着姿の飼育員さんが立っていた。
「それじゃあこれから始めますねー」
女性の従業員さんが毛刈りについて説明しつつ、男性の飼育員さんが器用に羊の毛を刈っていっている。
羊は大人しく、どこか気持ちよさそうにも見える。説明によると、家畜化された羊はこうして毛を刈らないと熱中症になってしまうのだとか……。
だからこうして、飼育員が刈り取って涼しくしてあげるのだとか。暑い時期は予定を早めて刈ってしまうらしく、見られたのは幸運だった。
爪を切り、毛を刈り……まるでお大臣さまのように羊は容姿を整えられていく。
そして、毛を刈り終えてすっきりした羊は、先ほどまでののんびりした歩とは違って飼育員の制止も聞かずに……軽やかな足取りで僕等の方へ……いや、正確に言うと、僕の方へと向かってきた。
「へ……? グエッ?!」
ボケッとその光景を見ていた僕は、真正面からその羊の体当たりをモロに喰らう形となってしまった。
羊は僕にぶつかってしまいビックリしたのか、その場で立ち止まって困惑したように足踏みして立ち止まる。
痛みはそこまでないのだが、油断と衝撃から僕はその場に倒れて空を見上げ、羊は僕を見下ろしていた。
空を見上げる僕の周囲からは、心配したような声や、笑い声、自分の方にも来て欲しい子供の声が聞こえてきた。思わず、僕も笑ってしまう。
「陽信、大丈夫?! 羊に当たるなんてなんでそんなことが起こるの?!」
「大丈夫、大丈夫! それより七海、この状況、写真に撮ってよ。ちょっと面白いよ」
困惑した七海は僕に手を差し伸べるが、僕は七海に羊がそばにいるこの状態で写真を撮ってもらうことにした。七海は苦笑しつつも、僕の写真を撮ってくれた。
それから僕は……飼育員の方に平謝りされた。
まぁ、彼等の立場にしてみれば当然かもしれないが、僕はそこまで気にしていなかった。
羊が突然歩き出すのはたまにあるのだが、今日みたいに人に突進するのは非常に珍しいらしい。貴重な体験ができたのと伝え……突進されたのが七海じゃなかったという安堵感が僕を包んだ。
面白い写真も撮れたしね。大の字に寝転がる僕と、僕を見下ろす毛を刈られた羊の写真だ。こんなの、滅多にあるものじゃない。
「本当に申し訳ありません……せめてものお詫びにこれを……」
そう言って彼等が僕等にくれたのは……去年刈って漂白したという真っ白い羊の毛だった。
本来であれば中学生以下でなければもらえないものらしいのだが……僕等二人にお詫びということでパックに入ったそれを二つずつくれたのだった。
「ありがとうございます。大切にしますね」
「真っ白で、綺麗だねー。なんか作れるかなぁ?」
「少量だけど、ちょっとしたものなら作れるかもね」
「それにしてもさぁ……」
笑顔で羊の毛を眺めていた僕を、七海は少しだけジト目で見てくる。何だろうかその、ちょっとだけ呆れたような目は?
「やっぱり陽信とのデートって……何かしら起きるよねぇ……」
あー……そうだね、確かにそうだ。普通なら羊に突進とかされないよね。
僕は納得しつつも肩を竦めながら……「七海が楽しんでくれてれば、何よりだよ」と、心からの言葉を彼女に告げるのだった。
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