第58話「見送られて、デートへ」

「ずいぶんと……早く目が覚めちゃったな……」


 僕は誰もいない部屋で一人呟く。時刻は午前6時よりも前……待ち合わせ時間が9時であることを考えると、待ち合わせまでまだ3時間近くもある。


 今日のデートは七海の要望で、待ち合わせをするという形になった。


 正直、ナンパが心配なので僕は当初はそれを渋ったのだが……結局は折れてしまった……。


 心配だけど。ものすごい心配だけど。今回も厳一郎さん……ボディガードでついてくれているだろうか?


 まぁ、目が覚めたのは心配というのと同時に、楽しみだからということもあるのだろうな……。


 不快な目覚めではなく、むしろ頭はスッキリとしている。昨晩、思い出話をしてから寝たおかげだろうか?


 夢の中では、過去の思い出を反芻していたくらいだ。


 まだ時間もあるし、二度寝すると言う選択肢もあるが……万が一の寝坊が嫌だしどうしようかとベッドの上でボーっとしていると、不意に部屋の扉が開かれた。


「あら、陽信……起きてたのね。随分と早いじゃない。七海さんのデートで気合が入っているのかしら?」


 扉を開けたのは母さんだった。……まぁ、七海なわけないよね。


「母さん……随分早いね……父さんは?」


「先に母さんだけ帰ってきたのよ。七海さんから昨日、お礼の連絡をもらってね……。今日、デートなんでしょ?」


「なんだ、七海……昨日は母さんにまで連絡取ってたんだ……」


 僕の呟きは母さんの耳に届いたようで……母さんはニヤリとした笑顔を浮かべた。


「ふーん……七海……ねぇ」


 しまったと思ったがもう遅く、色々と追求されるかと思ったのだが……母さんはそれ以上は何も言ってこなかった。


「朝御飯、作るわね。その間にシャワー浴びたり、身支度を整えなさい」


「あぁ、うん……分かったよ」


 母さんのリアクションを少し妙に思いながらも、僕は気持ちを切り替えてベッドから降りて……シャワーを浴びて、最低限の身支度を整えた。


 その間に、母さんは宣言通り僕の分の朝食を作ってくれていた。


 朝食は一人分……自分の分は作っていないようだ。


「母さんは食べないの?」


「お父さんが帰って来てから一緒に食べるわ……。とりあえず、食べちゃいなさい」


 僕は久しぶりに母さんの作った朝食を口にする。


 なんだか懐かしいな。ここ最近は、こうやってゆっくり母さんの料理を食べる機会が無かったから。デート前だけど……ホッとする味だ。


「仲が良いようで安心したわ……」


「へ?」


 僕が母さんの朝食を堪能していると、唐突にそんなことを言ってきた。あまりにも唐突なので、僕は思わず間抜けな声を出してしまう。


「七海さんがね、昨日突然……私に対してお礼なんか言ってくるものだから……。てっきり陽信と別れる前兆なのかと思って、ビックリしちゃってね」


 あぁ、それで心配になって母さんは一人で早く帰ってきたのか。


 母さんが一人早く帰ってきた理由を聞かされて疑問は解消されたけど……どんなお礼の仕方を七海はしたのかと、新たな疑問が生まれてくる。


「陽信あなた……七海さんを怒らせたとかないわよね?」


「それは無い……と思うよ……うん。いや、ちょっとした喧嘩はあったけど、仲直りしたし」


「そう……それなら良いけど……。ちゃんと、今日は七海さんと楽しむのよ」


「……分かってるよ、心配性だな母さんは」


 それから僕は、母さんと少しだけ雑談をする。母さんとこうやって二人で話をするというのは久しぶりだから……なんだか照れくさい。


「それじゃあ、母さん。僕そろそろ行くよ」


 雑談を終えた僕は、立ち上がり改めて必要な身支度を整える。母さんからも、念のために服装とかのチェックをしてもらい……変なところは無いとは言ってもらえたから……きっと大丈夫だろう。


「少し……早くない?」


「遅刻するよりは良いかなって……それに……なんとなくだけど、七海も早く来てる気もするんだよね」


「そう……七海さんによろしくね」


「うん、行ってきます」


 母さんに見送られて、僕は待ち合わせ場所まで移動する。


 デート前にこうやって見送られるのは少し恥ずかしいけど……。そもそも母さんに見送られて出かけるって……いつ振りだろうか?


 なんだか妙な安心感を持って、僕は待ち合わせ場所に一時間近く早く到着するのだが……。そこにはやっぱり、七海が既にいた。なんとなく、居るような気がしたんだよね。


 だけど問題は、時間が早いことじゃなく……七海は誰か……背の高い男性二人に話しかけられていた。


 それを見た瞬間に、僕は背筋がぞっとした。


 やっぱりあれだけ可愛い子が一人でいたらナンパされるよな……厳一郎さんも今日は居ないのか……。くそ、やっぱり迎えに行くべきだったか。


 後悔しても仕方ないと、僕は少し足早に彼女に近づく。七海は僕に気づいたのか笑顔を僕に向けてきた。


 僕は話しかけている男性二人にも聞こえるような大きな声で彼女の名前を呼ぶ。


「七海、お待たせ! そっちの二人は……知り合いかい?」


 なるべく相手を刺激しないよう、僕は言葉を選んで……かつ彼女の待ち合わせ相手は自身であることを強調するように言うのだが……七海から返ってきたのは意外な言葉だった。


「あぁ、陽信。うん、知り合いだよ」


「へ?」


 七海のその言葉に、僕は出鼻をくじかれたように歩みを止めてしまった。そして、僕の方へと振り向いた男性は……。


「おや、陽信くん。ダメじゃないか、女性を待たせるなんて。たまたま僕等がいたからいいものの、茨戸ばらとくんがナンパなんてされたらどうするんだい?」


「なんでここにいるんですか標津しべつ先輩……」


 僕は呆れたような声を出してしまう。そう、そこにいたのは……しばらくぶりに会った標津先輩だった。もう一人の人は僕は知らないが、標津先輩とそう変わらない長身の男性だ。おそらくバスケ部の人だろう。


「いや、僕等はこれから他校との合同練習があってね。そうしたら移動中に、一人でいる茨戸君を見かけたので……僭越ながら変な男に声をかけられないように君が来るまでご一緒させていただいていたんだ」


「あ、そうだったんですか……えっと……ありがとうございます……」


 僕は思わずぺこりと頭を下げる。てっきり、ナンパされていると思っていて奮い立たせていた気持ちが一気に落ち着いていく。


 いやぁ……一人で気合いを入れていたのに……恥ずかしいな僕……。七海はなんだか嬉しそうだけど。


「それにしても……」


 気が付くと、標津先輩は少しだけ前傾姿勢になると僕を覗き込むようにして目線を合わせてくる。そして……その顔に七海と同じような嬉しそうな笑みを浮かべていた。


「いやぁ……陽信くんが、茨戸ばらとくんを呼び捨てにしているとはね……。順調に仲が進んでいることを目の当たりにできて……僕はとても嬉しいよ」


「あ、いや……えっと……」


「何を恥ずかしがることがあるんだい! 胸を張り給え!」


 笑顔で僕の背中をバンと叩いた先輩は、さらに大きく笑う。背中を叩かれた勢いで、僕は七海の目の前にまで強制的に移動させられる。ちょっとだけバランスを崩した僕は、彼女に抱き着くような姿勢となってしまった。


 七海はそのまま僕をキュッと軽く抱きしめてきた。


「さて、陽信くんが来たことで僕等の役目も終わりだ。良い物も見れたし、今日の僕は絶好調!! 今日の練習試合、全ての得点は僕が決めようじゃないか!!」


「無理に決まってるだろ馬鹿……ほら、遅れてるんだから行くぞ……。二人とも……騒がせてすまないな」


「あ、いえ……ありがとうございました」


 標津先輩と一緒に居た人が、先輩を引っ張っていく。先輩は僕等に手を振るとその場から笑い声をあげながら去っていく。


 僕等は抱き合ったような姿勢のままで二人を見送った。七海は、僕を胸に抱いたまま二人にぺこりと頭を下げていた。


「えーっと……七海? 標津先輩とは何を話してたの?」


「ただの普通の世間話だよ。最近、学校でも会わないからどうしてるのかと思ったら、大会が近いから練習漬けなんだってさ」


 ……僕も成長したとバロンさんに言われたけど、こうやって先輩と普通に話せるほどに七海も成長しているんだな。


 さっきまでもよく考えると、七海は嫌な顔じゃなくてむしろ笑顔で先輩達と話していた。一人で焦ってちょっとだけ恥ずかしい。


 いや、今のこの軽く抱きしめられた状態がまず恥ずかしい。人通りが少ないとはいえ、道行く人がニヤニヤとした笑顔で僕等を見ている。


「あのー……七海、離してもらっていい? 流石にちょっとこれは……」


「あ、そうだね。陽信がバランス崩したから、思わず受け止めちゃった」


 僕は彼女から離れると、彼女の姿を改めて見る。彼女は何かを期待するような眼を僕に向けていて……それはいつもの目と少し違う気がした。


 もしかしてこれは……前に言っていたあれをやってみたいってことなのかな? 僕は前の記憶を引っ張り出して、七海に対して改めて一歩近づいた。


「……七海、ごめん。お待たせ」


「陽信、遅ーい!! もう、彼女を待たせるなんて酷いんだからね」


 七海は腕を組みながらそう言うと、わざとらしく頬を膨らませてプイッと横を向いた。腕を組んだおかげで胸がことさらに強調されている……。


 でも僕等はそのやり取りをした後に……互いに吹き出した。


 これは前に七海が前にやってみたいと言っていたことで、それを僕等は……今更ながらやっただけのことだ。


 三週間ぶりに本懐を遂げられたからか、彼女は楽しそうに笑っている。


「七海さぁ、それをやりたいがために早く来たの? 標津先輩いなかったらナンパとか危なかったんじゃないの?」


「いやー、陽信なら早めに来ると思ってたんだよね。ほら、私達の最初ってそんな感じだったでしょ?」


 確かに……改めて思い返すと僕等の始まりってそんな感じだったよね。お互い、早く来すぎているよね。時間は正確に守らないと……と言っても、どうしてもこうなっちゃうよね。


「ちなみに、ほんとは何時ころに来てたの?」


「ん? ほんとにちょっと前だよ。陽信が来る30分くらい前かな、ここに付いたのは」


「30分も待たせちゃったか……ごめんね」


「気にしないでー。だって待ち合わせより早すぎるんだしさ。……って……さっきもちょっと思ったんだけど……」


 七海は僕に近づいてくると……そのまま鼻をクンクンとさせて僕の匂いを嗅いできた。え? 何……どうしたの? いきなりそんな僕の匂いを嗅いでくるなんて……シャワー浴びたはずなんだけど……。


「やっぱり……陽信……いつもと匂いが違うよね?」


 ……あぁ、そういえば……母さんと話をした時にちょっとやってみたことがあったんだった。先輩達との話で忘れてた。でも、こんなに早く気づかれるとは……。


「あぁ、えっと……ちょっと香水を付けてみたんだよね、変かな?」


「え?! 香水?! 珍しいね?」


 気づかれなければ言うつもりは無かったんだけど……七海は僕の変化に気づいてくれた。それが少し……いや、とても嬉しい気持ちになる。僕が香水を付けた事実を彼女は驚いているようだった。


 だから照れくさいけど、僕は何をしてきたのかを説明する。


「母さんが帰ってきててさ。この香水……父さんが初めて母さんとのデートで付けてた香水なんだって。同じのがあったから、初めて……ちょっとだけ付けてみたんだけど……どうかな?」


 僕の言葉に彼女は更に僕の匂いを嗅いでくる。……いや、いきなりそんなことをされちゃうと凄く緊張するんだけど……。彼女はひとしきり僕の匂いを嗅ぐと、その顔に満面の笑みを浮かべた。


「シトラスの良い匂い……なんか不思議だね。志信さん達のデートの時に使ってた香水を使ってるって……なんか嬉しくなるね」


「良かった、不快な匂いならすぐに落とそうと思ってたんだけどさ」


「大丈夫だよ。好きだよこの匂い。それに……まさか陽信が香水付けてくるなんて思ってなかったから……。こういうのを『ギャップ萌え』って言うのかな?」


「誰から聞いたのその言葉!?」


 七海は僕の言葉にニヤリとした笑みを浮かべる。……もしかして、ピーチさんから聞いたのかな?


「なんか、朝からお互い聞きたい事いっぱいあるみたいだし……時間もまだ早いから、カフェでお茶しよっか?」


「そうだね、まだ時間あるし……少しコーヒーでも飲みながら話をしようか」


 なんだかこのデートが、最初の頃をなぞっているようで……僕等はそのまま、まずは手を繋いで移動する。


 今日はまだ始まったばかりだ。


 予定外だけど……そういうのも僕等らしいと思いつつ。僕等は空いてるカフェに入るのだった。

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