【番外編】良い夫婦の日

 4月22日はよい夫婦の日……らしい。


 僕は七海とそんな話をしてから寝たのを覚えている。11月22日は『いい夫婦の日』で4月22日は『よい夫婦の日』なんだとか。


 僕らは恋人同士であっても夫婦ではないのだから、この日はまだ無関係で……話の内容としては、よい夫婦の日だからと、お互いの両親がやたらイチャついてるとか、そんな話をしていた。


 まぁ、いくつになっても仲が良いのは良いことだし羨ましいし……僕等も将来的にはそうなれると良いよねって言葉でしめて会話が終わり……本当にそんな夫婦生活ができたら良いなと妄想をしながら眠りについたんだけど……。


「おはよう、あなた・・・。もうちょっとで朝ご飯できるから待っててね?」


 目の前には、エプロン姿で髪をポニーテールに結え、朝食を作っている七海がいた。場所は……見知らぬ家のリビングである。


 僕はパジャマ姿で……着替えもせずに食卓に付いていた。ぼんやりした頭で、料理中の七海を手伝おうかと立ち上がりかけたのだが……。


「あ、手伝いは良いからさ。その間、陽海ひなみと遊んであげててよ?」


 七海が聞き慣れない名前を唐突に言う。


 ひなみ? え? 誰?


 そんなことを思う間もなく、七海の言葉をきっかけにしたように僕の背中を衝撃が襲う。


 まるで子供一人分を背負った時のような、ずっしりとした重さを感じるが……それは暖かく……どこか懐かしい香りがした。


「パパー! あそんでー!!」


 背中の何かが僕に対して叫び声をあげる。……ような、じゃ無かった。僕の背中にいたのは、僕をパパと呼ぶ子供だ。器用に背中に張り付いて、僕の背中をくすぐる様にウゴウゴと動いている。


 何故か見知らぬ家にいて、いつもより大人びた感じで僕を『あなた』と呼ぶ七海、脈絡のない登場の仕方をした僕をパパと呼ぶ子供。


 うん、夢だねこれ。


 流石にここまでくれば、いくら僕でもわかる。だって、僕らはまだ子供ができるような行為をしていないのだから。いや、違うな、そこじゃない。まだ混乱してるようだ。


 たぶん、七海との夫婦生活を妄想して寝たから……その願望が夢として現れたのだろう。


 とりあえず、背中で蠢く僕の……僕等の子供を、僕は両手で掴んでガバッと自分の前に移動させる。楽しげにはしゃぐ「うきゃー!」と言う声とともに現れたのは。


 七海さんそっくりの、滅茶苦茶に可愛い女の子だった。


「陽海?」


「うん、ひなみだよー? パパー、ひなみとあそんでー!」


 僕が首を傾げると、その仕草を真似して一緒に首を傾げる。可愛い。何だこの可愛い生き物。


 そして、僕が両手で持っているからその浮遊感が楽しいのか、足をパタパタと前後に動かして、キャッキャとはしゃいでいる。可愛い。僕の娘、世界一可愛い。


 いや、これは夢だ。夢だけど……。陽海は七海そっくりの……くりっとした目で僕を見てきている。僕の返答が無いのを不思議がっているようだ。


「娘……僕等の娘……かぁ……。娘……可愛いなぁ……」


「どーしたの陽信……寝ぼけてる?」


 僕は七海に何でもないよと言のだが……夢だということも忘れて、ちょっと感極まって声が震える。陽海は可愛いと言われたのが嬉しいのか両頬に手を添えて嬉しそうに微笑んだ。


「パパー? ひなみかわいい?」


「あぁ! 僕等の娘は世界一可愛いなぁ!!」


 僕は陽海を力強く抱きしめると、嬉しそうに陽海はキャッキャとはしゃぎだす。七海は少しだけ不思議そうに僕等を見るが、僕は娘を抱きしめながらその場でくるくると回りだす。


「よーし陽海! パパと遊ぼうかー!」


「うん、あそぶー! だっこしてブランコしてー! あ、ヒコーキもしてー!」


 どうせ夢だ、夢なら最大限に楽しまなくちゃと僕は朝食の間まで自身の娘と遊ぶことを決意する。子供の体力というのは非常に侮れないがこれは夢だ、僕でも余裕でついていけるから……と思っていたのだが……。


 抱っこして上下にブランコのように揺らす、背中に乗せてお馬さんをする、突進してくるのを止める、おんぶをして走り回る……。陽海は非常にパワフルだった。夢の中だというのに僕は朝食までにヘトヘトになっていた。


 ……でも、幸せな疲労感だ。娘と遊んで、七海さんが朝食を用意して……遊び終わったら三人で食卓について……そう思っていたら……唐突に場面が変わった。


 あれ? さっきまで朝食を取っていたと思ったのに……僕等は陽海を中心にして左右から手を繋いで、天気の良い道を三人で歩いていた。さすが夢だ……場面転換に脈絡が無い。


「あれ? 僕らさっきまで……確か……」


「あなた、どうしたの? 今日は公園で一緒に遊ぶって、楽しみにしてたじゃない」


「パパー、ママとー、こうえんでいっしょー♪」


 楽しそうに両手をブラブラとさせながら僕等の娘はニコニコと笑顔を浮かべている。なんだか、七海と初めて水族館に行った時のユキちゃんを思い出すな……とか考えてたら、公園について……。


「ユキおねーちゃんだー!! あそぼー!!」


「ヒナー!! おいでー!!」


 僕等から手を離した陽海が、公園にいた一人の女性に突進していった。って、今ユキちゃんって言った? ユキちゃん……の夢の中の姿? 僕がユキちゃんのことを思い出したからか、成長したユキちゃんの姿がそこにいた。大学生くらいだろうか?


「あらあら、ユキちゃん……陽海と遊んでくれるのは嬉しいけど、今日は彼氏さんとはいいの?」


「大丈夫だよー。お兄ちゃん、お姉ちゃん。ヒナちゃんは私が見てるから、二人でイチャイチャしててよね♪」


 見ると、公園にはユキちゃんだけじゃなく、成長して赤ちゃんを抱っこしている沙八ちゃんや、前髪で顔がよくわからないが、みんなと談笑している見知らぬ女性の姿もある。そこでみんなが遊んでいる光景を……僕と七海はベンチに腰掛けて眺めていた。


「幸せな光景だなぁ……」


「そうねぇ……幸せよね」


 僕はそういうと、横の七海の手を握る。そして彼女の顔を見て……僕は夢の中だけど聞いてみたいことを聞いた。


「七海……僕と結婚して……幸せかい?」


「当り前じゃない……幸せよ……陽信」


 彼女は僕の手を握り返すと、そのまま僕の方へと身を寄せてきた。僕の肩に自身の頭を乗せて体重を預けてくる。


 これは僕の夢であり……これはとても都合のいい答えなんだろうけど……それでも僕は、その答えが本当に彼女から貰えたような気がして嬉しくなる。


 本当に……こんな風に幸せだって言ってもらえる日が来ると良いなと思いながら……僕は七海と微笑み合う。


「パパー! ママー! いっしょにあそぼー!!」


 そんな風に僕等がお互い向き合っていると、僕等の愛しの娘からお呼びがかかる。僕等は手を繋いでその輪の中に入っていき……みんなで笑いながら幸せな時間を過ごす。


 それからも、夢だからか都合のいい場面展開は続く。


 僕等がはじめてデートに行った映画館で、女児向けアニメを一緒に見る。


 厳一郎げんいちろうさんと睦子ともこさんが僕の両親と一緒になって孫を可愛がる。


 水族館で親子三人でイルカショーを見る。


 家族も、それ以外の知り合いも、みんな揃ってお花見をして大騒ぎする。


 そんな……夢から覚めなければいいのにと思えるほどに幸せな場面が次々と続いて……僕の横には必ず七海が居てくれた。


 そして最後の場面……僕は七海と共にベッドにいた。陽海はおじいちゃんたちと寝ると、僕の両親と一緒に別の部屋で眠っている。ここには僕等が二人きり……夫婦となった僕等が……二人きりになっていた。


 夢だというのに、非常にドキドキする展開だ。頬を染める僕をよそに、横で寝ている七海が僕の方に身体を向けて口を開く。


「ねぇ……朝にさ……娘かぁって言ってたよね、陽信……」


「あぁ、いやぁ、僕らの娘可愛いなぁと思ってさ……ほんと、可愛いよね……娘……七海そっくりで……」


 七海は僕の言葉に嬉しそうに微笑むと、そのまま僕の頬に手を添えてきた。


「息子だったらきっと陽信そっくりだよ……だからさ……陽海にそろそろ……弟とか欲しくない?」


「……へ?」


 そういうと、七海はベッドの上から立ち上がり……パジャマの上半身部分をはだけさせる。そのままスルリと彼女はパジャマを脱ぐと……綺麗な背中を僕に見せつけてくる……。


「な……七海?」


 そのまま彼女はゆっくりと下も脱いでいく……夢とは言え心臓の鼓動が高鳴っていき……僕はこのまま死ぬんじゃないかというくらいドキドキする。


 いや、夫婦だからおかしくないよね、おかしくないよね?!


 そして彼女は僕の方へと振り返ると……彼女の身体は……


 まるで地上波アニメのように、肝心な部分が全部光って何も見えなくなっていた。


「そこは全部隠れちゃうの!?」


 僕はそのツッコミと共にベッドから飛び起きて、夢から覚めた。周囲には誰もおらず、全身から汗を拭きださせた僕が自分の部屋にいるだけだった。


 当然、七海は居ない。


「……まぁそうだよね……まだそんなことやってないんだから……分かんないよね……」


 夢の中で見た真っ白な光景を見て……ちょっとだけ自己嫌悪になる。僕等はまだそういう行為をしていないのだから、夢に見られなくて当然だ……。いや、僕も高校生だからそれなりにそう言うのは見てはいるけど……それを七海さんと結び付けられなかった。


 だからあんな夢になったのだろう……。


「あーもう! 変な夢見て……明日の朝、どんな顔して七海に会えば良いんだか……」


 頭をガリガリとかきながら、見た夢を反芻しながら僕はベッドに倒れこむ。心臓はドキドキとしているが、とにかく少しでも身体を休めないと……。


 こうなると、身体が白く光ってハッキリと見えなかったのは逆に助かったともいえる……。あの状態ではっきりと見えてたら……きっと明日の朝は七海とまともに顔を合わせられない。


 ……それでも僕は、良い夢が見られた幸福感を感じながら無理矢理に眠りにつくのだった。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 陽信が起きた時間と同じ頃……茨戸家では七海が奇妙な夢を見てベッドから飛び起きていた。


「へ……変な夢見た……いや、変じゃないんだけど……私達に娘がいて……もう一人って私が迫って……なにあの夢……」


 飛び起きた七海は顔を真っ赤にして、その全身から汗を拭きださせていた。羞恥心から身悶えする。


「夢だけど……そう言うこと……やっぱり……しちゃうのかな?」


 覚えているのは自分が服を脱いで陽信に迫る場面……そして……陽信の服を脱がせて……彼の身体がなぜか真っ白に光った状態になったところで……ビックリし過ぎて目が覚めた。


「寝る前に変な話しちゃったからかなぁ……。むー……明日の朝……陽信と普通に顔合わせられるかなぁ……」


 顔を真っ赤にしたまま七海は、そのままベッドの上へと静かに倒れこむ。


 二人が見た同じような夢が果たして未来を暗示しているのか、それとも単なる偶然の一致なのか……それは誰にもわからないことだった。

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