第53話「女の子同士の内緒話」

「ピーチちゃん……改めてはじめまして、シチミです」


「は……はじめまして……ピーチ……です。えっと……シチミ……ちゃん……?」


「疑問形になんなくていいよー。遠慮しないで、ちゃん付けで呼んでね」


 私は生まれて初めての自分の行動に少し緊張しつつ、ピーチちゃんの声を聞いた。


 向こうも緊張しているのか、声が少しだけ震えていた。せめて私は相手が緊張しない様に、自分の声色をできる限り優しくするように気をつける。


 いやー……でも……ピーチちゃんの声、めちゃくちゃ可愛いわー……。


 なにこの声……一晩中でも聞いていられる声だよ。囁くようで癒されるような声……。こういうのをウィスパーボイスって言うのかな? 私には絶対に出せない声だよ。


 私は一瞬だけ、可愛いなぁと感慨に浸っていたけど……ひとまずその感慨は置いておこう……。


 とにかく、私から持ち掛けたんだから、ピーチちゃんとお話ししないと。


 ピーチちゃんが音声通話を承諾してくれてから、私は慣れないアプリの操作に四苦八苦しながらも彼女と通話を開始できた。これは陽信もしたことが無いらしく……彼女もはじめての経験らしい。


「ごめんね、いきなり通話なんて……。文字だけだとなんだか気持ちが伝わりにくい気がしちゃって……直接話したくなっちゃったの」


「い、いえ……私もちょっと……シチミちゃんの声を聞けてなんだかホッとしてます。シチミちゃんの声、凄い綺麗ですね……なんだか、ガラスみたいに透き通ってます」


 凄く詩的で綺麗な表現に、私の頬はほんの少し熱くなる。こんな風に声を褒められたことなんて初めてだな……。


「何言ってるの、ピーチちゃんの声もすっごい可愛くて羨ましいよ。私がガラスなら……ピーチちゃんはなんだろう……ごめん、うまい表現が私には思い浮かばない……。囁くような……鈴の音かな? とにかく可愛い声!」


「いえ……私なんてそんな……可愛いなんて……初めて言われました……」


 私達はお互いの声を褒め合って、それで緊張が緩和したのかお互いにそっと笑いあう。


 向こうはベッドの中で眠るところだった見たいだし、あんまり大きな声は出せないみたいだけど……それでもその笑い声も可愛かった。


 少し笑いあった後で、ちょっとだけ沈黙が流れる。だから私は、自分から先ほどの発言を確認する。


「ピーチちゃん……よ……キャニオンくんの事、好きだったんだね……」


 危うく私はいつもの通りに陽信の名前を口に仕掛けるが、それを何とか押しとどめて彼の名前を訂正する。


「……ごめんなさい……こんなこと言っても……困らせるだけですよね」


「謝らないで、困ってないよ……。それに……私はピーチちゃんのこと、凄いなって尊敬しているよ」


「尊敬って……そんな……私なんか……」


 私なんか……か、なんだかその物言いが、出会ったばかりのころの陽信に重なる。


 もしかしたら、陽信とピーチちゃんは似ていて……だからピーチちゃんは陽信に惹かれていたのかもしれないな。


 そこに私が割り込んでしまったと思うと、申し訳なくなる……。


「尊敬するよ。だってさ、好きだった男の子に彼女ができて……それを応援できるって……私には絶対にできないよ……ピーチちゃんは優しくて、可愛くて……尊敬できる女の子だよ」


「怒ってないんですか? シチミちゃんの彼のことを好きで……交際に反対してた私を……」


「怒ることなんて何もないよ? だってさ、私が逆の立場でも反対するよ。好きな人が告白されたなんて言われたら、きっと嫉妬しちゃう……それが自然な反応だよ」


「……ありがとう、シチミちゃん。……キャニオンさんが、なんでシチミちゃんのことを好きなのが……分かった気がします」


 私の言葉に……ちょっとだけピーチちゃんの声に安堵の色と、優しい気持ちが入っているのが分かった。同時に、私の心にも少しだけチクリとした痛みが刺さる。


「ピーチちゃん、私の知らないキャニオンくんを知ってるんだよね? その辺、教えて欲しいな。ゲームの中の彼ってどんな人なのかな?」


「えっと……そうですね……私ってその……学校に友達がほとんどいなくて……一人が多かったんです……。それで……買ってもらったスマホでゲームを始めたんです」


 その辺りも、陽信と同じなのかな。かつての陽信は、私は名前は知っているくらいだったけど……大人しくて目立たない男子で……誰かといっしょなのをほとんど見たこと無かった。


「そこでキャニオンさんに会ったんです。最初は別に好きとかじゃなくて、なんだか発言が私に似てる人だなって思ってたくらいでした」


「似てる……か、なんとなくわかるかも。二人とも、大人しい系だからかな?」


「……でも、決定的に違っていたのは……私は学校での友達が少ないことを辛いって思ってたんですけど……キャニオンさんは、そんな事を何とも思っていなかったことですね」


「なんとも……思っていなかった?」


 ちょっと気になる発言に私は興味をひかれた。ピーチちゃんは、そのまま陽信がかつて言ったという言葉を私に教えてくれた。


「えぇ、彼は私に……『別に学校で無理に友達を作らなくても、こうやってゲーム内でも友達は作れるし、違う環境でも友達は作れるし……。友達が少ないってのを気に病む必要は無いと思うよ? 僕はピーチさんを友達だと思ってるけど、ピーチさんはどうかな?』って言ってくれたんです」


「あー……確かに言いそうだぁ……」


 それは私の知らない彼の一面だったけど、なんだろうか、その時の言い方が容易に想像できてほんの少しだけクスリと笑う。彼女もつられて笑って、それから言葉を続ける。


「たぶん、彼には何でもない一言だったと思うんですけど……私はそれを聞いて救われた気分になったんです。中学で友達が少なくて、みんなの輪に入っていけなくて……。それでも良いよって言ってくれた気がして……」


「それで……キャニオンくんを好きになったんだ……」


 そこでいったん言葉を途切れさせたピーチちゃんは、一度深呼吸をしてから、自分の心の中を私に明かしてくれる。とても勇気がいるだろうに、私に対して、全てを明かしてくれた。


「それがきっかけ……ですね。それから彼の言葉が目に止まるようになって、一緒にチャットでお話しするのが楽しくなって……。キャニオンさんの言葉で学校での生活も苦しくなくなって……気が付いたら好きになってました」


 照れたように言う彼女の言葉が可愛らしかった。でも……その次の瞬間にはその言葉は不安げな物へと変わってしまう。


「……変ですよね? 私はただ彼の何気ない言葉に救われただけで……。キャニオンさんの顔も本名も住んでるところも……、何もかもが知らない人だっていうのに……。そもそも本当に男の人なのかもわからないって言うのに……。私はキャニオンさんを好きになっちゃったんです」


 不安げなその一言は、彼女の可愛らしい声色と相まって今にも消えてしまいそうだった。だから私は、彼女の言葉に間髪入れずに返答をする。


「変じゃないよ」


 短いその一言だけを、まずは彼女に告げる。そう、彼女は何も変じゃない。顔も名前も知らなくても、人を好きになるって言うのが、変であるわけがないのだ。


 だから私は安心してもらうために、彼女に言葉を続ける。


「変じゃないよ。顔も、名前も、詳しい性格や、住んでるところを知らなくたって……人を好きになるのに変なことなんてないよ」


 陽信は、ゲーム上でも彼らしいままだった。だから私には彼女にそれを変だということはできないし、変だと思うことすらできない。


 だって、私がそうだったんだから。


 この子は中学生だって言うのに……私なんかよりもよっぽど大人な考えを持っている。


 彼女がそうやって、自分の心の中を私に吐露してくれたなら……私も心の中を吐露することで、彼女への礼儀になると考えた。


 私も彼女のように、一度だけ大きく深呼吸をする。


 今から言うことは……陽信にも言っていないことだ。もしかしたらこれでピーチちゃんには嫌われてしまうかもしれない、それでも私は……彼女にだけはそのことを正直に告げたかった。


「ピーチちゃん、私がキャニオンくんを好きになったのは、私が彼に告白してからなの。私は何も知らない彼を……後から好きになったの」


 ピーチちゃんの息を飲むのが伝わってくる。かなり驚かせてしまったかな? でも……私は彼女の気持ちに応えるように、自身の秘密を彼女に伝える。


「聞いてくれる? 私が、キャニオンくんに告白したのって……彼が好きだったからじゃないんだ。私は順番が逆なの……彼に告白してから、彼のことが好きになったの……。だって……私が告白したのは……罰ゲーム……嘘だったんだから」


 それから、彼女は私の言葉を黙って聞いてくれていた。軽蔑されても仕方ない私のその言葉を……彼女はどう反応するのだろうか……緊張で変な汗が身体から出てくる。


 そして、まるで永遠とも思える沈黙を……彼女の言葉が破る。


「そんな……なんで……なんで私にそんなこと……教えちゃうんですか?! 私が……キャニオンさんにそれを言ったら……どうするんですか?!」


 絞り出すようなその言葉は震えていた。


 そうだよね、その可能性もあったよね……でも、その可能性よりも、同じ人を好きになった女の子同士として……私は真摯に彼女に向き合いたかった。


「……ピーチちゃんが本気で私にぶつかってくれたように、私も本気で返さないと失礼かなって思ったの。だからピーチちゃん……私に対して感じた気持ちや……交際に反対してたことを気に病まないで……。だって、私が全部悪いんだから。……謝るべきは……私の方なんだ」


 そこで私は、一拍ほど置いてから姿勢を正す。向こうには見えないが、あくまで私の気持ちの問題だ。そして、私は謝罪の言葉を彼女に告げた。


「ごめんなさい。ピーチちゃん」


「シチミちゃん……」


 彼女の声は震えて、泣いているのが分かった。結局、泣かせてしまった自分を恥じる。そうさせないために、音声にしたのに……。


 本当はこの謝罪を告げるのは陽信が先のはずだったんだけど……でも、ここでどうなっても私は後悔は無い。同じ人を好きになった彼女が何をしても、受け入れるつもりだった。


「……シチミちゃん……今ではもう……キャニオンさんのことが好きなんですよね?」


「うん、大好きだよ……大好き。一緒に過ごすうちに、どんどん好きになっているんだ」


「……じゃあなんで……私にそんなことを……。……私がズルかったら……どうするんですか……」


「ピーチちゃんになら、何をされても後悔しないよ。……それにね、今言ったことって……付き合って一ヶ月目の記念日に、キャニオンくんに伝えるつもりなんだ。全部を告げて、謝って、改めて告白して……どうするかをキャニオンくんに委ねるつもりなの」


「そんな……黙ってても良いじゃないですか……なんでわざわざ……そんなことを……」


「それが私のケジメの付け方なんだ……。だから、だからさ……」


 想像するだけで泣きそうになるその言葉を、私はこらえて、少しだけおどける様にして彼女に言う。


「だからさ、ピーチちゃん……。私がフラれちゃったら……キャニオンくんのこと、よろしくね?」


 頬を涙が一筋だけ零れた。


 彼女への申しわけなさと、その時のことを想像して胸が締め付けられたからだ。でも、言葉だけは明るくできた。これが音声だけでよかった……。


 そんな私に、彼女もとても明るい声で……励ましの言葉をくれた


「大丈夫だよ……そんなことにはならないって……私が保証するから。シチミちゃん……私は幸せな報告だけを待ってるよ。今日のことは……女の子同士の秘密だね」


 敬語のない、まるで同年代の子にかけるようなその言葉に……私は嬉しくなった。胸の奥がじんわりと暖かくなり、陽信と話しているときとは違う思いが溢れてくる。


「……ピーチちゃん、私の事……許してくれるの?」


「うん、だってシチミちゃんも私を許してくれたでしょ? だったら……ってわけじゃないけど、私もシチミちゃんを許すよ。これで私達……お友達だね。……あ、年上に対して生意気……でした?」


 急に最後だけ敬語になった彼女がおかしくて、私は笑いながら彼女に告げる。


「ううん……嬉しい……ピーチちゃん……私達は友達だよ。だからさ、敬語を使わないでくれると嬉しい。ありがとう……ピーチちゃん」


「……ありがとう、シチミちゃん」


 私達はお互いにお礼を言い合う。顔も本名も、住んでる所も、通ってる学校だって知らないけど……私達は友達になれた。それがちょっと不思議だけど……また私の世界を少しだけ広げてくれたような気がしていた。


 それから、私とピーチちゃんは少しの間だけお喋りを続けた。陽信の話から、他愛のない話まで……色々とだ。もう時間も遅いから、本当に少しの間だけだ。


「ピーチちゃんみたいないい子が学校で友達少ないって……信じられないな……」


「私、自分から行くの苦手だから……。でもね、キャニオンさんのおかげで気持ちが楽になって……何人かは仲の良い人ができたんだよ。だから今は、学校も少し楽しいんだ」


 そっか……陽信のおかげで……それは嬉しいな。なんだか……ピーチちゃんのおかげで、また陽信と話したくなってきちゃったな……。いや、今日はこのまま寝ようかな……。


「シチミちゃん。この後、キャニオンさんとお話ししてね? あ、私達の秘密の話じゃなくて……ただのお話をしてねって意味だよ?」


「……え?」


 そんな私の考えを察したように、ピーチちゃんは私に陽信と話すように言ってくれた。


「……シチミちゃん。今日は色々あったけどさ。やっぱり最後は大好きな人とお話しして終わってよ。シチミちゃんがそうしてくれればさ……私もこの恋に、前を向かなきゃと思って燻ってた想いに、やっと区切りが付けられると思うんだ」


「……私が……そんなことして……いいのかな?」


「うん。……二人で幸せになった姿を、私に祝福させてね。それじゃあ……おやすみなさい、シチミちゃん」


「……ありがとう。おやすみなさい、ピーチちゃん」


 私はピーチちゃんとの通話を終了すると、即座に陽信へと電話をかけた。


 もしかして、もう寝てるかな? ちょっと遅くなって迷惑じゃないかな? そんなことを考えてたけど、ピーチちゃんへの感謝の気持ちでいっぱいで、私は止まることはできなかった。


 コール音が鳴り続ける中で、彼が電話に出たら何を伝えようかと、初めて電話をした時のように私の気持ちは高鳴る。


 そんなのは、言うまでもないことかもしれない。やがてコール音が止まり、陽信の声が聞こえてくる。


 だから私は……ピーチちゃんの想いを無駄にしないため、彼に今の気持ちをただただ素直に伝えるのだった。

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