第59話「バラの庭園と時計塔」

 その場所は日本の中とは思えない……洋風の建造物や、時計台、そして花が咲き乱れる、どこかメルヘンチックな光景が広がっている場所だった。


 周囲には甘く香ばしいお菓子の匂いが漂っており、入った瞬間に、僕はまるで外国に来たような気分になる。


 いや、実際に外国に行ったことないからわかんないけど、あくまで雰囲気だ。お菓子の香りのおかげなのか、この場だけ空気が違う。後ろを振り返れば普通に慣れ親しんだ光景なのに、雰囲気がここまで変わるとは……。


「こんな場所があるなんて知らなかったなぁ」


「私も知らなかった……と言うか、前にあゆみに教えてもらわなかったら思い出さなかったと思う」


神恵内かもえないさんから?」


「うん。冬に彼氏とデートで来たんだってさ。その時の惚気話を、探してる時に思い出したんだよね」


 このテーマパークは、とある製菓会社が自社製品の紹介や歴史などをテーマに作られた施設になっている。実際にお菓子を作っている所を見学できたり、製菓体験、その他にも季節ごとに々なイベントが開催されているらしい。


 恥ずかしながら、僕は七海から聞いてこの施設の存在を初めて知ったのだが、割と有名なテーマパークらしい。


 テーマパークへの入場自体は無料であり、製菓体験等の有料イベントもあるらしいのだが……。無料でも十分に楽しめるイベントがあるし、ただ施設内を歩くだけでも楽しめるとのことだ。


 観光客にも人気で、子供から大人まで楽しめるテーマパークとなっているとの話だ。今も、僕等の目の前には家族連れやカップルなんかで賑わっている光景が広がっている。


 少なくとも、一見すると非常に楽しめるテーマパークであり、七海が来たがっていたのも納得というものなのだが……僕としてはほんの少し……本当に少しだけ残念な点がこのテーマパークにはあった。それは……


「ここ、お弁当持ち込み禁止なんだよねぇ……」


 そう、このテーマーパークの唯一にして僕的な最大の不満はそれだった。だってそれは……僕は今日、七海の手料理が食べられないということを意味しているのである。


「まぁ、しょうがないじゃない。こういうテーマパークで飲食物持ち込みOKって方が少ないと思うよー?」


「そうだけど……今日はさ、夕食も外で食べる予定じゃない。なんか、最低一回は七海の手料理を食べないと落ち着かないって言うかさー……」


 七海はさして気にしてもいない風にして僕を慰めてくれるのだが。僕としては、七海の手料理を食べるというのが既に習慣化しているというか……日常の一部になっているのだ。


 その日常の一部が欠けるという事実に気づいてしまった今……非常に落ち着かない気分となっている。


「……お店のご飯も美味しいよ、きっと?」


 そうフォローする七海だが、その顔がにやけていた。うん、喜んでくれて嬉しいけど……これはお世辞でも何でもなく、本当に落ち着かないのだ。


 これが胃袋をバッチリと掴まれているというやつなのか……。


 そう考えると……改めて果報者だな僕は。彼女の料理が生活の一部になっている高校生って、果たしてどれくらいいるのだろうか?


 うん、ここで不満や文句を言ってもバチが当たりそうだし、せっかくのデートなのだ。そこはもう切り替えて行こうか。


「よっし! 七海のご飯が食べられないのは残念だけど、今日は楽しもうか。それと改めて、いつも美味しい料理をありがとうございます」


「いえいえ、好きでお料理してるだけですから。よっし! 今日はたっくさん楽しもー!」


 改めて僕は手を繋いだままで改めて七海へとお礼を言うと、彼女は嬉しそうに笑顔を浮かべて、僕と繋いだ手を大きく振る。うん、やっぱり楽しむのが一番だよね。


 そのまま僕等はテーマパーク内の散策を続け、中庭部分……綺麗な花が数多く咲いている庭園に到着した。まずは七海はここに来たかったとのことだった。


 その場所に到着したとたんに周囲の香りが変わる。


 今までは甘いお菓子の香りが周囲に漂っていたのだが、そこでは様々な花の香りが僕等を包んでくれた。


 そして、僕はその咲き乱れる数々の花にも圧倒された。


 僕の中で花にまつわる印象の強い記憶は、お花見で見た時の桜だ。あの時は、ピンクや白の花弁が舞い散り、自然に咲いた素朴な感じが楽しめた。


 だけど、ここではレンガ作りの道やドームの形をしたものの周囲、白い柵の中、緑のアーチに絡みつくように咲いている色とりどりの花……人の手で丁寧に作られた庭園が僕等を迎えてくれている。あの時の自然とは対極にあるようだが……綺麗という点では全く見劣りするものではなかった。


「凄いね、色んな花がいっぱいある……」


 視覚と嗅覚の両方で圧倒された僕は、思わず見たままのことを呟いてしまっていた。そんな僕の反応がおかしかったのか、彼女は僕を覗き込むようにして小首を傾げていた。


「これね、植えられてるのは全部バラなんだってさ。ここだけで200種類くらいあるらしいよ。綺麗だよねぇ、良い匂いだし」


「これ全部バラなの?! バラの種類ってそんなにあるんだ……知らなかったなぁ」


「うん、私も知らなかったよ。それじゃ、入ってみようか」


 僕等は手を繋いだままその庭園の中に入る。庭園の周囲を見回すと、白、黄色、オレンジ、ピンク、赤、紫……綺麗な花々が目を楽しませてくれる。


 これが全部バラなのか……。僕の中ではバラって赤しかないイメージだったから、これは新鮮だな。


「なんかこのテーマパークに入った時から感じたけど……ここはより一層外国に来たみたいな気分になるね。建物なんて町中だと絶対に見ない作りだよ」


「だねー、これってどこの国の雰囲気なんだろうね? やっぱりヨーロッパとかかなぁ?」


「なんでヨーロッパ? 確かに僕もバラと言えばなんとなくフランスってイメージが強いけどさ」


 これは偏見なんだろうか。バラだとフランスって……たぶん漫画とかゲームとかの影響な気がする。まぁ、綺麗なら何でもいいか。


「……いつかさ、二人で外国にも行ってみたいね。し……えっと……うん、卒業旅行とか! でもそうなると、お金貯めないとなぁ。バイトでもしようかなぁ……」


 七海が卒業旅行という前に『し』という言葉を言ったのを僕は聞き逃さなかった……。


 『し』……もしかして……えっと……『新婚旅行』って言おうとしたのかな? そこは突っ込まないでおこう。うん。気が早いというよりも、それくらい楽しんでくれていると思っておこう。


 噴水や花壇、バラを背景にした時計塔や建物を見ると、本当に海外旅行をしている気分になる。そこで僕は、花壇のところに何か変なくぼみ……と言うか穴が空いているのを見つける。


「七海、なんかあそこの花壇……穴空いてない? なんだろうね、あれ」


「え? ……あ、ほんとだ。なんだろうね……ハート形の穴にも見える……そういう演出なのかな?」


 何か飛び出してくるギミックなのだろうかと思っていると……僕等は背後から誰かに話しかけられた。


「あれは、花に囲まれた写真を撮るための穴なんですよ。そこから入って、上半身を出して写真を撮るのがとても人気なんですよ」


 後ろを振り返ると、どうやら女性のスタッフの方のようで……社員証のようなものをぶら下げていた。


「よければ、お二人のお写真を撮りましょうか? お二人……恋人同士のようですし、良い思い出になると思いますよ?」


 スタッフの方は僕等の繋いだ手をチラリと見て、微笑ましそうに僕等にありがたい提案をしてくれた。僕等は頬を染めつつも、ここで慌てて手を離すことはせず……。それぞれのスマホをスタッフの方に手渡した。


「ありがとうございます。よろしくおねがいします」


「お願いしまーす♪」


 そして、僕等はスタッフさんに教えてもらった通りに花壇の中に入り……ハート形の穴から上半身を揃って出した。穴の大きさはそこまで小さくは無いのだが、周囲が花で囲われているためか、いつもと違う距離感に僕等は少し照れくさそうに微笑み合った。


「いいですねー、お二人とも。もっとくっ付いてくださいー。いいですねぇ、笑って笑ってー」


 ノリのいいスタッフさんは、僕等にくっついてくるように促して、僕等は思わず身体をピッタリと寄せ合い……二人してピースサインする。その写真をスタッフさんは何枚か撮ってくれたのだが……。その後でちょっとだけ難しい顔をしていた。あれ? 上手くとれなかったかな?


「この写真も良いですけど……。お二人とも、手でハート形作ってみません? ほら、凄い映えますし、きっと良い思い出になりますよ!」


 何かがスタッフさんの心の琴線にふれたのか、スタッフさんは僕等に難度の高いことを要求してきた。いや、そんな手でハートって……あの……片手ずつでやるやつ? 少しドギマギしながら、僕は横の七海に対してどうするかを尋ねるのだが……。


「えっと……どうする、七海……? って……聞くまでも無いみたいだね……」


「え……? 私そんな顔してた」


「してました。そんな目をキラキラさせられたら……。やりたいんだね?」


 そう、七海はスタッフさんに言われた瞬間に頬は染めたものの、目を輝かせて期待に満ちた目を僕に送ってきていたのだ。こんな目で見られて、拒否できる男は居るのだろうか? 少なくとも僕はできない。


「男子が苦手って話……どこ行ったのさ……。朝も標津しべつ先輩とも平気そうに話してたし」


「それは陽信のおかげですー。私に色々と教えたのは陽信なんだから……責任とってよね……?」


 ちょっとだけ意地悪に言った僕の言葉に、七海は身体を寄せながら悪戯する子供のような視線を僕に向けてきた。またそんな言い方する。スタッフさんの前だよ?


 上目使いで目を輝かせた七海を見て……僕は降参したように苦笑を浮かべた。


「いやぁ、このバカップル……もとい初々しいカップルはいいですねぇ。それじゃあお二人とも、手でハートを作ってくださいねぇ」


 なんか一瞬だけスタッフさんの本音が垣間見えたが、とりあえず聞こえなかったことにしておこう。そんなに僕等はバカップルに見えるのだろうか。さり気に初めて言われた気がする。


 そして僕等は……手を繋いだままでお互いに逆の手でハートを作る。


 ……これ、思ったよりもすっごい恥ずかしいんだけど。形を作るだけだから平気だと思っていたのに、これで写真を撮っても……絶対に人に見せられないんじゃないだろうか? それは七海も同様だったようで、彼女も頬を染めてプルプルとちょっと震えていた。


「いいですねぇ!! いいですよぉ!! それじゃあ撮りますね!! はい! チーズ!!」


 恥ずかしさを我慢して笑顔を浮かべた僕等を、スタッフの人は何枚も写真を撮ってくれた。興が乗ったのか、正面だけでなく左右からも撮ってくれて、ここだけでかなりの枚数の写真が撮られた。


「はい!! 良い写真が撮れました!! どうぞ、確認してください」


 写真を撮り終え、花壇から出てきた僕等にそれぞれスマホを返却してくれる。確認すると……思ったよりも良い写真が撮れていたのだが……いや、これは絶対に誰にも見せられない。特に両親には見せられない。凄く良い思い出はできたけど。


「うわぁ、陽信! すっごく良い写真撮れたね!!」


 七海はご満悦な表情を浮かべている。……うん、彼女が喜んでくれたなら良いよね。もしかしたら七海は我慢できずに睦子ともこさんや沙八さやちゃんには自慢してしまうかもしれないが、それくらいなら甘んじて受け入れよう。


 僕等はスタッフさんにお礼を言おうとしたところで、彼女は更に僕等に写真撮影についての提案をしてきてくれた。


「他にもそこのチュダーハウスって建物や、時計塔をバックに写真を撮るのもおすすめなんですよ。よろしければ、お二人の写真を撮りますけど……いかがいたします?」


「ありがとうございます。でも……いいんですか?」


「私はバラ園の清掃担当なんでバラ自体には疎いですけど、そういうのも受けてるんでお気になさらず」


 随分とサービスの良いスタッフさんである……。でも、そう言ってもらったなら断る理由は無く……僕等はその申し出を快く受け入れた。


 まず先にチェダーハウスを背景にバラと僕等が入った写真を撮ってもらう。さすがに、手でハート形は作らなかったが、その写真は本当に外国に来た一枚のようにも見えた。


 それから時計塔を背景に写真を撮ってもらおうとしたところで……時計塔から楽し気な音楽が流れてきた。


 ビックリした僕等は時計塔へと振り返ると、時計塔の中央部分が開き、そこから動物の人形やコック姿の人形が動いたり、音楽を演奏したり、何かを喋ったりと……とてもメルヘンな光景が広がる。


「うん、時間バッチリですねー。これは動画で撮った方が良さそうですねー」


 スタッフさんは慌てる様子もなく、僕等の事を預けたスマホの動画や写真を次々撮っていく。最初は驚いてしまっていた僕等だけど、気づけば、その時計塔の動きを楽しんでいた。


「凄い!! これがからくり時計なんだー。聞いてたけど、本当におとぎ話の中に入ったみたーい」


「七海、知ってたんだ?」


「陽信をびっくりさせようと思って、黙ってたんだ。陽信は調べて無かったの?」


「下手に調べない方が楽しめるかなと思ってさ……でも……これは楽しいね」


 僕等はそれから約10分間の、そのからくり時計を楽しんだ。スタッフさんはその間、律儀に僕等を撮影し続けてくれていた。いや、サービス良すぎないかなこのスタッフさん。


 そして、からくり時計の演奏が終わると……スタッフさんは僕等にスマホを返す時にわざわざ情報を教えてくれた。


「ご存じかもしれませんが、チェダーハウス内にもキャンディが職人によって形作られたり、有料ですけどそっちの建物には工場見学もありますので、是非そちらにもお立ちよりくださいね。あと、ここの庭園は冬はイルミネーションになるんでそれも綺麗です。ぜひ、冬にも当施設にまたお越しください」


 僕等はお礼を言うと、彼女はそうやって営業トークを交え、笑顔を残して去っていった。去り際に七海に何かを耳打ちして……彼女の顔が赤く染まったけど何を言ったんだろうか?


「……七海、去り際に何言われたの?」


「ひゃいっ?!」


 七海の珍しい反応に僕はちょっとだけ目が点になる。


「えっとね……えっと……スタッフさんがね……またお越しくださいって」


「うん……それはさっき僕も言われたけど」


 それだけでこんな反応になるだろうか? 僕が疑問に思っていると、七海は言葉を続ける。


「ここはキッズタウンとか子供も楽しめるイベントも多いから……お子さんができた時にも……またいらしてくださいねって……」


 ……あのスタッフさん……やりやがったなぁ……。僕らまだ高校生なのに早すぎるでしょ……。まぁ、あそこまでサービス良くしてくれたんだから、これくらいは受け入れようか……。


「まぁ……それは置いといても……冬のイルミネーションも気になるし、その頃にはまた来ようか」


「……うん、そうだね♪ それじゃあ、続きを楽しもー!」


 僕等はお互いに微笑み合うと、色々な思い出ができたバラの庭園を後にするのだった。

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